第56話:与野と岩槻の密かな目論見
さいたま赤十字病院の一室。
病室のベッドに横たわる与野。
コンコン――と、控えめなノックの音。
与野はゆっくりと上半身を起こし、扉に向かって声をかける。
「どうぞ」
扉が開くと、入ってきたのは岩槻だった。
「与野、身体は大丈夫か?」
与野が内政業務の過労によって倒れたと知らせを受けた。
それで各地の市町村を慰撫して回っていた岩槻は巡察を中断。
急遽内政の穴を埋めるべく、帝都さいたま市へ戻ってきたのだ。
「浦和に続いて、与野まで入院することになるとはな。今やさいたま四天王で無事なのは、わしと大宮だけになってしまった」
そう苦笑すると、岩槻はベッドの傍らに置かれたパイプ椅子に腰掛けた。
「心配をかけたね、岩槻。でも快方に向かっているんだ。すぐに公務に復帰できるよ」
ダ・サイタマの前では粛然とした態度の与野。
しかし同じさいたま四天王の前では、気さくな素の表情を見せていた。
「だけどさ、わたしがこうして休んでいても、庁舎の業務は回っているみたいだね」
「わっはっは、何を言っている? 残された官僚たちはみんな毎日、悲鳴を上げているぞ」
与野は乾いた笑みを浮かべる。
岩槻は改めて与野の姿をまじまじと見つめた。
頬はこけ、布団から出た手首は骨と皮が目立つ。
「やはり、ダ・サイタマ様の暴政のせいだな? わしが地方へ出張している間、内政を一身に背負っていた与野には頭が上がらぬ。心身が参ってしまうのも当然か」
「ダ・サイタマ様も、王の在り方を模索してる最中なんだと思うよ。だけど即位当初に比べれば、少しずつ丸くなってきている気がする」
「そのダ・サイタマ様だがな。与野のことをだいぶ心配しているぞ」
「それはそれは、恐れ多いことで」
与野は肩をすくめ、両手を上げた。
まるでお手上げだ、と言わんばかりに。
岩槻は笑う。
「ふふ。ところで……こんな状態になっても、官僚たちからひっきりなしに問い合わせが届いているのであろう? 病院のベッドにいても、まるで休めていないのではないか?」
「うん。朝、昼、夜と、官僚たちが内政の進捗や各地の情勢を報告しにくるよ。なに、自分がそうするよう頼んだんだ。寝ながら話を聞いて、指示を出すだけだから大したことないよ」
「どこに居ても落ち着けぬな。与野は」
「でもさ、ここにいれば一日の大半は横になっていられる。だからこそ、色々なことをじっくり考える時間ができた」
そう言って、与野は病室の無機質な天井を見上げた。
「埼玉国に伝わる三種の神器(埼器)のこと。なぜ『埼の玉』と『彩の宝剣』にヒビが入ってしまったのか。そして『斉の鏡』は、なぜ埼玉の王としてダ・サイタマ様の姿を映し出したのか……」
「考えたところで、答えが出るような問題ではないと思うが」
「そうだね。だけど埼玉国は今、避けられない問いを突きつけられているのだと思う。“埼玉とは何なのか?”という命題をね」
言い終わったと同時に、与野の顔が歪む。
「ゴホっ…! ゲホっ、ゲホっ…!」
激しく咳き込んだ。
痛々しく、ざらついた音の咳。
岩槻は慌てて背中をさすろうとした。
苦しげに息を吐く与野のやつれた横顔。
それを見て岩槻の胸が締めつけられる。
あまりにも儚く、風前の灯火のように見えたからだ。
込み上げてくる感傷を抑えきれなくなった岩槻。
気づけば遥か昔の、ある出来事を口にしていた。
「……与野。わしは今でも、心から感謝しているのだよ」
「ん? 何がだい?」
与野が肩で息を吐きながら、不思議そうに尋ねる。
岩槻は一度立ち上がり、椅子に座り直した。
「さいたま市に、我が岩槻市(旧)が合併した時の話だ。当初、さいたま市は大宮・浦和・与野の3市が合併して誕生した。岩槻市がそこに加入したのは――その4年後のことだったな」
「おお、随分と懐かしい昔話を持ち出してくるね」
「あの時、岩槻市も当初からさいたま市への加入が検討されていた。だがさいたま市が発足する前の構想段階において、我が市は自らその枠組みから離脱を決めた」
「うん……ちょっと待って。岩槻、その話は長くなる?」
岩槻は自らの語りに集中していた。
与野の質問すら耳に入っていない様子。
「わしは怖かったんだ。大宮や浦和といった大都市主導で進む合併協議が。岩槻市の歴史ある城下町としての誇りや独自性が、埋没してしまうのではないかという不安があった。また、その頃は東部地域との連携、合併を模索すべきだという市内の意見も根強かったのだ」
語る岩槻の表情が、次第に申し訳なさそうに。
後ろめたそうなものへと変わっていく。
「一度は離脱を決めた岩槻市だったが。結果的に東部地域との合併協議は上手くいかず、財政面やインフラの観点でも大きな壁にぶつかってしまった。そして市民の間で『やはり、さいたま市と組むべきではないか』という声が過半数を占める事態になったのだ……」
そこまで言うと、岩槻は感極まったのか。
目に涙を浮かべ、濁声になった。
「自ら振ったさいたま市へ。わしから合併を拒絶し、離脱したにも関わらずだ。今更、後からさいたま市に編入できるかどうか相談に赴いた際――」
語る岩槻の瞳から、雫がこぼれ落ちる。
「与野と大宮と浦和の3人は、そんなわしを……温かく迎えてくれた……!」
潤んだ真っ直ぐな瞳が与野を見つめる。
「ありがとう…あの時は、 本当にありがとう……! あの時、歓迎してくれた与野と大宮と浦和の笑顔を、わしは一生忘れることはないだろう……!!」
感無量といった様子で男泣きする岩槻。
感謝を告げられる与野だったが、どこか気まずそうに顔を背けた。
「あのさ、岩槻。その、我々の仲だから、正直に言うけどさ。一度は我々を振っておいて『後からやっぱりさいたま市に入れて』とやって来た岩槻に対し……実は当時、大宮と浦和とわたしの3人は冷ややかに見ていたんだ」
「な、なにぃぃぃぃっっーーーー!?!?」
岩槻は顎が外れるほど口を大きく開けた。
目をこれでもかと見開いて。
面白い顔だ。
ちょっと意地悪してやろう。
与野は気の毒に思いながらも、構わず続ける。
「冷静に条件を詰めてさ。岩槻市を“岩槻区”として編入することはこちら側にとってもメリットがあったからね。大宮と浦和とわたしが主権を握ったまま、岩槻を組み込むことができた。ビジネスライクってやつだよ」
「あ……あ……ああ……」
岩槻はショックのあまり言葉を失っている。
がっくりと肩を落とした。
その精神的ダメージは計り知れない。
きっと人情に触れるような、熱い言葉を与野から期待していたのだろう。
与野はさすがに可哀想になり、いたずらっぽく笑い声をあげた。
「あはは! ごめんごめん、冗談だよ。今は岩槻がさいたま市に来てくれて本当に良かったと、心から思ってる。それは大宮や浦和も同じ気持ちなのは間違いない。岩槻はさいたま市に絶対に必要な存在さ」
「そ、そうか…? ああ、良かった……!」
しょんぼりしていた岩槻の顔に、安堵が広がった。
その後も、ふたりは時間を忘れて語り合った。
さいたま四天王。
その絆はなんだかんだで強い。
大宮と浦和が軍事面を担当し、与野と岩槻は行政面を担当している。
それぞれが埼玉国の中枢で重要な役割を果たしているのだ。
一通り語り合いたいことを話し終えた後。
岩槻が静かに問いかけた。
「与野、いま一番気になることは何だ?」
「やっぱ西側が騒がしくなってるのは無視できないね。秩父王国に奥武蔵、そして児玉国。東側は岩槻が熱心に慰撫して回ってくれていたから、まだ平静を保っているように見えるけれど。今後、自我の強そうな市町村の動向には注視した方がいいかもしれない」
「同感だな。独立国に触発されて、他の地域も連鎖反乱を起こさないか警戒しよう」
「でもさ。実はわたしが最も危惧しているのは、埼玉国のことよりも南の国のことなんだ」
「……東京国か」
岩槻は眼の色を変えて深く唸った。
「川口に埼玉国を見限らせ、自治領として離脱させた。裏では東京国が巧妙に糸を引いていたのだと、与野はそう睨んでいるな?」
「うん。東京国は危険な香りがする。早い段階から手を打っておかないと、後で取り返しのつかない事になる気がするんだ」
与野の表情が険しくなる。
「岩槻、頼みがある。しばらくの間、わたしの仕事をすべて押し付けることになってしまうけれど……」
「構わぬよ。与野の頼みならいくらでも聞こう。安心してくれ。わしは過労で倒れる前に上手く立ち回る方法を考える。で、頼みとは?」
岩槻は身構える。
真剣な形相の与野から気迫を感じ取っていた。
「理由は適当にでっち上げてくれて構わない。“与野は長期間の静養が必要”ということにして、周りを納得させて欲しい。わたしをしばらく表舞台から消させてくれないか?」
「ほう、それはそれは。姿をくらまして、どんなことを企てている?」
与野はベッドの上で不敵な笑みを浮かべた。
「敵を騙すには、まず味方から、ってね」




