第40話:和光と板橋
和光市にある、『理化学研究所』。
実はここ、埼玉国のみならず、日本大陸で唯一の自然科学総合研究所である。
和光市の大名・和光は数年前、この研究施設で研究員たちと共に113番目の新元素を発見するという、偉業を成し遂げた。
そして本日は年に一度の科学研究交流会の日。
隣国より訪問した異民族・東京人の代表団が施設内を巡回していた。
その代表団を率いる長の板橋が、施設の大型加速器を見上げ感嘆を漏らす。
「和光殿、この施設は実に素晴らしいですね!」
「お褒め頂き、ありがとうございます。ですが板橋殿の東京国の潤沢な財源には敵いません。あらゆる学問分野へ巨額の資金を投じているとか。私からすれば羨ましい限りですよ」
板橋は謙遜して手を振ると、更に熱を込めて和光を褒める。
「和光殿は天才です。原子番号30の亜鉛と83番のビスマスの二種類の原子核を融合させ、未知なる113番目の新元素を発見したのですから!」
「ははは……褒められてばかりだと照れてしまいます」
「そして何より、その新元素の命名において理化学研究所が『ニホニウム』と命名したことも感動しました! 『サイタマニウム』でもなく、『ワコウニウム』でもない。己の領地や国の名を採用せず、この日本大陸の名を捧げられた。もう感服の極みです!」
「いえいえ。私はただ、この日本大陸の名がついた元素が周期表に刻まれることで、科学を勉強する日本大陸すべての人に興味を持ってもらえたらと、そう願って命名したに過ぎません」
「素晴らしいッ!!」
板橋は感極まった様子で、身体中が震えていた。
施設の見学も終盤に差し掛かった頃。
興奮冷めやらぬといった東京人代表団の長・板橋は、案内役として同行していた和光の側へとすっと歩み寄った。
これまでとは一変した低い声のトーンで話しかける。
「……時に、和光殿。埼玉国は新たなる埼王が即位されて以来、そのやりたい放題の暴政で大変な事態になっているとか」
「まあ……そうですね」
「王の専横によって埼玉全土に貧困が広がり、風の噂では秩父地方が反旗を翻して埼玉国から独立したとか」
「よくご存知ですね。昨日のニュースで私も知りました。すでに近隣の市町村で編成された討伐軍が秩父地方に向けて進軍中とのことです。遠方の地とはいえ、同じ埼玉での出来事。胸が痛いですね」
板橋はしばらく黙り込み、やがて瞳の奥に鋭い光を宿した。
「和光殿には世界に誇る圧倒的な科学力があります。どうでしょう? いっそのこと埼玉国から離脱してみては? 和光殿ならきっとやっていけるはずです。もしその気がおありなら、自発的に我ら東京国へ保護要請を出していただいても構いません」
「保護要請、ですか?」
「はい。和光市が埼玉国の暴政に耐えかね、自らの意思で東京国に庇護を求めた。という形式を取れば、『大陸の掟』には原則として接触しませんから」
「大陸の掟……?」
「国家が他国の領土・政権に対して、軍事・政治介入してはならないという、この日本大陸の絶対の倫理ですよ」
埼玉国を、離脱する。
和光はそんな事、考えたこともなかった。
「もし我が東京国の保護下に入っていただけるなら、希望される市民や研究員の方々には、大要塞『高島平団地』の住居をご提供できるかと」
「高島平団地……?」
「そしてゆくゆくは――」
そこで板橋は言葉を切った。
何か決定的な一言を口にしそうになり、間一髪でそれを飲み込みんだような。
まるで差し障りのない表現へとすり替えているような間。
妙な静寂がふたりを包む。
「……和光殿が我が国の後ろ盾を得て新たな立脚点を得れば、この理化学研究所への研究資金も埼玉国など比較にならないほど潤沢に差し上げられる、ということです」
和光は隣に立つ板橋の顔をじっと見つめた。
板橋の言葉遣いは穏やかだ。
しかし口元には笑みを浮かべていても、目はまったく笑っていなかった。
真意を測りかね、冗談として笑い飛ばしてもいいものか。
和光はぎこちない表情で言う。
「私は……たとえ今、埼玉国がどのような惨状であろうとも、見限る気にはなれません」
「ほう、そうですか。失礼を承知で申し上げます。現在の埼玉国は、言わば燃え盛る大木のようなものです。帝都さいたま市のみが栄華を極め、その他の市町村、つまり全土の民はその犠牲となっている。いえ、あくまで風の噂でお聞きした話ですが」
板橋は更に一歩、和光に近づいた。
「今の埼玉国は、燃え尽きて炭になりかけている木炭も同然。ですからこの機会に見限ってしまわれても――」
「板橋殿」
和光の鋭い声が遮った。
そして真摯な眼差しで板橋を直視する。
「木炭も、ダイヤモンドも。同じ“炭素(C)”だけで構成されているのです」
一瞬の静寂。
板橋は表情を引き締め、重々しく唸った。
「ほほう……。つまり木炭に見える埼玉国も、ダイヤモンドの輝きを放つと? 和光殿はそう仰りたいわけですな」
和光は何も答えない。
ただ凛とした佇まいで、真剣な眼差しを崩さなかった。
板橋は悟った。
この和光という男は、惨状に喘ぐ埼玉国に対して未だ忠誠を抱いている。
その忠誠の源泉は、恐らく暴政を敷く埼王に対してではない。
埼王が擁立している帝のコバトンへの崇拝かもしれない。
板橋はこれまでの雰囲気を変え、頭を下げた。
「失礼なことを口走ってしまいました。一国を木炭に例えるなど、比喩としてあまりに不適切でした」
「とんでもない。埼玉国の将来を心配されてのお言葉でしょうから。不快になど思っておりませんよ」
交流会が終了し、夕焼けに赤く染まる理化学研究所の正門前。
板橋率いる東京国の代表団が、別れを告げる。
「本日は素晴らしい施設をご案内いただき、誠にありがとうございました」
「いえいえ、私どもにとっても実に有意義な時間でした」
「和光殿、何か困ったことがあればいつでも我ら東京国を頼ってください。それでは、また」
板橋たち東京人の一団が去っていく。
その背中が夕闇の彼方へと小さくなっていくのを、和光は見送っていた。
すると、そこへ別方向から新座市を治める大名、新座が歩み寄ってきた。
「ウッス和光! なんだあの集団は? 今日は何かイベントでもあったのか?」
「ああ、新座か。年に一度の東京国との研究交流会だよ。代表団の方々に理研の施設を案内していたんだ」
「ふーん……。そういや、朝霞のところにも東京人の練馬が来てたな」
「なに、練馬殿が? 一体何をしに?」
「さあな、俺は知らねー。ただ、練馬と別れたあとの朝霞の奴、なんだか神妙な顔をしてたなぁ」
「…………」
和光は口を閉ざし、考え込むように腕を組んだ。
難しそうに顔を強張らせる和光に、新座は気まずそうに頭を掻いた。
そして思い出したように本来の用件を口にした。
「そうそう、頼まれてた例のブツを持ってきたぞ。武蔵野の雑木林に群生してる薬草だ。この成分を理研で解析したいって言ってたろ?」
新座が薬草の入った袋を差し出す。
しかし和光の視線は遠くへ飛んでいて、心ここに在らずといった様子だった。
「おーい、和光? どうした……?」
「新座」
「なんだよ?」
和光は向き直って、新座の両肩にポンと両手を置く。
「私たちの市は東京国と隣接している。民は東京人との交流の機会も多い。我が埼玉国への郷土愛よりも、東京国に憧れを抱く者が多いと感じないか?」
「そ、そうかぁ? まぁ、人それぞれじゃねーの?」
「埼玉に住みながら心は東京に寄せて生きている。大っぴらには口にせずとも、内心でそう思っている民が大勢いる。それに拍車をかけるかのように、ダ・サイタマ様による暴政はあまりに酷すぎるからな」
そこまで語ると和光は新座の両肩から手を離し、眼鏡のブリッジをクイと中指で押し上げた。
「だが私は信じている。この埼玉の地に生きる民は皆、“埼玉”という、同じ元素でできていると!」
「……ちょっと、理系の人間は頭良すぎて何言ってるか分かんねーわ」




