第54話:双谷同盟
熊谷と深谷。
ふたりは帝都さいたま市から召集を受け、王ダ・サイタマから児玉国討伐の王命を言い渡された。
もし討伐を完遂し、顕著な功績を立てた暁には、以下のような褒賞が与えられるという。
熊谷への褒賞は、北方守護の兵権。
児玉討伐の功により、熊谷市内に北方軍総司令部を新設する。
熊谷市は埼玉国北部の防衛を担う軍都として格上げされるということだ。
名誉と同時に、熊谷には軍事的な権限が与えられることを意味していた。
深谷への褒賞は、北方交易権。
中央へ通じる主要街道を優先的に再整備する。
そして北方の物資をあえて深谷経由で流通させる。
北埼玉の物流の玄関口になるという、経済的な権益だ。
児玉を討てば、深谷は北埼玉を代表する新たな商都として躍進できるだろう。
召集を終えた帰り道。
激しい雨が打ちつける国道17号を、深谷の公用車が北へ向かって走り抜けていく。
帰路が同じ方向である熊谷と深谷は、公用車の後部座席に隣り合わせで座っていた。
車窓にはぽつぽつと、不規則な雨粒が当たる。
やがて滑るように、雨水は窓を流れ落ちていく。
台風26号が接近しているのだ。
どんよりと湿った外。
深谷は車窓からぼんやりと景色を眺めながら、隣に座る熊谷へ声をかける。
「随分と魅力的で、気前のいい討伐報酬だったね」
深谷はシートに深く背をもたれかけ、リラックスした姿勢をとっている。
対して隣の熊谷は微動だにせず、毅然とした態度で背筋を伸ばし座っていた。
「そうだな。ダ・サイタマ王の提示は破格だった。が、オレにはどうも王の言動に“切羽詰まった焦り”のようなものが感じられた」
「ふふ。切羽詰まった焦り、ね。ダ・サイタマ王は、まだ気づかないのかな。討伐軍として派遣された市町村が、次々と独立することに」
深谷はくすりと笑うと、意味ありげな流し目で熊谷の横顔を覗き込む。
「熊谷、これは良い機会だと思うよ? 埼玉国の風向きは変わった。帝都さいたま市による統制の限界だよ。時代も情勢も動いた」
深谷の瞳の奥で、何かが灯った。
「さあ、君はどうする?」
皆まで言葉に出さずとも、その瞳が何を誘っているのか熊谷は察する。
深谷の声色にも、期待する響きがあった。
しかし熊谷は、平然と言い放つ。
「オレは、帝都を裏切らない」
微塵の揺らぎもない即答だった。
「ふーん、そっか」
少し拍子抜けしたような、残念そうな吐息を漏らす深谷。
再び車窓を叩く雨粒へと目を戻す。
降りしきる雨が、絶え間なく窓ガラスをノックし続けていた。
熊谷は視線を前方に固定したまま、言葉を続ける。
「児玉を討て、という王の命令に異論はない。だがオレは、それを平定せよと解釈する。児玉を滅亡させる必要まではない」
「え……?」
車内に響く、激しい雨音。
深谷は試すような視線を熊谷に向けた。
「それって、あれかい? 児玉国を降伏させるまではダ・サイタマ王に従うと? 児玉の諸将を捕らえて中央へ引き渡したりはせず、埼玉国の直轄支配に戻すことには懐疑的ってことかな?」
「オレは児玉が独立勢力として存在し続けることには警戒している。だからと言って帝都が諸将を拘束し、領地を没収して強引に中央へ組み込むような処置にも危機感を覚える」
「なるほどね。児玉の反乱を野放しにするつもりはない。けれど中央の暴政にも加担しない、と?」
熊谷は黙ったまま。
フロントガラスに当たる雨粒。
それを弾き続けるワイパーの動きをしばらく目で追っていたが。
「……オレが守りたいのは埼玉国だ。ダ・サイタマ王の国ではない」
深谷は呆気にとられ、声をあげて笑ってしまった。
「あはは! 面白いことを言うね。討伐ではなく平定。降伏はさせるが、滅ぼしはしない。随分とグレーな線引きだね。王命を解釈の違いとして落とし込むわけだ。確かにそれなら、ダ・サイタマ王への明確な王命違反には問われない」
やはり、ダ・サイタマ王による横暴な中央集権化は危険だ。
それが熊谷と深谷の共通認識であった。
雨が強くなる。
白い霧に包まれる中、車は熊谷市へ入った。
深谷の口元に、柔らかくもどこか真剣さの混じった薄笑いが浮かぶ。
「ねえ熊谷。これからはさ、我々ふたりで今後を考えていく必要があるんじゃないかな?」
「ふたりで?」
「うん。独立はしない。埼玉国にも背かない」
深谷はそこで一度、ため息を挟む。
「正直言わせてもらうとね、今の埼玉国は薄氷の上を歩いているような不安定な状態に見えるんだ。この国に所属する身としては、どうにも心許ない。これから先、ますますおかしくなっていくのか、それとも持ち直すのか。どちらに転ぶかさえ分からない」
「ふむ……」
「だからさ。自分たちの愛する領地と領民を守るために、本当に信頼できる者同士で手を取り合っておくべきだと思うんだ」
「ほう……」
熊谷がゆっくりと首を巡らせ、深谷を凝視した。
「なんだそれは? 同じ埼玉国に仕える大名同士としての一面。それとは別に、もう一つ関係を結ぼうということか?」
「そうそう! 表では、我々は埼玉国の大名だ。これは変えない。でも裏では、真に信頼し合える者同士として、互いの領地と未来を守る密約を交わすんだ」
熊谷は深谷の真意を確かめるように問いかける。
「帝都のためではなく、埼玉国のためにか?」
「そうだよ、埼玉国を守るため。だけど大前提として、何より自分たちを守るために」
熊谷の目が細められる。
深谷はその目に、微笑み返した。
「つまり、君の熊谷市と僕の深谷市の“同盟”だよ」
熊谷はしばらくの間、沈黙した。
前方へ視線を向けて。
雨を弾き続けるワイパーの往復運動を見つめながら。
やがて――
「……分かった。オレと深谷で同盟を結ぼう」
「よし! 決まりだね! 表の埼玉国としての同盟。裏ではその上に位置づける、我ら二市の同盟。誰にも漏らしちゃダメだよ?」
深谷の公用車が水しぶきをあげて、熊谷市内を進んでいく。
目的地である熊谷市役所の前へと差し掛かった。
「助かった。ここでいい」
熊谷が窓の外を見やる。
車がスピードを落として停車したのを確認すると、後部座席のドアに手をかけた。
「傘、いる?」
「いや、すぐそこだから大丈夫だ。では、深谷。また会おう」
熊谷がドアを開けようとすると、深谷が声を上げた。
「あ、待って、熊谷。最後にひとつだけ頼みがあるんだ」
「何だ?」
熊谷が振り返ると、深谷は人懐っこい笑みを浮かべて言った。
「深谷の民がさ、熊谷市の代表銘菓『五家宝』が大好きでね。僕もあの香ばしいきな粉の香りと、モチッとした素朴な甘さが好きなんだよ。深谷市の人口の数、14万個ほど送ってもらえるかい?」
「なんだそれは。14万個だと?」
熊谷が眉をひそめると、深谷は手をひらひらと振る。
「まあまあ、固いこと言わずに。僕たちの仲じゃないか。同盟の成立記念として、よろしく頼むよ」
「ふん。ならば、こちらも頼みがある」
熊谷は真面目な顔で深谷を見た。
「深谷市には『赤城乳業』の本社と工場があるだろう? あそこの『ガリガリ君』を、熊谷市民の人口の数、19万個ほど送ってもらいたい」
「アイス? わっはっは! もう夏も終わって10月に入るっていうのにかい!?」
深谷が腹を抱えて笑い出すと、熊谷は至って真剣な表情で言葉を返す。
「熊谷市は10月に入っても暑い日は続く。冷たいものはいくらあっても困らん」
「あれ? でも君。この前、熊谷駅前で一緒にいた時、『熊谷市の暑さは慣れだ』って自慢気に言ってなかったっけ?」
「暑さに慣れることと、冷たいアイスを食べたいと思うことは全くの別問題だ」
一切の揺らぎがない熊谷の姿勢に、深谷は参ったと言わんばかりに肩をすくめた。
「はいはい、分かりましたよ。クール便で送っとくよ」
熊谷からは、五家宝を14万個。
深谷からは、ガリガリ君を19万個。
これぞ、『双谷同盟』の、最初の支え合いだった。
「では、またな」
「うん、また」
車を降りた熊谷は降りしきる雨の中、熊谷市役所の玄関口まで駆けていった。
深谷を乗せた車は、深谷市へと向かって濡れた道路を走り去っていく。
ひとり後部座席に残された深谷。
窓の外、空を覆い尽くす暗い雨雲を見上げ、ぽつりと呟いた。
「今は深谷市と熊谷市だけの同盟。でも、いつかは――」




