第45話:決別
「ちょっと待ってくれ!」
川口総合文化センター・リリアの会議室。
定例会の席で向かい側に座る川口陣営に対し、浦和は勢いよく立ち上がり抗議する。
浦和側の席に腰掛ける参謀や副官といった浦和軍の側近たちも、一様に納得のいかない表情だ。
“浦和軍は、速やかに川口市から撤退されたし”
川口市の大名・川口からの唐突な通告であった。
「浦和様。いや……浦和。川口市は東京国に対し、治安回復の支援を正式に要請した。これより川口市は東京国の庇護下に入る。まもなく東京国の治安部隊が市街へ入る予定だ。浦和軍は速やかに退去せよ」
戸惑いを隠せない浦和軍陣営。
川口の思惑が読めない。
張り詰めた空気が室内の隅々まで伝染していく。
浦和は何よりも川口を悩ませていた最大の誤解を解くべく、身を乗り出した。
「川口、聞いてくれ! 川口市民を暴虐していたのは俺たち浦和軍に成りすました偽者どもだったんだ!」
「信用できない。今更そのような弁明など、騙されるものか」
川口の返答は、驚くほど冷ややで白けていた。
「積み重なった数々の被害報告。堪忍袋の緒が切れたのは私だけではない。川口市民はもう浦和軍を信じておらず、恐怖の対象でしかない」
「頼むッ、信じてくれ! 一連の悪行は俺たちを陥れ、埼玉の絆を裂くために何者かが仕組んだ罠だったんだッ!」
「ならば、その確固たる証拠は……?」
浦和は悔しさに歯噛みする。
あの日、荒川の河川敷で追い詰めた赤モヒカンの偽浦和兵どもは、全員服毒して自害してしまった。
威勢よく啖呵を切りながら提示できる決定的な証拠が、浦和には無い。
「証拠は……ない」
浦和の口ごもりに惨めな滑稽さを感じて、川口から失笑が漏れる。
威勢だけよく『俺の兵の仕業じゃない』だの『偽者がやった』だの……。
もういい加減にして欲しかった。
浦和はなおも必死に弁明を試み、川口の心を取り戻そうと言葉を重ねるが。
もはや火に油を注いでいるようなものだった。
「話は以上だ。もう浦和の将兵の顔も見たくない」
川口は見限るようにそう言い捨て、家臣たちと共に席を立ち会議室を後にする。
残された浦和軍陣営は、唖然としてその後ろ姿を見つめていた。
まるで氷漬けになったかのように固まるしかなかった。
一体、何がどうなっているのか。
なぜ川口市が、東京国をあっさり受け入れるのか。
そして埼玉国から離脱するような真似をするのか。
「ちょ……待てよッ!」
浦和は居ても立っても居られなくなり、会議室を出ていった川口を追いかける。
同席していた浦和軍の参謀と副官も慌てて後を追うのだった。
リリアを退館し、その脇に広がる川口西公園。
浦和と参謀、副官も、そこで川口とその家臣たちに追いついた。
去りゆくその背中へ向け、声を張り上げる。
「川口ッ! 埼玉国を裏切るつもりかッ!?」
“埼玉国を裏切る”だと……?
無視して去ろうとした川口であったが、その言葉だけは捨て置けない。
怒り心頭で激情に促されるように振り返った。
「裏切ったのは埼玉国の方ではないかっ!!」
川口の眼鏡越しに浦和を睨みつける眼は、敵視そのものだ。
「浦和軍も随分と好き放題に暴れてくれたが、問題は偽者かどうかなど、それだけではない! 元を正せば我ら地方の民を極限まで追い詰めた他ならぬ貴方たち中央の責任ではないか! 裏切ったのは帝都さいたま市の方だっ!!」
浦和は思わず口をつぐむ。
確かに……川口の言う通りだったのだ。
帝都さいたま市。
埼玉国を統べる首都であり、中央政府。
たとえその王ダ・サイタマがどれほどの暴君であったとしても、中央の一員、それも四天王の浦和に責任が無いとは言えない。
川口は一度深呼吸した。
激情を沈め、目を伏せる。
そして活気を失い、荒廃した街並みを見渡した。
「見ろ、この川口市の惨状を。かつてならこの川口西公園も民が溢れる憩いの場だった。それが今では賊徒が絶えず出没し、市民は安心して暮らすことも叶わない」
「川口……」
「その賊徒も、かつてはこの街で穏やかに暮らしていた善良な民だった」
うなだれ、浦和は表情を曇らせる。
「浦和、貴方は中央の責任を背負う者。そして私は地方の責任を背負う者。所詮、私たちは分かり合えなかったのだ」
何も言い返せない己の無力さと罪悪感に、浦和は猛烈な情けなさを感じていた。
でも……
それでも……
ただ黙っているわけにはいかない!
「だからってよ! 東京国を招き入れていいのかよッ!?」
浦和の必死の叫びに対し、川口の口調は依然冷ややかだ。
「貴方は命令を受け応援で派遣された。しかし東京国の赤羽殿は心配して自ら来てくれた」
「……赤羽?」
「埼玉国中央の人間よりも、隣国の人間の方が川口市の惨状を憂い、親身になってくれた。だからこそ我々は自発的に東京国へ庇護を要請したのだ。自分勝手な帝都さいたま市に見切りをつけてな」
「川口が帝都さいたま市に腹を立てるのは分かった。だがな、帝のコバトン様までも裏切るというのか?」
「は……っ!」
川口は電流が身体を走ったかのように硬直する。
暴政を敷くダ・サイタマ王をはじめとする中央には愛想が尽き果てた。
だがあの気高き崇高なる鳥・コバトン帝。
あのお方を裏切れるのか。
コバトン様の威光に背を向ける覚悟が、果たして自分にあるのだろうか。
胸を突く激しい葛藤。
今度は川口が悲痛な面持ちでうなだれる番であった。
浦和はここぞとばかりに情に訴える。
「川口! もう一度だけ俺に……いや俺たちにチャンスをくれ! 浦和軍、いや埼玉国は本気で川口市を救いたいんだ! 偽者の証拠も、その裏で糸を引く黒幕も、俺が必ず暴いて見せるからッ!」
川口は心の揺らぎを無理やり振り切るように、激しく頭を振る。
「もう遅い! 東京国へ保護申請済みだ! とっと立ち去れ、浦和!」
「だったら今すぐ取り消せッ!」
「できない!」
「なぜだッ!?」
「すでに受理された! それに川口の民は、もう埼玉国など一切信じていない!」
「くっ……!」
浦和は息を飲む。
そうなのだ。
一番大切なのは、そこに生きる民。
大名である川口一人の問題ではない。
傷つき、絶望した川口市民全体の総意が、埼玉国を見限ったのだ。
川口は動揺しかけた心情を完全に振り払う。
「私は領主だ! 私が命を懸けて守るべきは埼玉国ではない!この川口市だ!」
浦和は深く息を吐き、しみじみと呟く。
その声は言葉による説得を諦めたような口調。
「分かったぜ……川口。お前は埼玉国を裏切ったんじゃない。忠誠を捧げる相手が国家から民へと変わっただけなんだな」
浦和は背後に控えていた自身の参謀や副官を下がらせる。
空気が変わった。
川口も察し、眼鏡をクイと押し上げると家臣たちへ下がるよう命じた。
そして腰に差した剣の柄へ手を添える。
「……浦和、やる気か?」
「ああ。俺はお前を東京国へ渡すわけにはいかないからな」
「勘違いしてもらっては困る。川口市は東京国へ庇護を求めただけであり、東京に併合されるわけではない」
「それでもだ。今、俺が東京国へ顔を向ける川口をこのまま見過ごしてしまえば、それは埼玉国が川口市を見捨てたことと同義になる」
「なんだその解釈は? 相変わらずどこまでも身勝手だな」
浦和は半身になり腰を落として身構える。
帯剣していないが、己の手脚こそが浦和にとっての強靭な武器だった。
「俺はお前を何が何でも埼玉に繋ぎ止めるぜ! 今まで辛い思いをさせた分、これからは絶対に俺が守ってみせる!」
川口は鞘から剣を引き抜く。
刀身が白く煌めいた。
「もう何もかも遅い。さらば浦和、さらば埼玉国!」
対峙する浦和と川口。
二人を囲むように、激しい旋風が渦を巻いて吹き荒れる――!




