第43話:怒りと悲しみの嘆き
にわかには信じがたい報告が、大名・川口の耳に入ってきた。
治安維持のために帝都から派遣され、川口市内に駐屯している浦和軍。
その兵士たちが我が物顔で民家に上がり込み、酒や食べ物を無理やり徴発しているという。
そればかりか、横柄な態度で現地の住民を見下し、暴言や暴力を振るっているという情報まで飛び込んできた。
川口市の守護者であったはずの浦和軍が、いつしか民を脅かす占領者へ。
領主である川口にとって、無視できない事態であった。
当初は一部の悪質な兵士による不祥事として、おおやけにせず処理していたのだが。
浦和兵が民から略奪した物資を軍内部で横流ししているという噂まで流れる始末。
川口にとって、浦和軍への感謝や恩が覆ってしまうほど、被害報告は数多く寄せられていた。
浦和と川口が同席する定例会。
川口総合文化センター・リリアの会議室には、重苦しい空気が流れている。
「浦和様。川口市民に対する浦和軍の横暴、もはや見過ごせぬ域に達してます」
「……あん? なんじゃそりゃ?」
川口は険しい顔で浦和へ非難を呈した。
浦和は予想外の苦言に驚いて、ぽかんとした表情になる。
規律を厳しく正し、モラルある軍規を浦和は全軍に徹底している。
厳しくも自分を慕ってくれる自慢の部下が、民へ横暴を働くなど信じられない。
「おいおい冗談だろ? 俺の軍が民を苦しめるような真似をしてるってか?」
「被害に遭った市民たちの証言は一致してます。危害を加えてきたのは間違いなく、浦和軍の兵服を着て浦和エンブレムを掲げた兵たちであったと……」
「あり得ん!!」
浦和は激怒し、テーブルを叩いた。
浦和は誰よりも正義感が強く、自他ともに規律に厳しい男だ。
だからこそ配下の兵にもその精神を徹底させているという自負があった。
「浦和様。我々とて、浦和軍が軍規に厳しいことは百も承知です。だからこそ、最初はデマだと信じませんでした。ですが――」
川口が大量の被害届を机に乗せた。
その紙束を前に、浦和は開いた口が塞がらない。
賊の捜索と称して、民家に我が物顔で上がり込む。
軍の徴発と称して、店舗の商品を奪い取る。
治安維持の協力金だと称して、民から金を巻き上げる。
「これほどの被害届が上がっているんです! 浦和様! あんまりじゃないですか!」
浦和は青ざめた顔で、何かの間違いだと弁解に努める。
だが互いの主張は平行線をたどり、噛み合わない。
浦和自身が見ている浦和軍と、川口市民が見ている浦和軍。
到底埋めることのできない乖離があった。
定例会は両者の認識が食い違ったまま、険悪なムードでお開きとなった。
その後も、事態は悪化の一途を辿ってしまう。
浦和兵による不正、略奪、暴行など……。
痛ましい被害の報告が、毎日のように川口市役所に寄せられた。
浦和も責任を感じていた。
駐屯する市内各地の陣営を、時間の許す限り自ら巡回した。
全兵士へ向けて改めて軍紀の徹底を厳命する。
しかし浦和の目の届かない隙間を潜り抜けるように、浦和兵による迫害の報告は相次ぐのだ。
大名・川口の忍耐は、限界に達しようとしてる。
そしてついに、決定的な出来事が――!
高速道路の高架下に位置する『ゴリラ公園』。
時計の柱を折り曲げる巨大なゴリラ像が象徴的な、川口市内でもユニークな公園だ。
その公園で遊んでいた児童たちが、浦和兵に恐喝されているという緊急の報せが川口のもとへ舞い込んだのである。
川口は数人の家臣を従えて、ゴリラ公園へ急行した。
そこで川口の目に飛び込んできたのは、あまりに壮絶な光景。
公園の敷地内の至る所に、無惨に倒れる児童たち。
浦和兵たちの姿はすでにどこにもなかった。
「な、なんてことだ……」
川口の顔から血の気が引いた。
あまりにも酷すぎる。
浦和兵は幼い子供たちにまで手を出したというのか。
川口の家臣たちも、衝撃と怒りで声が出ない。
「うぅ……」
かすかなうめき声。
倒れていた小さな女の子がひとり、身じろぎした。
川口は咄嗟に駆け寄り、その身体を抱き起こす。
「大丈夫か? しっかりするんだ! 一体何があった!?」
川口の腕に抱かれた女の子は、途切れ途切れに声を絞り出す。
「公園でみんなで遊んでたらね……赤い服を着たお兄ちゃんたちがやって来てね……浦和軍の兵隊さんだって言ってた……」
女の子は顔を歪め、涙を流しながら苦しそうに続ける。
「それでね……お小遣いをカツアゲされたの……」
「なんだとっ!?」
「わたしたち……怖くて……。でもお父さんとお母さんにもらった大切なお小遣いだから……持ってないって嘘ついたの。そうしたら……兵隊さんたち、ジャンプしてみろって……。言われた通りにみんなでジャンプするしかなかったの。そしたら、ポケットからチャリンチャリンって音が鳴って……お金持ってるの、ばれちゃった……」
「それで金を奪われたのかっ!?」
女の子は身体を震わせながら、こくりと頷いた。
川口もまた、激しい怒りに身体を震わせていた。
こんな幼い子供たちから金を巻き上げるほど、浦和軍は鬼畜に成り下ったというのか。
「もうすぐ敬老の日でしょ……? 本当はね、お小遣いで大好きなおじいちゃんとおばあちゃんにプレゼントを買ってあげたかったのに……」
女の子の無念の呟き。
「もう……何も買ってあげられない……。わたし……ショックで気を失いそう……」
ガクッ。
少女が意識を失い、その細い首が力なく傾いた。
「おいっ! しっかりしろっ! 頼むから目を開けてくれっ!!」
川口は取り乱しながら少女の小さな肩を揺さぶった。
深い悲しみに心を打ち砕かれた少女は、目を閉じたまま応えることはなかった。
「う、うう……うおおぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」
川口は叫んだ。
咆哮した。
怒りと、悲しみの、魂の嘆き。
周りを見渡せば、公園に散らばるように倒れている子供たち。
何の罪もない、こんなにも幼気な子供たちに対して……
浦和軍はなんてことを……!
川口の胸の奥底からドロドロとした黒い感情が沸騰するように湧き上がってくる。
その時だった。
巨大なゴリラ像の背後から、不気味な人影が現れる。
丸まった背中。
深く刻まれたしわで両目の隠れた顔。
東京人の赤羽であった。
「……赤羽?」
「ヒッヒッヒ……。またお会いしましたね、川口様」
赤羽は大げさに天を仰ぐようにして、白々しく悲鳴を上げた。
「おお……なんという凄惨、なんという残虐! 浦和軍はついにこのような無垢なる幼子たちにまで手をかけたのですね!
川口様、これは最悪の裏切りです。 治安維持の名目で派遣されておきながら、川口市を踏みにじる暴挙! これで浦和軍の正体はお分かりになられたはず。あの暴君・埼王と何ら変わらぬ、鬼畜な輩どもなのです」
川口は何一つ言い返すことができなかった。
相次ぐ浦和兵による悪逆非道の報せ。
そして目の前に広がる、幼子たちの壮絶な惨状。
被害に遭った市民たちは口を揃えて証言している。
相手は浦和軍の制服を着て、浦和エンブレムを掲げていたと。
定例会の席で浦和は潔白を主張したが、もはや苦し紛れの言い逃れに他ならない。
川口市を助けるどころか、蹂躙する悪魔のように。
激しい憤怒に気が狂いそうになる川口。
赤羽は労わるような、優しい声をかける。
「これが現実です。埼玉国中央、帝都さいたま市の血も涙もない仕打ち。完全に一線を越えております。川口様はこのまま黙って耐え忍ぶおつもりですか?」
これまで川口は埼玉国の一員として誇りを持って街を治めてきた。
しかし何だこれは……!
帝都さいたま市への忠義も、埼玉への親しみも、国家への帰属意識すらも――
すべてが馬鹿馬鹿しい……!
絶望に打ちのめされた川口の肩にそっと寄り添うように、赤羽は囁いた。
「川口様。わたくしたち“東京国”であれば……川口市を、川口市民を、お助けできます」
川口の中で、何かが音を立てて崩れ去った。
眼鏡の奥の瞳からは、一切の感情が消え失せていた。
「赤羽殿……」
川口はゆっくりと顔を上げた。
その表情は――虚無。
「川口市は……東京国に保護を要請する……!」
ニヤリ。
赤羽の口元が吊り上がる。
深いシワの奥に隠された両目が、ギラリと鋭く光った。




