第32話:高地を制する者は戦いを制す?
「ねぇ日高、ここらでぼくたちも腰を据えて本陣を構えないとね」
「そうだな。この西武秩父駅の構内では心許ない」
飯能と日高は兵を待たせ、すぐそばにあった観光案内所に立ち寄る。
拠点に適した場所はどこが良いだろうか。
ある程度、候補地に目星をつけ案内所から出た時だった。
「ちくしょうっ! もう秩父王国はお終いだ~ッ!!」
突如、祭の湯で捕らえた敵兵捕虜が悲痛な叫びを上げた。
驚いて日高が注意する。
「いきなり大声出すな。命乞いか?」
「そうじゃない! 俺は秩父様に失望したんだ!」
「失望だと?」
「そうだ! 俺は秩父王国の幕僚だったんだ。武甲山に陣を敷いてお前たち討伐軍を迎え撃とうと進言したんだ! なのに秩父様は却下し、あろうことかこの先の市街地に布陣された! 高所を制した者が有利だと言うのに! 秩父様は兵法を何も分かっちゃいないッ!」
ヒステリックに泣き叫ぶ捕虜の言葉に、飯能は顔を上げ目線を遠くへ向ける。
視界に飛び込んでくるのは、圧倒的な存在感を示す武甲山。
見上げるたびに、得体の知れない圧迫感が胸を締め付ける。
もしあの山頂に秩父軍が布陣していたらどうなっていただろう。
あの高台を押さえられるだけで、飯能・日高軍は抗いようのない圧力に晒される。
一気に駆け下りてくる逆落としを喰らったら、いくらこちらの数が勝っているとはいえ大打撃は必至だ。
想像するだけで飯能はぞっとした。
捕虜の話によれば、あの武甲山に秩父軍は配置されていない。
飯能はまだ間に合うと思った。
「日高! 今すぐあの武甲山の頂きに布陣しよう!」
「何を言っているんだ⋯⋯?」
日高は呆れたように目を丸くした。
「兵法にあるでしょ? 高地を制する者は戦いを制すって! 山頂を押さえれば敵の接近もいち早く察知できるし、視界が開けて監視にも最適じゃん。下から登ってくる敵は疲弊するし、こちらはタイミングを見計らって上から逆落としを仕掛けられる! もう利点だらけ!」
「駄目だ! 高地の占拠は、裏を返せば極めて高いリスクを伴う。考えてもみろ、包囲されれば即座に孤立する。堅実にこの盆地内で陣地を構築するべきだ」
「そんなことないよ! 何よりこの秩父地方の象徴である武甲山をぼくたちが占拠すれば、秩父軍は心理的にも戦意を喪失するはず!」
日高は深いため息をついた。
「確かに高所に陣地を敷くのは兵法上、有利とされる。しかしそれは高句麗の教えによれば悪手だ」
「なんだよ、高句麗の教えって?」
「かつて我が日高市に渡来し、この地の文明の発展に貢献した高麗人の理だ」
日高は飯能の説得にかかる。
「いいか飯能? ここは敵地だぞ。武甲山の周囲を秩父軍に取り囲まれて身動きが取れなくなるのがオチだ! 退路すら絶たれてしまう!」
「その取り囲まれそうになったところを逆落としで上から撃破するんだよ! 高所からの攻撃の方が有利なんだから!」
「水と食料はどうする!?」
「山の麓に水源が幾つもあるのを、さっきの索敵で確認したよ! 食べ物だってこれまで通り、山で山菜や獣を採ればいいじゃん!」
「駄目だ! 危険すぎる!!」
「日高っ! ぼくは『大将』だぞ? 君は『副将』なんだから、ぼくの言うこと聞いてよ!」
「できない! みすみす全滅の危険に飛び込もうとするのは、たとえ指揮官の命令でも従えん!」
飯能は頭を抱え込む。
高所を押さえ、その高低差で下方の敵を攻め落とす。
高地に陣を敷く、即ち兵法の理に叶った策なのに。
どうしてそれを日高は理解してくれないのか。
そもそも高麗人の理ってなんだ。
わけがわからない。
「ちぇ……何だよ。もういいよ! 日高はこのまま低地にへばりついていればいいさ! ぼくは自分の率いる軍と一緒に今から武甲山の山頂へ移るからね! ふふっ。上から見下ろされた秩父軍がどんな顔をするか、今から楽しみだなぁ~」
飯能はそう捨て台詞を吐くと、日高に背を向けた。
自軍へ向かって高らかに叫ぶ。
「飯能軍は全員聞いて! これよりあの武甲山へ登山を開始する! 山頂に布陣するよ!」
「飯能っ! 駄目だ! 行くなーーっっ!!」
その飯能と日高の一連のやり取りを、遠方の高台から双眼鏡越しに観察している男がいた。
秩父王国の総大将、秩父である。
「おい、横瀬も見てみろ。面白いものが見られるぞ」
「えっ?」
そう促され、隣ににいた横瀬が双眼鏡を受け取り、言われた方角を覗き込む。
「あ……飯能軍と日高軍が、二手に分かれましたね」
「飯能軍の動きを追ってみろ」
「あら、あらあら!? 飯能軍、武甲山を登り始めてますけど?」
「理由は分からんが、敵の主力である飯能軍が武甲山の山頂で陣を張ろうとしている。念のため、奴らの背後に伏兵がいるか探らせているが……」
横瀬は双眼鏡を下ろすと、悔しそうに顔を歪めた。
「秩父様、たとえ一時であれ我々の聖なる象徴の武甲山が敵に踏みにじられるのは、胸が張り裂けそうなほど苦しいです」
「そう言うな、横瀬。この屈辱は後で何倍にもして返してやれば良い」
秩父は音もなく立ち上がると、冷淡な笑みを浮かべた。
「残念だったな飯能よ。武甲山は外部の人間が気安く登る山ではない。秩父地方そのものなのだから」
背後からゆるやかな足取りで小鹿野が歩み寄ってきた。
「ふふ、それでは始めましょうか?」
「うむ。横瀬、準備は良いか」
「はい! 奴らに季節外れの冬山の恐怖を叩き込んでやりましょう!」
秩父、小鹿野、横瀬の三人は手と手を繋ぎ合わせ、円陣を組んだ。
目を閉じ、全神経を研ぎ澄ます。
三人の合体埼玉術式奥義を発動させるために――!
詠唱(埼唱)
『秩父市が誇る、三十槌の氷柱よ! 岩肌より染み出す清流を凍てつかせ、山河を閉ざせ!』
『小鹿野町が誇る、尾ノ内の氷柱よ! 巨大なる氷爆となりて、山裾を封じよ!』
『横瀬町が誇る、あしがくぼの氷柱よ! 煌めくライトアップをもって、山嶺を冬化粧せよ!』
三人の声が重なる。
『秩父三大氷柱!』
『三氷封岳・武甲凍結!!』
天地を揺るがす轟音!
極彩色の冷気が武甲山全体を包み込む!
山中のあらゆる水源が分厚く凍りついた。
山肌はまたたく間に白銀の雪化粧。
一瞬にして冬山と化した武甲山は、山の幸が採れない。
横瀬が冷ややかに呟く。
「あの状態では、飯能軍は持って三日……というところでしょうか」
小鹿野も手にした扇を仰ぎながら頷く。
「うん。飢えと渇きで正気を失ったところを攻撃すれば、容易く壊滅できるね」
秩父は凍てつく武甲山を見上げながら言い捨てた。
「冬山の恐ろしさは、山を治める飯能もよく知っていることだろう。生命の糧など何ひとつ手に入らん。武甲山はどれだけ地面を掘り返したところで湧き水など出てこないぞ。出てくるのは大量の石灰石だけだ!」




