第52話:川越と所沢の独立野心
“秋はきた”
埼玉国中央、帝都さいたま市から呼び出された川越と所沢。
それぞれ胸の内に同じ言葉が浮かんでいた。
王座の間の玉座に深々と腰掛ける埼玉国の王ダ・サイタマ。
その御前でふたりは並び、片膝を床について頭を垂れている。
「川越に所沢よ。お前たちを召集したのは他でもない」
ダ・サイタマは威圧するように肘掛けを叩いた。
「入間、飯能、そして日高……あの三市が帝都さいたま市に反旗を翻した。先日の秩父王国に便乗するように勝手に『奥武蔵』なる国家をでっち上げてな。断じて許せぬことだ。逆臣となった奥武蔵の連中を討伐せよ」
川越と所沢はゆっくりと顔を上げる。
その顔はまるで能面のような無表情が張り付いていた。
ダ・サイタマの目には、異論を挟む余地すらない服従の眼差しに見えた。
が、じっと見つめていると、どこか異様な違和感がしてくる。
ふたりの瞳には、光がない。
何を考えているのか、一切の感情が読み取れない。
ダ・サイタマはふたりから漂うその圧迫感を、討伐の重責に対する不安だと解釈した。
ならば少し持ち上げてやるか。
そう思い、薄笑いを浮かべる。
「気負うことはない。数だけ見れば国賊は三市。だが所詮はつい先日まで別々だった自治体の集まりよ。対してお前たち川越と所沢は、埼力も人口も、我が埼玉国において上位に位置する市ではないか。それぞれ単独であっても大きな勢力であるお前たちが揃い、帝都の軍令という大義で動くのだ。三市の小勢力に対して二市でも勝機は十分。容易いことだろう?」
朗々と語りかけるダ・サイタマ。
しかし、川越と所沢は一切表情を変えなかった。
ただ静寂だけがふたりを包んでいる。
「無論、奥武蔵討伐を果たした暁には、それ相応の見返りを用意する」
ダ・サイタマは口元を歪め、不敵に笑った。
「川越よ。吾輩は以前、川越市を訪れる観光客から帝都へ納める観光税を制定したな。もし奥武蔵の討伐に成功したならば、その観光税を直ちに撤廃しようではないか」
「……なんですと?」
それまで能面を貫いていた川越の顔が、わずかに動く。
ダ・サイタマは手応えを感じ、今度は所沢へ視線を向ける。
「所沢よ。吾輩は以前、お前の領地にある航空公園に空港建設を命じたな。建設費はすべて所沢市が負担せよと。思い直せばあれも帝都の一大事業だ。今までの扱いは改めよう」
所沢の顔にも、明確な動揺が走る。
「奥武蔵討伐の見返りとして、特別に助成金を出してやる。帝都が建設費の半額を負担しようではないか」
「……それは」
ダ・サイタマにとっては、かなり譲歩した内容。
脂ぎったその顔は、自らの聖人君子ぶりに酔いしれている。
そもそも、ダ・サイタマの威光と権力を埼玉全土に誇示するために建設が進められていた宮殿。
それがほぼ完成を迎え、竣工式を控えるばかり。
故に宮殿建設費を地方から吸い上げる必要がなくなったのだ。
「お前たちは埼玉国にとって実力を備えた主要な市町村大名である。奥武蔵討伐の完遂を機に、今後は優遇を考えている」
川口市が埼玉国から離脱した今、残された市町村の埼力公式値、人口の上位陣は川越、所沢、越谷といった勢力。
ダ・サイタマなりに一目置こうという配慮であった。
だが、見落としている。
真の埼力は、その土地の総合力で決まる。
目に見える数字だけに囚われ続けた結果が、今の帝都さいたま市の失態を招いているのだ。
たとえ人口が少なかろうと……
経済力が目立たなかろうと……
表向きな知名度が低かろうと……
高い潜在能力を秘めた市町村は、埼玉の地にあまた存在している。
「承知いたしました」
ダ・サイタマから下された奥武蔵討伐の王命。
川越と所沢は無感情にそれだけを答え、深く頭を垂れた。
面を上げたふたりの表情は、再び能面へと戻っている。
その読めない表情に、ダ・サイタマは戸惑ってしまう。
王として、だいぶ歩み寄った言葉をかけたつもりだった。
試しにふたりに向かって親しげに笑みを投げかけてみるが、引きつった顔になってしまう。
ダ・サイタマは気づいていない。
自らが王であるにも関わらず、目の前に佇む臣下の川越と所沢の顔色を伺い、気を使わされていることに。
心なしか、冷ややかに感じられる空気の中。
そっと退出しようとする川越と所沢。
ふたりの背中に向かって声をかけるダ・サイタマ。
「川越、所沢よ」
呼びかけられ、川越と所沢は足を止めて玉座へと振り返る。
ダ・サイタマは静かに頷いた。
「吾輩は、お前たちを信じている」
視線が交差する。
川越も所沢も、一切目を逸らそうとはしなかった。
その瞳の奥にあるのは、従順の色とは違う。
何物にも屈することを拒む、確かな意志の色。
ダ・サイタマは、念を押すように言葉を重ねる。
「お前たちは、帝都さいたま市の敵になるな」
それでもふたりは無表情のままだった。
ダ・サイタマは何か、後悔にも似た感情に包まれる。
それを振り払うように、さらに追い打ちをかけるように言い放つ。
「埼玉国を、裏切るな」
立て続けに投げかけられた念押しの言葉。
川越と所沢は何も言わず、もう一度深々と頭を垂れた。
静かに王座の間を退出する。
帰り支度の控室にて。
ふたりきりになった川越と所沢は、ようやくお互いの本音を吐き出す。
先に口を開いたのは所沢だった。
「あの時も私たちふたりだったな。かつてこの部屋で、川越が血が滴り落ちるほど唇を噛み締めていたのを思い出すよ」
「ああ、そうだった。我が川越市民に、芋だけ食ってろとダ・サイタマは言ったのだ。あの日の屈辱は、今思い返しても腹の底から煮えくり返る」
能面だったふたりの顔に、感情が戻っていた。
「でもダ・サイタマは、随分と丸くなったと思わないか?」
所沢の問いかけに、川越は嘲笑うかのように鼻で笑う。
「余裕がなくなってきたのだろう。秩父王国の独立、川口自治領の離脱、そして今回の奥武蔵の建国だ。王としての無能さが完全に露呈したな。次々と領地が離反している。焦っているのだ。我々とて、いつまでもあの暴君の手駒でいるつもりはないだろう?」
川越の鋭い視線。
所沢は黙って頷く。
お互い、言葉にせずとも通じ合っていた。
ふたりの瞳には帝都の支配を脱し、自らの足で立つ独立の野心が揺らめいている。
帝都さいたま市が統治する埼玉国からの独立。
自分たちが帝都の栄華のためにこき使われ、その気まぐれな都合に振り回される日々は、もう終わりだ。
これからは帝都のために戦うのではなく、自分たちのために戦う。
さいたま市のために生きるのではなく、自分たちの領地と領民のために生きる。
「正直なところ、ダ・サイタマの口から“航空公園の空港建設費を帝都も負担する”なんて言葉が出た時は驚いたよ。川越だって“観光税を撤廃する”と言われて、一瞬ハッとしたんじゃないか?」
「ほんの一瞬だけな。ダ・サイタマなりの苦し紛れの懐柔策に思えた。が、今更もう遅い。心はすでに帝都を離れている。俺はダ・サイタマと絶縁するぞ」
「やはり、そうだよな」
ダ・サイタマは、読み切れなかったのだ。
川越と所沢の野心を。
奥武蔵討伐という大義名分と軍令を与えられたその時、ふたりは気づいてしまった。
自分たちもまた、埼玉国から独立できるだけの力と可能性を手にしているという事に。
帝都の理不尽な統治には、我慢の限界をとうに過ぎている。
後は造反するタイミングだ。
帝都は自らの軍で反乱分子に当たらず、地方勢力をいいように使ってきた。
かえってその地方勢力同士が結束し、新たな国家を産み出してしまう。
いま埼玉国で起きているのは、まさにそうした群雄割拠の連鎖反応の始まりに他ならない。
川越は所沢の目をまっすぐに見据え、熱を帯びた声で語りかける。
「所沢よ。今こそ我らの秋だと、俺は思っている。共にこの秋を掴み取るぞ」
「いつ造反する?」
「奥武蔵を掌握する、その直前だ」
「直前、か」
所沢の瞳に、独立への高揚感と期待が走る。
同時に、川越に比べればどこか慎重で、拭いきれぬ不安の陰りも混じり込んでいた。
「埼玉国から自立するとなれば、苦難も押し寄せるだろうな。ダ・サイタマはどう打って出てくるか……」
「大丈夫さ。仮に帝都さいたま市が集めた討伐軍をこちらへ向けてきたとしても、凌ぎ切る自信がある」
「あの大宮と浦和が来てもか?」
「あっはっは! 自信を持てよ所沢!」
川越は所沢の懸念を吹き飛ばすように豪快に笑った。
「埼力が高い者が勝つという単純な理屈で通るなら、そもそも乱世など起きはしない。現に秩父王国や奥武蔵の奴らは見事に建国し、今なおその領地を維持し統治している。それにな、ダ・サイタマは大宮と浦和をこちらへ向けることはしないだろう」
「何故だ? 秩父の時も奥武蔵の時も、帝都は自らの兵を使わず近隣の地方勢力を出陣させてきたからか?」
「それもある。ダ・サイタマはあの肥え太った体躯に反して、恐ろしく小心者だからな。帝都さいたま市の兵を消耗させたくない本心があり、常に手元に置いておきたいのだ。それに聞いたか? 浦和は重傷を負って入院中らしい。本調子に戻るまで相応の時がかかるはずだ。その間、臆病なダ・サイタマが大宮を自分の側から離すとは思えぬ」
「ふむ、私たちにとっても帝都の事情は好機か。それにしても大宮も浦和も、守るに値しない愚かな王を守り続けねばならないなんて不憫に感じるよ」
言葉が途切れ、二人の間にしんと静まり返るような沈黙が訪れた後。
「なぁ、川越」
「なんだ?」
「本音を言う。私は、入間、飯能、日高の地を併合し、『西武連合国』を起こしたい」
「あっはっはっは! なんだそれは! 奥武蔵を討伐して手中に収めた後、俺は三市をお前に譲れということか!」
「それは……」
所沢が言い淀むと、川越は笑いを収める。
「いいさ、ならば取引だ。お前が入間、飯能、日高を加えた西武連合国を建国するために、奥武蔵討伐の協力はしてやる。だがその後は俺にも協力してもらうぞ」
「ありがとう! で、その協力とは?」
「俺はこの機に乗じて小江戸から『大江戸』へと跳躍する。奥武蔵の解体後、俺は鶴ヶ島市、坂戸市、毛呂山町、越生町の併合に打って出るつもりだ。各大名と話し合いで済めばいいが、戦を交えることにもなるかもしれん。その間の軍事的な支援と、帝都や外部勢力に邪魔をさせないよう背後を固めてほしいのだ」
「なるほどな。分かった、その条件を飲もう!」
「よし。俺たちは共に埼玉国からの独立を目指している。目指す国は別々だがな。しかし建国したての時期というのは不安なものだ。だからこそ軌道に乗るまでの間、互いの新国家を支え合おうではないか」
川越と所沢は、力強く互いの手を握り交わした。
彩の大地に根を張る、自分たちの独立国を歩み始めるために。
川越の『大江戸』
所沢の『西武連合』
もしもこの二大強国が埼玉国に誕生したならば、彩の大地に最大級の激震が走るだろう。
埼玉国の王ダ・サイタマは、まだその予兆を知る由もなかった。




