第49話:約束
大宮を殺せ……
大宮を殺せ……
浦和よ、“さいたま”と言えば何だ?
大半の人間がこう答えるだろう。
『大宮』、と。
浦和ではないのだ。
何故だと思う?
単純なことだ。
大宮の方が、愛されているからだ。
大宮の方が、知られているからだ。
大宮の方が、埼玉の顔だからだ。
お前は所詮、大宮の隣にいるだけだ。
浦和は大宮のライバルなどではない。
大宮を際立たせるための、ただの引き立て役。
大宮を殺せ……
大宮を殺せ……
大宮は巨大商都、交通の要衝。
JR各線のみならず、新幹線までもが集うぞ。
商業地として、繁華街として、栄華を極めている。
それに比べて浦和、お前は何だ?
行政の中心地? 文教都市?
へぇ……ふーん……。
まぁ、いいんじゃない?
大宮を殺せ……
大宮を殺せ……
大宮はお前にとって、邪魔な存在だ。
脚光を浴びるのは、いつだって大宮ばかり。
大宮が存在するからこそ浦和、お前は輝くことができない。
なら、どうする? 簡単なことだろ?
大宮を倒せばいい。
大宮さえ消し去れば、さいたまの顔はお前になる。
浦和こそが、埼玉そのものになるのだ。
浦和よ、お前こそが埼玉のナンバーワンだ!
さあ――
大宮を殺せ……
大宮を殺せぇえええええ!!!!
「うわぁぁぁッーー!!」
浦和は悲鳴を上げ、勢いよくベッドから跳ね起きた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息が室内に響く。
浦和の全身はびっしょり冷たい汗で濡れていた。
視界に入るのは、無機質な白いシーツと白い壁。
ここはさいたま赤十字病院の病室。
「夢か……」
窓辺のカーテンが静かに揺れている。
病室に入ってくる、夏の終わりと秋の気配を含んだ涼しい風。
それにしてもなんという不吉で後味の悪い夢だっただろうか。
夢というものは目覚めると同時に急速に忘却されるもの。
だがあの不気味な声の残響は、今も浦和の脳裏に焼き付いて離れない。
「大宮を殺せだと……? 馬鹿な」
悪い冗談にも程がある。
大宮は共に帝都を支える職務上のライバルであり、誰よりも心を許せる無二の親友だ。
それを殺せだなんて――どうかしてる。
「そう言えば、俺は」
浦和はゆっくりと自分の身体に目を落とした。
病院に搬送され入院するほどの重傷。
川口西公園で川口と戦い……
それで……あれ?
いつ重傷を負った?
コンコン――と、控えめなノックの音が病室に響く。
音を立てないよう静かにドアが開かれ、一人の男が顔を覗かせる。
大宮だった。
その手には見舞い品だろうか。
さいたま市発祥の銘菓である色鮮やかな高級フルーツゼリー『彩果の宝石』が握られている。
大宮は安堵の笑顔と心配の混ざった表情を浮かべていた。
「浦和、見舞いに来たぞ」
「よう! 大宮」
浦和は再会を喜んで片手を上げる。
包帯が巻かれた脇腹から胸元にかけて、鋭い痛みが走った。
「いててててッ」
「おいおい、無理をするな」
大宮は持っていた彩果の宝石を近くの棚へ置くと、浦和の横たわるベッドへと歩み寄る。
「傷が開くぞ、安静にしてないとな」
「へッ、俺としたことが。いい攻撃を喰らっちまったみたいだな」
自嘲気味に苦笑する浦和。
大宮は重苦しい顔で問いかける。
「川口はそれほどまでに強かったか? 報告によれば川口と一騎打ちし、敗れたそうだな。お前を庇って浦和軍は川口市から全面撤退したと聞いているが」
浦和は面目を潰されて恥をかいたような、そんな表情。
バツが悪そうに、視線を窓の外へ背けた。
「それがよ。正直言うと、よく覚えてねぇんだ」
「覚えていない?」
「ああ。俺の記憶じゃ川口の奥義を打ち破って、あいつに手を差し伸べて和解しようとしていたはずなんだ。だけどよ、そこからの記憶が途切れてるんだよ。気がついた時には、大怪我を負ってこの病院のベッドの上だぜ」
「そうだったのか……。すまないな、こんな大変な目に遭わせてしまって」
大宮の言葉は、まるで自分に責任があるかのような口調。
病室に漂い始める湿っぽい空気。
それを吹き飛ばそうと、浦和はわざとらしく笑い出した。
「ハハハッ! ざまぁねぇな。さいたま四天王のこの俺が、記憶を飛ばされて病院送りだなんて。無様すぎて笑えてきたぜ!」
大袈裟に自らの失態を笑い飛ばす浦和。
しかし大宮の硬い表情は吹き飛ばない。
心配そうに俯く様子を見て、浦和はかえって居心地が悪くなってしまった。
その時――
大宮を殺せ……
大宮を殺せ……
あの悪夢が。
あの“禍々しい”囁きが。
浦和の脳裏を再び駆け巡る。
まるで意識を蝕む呪いのように。
「う…うあぁぁぁあああ……!」
浦和は激しい頭痛に耐えかねて頭をかかえ、狂ったように悶絶した。
「どうした浦和? おい! 大丈夫か!?」
尋常ではない苦しみ様に、大宮は浦和の肩を強く揺さぶった。
不意に。
大宮の心配する視線と、苦悶に歪む浦和の視線が。
交差した。
「え……?」
大宮は息を飲んだ。
ほんのコンマ数秒の刹那。
大宮を見た浦和の瞳に、殺意のようなものが。
だがそれはあまりにも一瞬の出来事で。
光の加減か、あるいは気のせいだと大宮は思った。
「はぁ……はぁ……」
浦和は荒い呼吸の後、歯を食いしばる。
頭の中で渦巻く悪魔の囁きを、なんとか心の奥底へと押し込め封印した。
額には滝のような汗が流れ、やがてそれは頬を伝いベッドシーツを濡らしていく。
「はは……どうしちまったのかな、俺は……」
その痛々しい姿に、大宮はいよいよ深刻になってしまう。
「浦和、安静にしていてくれ。まだ相当なダメージが蓄積しているんだ。しばらく現場の事はすべて私に任せて休んでくれ」
「すまねぇな」
浦和は力なく自嘲気味に呟く。
心の奥底に、自分では制御しきれない“禍々しい何か”が潜んでいる。
嫌な予感が、浦和の背筋を凍りつかせていた。
だからこそ――
浦和は自分でもよく分からないまま――
その言葉を口にしていた。
「なぁ大宮、約束してくれ。もしもこの先……俺が本当におかしくなっちまったら……」
「ん?」
「もし俺が……埼玉国や、お前に向かって危害を加えるような兆候を見せたら……」
「“俺を殺してくれ”」
「……は?」
「もしもの時は、大宮。お前が俺を殺してでも止めるんだ。約束してくれ」
浦和の言葉の意味を、理解できない。
大宮の顔が硬く、どこまでも強張っていく。
「……なんだ、その冗談は?」
浦和の顔に冗談を言っているような軽さは一切なかったが、大宮はそう返すしかなかった。
浦和は真剣な眼差しを大宮に向けたまま、念を押す。
「冗談じゃねぇ。大マジだ」
重苦しい空気。
張り詰めた緊張感が二人の間に流れる。
「……ふっ」
大宮の表情が、ふっと緩んだ。
今度は大宮が重苦しい空気を笑い飛ばす番だった。
「あっはっは! 浦和、本当におかしいぞ? 一体どれだけ強く頭を打ちつけられたんだ? だがそんな突拍子もない冗談が言えるくらいには、回復してきたのかもな」
「だから冗談じゃねぇって言ってるだろ! 約束してくれ、大宮ッ!!」
必死に食い下がる浦和に対し、大宮はやれやれと微笑みながら首を縦に振る。
「はいはい、分かったよ。さあ、無駄口を叩いていないで横になって休んでくれ」
大宮は真に受けずに、軽く返事をして受け流した。
コンコン――と、再び静かなノックの音。
「失礼いたします」
控えめな声で病室へ入ってきたのは、大宮を補佐する秘書だった。
秘書はベッドに横たわる浦和へ向かって一礼すると、大宮の方に向き直る。
「大宮様、そろそろお時間でございます。本日予定されております『テレ玉』の取材の刻限が迫っておりますが故……」
「ああ、そうだったな」
大宮は浦和へ向かって温かい笑みを向けた。
「それじゃあ浦和、私は行くよ。くれぐれも無茶をせず安静にしていてくれ。またすぐに顔を出すからな」
「おう。またな、大宮」
大宮は秘書を引き連れ、静かに病室のドアを閉めて去っていった。
静寂に包まれる白い病室。
浦和は窓の外へ視線を向ける。
カーテンが静かに、風にたなびいていた。
それは夏の“終わり”を告げる風であり、秋の“始まり”を知らせる風でもあった。
「……約束、したからな」




