第59話:埼玉の真の中央
星空が綺麗だ。
ずっと退屈しないで眺めていられる。
夜のとばりに、無数に散りばめられた宝石のような星々。
キラキラと眩しく輝いて。
でもその光は、遥か昔に放たれた過去の煌めきなのだ。
思わず夜空へ向けて、手を伸ばしてしまう。
星を掴んでみたかった。
だけど人の手は、あまりにも短くて。
あの輝きには、絶対に届くはずもない。
だけど何故だろう。
心持ちひとつで、今にも掴めそうな錯覚に陥ってしまう。
胸がワクワクするんだ。
星空のその先には、広大な宇宙が広がっている。
宇宙という言葉に思いを馳せるだけで、ドキドキが止まらなくなる。
漆黒の闇、未知の世界。
宇宙の果てには、一体何があるのだろう。
深淵で、途方もなく広くて。
人の尺度では、到底推し測ることもできない。
光年という距離。
それに比べたら人の一生なんて、刹那の幻だ。
ときがわ町の大名・ときがわは、自領に隣町の大名・鳩山を招き、並んで満天の星空を見上げていた。
ふたりは今、山頂にそびえる『堂平天文台(星と緑の創造センター)』の敷地に立ち、夜空を眺めている。
鳩山が呟いた。
「圧倒的な展望だね。このスケールの広さには、ただただ圧倒されてしまう」
ときがわは頷く。
「うん。それに比べたら、ボクたちはなんてちっぽけな存在なんだろう。いや、この埼玉ですらちっぽけな存在に思えてくるよ」
「そうだね。でも宇宙の規模からしたら、我々もこの埼玉だって小さすぎて視野にも入らないだろうね」
「はは、そっか……」
星の下では国も、人も、みんな等しく小さかった。
でもだからこそなのだ。
宇宙にとっては取るに足らない、埼玉のささやかな営み。
小さな埼玉民の暮らしでさえも、儚くて尊いものになる。
ときがわと鳩山。
ふたりが治める地は、埼玉国の中央に位置していた。
中央と言えば政治の中心、首都である帝都さいたま市を指す。
しかし、あそこはあくまで行政上の中央に過ぎない。
地理的な意味において、埼玉の中央に位置するのはまさに彼らの地であった。
ふたりの町が属する比企郡。
そしてすぐそばに隣接する中心都市、東松山市。
この一帯こそが、埼玉のヘソ。
真の中央なのだ。
ときがわと鳩山。
ときがわは、『堂平天文台(星と緑の創造センター)』を有し、夜空の星々と天文を司る。
鳩山は、『JAXA地球観測センター』を有し、人工衛星からデータを地上で受け取っている。
ときがわは、地球から宇宙を見上げる者。
鳩山は、宇宙から地球を見下ろす者。
ふたりはまさに、天空の中央でもあった。
満天の星が広がる展望に満足するときがわと鳩山。
ふたりは屋外にあるテラスへと移り、温かい狭山茶を飲みながらまったりと寛ぐ。
耳を澄ませば、木々のささめきが聞こえてくる。
風が澄み切った音を立てて吹き抜けていく。
目を閉じれば、たとえ山頂にいようとも清らかな川のせせらぎが聞こえてきそうだった。
ときがわは思う。
木々の、擦れ合う葉の一枚になれたなら。
通り抜ける風の、一陣のそよ風になれたなら。
川のせせらぎの、跳ねる水しぶきの一滴になれたなら。
自然の一部、いや、地球の一部に溶け込むことができたなら。
どれほど素晴らしいだろうか。
「ねえ、鳩山」
「ん?」
「ボクはね、自然になりたい。この地球になりたい」
「えっと、それは……ずいぶんと思い切った、贅沢な願いだね」
「贅沢、そうかな?」
「うん。人間には多分、一番難しいから」
自然と共に生きること。
それはすべての生き物にとっての原点。
人間は、自然の摂理を離れてどこへ向かう?
ときがわは、再び夜空を見上げた。
「ねぇ、鳩山」
「ん?」
「彩の国は乱れているのに、星たちは何も知らない」
「えっと、それは……知る必要もないんじゃないかな」
「埼玉のことなんて、宇宙は興味ない?」
「埼玉どころか、地球だってどうでもいいんじゃないかな」
鳩山もまた、どこまでも深い星空へと再び目を向けた。
ときがわが目を見開く。
夜空の一点を指さした。
「あれ見て! あの星の並び!」
ときがわが星を指先でなぞっていく。
「あの星々、コバトン様の形をかたどって見えない!?」
「あ、本当だ! こりゃすごい! なんと気高い星の並び……!」
鳩山もすぐにそれと分かり、ふたりは童心に返ったように顔を見合わせはしゃぎ出す。
彼らは偶然にも、夜空に浮かぶコバトン座を見つけ出したのだ。
「コバトン様も今夜、同じ星を見上げているのかな?」
「そうだったら、いいね」
「でもさ、帝都さいたま市の夜空って濁ってるかな?」
「あそこは都会だから、夜空の空気にも“色々なもの”が混じっているだろうね」
その“色々なもの”とは、何を指しているのか。
車の排気ガスか、それとも人間の欲望の闇か。
ときがわは聞かなかった。
「ねえ、鳩山」
「ん?」
「コバトン様ってさ……幸せなのかな?」
突拍子のない問いかけに、鳩山はキョトンと首を傾げる。
「えっと、それは……ちょっと分からないな」
コバトンは、もとより一羽の“鳥”である。
だが同時に、埼玉国における絶対的存在の“帝”である。
『鳥』と『帝』。
その二つの間で、苦悩していないだろうか。
鳥に徹すれば、帝としての権威が薄れてしまう。
帝に徹すれば、本来の鳥としての自分が死ぬ。
コバトンは、果たして幸せなのだろうか?
ときがわは、ぽつりと呟く。
「もしさ。今のコバトン様が、帝でも何でもなくて。ただの鳥類として、この星空を見ているんだったら……」
「だったら……?」
「その方が幸せなんじゃないかって、ボクは思っちゃうんだよね」
ふたりはその後も、静かに夜空に浮かぶコバトン座を眺め続けていた。
翌日。
比企郡に属する各町の大名たち
ときがわ、鳩山、小川、嵐山、滑川、吉見、川島。
それぞれの郵便ポストに、一通の密書が投函されていた。
差出人は東松山市の大名・東松山。
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『埼玉の本当の中央に、帝をお迎えする』
帝都さいたま市は、政治的な行政の中央を自称しているだけである。
真の意味で埼玉の中央に位置するのは、比企郡と我が東松山市である。
すなわち、埼玉の地理的中心こそが、帝を奉じるに最も相応しい聖地。
帝を奉じる土地こそが、正統なる埼玉国を統べる資格を持つ。
故に、帝を擁立する市町村は真の埼玉国となる。
覇者となる市町村は、帝都さいたま市のような大都市である必要はない。
コバトン帝のいらっしゃる場所こそが、そのまま新たな帝都になるのだから。
『今月〇〇日、〇〇時。
比企郡の各大名は、東松山市役所へ集結されたし。
コバトン様をこの地へお迎えするための、極秘拉致計画の会議を行う』
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密書を読み終えたときがわは、深いため息をついた。
コバトン様を帝都さいたま市から連れ出し、埼玉の地理的中心へ。
東松山は地理的な正統性を武器にして、コバトン様を担ぎ上げるつもりだ。
東松山市単体ではなく、比企郡全体を巻き込んで。
この一帯こそが地図上の埼玉の中心部であるという大義名分を掲げて、一気に天下をひっくり返す気だ。
周囲の木々の葉が風に揺れ、さらさらと擦れ合ってざわめいている。
一陣の風が吹き抜け、ときがわの頬をそっと優しく撫でていく。
ときがわは、またひとつ大きなため息をついた。
自然は何も変わってはいない。
いつだって変わるのは、人間の側。
この密書を突きつけられた、他の比企郡の大名たちはどう受け止めるだろう。
野心的な計画に素直に賛同するだろうか。
それとも、無用な火の粉を払うために一歩引くだろうか。
昨夜、鳩山と一緒に満天の星空を見上げながら、自分が語った言葉を思い出す。
“ボクはね、自然になりたい。この地球になりたい”
“コバトン様ってさ……幸せなのかな?”
自然とともに過ごしたい。
静かに平穏に暮らしたい。
誰だって、そう願っているのではないだろうか?
雄大な自然の一部、地球の営みの一部として。
それが実感できる環境の中で生きる方が、きっと生き物は幸せなはずだ。
「あれ……?」
ときがわはハッとした。
この比企郡の地域は、さいたま市に比べて圧倒的に緑が深く、自然に満ち溢れているじゃないか。
「ということは……!?」
帝という肩書以前に、本来はただの一羽の鳥であられるコバトン様にとって……
身を置かれる場所は、殺伐とした都会のさいたま市よりも……
こっちの自然豊かで空気が澄んだ環境の方が……
幸せかもしれない!!




