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第35話:夜襲! 奇襲! 強襲!

時刻は日付が変わろうとする深夜。

荒川を背に、長瀞ながとろ駅のすぐ側に組まれた陣屋。

そこで討伐軍大将の本庄ほんじょうは、ろうそくの光を頼りに一人静かに書物を読んでいた。


――音。


ふと、陣屋の外で物音がした気がした。

本庄は書物から目を離し、息を殺して夜闇へ耳をそばだてる。

聞こえてくるのはそよ風とかすかな川のせせらぎ。

本庄は小さく息を吐き、意識を再び手元の書物へと戻した。


本庄が片時も肌身離さず持ち歩いているその書物。

自らの生まれ故郷、本庄市が生んだ江戸時代後期の偉人、塙保己一はなわ ほきいちが編修した本。

歴史的大著『群書類従ぐんしょるいじゅう』である。


盲目という大きな障害を負いながらも、日本全国に散在した古文書や歴史資料を集めて後世へと残した人物。

本庄が彼を心から尊敬している理由は、障害を乗り越えた国学者という美談的な枠組みには収まらない。


塙保己一はなわ ほきいちが編修したこの『群書類従ぐんしょるいじゅう』は、遥か時を越えた現代においても日本文学や歴史学の研究において欠かすことのできない資料として評価されている。

百年以上の月日が流れても、書物という形で残した知識は生き続けるのだ。

そして塙保己一はなわ ほきいちが後世の人々の役に立つ実績を残したからこそ、本庄はこの人物に強く惹かれ心を焦がすのだった。


――音。


またしても、陣屋の外から物音が聞こえた。

今度は気のせいではない。

直後、怒号のような叫び声が夜の静寂を破った。

しかも声がしたのはすぐ近くからである。


本庄は書物を閉じ、勢いよく立ち上がった。

敵軍の布陣する宝登山ほどさんへ向けては、厳重に立哨を配置している。

にも関わらず、なぜ陣屋の間近で声が上がるのか?



「誰だ! 何者だっ? うわぁっ!!」


自軍の兵の切迫した声。

聞き覚えのない荒々しい声も混じっている。

重なり合って凄まじい喚声へと膨れ上がっていく。


陣屋の幕が勢いよく開かれ、息を荒らげた神川かみかわが飛び込んできた。


「本庄さま逃げてっ! 敵の奇襲!!」


「か、神川さん! 一体どうしたのですか!?」


本庄の背筋に冷たいものが走る。


「もしかして、宝登山から秩父軍が下山して押し寄せてきたんですか!?」


「違う! 逆方向! 長瀞渓谷の荒川から敵が!!」


一瞬にして、背筋が凍てつくような激痛へと変わった。


自分たちは今、荒川を背にして陣を組んでいる。

無警戒だった断崖絶壁の岩畳と荒川。

その川から敵がやって来たというのか?

回り込めるような場所じゃない!


唖然として立ち尽くす本庄の頭の中に浮かんだ疑問。

神川がその答えを叫んだ。


「水軍! 敵に水軍がいたの!!」


「水軍……!?」


本庄はハッとした。


「まさか……『長瀞ラインくだり』の船ですかっ!?」


「そうっ! 夜闇に紛れて荒川の水面を埋め尽くすほどの小舟が押し寄せてきたの! 掲げられていたのは『長瀞ながとろ』の将旗だった! 敵将・長瀞ながとろ率いる水軍部隊だよっ!」



そうこうしている内に、周囲からは絶え間ない喚声と悲鳴。

陣屋の幕の隙間から、白い煙が流れ込んできている。

そこへ自軍兵が転がり込むように突入してきた。


「本庄様! 神川様! 敵の水軍部隊が河川敷へ上陸! 我が陣営の真後ろ、すぐそこまで迫っております! 一刻も早く避難を――ぐあっ!」


言い終わるより早く、兵の背中に一本の矢が突き刺さった。

兵はそのままうつ伏せに崩れ落ちる。


「大丈夫ですか? しっかりしてください!」


本庄は倒れた兵の肩を抱き起こそうとしたが、反応がない。


「本庄さま! ここも危険だよ! 一刻も早く上里かみさと美里みさとと合流して体制を立て直そう!」


「くっ……分かりました」


ふたりが陣屋を飛び出した瞬間、篝火の光に照らされた雨――。

いや、矢の雨だ!

頭上から容赦なく降り注いだ。


「大将をお守りしろーっ!!」


咄嗟に飛び出した近衛兵たちが大盾を掲げた。

乾いた音を立てて矢が弾き返される。

兵たちの決死の防御に守られながら、本庄と神川は辺りを見渡した。

凄惨な光景。

自軍の兵が何人も倒れ込んでいた。

周囲は大混乱に陥っている。


不気味な漆黒の荒川水面。

そこからぞろぞろと湧き出るようにこちらへ迫ってくる無数の影。

その中に一際厳しい埼圧を放つ男がひとり。

狂気的な笑みをその顔に浮かべながら。


「本庄はどこだーッ! 敵の大将首を討ち取れーーッ!!」


秩父王国が誇る水撃の将、長瀞ながとろ

その咆哮のような掛け声に呼応するように、上陸した長瀞軍の兵たちが雄叫びを上げる!

雪崩のように押し寄せてきた!


「本庄さま! とにかく今は退却を! 大将が討たれたら討伐軍の負けだよ! ここはボクと兵たちで食い止めるから早くっ!」


「ですが、神川さん……!」


「迷っている暇はないよ! 梨(特産)の意地を見せてやる! 梨だけに、ボクらの事は心配ナシで!」


本庄は側近の護衛数人に引っ張られながら荒川の河川敷から離れた。




決死の覚悟で長瀞軍を食い止める討伐軍の兵たち。

その中心に、部将・神川が堂々と仁王立ちしていた。

秩父王国の部将・長瀞と対峙する。


「やいっ長瀞! ここから先は一歩も通さないよ!」


「おうおう、健気だねぇ。神川だな」


長瀞は小舟の舵取りに使っていたオールを槍のように振り回し、神川に突きつける。


「邪魔だ! そこをどけ! 狙うは大将首ただ一つ!」


「ふん、水軍だなんて姑息な真似しちゃって! 荒川の流れに乗ってコソコソ奇襲とはね!」


「あん? 姑息だと? 荒川の激流と岩畳を庭にしてきた俺たちに川を使うなってか?

おめでたい頭だな! お前んとこの『神流川かんながわ』のぬるま湯と一緒にしてもらっちゃ困るんだよ!」


「神流川はぬるま湯じゃないもん! 荒川に負けないくらい気高い清流だもん!!」






長瀞水軍による荒川からの奇襲に続き、宝登山の秩父軍にも動きがあった。


「進めーッ! 討伐軍を挟み撃ちだーーッ!」


混乱に乗じて山中に布陣していた皆野みなの軍が、一気に山を駆け下りてきたのである。

荒川からは長瀞軍が、宝登山からは皆野軍が。

暗闇の中、討伐軍に押し寄せる東西からの急襲。


だが宝登山の麓を警戒していた上里と美里は、パニックにならないで迎撃体制をとる。


「ハッ! させねーよオラオラ! 待ちくたびれたぜ、ようやく山から降りてきやがったな!」


「山の利を捨てて、わざわざ奇襲のために平地へ下りてきてくれたのですね! 願ったり叶ったりです!」


上里軍と美里軍が防波堤となり応戦する。

おかげで討伐軍は突き崩されず持ち堪えている。




突如――市街地側から地鳴りのような猛烈な大勢の足音。


「討伐軍、覚悟ーーっ!!」


夜闇を切り裂くようにして強襲してきたのは、東秩父ひがしちちぶ率いる遊撃隊であった!

勢いに乗る皆野軍の側面へと展開し、一気に上里と美里の軍を押し込んでくる。

迎撃に当たっていた上里と美里の顔から、完全に余裕が吹き飛んだ。


「マジかよ……オラッ! みんな気合入れろーッ! 踏ん張れーッ!」


「一点でも突破されないように! 陣形を防御特化に再構築します! 」


上里と美里は必死の形相で配下の兵たちへ号令を下す。


秩父王国の一端を東秩父が担っているということは、事前に聞いていたのだが。

行政区分としては秩父郡ではなく、比企郡ひきぐんではないのか。

そう異論を唱えたところで、もうどうにもならない。

まさに秩父王国のワイルドカードとして、東秩父軍は最悪の状況で解き放たれたのだ。


もはや討伐軍の誰ひとり、兵数で勝っているなどという余裕は持っていなかった。

苦しい局面だが、潰走だけは辛うじて免れている。


しかし戦場は敵味方が入り乱れる大混戦と化していた。

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