第50話:秩父の大望
秩父王国では、連日のように宴が催されていた。
先日の防衛戦の大勝利。
埼玉国の帝都さいたま市が、南北から差し向けてきた討伐軍。
秩父王国の将兵たちはその二大軍勢を、見事に敗走させたのだ。
ついに埼玉国の支配から脱し、自分たちの国を樹立した。
もはや、帝都さいたま市に苛烈な重税を納める必要はない。
これからは自国で生み出す税のすべてを、自分たちの国と民のために惜しみなく注ぎ込める。
すでに秩父王国は独自の地域通貨として、かつてこの地に縁の深かった貨幣『和同開珎』を流通させる計画も進行中だ。
宴の席では、勝利の美酒に酔いしれる将兵たちの談笑が響き渡っていた。
宴会場の演壇では、大名・小鹿野と民たちが歌舞伎を披露している。
小鹿野町の伝統芸能『小鹿野歌舞伎』である。
役者も、義太夫も、裏方も、さらには舞台を駆け回る子供たちに至るまで。
演者とスタッフのすべてを地元住民が担う、みんなが主役の歌舞伎。
いわば、町中の民がそのまま歌舞伎役者なのだ。
秩父王国の王、秩父は満悦な表情を浮かべる。
これこそ埼玉国のような中央集権ではなく、誰もが輝く秩父王国の理念そのものではないか。
ゆくゆくは秩父王国こそが、この彩の大地の主役になる。
舞台上で繰り広げられる歌舞伎を見つめながら、その大望に秩父の心が踊った。
「秩父様、どうぞどうぞ。杯が空いております」
皆野が、破顔しながら秩父の持つ杯になみなみと地酒を注ぎ込む。
秩父は注がれた祝杯を、一気に飲み干した。
胸を焦がす熱い気持ちは、酒気によるものだけではない。
やはり先日の、討伐軍を返り討ちにした興奮が未だに収まっていないのだ。
終わってみれば、南北討伐軍合わせて約3000名もの捕虜を確保した。
彼らには秩父地方の素晴らしさを説き、住民票を秩父王国へと移させている。
今では捕虜だった彼らも立派な秩父王国民になっていた。
体力的に見込みのある者は、これから一人前の兵士として鍛え上げる予定である。
調練として、秩父札所三十四ヶ所巡りをさせる。
巡礼を終えた頃には、屈強な精鋭兵へと生まれ変わっているはずだ。
秩父王国はこれからますます強靭な国になってゆくだろう。
秩父は注がれた酒をまた一気に煽り、空になった杯を卓に叩きつけた。
そして豪快に言い放つ。
「秩父王国はこれより埼玉国へ打って出て、領土を拡大していくぞ!」
本気なのか泥酔ゆえの冗談なのか。
頬を赤く上機嫌に染め上げ、隣席の諸将たちへ高らかに野望を告げた。
「おお! そりゃあ大望! 胸が熱くなりますな!」
長瀞が膝を叩いて同調する。
「いいぞー! やったれー! この勢いで埼玉国を飲み込んで全部秩父王国にしてしまえー!」
顔を真っ赤に染め、秩父以上にすっかり出来上がっている横瀬。
相手が国王であるにも関わらず敬語を忘れ、大はしゃぎだ。
まさに無礼講である。
そんな中、東秩父が困惑したような素振りで秩父にその真意を尋ねる。
「秩父様。それは一体、どういうおつもりでしょうか?」
秩父はコホンと誇らしげに咳払いをひとつ挟み、胸を張った。
「建国を果たした今、秩父地方が本来秘めていた真のポテンシャルが解き放たれたのだ! これからはその可能性と能力を存分に発揮し、彩の大地へと羽ばたいてゆく! わしはな、この埼玉すべてを秩父王国に染め上げ、『天下統一』したいのだ!」
天下統一。
秩父の口から飛び出したあまりに壮大な野望。
一瞬だけ宴の場がざわざわと揺れたが。
「最高ですな! 俺も長瀞水軍を率いて、埼玉全土の荒川を縦横無尽に蹂躙してやりたいですぜ!」
長瀞がそう笑い声をあげながら賛同した。
「いいぞ秩父ー! やったれやったれー! あんたこそが埼玉全土の総大将だー!」
横瀬も後に続くが、もはや敬語どころかバシバシと王である秩父の肩を叩きまくっている。
ちょっと無礼講が過ぎる。
秩父、長瀞、横瀬が盛り上がる中、また東秩父が困惑した表情で異を挟んだ。
「それはどうなんでしょう。いくらなんでも、あまりに飛躍しすぎている気がしますが」
東秩父とて、比企郡からさりげなく離脱し、秩父王国の仲間入りをした身。
自分の信じる王の言うことに、手放しで賛成したいと思っている。
だがなんというか、あまりにも時期尚早だと感じざるを得ない。
そんな東秩父の不安を代弁するように、ハッキリと釘を刺したのは皆野だった。
「秩父様。その大望は結構なことです。ですが今の秩父王国は、まだ産声を上げたばかり。それに先日の討伐軍を退けたとはいえ、埼玉国からいつ第二次討伐軍が差し向けられるかも分かりません。今は内政と防衛を固める時かと」
秩父は酔った赤い顔で、皆野の意見に反論する。
「我が国は今、勝利の勢いがついている。この弾みに乗らぬ手はない。己の領土と勢力を拡大することこそ、男の浪漫というものではないか? まさに秩父地方の強さを天下に知らしめる絶好の秋なのだ」
「それは分かります。長期的な国家戦略としての勢力拡大であれば、否定はしません。しかし現状の段階においては、既存の領土だけでも、まだまだ地力を蓄える余地が十分にあります。身の丈に合った着実な歩みを進めるべきです。二年……いや一年待つだけでも、国家の基盤として盤石な国力をつけることが可能です」
「その一年は埼玉国にとっての一年でもあるのだ。力をつけるのは我ら秩父王国だけではない。もたもたしている間に、他の地域までもが埼玉国から独立を果たし、天下を争うライバル国が誕生してしまうかも知れぬのだぞ!」
熱弁を振る秩父。
興奮が絶頂に達したのか、顔を更に赤く染めて勢いよく立ち上がった。
その迫力に、諸将たちは思わず緊張で強張る。
王に対して異を唱え続けた皆野に対し、怒りを抑えきれなくなったのか。
そう思いきや――
「いかん。夢を語っていたら身体が熱くなってきた!」
怒ったわけではなかった。
やはり顔が真っ赤なのは酒のせいらしい。
秩父は荒い息を吐きながら、着ていた衣服を次々と脱ぎ捨てる。
あっという間に一糸まとわぬ姿へ。
「いいぞー! 男は裸一貫! 私も脱ぐぞー!」
酔っ払った横瀬が、同じように服を脱ぎ捨て始めた。
宴会の席の真ん中で、全裸で並び立つ秩父と横瀬。
長瀞は顔を引きつらせて苦笑いを浮かべている。
東秩父は目のやり場に困り果てていた。
皆野だけが、ふたりのすっぽんぽんに屈しない。
「ふたりとも、実に見事な身体つきです。ですが服を着てください」
皆野の言葉を無視し、秩父は全身に力を込め筋肉を隆起させる。
「皆野よ、お前はこのわしの筋肉の叫びに従えんというのか? 来たるべき戦を前に、打ち震えているではないか!」
皆野は秩父の筋肉ではなく、演壇の歌舞伎へと視線を向けた。
小鹿野と王国の民たちが息を合わせ、舞いを披露している。
素早く鋭い動きもあれば、緩やかで優雅な所作もある。
絶妙なメリハリが、見る者の心を揺さぶるのだ。
「秩父様、どうかあの多彩な動きの小鹿野歌舞伎をご覧ください。あらゆる事象には“緩急”というものがあります。それは、秩父様の筋肉とて同じはず。常に最大負荷をかけ続ければ無理が生じ、自滅します。適切な休息とストレッチの“緩”。そしてここぞという時に力を出す“急”。国も筋肉も、同じなのではありませんか?」
皆野の言葉には秩父を説得させる力がった。
秩父は唸りながら下を向く。
脱ぎ捨てた服を着直すかと思いきや、素っ裸のまま杯を掴み地酒を一気に口へ運んだ。
空になった杯を手に、もう一度深く唸る。
「……皆野、よくぞ言ってくれた。確かにわしは勝利の美酒に酔って冷静さを欠いていたようだ」
「いえ、秩父王国の王として堂々と天下統一の大望を語られるお姿は、民や将兵に夢と希望を与えてくれます。その志に水を差してしまい、すみませんでした」
「良いのだ。これからも皆野には、そうした冷静な意見を頼みたい。どうもわしは気持ちばかりが先走ってしまう癖がある。思い返せば、先日の討伐軍との戦いの時もそうだった。満身創痍の飯能軍を深追いすることに夢中になり、危うく日高が放った怪しげな埼術の餌食になりかけたところを、小鹿野が止めてくれたのだ。わしを制止してくれる者が側にいてくれること。大切にせねばな」
そのやり取りを見守っていた長瀞と東秩父は、感銘を受けていた。
家臣から異を唱えられても激怒せず、素直に認めて懐深く受け止める。
そんな秩父は、まさに王の器であると。
ただ、一糸まとわぬすっぽんぽん姿で仁王立ちし、熱弁を振るうのは勘弁して欲しい。
演壇の上で民とともに舞っていた小鹿野も、ほっとしていた。
宴会席側の異様な様子が気になって事の成り行きを見守っていたのだが、改心した王の言葉を聞いて安心するように微笑んだ。
一人だけ、この空気をぶち壊す男。
「何言ってんだ秩父ー! 日和ってないで、埼玉国なんて一気に攻め滅ぼしてしまえー! 出兵だ! 出兵の準備をしろー!」
秩父以上に酔いが回って、完全に出来上がっている横瀬。
自身と同じく真っ裸になっている秩父の、その背中を何度も叩いている。
無礼講にも程があるだろう。
泥酔し全裸の秩父、横瀬のふたりに対し、皆野は呆れながらも優しく笑った。
「とりあえず、ふたりとも服を着てください」




