第42話:深夜の訪問者
浦和軍の目覚ましい活躍により、川口市に好転の兆しが見える。
市内の至るところに出没していた賊徒に対し、浦和軍は迅速かつ確実に対処していく。
おかげで大きな被害は未然に防げるようになってきたのだ。
しかし、キリがない。
いたちごっこである。
やはり問題の根本を解決せねば、賊徒の発生は止まらない。
その根本とは、帝都さいたま市が課した苛烈な増税がもたらす貧困が挙げられる。
それと地方の権限を帝都さいたま市へ一極集中させたこと。
限られた富と権限を巡って地元の豪族たち争い、民がそれに翻弄されているのが川口市の現状だった。
それでも大名の川口は腑に落ちない。
他の市町村の情報は日頃から耳に入れて収集している。
暴政のしわ寄せは埼玉国全土に及んでいるはず。
なのにどう考えても、この川口市だけ賊の発生率と治安の悪化速度が異常なのだ。
それでも川口は浦和という協力なパートナーを得たことで余裕を取り戻していった。
泥沼の状況から抜け出すための糸口が少しずつ見えてきた気がする。
日付をまたぐ深夜の時間帯。
静まり返った市役所の一室には明かりが灯っている。
大名の川口がひとり残って残業していたのだ。
ようやく膨大な行政文書の処理に目処が立ち、川口は深いため息をつく。
眼鏡を外し、疲労の溜まった目元を指で揉みほぐした。
誰もいないはずの廊下から足音が近づいてくる。
自分と同じように残業していた職員がいたのだろうか。
あるいは巡回する宿直の警備員だろうか。
川口が視線を向けたその先――
廊下の暗闇から姿を現したのは見知らぬひとりの老人であった。
丸まった背中。
歳月を重ねたその顔は、深いしわで両目が隠れている。
「これはこれは夜遅くまで、ご苦労なことです」
しわがれた、それでいてどこか朗らかな声。
川口は眼鏡を掛け直し、眉をひそめて問いただす。
「何者だ? 見かけない顔だが」
「怪しい者ではございません」
いや、どう見ても怪しいだろう。
川口が警戒感を露わにすると、老人は恭しく頭を下げた。
「申し遅れました。わたくしは赤羽と申します。東京国より参りました」
川口はますます混乱の淵に落ちていく。
深夜の市役所、セキュリティを潜り抜けて侵入してきた謎の老人。
それも異国の東京人だ。
「なぜ東京国の人間がこんな場所に、このような深夜に現れる? 正気を疑うぞ」
「川口様。国境を接する隣人同士として、あなたの苦しむ姿がかねてより心配でした。気がつけば、居ても立ってもいられず駆けつけてしまったのです」
「なんだと?」
「領主として必死に働き、不眠不休で川口市のために奔走されている。ですが、悲しいかな。それでも湧き続ける賊徒の群れ。地元の豪族たちは治安回復に無関心で、あろうことか賊を黙認しているように見受けられます」
赤羽はわざとらしくため息をついて見せた。
「これほどまでに川口様が血の滲むような思いをされてるのに。あなたの国の中央の帝都さいたま市、ひいては埼王は一体何をやっているのでしょうか?」
川口は不快感を抱いた。
この赤羽という老人、心配するふりをして川口の埼玉国への忠誠心を揺さぶろうとしているのか。
「勝手に心配するのはそちらの自由だ。だがな、はっきり言って大きなお世話だ」
東京人に口出しされるのが川口は面白くない。
「そんなことを仰らずに。川口様もお分かりなのでしょう? 次から次へと出没する賊。一向に手を取り合おうとしない豪族。これらすべて、元を正せば暴政を敷き民を極限まで追い詰める埼王……いえ、埼玉国そのものの責任ではありませんか?」
ベラベラとよく喋る老人だ、と川口は思った。
しかし赤羽の言葉は、否定できるものでもなかった。
それでも川口には自責の念がある。
川口市を治めきれていないのは領主である己の実力不足だと、そういう思いも捨てきれない。
沈黙する川口に、赤羽は畳み掛ける。
「埼玉国そのものが本気でこの川口市を救おうなどと考えていないのは、もはや明白。川口様、この際いかがでしょうか? 我が東京国に対して“保護”を要請してみては?」
「……保護だと? それは、異民族の東京人に助けを求めろということか?」
「左様。川口市の大名たる川口様が、自ら東京国へ庇護をお求めになる。さすれば我が国はそれを真摯に受け止め、埼玉国中央の薄情な者どもよりも真剣に、かつ迅速に川口市の治安回復のお手伝いをさせて頂きます」
赤羽の提案に川口はまた言葉を失ってしまった。
その様子を困惑と受け取ったのか、赤羽は補足を加える。
「おっと、どうか誤解されないで下さい。これはあくまで純粋な善意であり、苦しむ隣人を救うためだけの保護活動です。決して埼玉国への不当な干渉ではございません」
川口市側からの自主的な保護要請に東京が応える。
それは一見、川口市が苦境を抜け出すための一つの方法である。
正直なところ、民衆はとうに疲れ果て、その半数以上が帝都さいたま市は我々を守ってくれないと失望していたのは事実。
だがそれは、ほんのついこの間までのこと。
川口は人差し指で、眼鏡をクイと押し上げた。
「赤羽とやら。好意のつもりかもしれんが、もう一度はっきり言っておく。東京国の者が大きなお世話だ」
赤羽の目元を覆う無数のしわが、一層深くなる。
川口は毅然とした態度で告げた。
「確かに川口市は苦境にある。しかし最近になり、帝都さいたま市より頼もしい応援が派遣されたのだ。賊徒の討伐は迅速かつ確実なものとなり、頑なだった地元の豪族たちも少しずつ態度を和らげ始めている。川口市は東京人の力を借りなくても必ずや事態を好転させてみせる!」
「……浦和か」
赤羽が、ボソッと呟いた。
川口は帝都からの応援としか言っておらず、浦和の名など一言も出していない。
にもかかわらず、赤羽は派遣された将の名を把握していたのだ。
底知れぬ疑惑と恐怖にも似た感情が川口を襲う。
この老人は、危険だ。
「川口様、もう一度よく考えてみて下さい。わたくしどもと致しましても――」
「くどい! 埼玉国の内部問題は埼玉の人間だけで解決する! 赤羽とやら、話は終わりだ。とっとと立ち去れ!」
川口の怒声が部屋に響き渡ると、赤羽はぴたりと口をつぐんだ。
張り詰めた静寂が室内を満たす。
「ヒッヒッヒ……」
やがて赤羽の口から、不気味な笑い声。
「……分かりました。ですがね、川口様。あなたは今後、必ずやわたくしを頼ることになるでしょう。その時は喜んで力添え致しましょう」
「どういう意味だ?」
川口が怪訝な顔で問い詰めるも、赤羽はそれを逆撫でするように笑みをこぼすだけ。
「ヒッヒッヒ……。ではまた、近いうちにお目にかかりましょう。夜分遅くに失礼しました」
そう言うと赤羽は一礼し、廊下の闇の中へ溶け込むように姿を消した。
ひとり残された川口。
肺に溜まっていた重い空気を吐き出すように、深いため息をついた。
緊張が解け、置き土産にされた疑問。
「あの老いぼれめ。私がいずれ頼ることになるだと? わけの分からぬ事を」
だが、もしも――
もしも本当に東京国が介入し、この泥沼の惨状をすべて解決してくれるのだとしたら――
「私は何を考えているのだ。相当疲れているな……」
川口は再び眼鏡を外し、目元を指で力を込めて何度も何度も揉みほぐした。




