第60話:ようこそ夢の国、東京へ①
東京国へと通じる入国ゲート。
長蛇の列に、与野の姿あり。
リクルートスーツに身を包み、髪は七三分け。
特徴的な黒縁メガネを装着していた。
列は進み、窓口へ。
ようやく与野の番になる。
入国審査官は、与野から差し出された埼玉国のパスポートを受け取った。
じろじろと、与野とパスポートを交互に見ている。
パスポートの名義は与野ではなく、“ヨーノ”と記されていた。
「入国の目的は?」
「東京国で採用面接があります」
「就職活動、ですか……」
入国審査官は面倒くさそうにため息をついた。
冷ややかな口調で告げる。
「地元に仕事がなくて上京する者。何者かになりたいとこの東京国に夢を見て入国する者が後を絶ちません。埼玉国、千葉国、山梨国、そして神奈川国からもね。
隣接する周辺国は、どこも自国に仕事がないのでしょうか? 夢すら抱けない環境なのでしょうか?
揃いも揃って、この東京国へ群れをなしてやって来る」
審査官は馬鹿にするように、与野のパスポートを指先でトントンと叩く。
あまりにも露骨で、挑発的な言葉だった。
「しかしね。やってくる者のほとんどの者が夢破れ、あるいはその夢に食い潰されて帰国していく。
あなたのような地方の途上国出身……おっと、失礼。隣国の人間が、東京に夢を見るのは自由ですがね」
侮辱されている。
だが失礼な発言を浴びせられても、与野はまったく動じなかった。
作り笑いを浮かべたままニコニコと聞き流す。
審査官は端末から一枚の紙を印刷すると、それを与野のパスポートに貼り付けた。
「就活ビザなんてありませんからね。短期滞在用の観光ビザを発行しておきました。有効期限内に内定した就職先から就労ビザを発行してもらい、切り替えの手続きをしてください。それができなければ、諦めて速やかに帰国を。不法滞在者は、東京国の法で厳しく処罰されます」
「分かりました」
与野のパスポートに入国スタンプが押される。
審査官は気だるそうに言った。
「それでは、ようこそ東京国へ」
入国ゲートをくぐり、与野は喧騒に満ちた東京の地へ踏み出した。
「ここが日本大陸で最も人と情報が集中する東京国か……」
乱立するビル群と、忙しなく行き交う人々の波。
帝都さいたま市とは雰囲気がまったく違う。
与野が立ち止まり、周囲を観察していたその時だった。
背後から衝撃。
肩をぶつけられ、よろめく。
振り返ると、そこにはいかにも都会的な風貌の若い男女。
男の方が突っかかってきた。
「てめぇ、通路の真ん中で突っ立ってんじゃねぇよ!」
男に絡まれる与野。
しかし女の方が男を止める。
「ねぇ、なんか臭わない? ほら、埼玉の臭いがするわ! もう行きましょ? ダサい空気が移っちゃう!」
与野は思わず、自身のスーツの臭いを嗅いでみた。
仕立てたばかりの真新しい匂いしかしないのだが。
女が男の腕を掴み、引っ張った。
ふたりは足早に人混みの中へと歩き出していく。
最後に男が振り返った。
「アッハッハ! ダサいたま! ダサいたまーッ!」
遠ざかっていく嘲笑の声。
与野は顔を引きつらせて、その背中を見送った。
「やれやれ……ああいう連中は、東京国民の一部だけだと信じたいな」
呆気に取られていた与野だったが、すぐに表情を引き締める。
「さて、気を取り直して面接場所へ向かうとするか」
東京国北区、某会館の一室にて。
上座に置かれた机と椅子。
そこに腰掛ける、背骨の丸まった老人がひとり。
面接官の赤羽であった。
深いしわの奥に隠れた眼が光る。
「次の方、どうぞ」
「はい」
廊下で待機していた与野は返事し、背筋を伸ばす。
確かな足取りで部屋の中へと踏み入れた。
「埼玉国から参りました、“ヨーノ”と申します。本日は宜しく願い致します」
赤羽の眼はしわに遮られ、表情を窺うことはできない。
だがその老体には、貫禄が漂っている。
やはりこの人物……底が知れない。
与野はそう思いながら、促されるままに向かいの椅子へと腰を下ろした。
「面接官の赤羽です。埼玉国から遠路はるばる、当国の区役所採用面接にお越し頂き、ありがとうございます」
赤羽はそう言って、手元にある資料に視線を落とす。
事前に与野から送られてきた履歴書と職務経歴書だ。
「ヨーノさん、素晴らしい経歴ですね。埼玉国の庁舎で行政担当として働いていたとは。お会いできるのを楽しみにしておりました。実際に行政を回していた人間なら、我が東京国の行政機関でも充分にその能力を発揮できるでしょう」
「ありがとうございます。過分なお言葉に感謝致します」
「ではさっそく、面接を始めたいと思います」
赤羽は咳払いをひとつ。
変装した与野の、東京国潜入作戦の第一段階が幕を開ける。
「まずはじめに。なぜ東京国の行政機関を志望されたのですか?」
「はい。埼玉国の行政に携わる中で、わたしは中央と地方の構造的関係について、多くの事を学びました。
ですが同時に、自分が見えているものが埼玉国という一つの枠の中に限られていることにも気付きました。
行政というのは、一国の内側だけを見渡していても見えてこないものがあります」
与野は真っ直ぐに、赤羽を見据える。
しわに隠れた目を探るように。
「東京国がどのように地方と向き合い、どのように人を動かし、どのように国家を運営しているのか。外から眺めるのではなくその中に入り、自分の経験と比較しながら学びたい。それが東京国の行政機関を志望した理由です」
「では、そのキャリアの基盤であった埼玉国の行政職員を、なぜ辞められたのですか?」
「はい。率直に申し上げて……埼玉国ダ・サイタマ王のあまりの横暴さに、もはや付き合いきれなくなったからです。どれほど地道に内政業務をこなし歪みを是正しても、王の一言や気まぐれですべてが台無しにされます。そんな日々に疲弊しきってしまいました。
そこで自身の将来やキャリアプランを見つめ直した結果、培った実務経験を活かしつつ、別の可能性を探るべきだと判断致しました」
与野は苦笑いし、誤解を与えないよう付け加える。
「もちろん、母国である埼玉国を嫌って飛び出してきたわけではありません。むしろあの過酷な環境で揉まれてきたからこそ、東京国でも自分の力を役立てられると考えております」
赤羽は与野の苦労をねぎらうように、大袈裟な身振りをした。
「それはそれは……苦労なさいましたね。埼玉の王ダ・サイタマの噂は、東京国でもたびたび話題に上がっています。
ヨーノさん、貴方から見て彼はどういう人物ですか?」
「一言で言い表すのは難しいですが。強烈な自我と、信念を持った人物です」
「ほう」
「信念を持つことと、自分の信念が正しいと思うことは、似ているようで違います。ダ・サイタマ王は、その境目が曖昧です。権力を持つ王として非常に危険な存在かと。ただ……」
「ただ……何ですか?」
「わたしはあの人の横暴と度重なるパワハラに耐えかねて埼玉国の職員を辞職しました。しかし彼を単純な悪人だとは思っていません。あの人なりの、埼玉をこう導きたいという芯の通った理想があります。
問題はその理想のためなら、他人にも全く同じ考えを強いてしまうところにあります。だからわたしは、彼を愚かだとは思いますが、怯懦な人物とは思っていません」
「なるほど」
赤羽は頷いた。
まるで与野の発言を吟味するかのような仕草。
次の質問へ。
「ヨーノさん。埼玉庁舎で働いていたのなら、さいたま四天王のことにも詳しいと思います。貴方から見て、大宮、浦和、与野、岩槻、それぞれの人物像に対する印象を教えてもらえますか?」
与野は改めて背筋を伸ばす。
「承知致しました。では、一人ずつお話しします。
まず大宮は、人を惹きつける力があります。自然と周囲に人が集まるんです。人徳がありながらも、決して傲慢な態度は取りません。軍事面を担っていますが、仮に内政を任せてもああいう人間は強いでしょう。ですが何でも自分で背負い込もうとする癖があります。
次に浦和ですが、とにかく熱い男です。何事にも真っ直ぐで、自分の信念や正義に反することには正面からぶつかる。しかしながら組織全体を考えて、自分の感情を引っ込めることができる柔軟性も併せ持っています。何よりも部下や民草への情が厚い。
軍事面を担ってますが、将兵だけでなく民にとっても、あのような人間が上に立っていることは頼もしいはずです。ただ、時に先走りすぎてしまうこともあるようですが。
岩槻は、頭が切れます。行政を担っていますが、あらゆる側面から物事を捉え、長期的な視野に基づいて良案を導き出すのが得意です。時に優しく、時に厳かに。行政の秩序をまとめ上げ、その手腕は表立って目立つものではなくとも、国家としての基礎基盤を粛々と固めていくような。そんな抜け目のない男です。
そして与野は……」
そこで与野は言葉を詰まらせた。
他ならぬ自分自身を、どう評価したものか。
すぐさま言葉が思い浮かばず、思考の逡巡が生まれる。
そのわずかな隙間。
老練な赤羽は、違和感を逃さない。
しわの奥に隠れた眼が、鋭く光る。
「与野は、ヨーノさんと“酷く似た”名前ですね」
どこか、含みを持たせた赤羽の口調。
「……は、はい」
与野の額に、冷たい汗が浮かんでいた。
もうちょっと、偽名をひねっておけばよかった。
与野は脳をフル回転させ、即座に言葉を紡いでやり過ごす。
「与野は、人と人の間に立つ人間です」
「ほう」
「官僚の間で衝突が起きれば仲裁に入る。地方が中央政府に不満を募らせれば、地方の言葉を中央が真摯に受け止めるための形にする。逆に中央が地方へ過度な要求を突きつければ、地方が何とか受け入れられる形に辻褄を合わせる。誰かと誰かが揉めていれば、その間を取り持つ。そういう役回りの男かと……」
赤羽は何も言わずに、じっと黙り込んでいた。
が、薄気味悪い笑みを浮かべると、
「では、『与野』という人物について、もう少しだけ深掘りをさせてください」
「……は、はい」
赤羽は与野に対して、純粋に興味が湧いたのか。
それとも――
「さいたま市が誕生した当時、かつての与野市は、“与野”という名前を捨てて『中央区』という名前に改めましたね。他の旧都市は大宮区、浦和区、そして岩槻区と。それぞれの名を残したというのに」
「……はい」
「何故でしょうか? “ヨーノ”さんの推測で構いません。教えて下さい」
もう不自然に言葉に詰まるわけにはいかない。
だからといって、饒舌に語りすぎてもいけない。
今の与野は、ヨーノなのだ。
しかし譲れないものもある。
与野は慎重に言葉を選び取った。
「わたしは、“与野が自ら名前を捨てた”とは考えていません」
「ほほう。では、どうお考えですか?」
「わたしは与野が名前を捨てたのではなく、役割を変えたのだと思います」
「役割、ですか?」
「はい。さいたま市が発足した当時、大宮と浦和という二つの大きな都市の間に与野は存在していました。合併する以上、どちらか一方の都市を中心に据えるわけにはいかなかった。
だからこそ『中央区』という名前には、絶妙なバランスを保つための意味が込められていたのだと思います」
「ですが、与野という名前を残す選択肢もあったでしょう? 実際、与野という名前を惜しむ人もいたのでは?」
赤羽が笑いながら首を傾げる。
与野も釣られるように愛想笑いを返した。
「わたしは与野という名前がなくなったからといって、与野そのものがなくなったとは思っていません。たとえ行政区画の名称が『中央区』に変わっても、そこに住み続ける人々や歴史、土地の記憶はすべてそのまま残ります」
「それはそうですね」
「むしろわたしは、『中央区』という名を与えられたことによって、与野市という街が担い続けてきた間を取り持つ役割が、より明確になったのではないかと捉えます。旧大宮市と旧浦和市の間に立つ。中央政府と地方の間に立つ。旧来と新しい時代の間に立つ。そういった役割を担うこと。
それこそが『中央区』であり、旧与野市の宿命なのだと、わたしは考えています」
赤羽は唸り、手元の履歴書に目を落とす。
そしてまた笑みを浮かべる。
わざとらしい笑みだなと、与野は思った。
「なるほど。間に立って取り持つ役割としての『中央区』ですか……よく分かりました」
赤羽は意味深な笑みを浮かべ、黙っていた。
何かを頭の中で反芻させているような、そんな時間。
やがて――
「ヨーノさん。もし与野がいなくなったら、埼玉国はどうなると思いますか?」
「それは……困ると思います」




