第34話:嵐の前の静けさ
長瀞渓谷の岩畳に囲まれた荒川の河川敷は、討伐軍の巨大なキャンプ場と化していた。
もうここに滞陣して三日目になる。
宝登山に陣取る秩父軍の策、山中に大量配置したゆるキャラ看板。
その偽装によって、討伐軍はいまだ正確な敵兵数を特定できずにいた。
山中に潜む秩父軍は1000か、あるいは3000か、それ以上か。
いずれにせよ数では討伐軍が勝っている。
にも関わらずこれまでの小競り合いで、本庄は秩父兵の異常な屈強さを痛感していた。
秩父兵1人は、討伐軍の兵2人分に匹敵するかもしれない。
大事をとって、それくらい警戒して考えておいた方がよさそうだ。
戦況は膠着している。
大将の本庄は無理に山へ攻め上ることも、奥地の秩父市へ進むこともしない慎重な姿勢を貫いた。
戦において、焦りと浮き足立ちこそ最大の禁物。
副将の上里も頭ではそれを理解しているのだが。
じれったくて仕方がなかった。
その日の夜。
夕食の時間になると、神川がニコニコと満面の笑顔で特産品である梨を兵たちに配り始める。
部将である神川自らが包丁で丁寧に皮を剥いて、ひとつひとつ可愛らしいウサギさんの形にカットした。
「甘い! シャキシャキして最高に美味いです!」
「梨と言えば幸水や豊水が有名ですが、この埼玉オリジナル品種の彩玉は別格です!」
あちこちで兵たちの絶賛する声。
しかし、将たちの集まる陣屋の中は重苦しい空気が漂っていた。
アウトドア用の折りたたみイスに深々と腰掛け、上里が不満げに愚痴をこぼす。
「なあ大将! 俺たち完全に敵の足止め策にはまってないか? このままじゃラチがあかないぜ」
美里も頷いて上里に同意した。
「本庄殿、ここは我らの軍勢を二手に分けてはいかがでしょう? 一方はこのまま鉄路を進み、敵国首都の秩父市へ向けて進軍を再開する。もう一方はここに残り、宝登山の敵を牽制し続けるのです」
「……二手、ですか」
本庄は手にしていた愛読本、自らの市が誇る偉人・塙保己一が後世に残した古典文献から顔を上げた。
「そうだぜ大将! ここに残る隊は宝登山の敵が進軍部隊の背後を襲うのを防ぐ役割を持たせる。そしてこの先、進軍部隊の身に何かあった時の退路拠点にしたらいい。だからいい加減動こうぜ!」
ふたりの意見を汲みながらも、本庄はそれを鵜呑みにしない。
「お二人の意見は分かります。ですが……宝登山に潜む敵の目的は、『我々の兵力を割らせること』ではないでしょうか」
「兵力を割らせる?」
「はい。この膠着状態は、我々の兵力を二分させるための誘い出しです。それに乗って滞陣と進軍で自ら戦力を半分に割れば、秩父軍からすれば『狙い通り敵が自ら勝手に半分になってくれた』という展開になるのではないでしょうか」
「だがよ~、それは数で勝る俺たちだからこそできる兵法ってことだろ」
食い下がる上里に対し、本庄は朗らかな顔で諭す。
「上里さん。この地は東西に山、中央を荒川が流れるボトルネック地域です。我々は山の上から常に見下ろされる狭小地におり、高低差のある戦いにおいて上からの攻めに極めて脆い状況に置かれてます。かといって我々から山に踏み込めば、それこそ山岳戦を得意とする秩父兵の餌食になってしまう」
「皆さん、美味しい梨を持ってきたよ~っと……あれ?」
そこへ将たちにも自慢の彩玉を配ろうと、神川がウサギさんカットの梨を持って陣屋に入ってきた。
だが張り詰めた真剣な空気を察した瞬間、神川は笑顔のまま固まってしまった。
梨を配るのを躊躇してそのまま入り口で立ち尽くしてしまう。
本庄は続ける。
「何より恐ろしいのは、あの秩父兵の異常なまでの強さです。皆さんも身に染みて理解されているはず。向こうの一兵はこちらの二兵分に相当するかもしれません。これほどまでに屈強な兵に仕上がっているのは、何か特殊な調練でも施しているに違いありません。そう考えると、敵の兵力は実質二倍として計算するのが安牌というもの。我々が迂闊に二手に分かれれば、連絡線を遮断され、更に各個撃破される危険があります」
大将の言うことは理解できる。
それでも上里と美里にとって、この長引く足止めはじれったくて仕方がない。
「だからってよ、このまま大軍でここに固まって滞陣してろってのか? 退屈で死んじまうぜ」
「そうですよ。そして我々がここでグズグズ停滞していては、南側から進軍している飯能・日高軍にも迷惑がかかってしまうのでは?」
焦りを滲ませる二人。
本庄はフッと優しく微笑んだ。
「……分かりました。では、部隊を二手に分けましょう」
美里が思わずツッコミを入れる。
「えっ? 結局、二手に分かれるのですか!?」
「はい。ですがただの二分割ではありません。一方は少数でこの長瀞駅周辺に留まり、もう一方は『見せかけの進軍』を行うのです。鉄路を秩父市街へ向かって進むフリをして敵に誘いをかけます。我々が防衛線を薄くしたと見せかけ、留まった少数の隊を叩こうと敵が山を降りて平地に出たところを、進軍のフリをしていた本隊が戻って全軍で挟み撃ちして叩き潰します」
それを聞いた上里が、座っていた椅子を倒す勢いで興奮気味に立ち上がった。
「なるほどな! 敵を山から引きずり下ろして、狭小地(平地)での合戦に持ち込むってことか! それなら山岳戦にならないから奴らの地の利を消せる!」
美里も立ち上がった。
「おまけに二手に分かれたように見せかけて土壇場で合流しますから、我々の数の利もそのまま活きますね!」
本庄の描いた逆転の絵図。
陣屋を包んでいた緊迫感が解かれていく。
ずっと空気を見計らっていた神川が、待ってましたとばかりに梨を配りだした。
「皆さ~ん! デザートはいかが~?」
「おっ、神川! ありがたくいただくぜ!」
ウサギさんの形に可愛くカットされたシャキシャキの彩玉。
将たちの顔に笑顔が戻っていた。
ひとしきり梨を味わった後、本庄がこの場を締める。
「それでは明日の朝、軍勢を二手に分けます。私と神川さんは2500の兵でこの長瀞駅に滞陣。少数で敵を誘き寄せる囮となります。上里さんと美里さんは7500の大軍を引き連れて進軍を開始してください。宝登山の敵が動き出したら、速やかに伝令を飛ばします」
「よっしゃ! 任せときな、大将!」




