第21話:二重の裏切り者
夜明けが近づいていた。
東の空が白くなり、徐々に明るくなる。
水平線の彼方が赤く染まり、朝焼けが広がっていく。
鮮やかな赤。
だがその色が、どこか残酷に感じさせるのは何故か。
赤。
赤といえば、北本にとって思い浮かぶものは一つしかない。
“トマト”だ。
北本市の名産で、100年もの栽培の歴史を持つ。
そのまま食べても美味い。
カレーに、大福に、餃子に混ぜても絶品だ。
北本市はトマトの可能性を信じ、発展させてきた。
だからこそ赤色から連想するものは、トマトであってほしい。
しかし間もなく戦が始まってしまう。
血が、流れようとしている。
赤色を見て、血を連想させてはならない。
北本は人目を避けながら、運転免許センターの一室へと駆け込んでいた。
「やっと見つけたぜ……」
「き、北本!? どうしてここに!?」
鴻巣が驚きで目を丸くする。
北本は肩で息をしており、髪は乱れていた。
「連合軍に気付かれないよう抜け出してくるだけでも一苦労だったんだ。すぐ戻らなきゃならないが……」
北本が窓の外を見る。
鴻巣もそれにつられて窓の外へ視線を向けた。
朝焼けが少しずつ、彩の大地を照らし始めている。
北本の荒い呼吸が落ち着くのを待ちながら、鴻巣は感謝の言葉を口にしていた。
「義勇軍を送ってくれてありがとう。北本には感謝してもしきれない。大宮の連合軍に知られれば、君まで危険に晒されるというのに、それでも助けてくれた。わたしは本当に良い友を持ったと思う」
北本は額に流れる最後の汗を拭い、苦渋を滲ませて言った。
「そのクレアの埋伏なんだけどな……もうばれてる」
鴻巣の表情が一瞬で凍る。
「何だって!?」
「桶川の偵察隊に見つかった」
「馬鹿な! あそこは建物全体を迷彩幕で覆っていた! 見つかるはずがない!」
「俺もそう思ってたさ。でも桶川軍の偵察隊は飛行学校の歴史を活かした、空から敵を探る感覚での索敵訓練で鍛え上げていたらしい。反則級だと思うがな」
鴻巣はそんなのありなのかと、心の中でつっこんだ。
しかし見つかってしまったものは仕方がない。
策の破綻。
これで大宮連合軍に一泡吹かせることは出来なくなった。
窓の外では、朝日がゆっくりと昇り始めている。
戦の時が、近づく。
鴻巣は一度深く息を吸い、時間をかけて吐き出す。
乱れた心を落ち着かせると、改めて北本を見つめた。
「わざわざその事を伝える為だけに連合軍を抜け出し、危険を冒してここまで来てくれたのか。ありがとう」
北本は首を横に振った。
「違う。俺はお前を説得しに来た」
「説得? またか」
「もう市の誇りだ何だと言ってる場合じゃない!」
北本の声は震えていた。
「戦いが始まれば血が流れる! 生々しい赤い血が! 赤といえばトマトだ! それが血にすり替わってしまっては駄目なんだ!」
実際に戦場の空気が漂いだしてから、初めて北本は戦争の悲惨さを嗅ぎ取った。
切実に平和を願う心が親友の鴻巣にも伝わるが。
鴻巣はまだ、徹底抗戦を考えていた。
「北本……最後の頼みだ。大宮だけでも足止めしてもらえないだろうか?」
「あの大宮を? 冗談じゃない! 俺を殺す気か!」
「では上尾だけでも」
「上尾だって埼力23万だぞ? 堂々たる埼玉国上位の武将だ!」
北本の必死な拒絶ぶりに、鴻巣は苦笑した。
「そうだな……」
自分でも無茶を言っていることは分かっていた。
義勇軍まで借りておきながら、図々しいにも程がある。
それほど本心は追い詰められているということか。
「鴻巣市は一丸となって立ち上がった。今更、大名のわたしが降りるわけにもいかない。最後まで抗う」
北本は鴻巣の顔に、儚さを垣間見た。
そこまでして守りたいものなのか。
免許センターが! 運転免許の玉璽が!
市の誇りとは、命を懸けてまで守る価値があるものなのか。
北本はその“実物”を見てみたくなった。
「なあ、鴻巣。その玉璽を俺にも見せてくれないか? 鴻巣の誇りが体現された、その実物とやらを見てみたい」
鴻巣は淡く微笑んだ。
「そうか気になるか。よし、他でもない北本の頼みだ。ついてきてくれ、こっちだ」
二人は免許センターの階段を上っていく。
三階の、さらに奥まった場所。
重厚な鉄扉を開くと、そこは静寂に包まれた一室。
部屋の中央には祭壇があり、その上に運転免許の玉璽が安置されていた。
鴻巣は誇らしげに言った。
「これが運転免許の玉璽だ。これがあるからこそ免許センターは成り立つ。鴻巣市の誇りそのものだ」
北本は祭壇へ歩み寄った。
直径15cmほどの四角い玉璽。
しばらく見つめる。
北本には……ただの正方形の塊にしか見えなかった。
こんなもの……こんなものさえなければ!!
これが鴻巣を縛っている。
これが市民を戦わせようとしている。
誇り、それは自体は否定しない。
誰にだって大切なものはある。
北本にとってのトマト栽培の歴史がそれだ。
しかし、誇りは命より重いのか。
死んでしまえば、誇ることも出来ないではないか。
大勢の人間が死ぬ。
鴻巣軍の兵が、北本の義勇兵が。
きっと、鴻巣本人も。
流れる血が――赤の象徴になってしまう!
無意識だった。
北本の手が、玉璽へ伸びた。
「北本?」
鴻巣が怪訝そうに首をかしげる。
北本は玉璽を抱きかかえ、振り返った。
その顔は、どうしてだろう。
今にも泣き出しそうだった。
「鴻巣……すまんっ!!」
叫ぶと同時に北本は一直線に駆け出した。
廊下の方ではなく、窓の方へ。
勢いそのままに窓へ体当たりする。
甲高い破裂音。
無数の窓ガラスの破片が砕け散り、宝石のように宙を舞った。
その中心を突き抜けて、北本は玉璽を抱えたまま三階から飛び降りた。
鴻巣は立ち尽くす。
目の前の光景を信じられず呆然と見送ってしまうが。
すぐに事の重大さに我に返る。
「ま、待てーっ! 北本ーーっっ!!」
落下。
北本は植え込みの中へ、勢いを殺しながら地面を転がる。
全身に痛みが走ったが、すぐに立ち上がった。
運転免許の玉璽を抱え直すと、そのまま駆け出した。
三階から鴻巣の怒号。
「北本に玉璽をだまし取られたぞ! 捕らえろーっ!」
免許センター館内に控えていた兵たちが一斉に動き始めた。
鴻巣は割れた窓から下を見下ろす。
一瞬だけ躊躇したが、すぐに覚悟を決めた。
「玉璽を返せーっ! 北本ーっ!!」
鴻巣もまた窓から飛び降りる。
受け身を取りながら地面へ着地すると、北本を追って全力で走り出した。
「なんだここは?」
北本の視界に広がるのは、免許センター屋外敷地の実技試験コース。
教習所に通わないで免許取得を目指す者たちの一発試験場だった。
コースの片隅に、カローラが停まっていた。
一発試験用の教習車だ。
駆け寄って運転席のドアを引くと、開いた。
キーは挿さったまま。
北本は滑り込むようにシートへ座り、玉璽を助手席へ置いた。
キーを回す。
心地よいエンジンの始動音。
発進しようとアクセルを踏み込む。
車体がその場で大きく振動した。
「げぇ! マニュアル車かよ!」
北本は舌打ちする。
運転免許はMTで取得したが、普段の生活ではAT車しか運転したことがない。
北本は記憶を辿る。
思い出せ、かつて教習所に通っていた頃を。
クラッチ、一速、半クラ、アクセル……。
車がガタガタと震えながら発進した。
「よし、そのまま!」
一速から二速、三速……!
ぎこちないながらも速度が上がり始める。
北本がМT車にもたついている間に、鴻巣も後方の教習車へ飛び乗っていた。
配下の兵を待つ時間すら惜しいのか、自ら運転席へ座り、慣れた手つきでエンジンを始動する。
「北本ーっ!」
軽快な発進。
鴻巣の乗った教習車が一気に北本と距離を縮める。
北本はバックミラーを見て焦った。
追いつかれまいと、アクセルを踏み込む。
助手席で玉璽が激しく揺れる。
これさえ大宮へ渡してしまえば、鴻巣も戦う理由を失うだろう。
誰も血を流さずに済む。
北本は使命感のようなものに突き動かされていた。
北本はコースを走り抜ける。
S字コースへ突入。
車体の左側面が縁石に接触。
「やべっ!」
続いてクランクの屈折へ。
今度は車体の右側面がポールと接触した。
車体は傷だらけだ。
後ろでは鴻巣が危なげなくS字とクランクを走破していた。
北本の運転を見ていた鴻巣が思わず叫ぶ。
「なんて運転だ! 運転免許を返納しろ!」
北本のカローラは遂に実技コースを飛び出した。
そのまま国道17号へ、南へ向かって疾走する。
数秒遅れて、鴻巣のカローラも国道17号へ躍り出た。
免許センターから飛び出してきた鴻巣の家臣たちが慌てふためいていた。
「殿ーっ!」
「お待ちください!」
「大将がお一人で追うなど危険ですぞーっ!」
「お供いたしますーっ!」
しかしその声は鴻巣の耳には届かない。
「待てーっ! 北本ーっっ!」
鴻巣の叫びが朝の国道へ響き渡る。
幼い頃から苦楽を共にしてきた北本を親友だと思っていた。
此度もまた、帝都を欺き唯一義勇軍を送ってくれた。
だから鴻巣は信じた。
しかしなんだこれは。
その信頼を利用し、懐へ入り込み、玉璽を奪われた。
「この二重裏切り者ーっ!!」
怒りでアクセルを踏み込む。
だがすぐに速度計を見て唇を噛んだ。
免許センターを運営する者として、法令遵守は絶対。
速度超過など、あってはならない。
「くっ……!」
アクセルを、それ以上踏み込めない。
一方の北本は、アクセルをベタ踏みしていた。
エンジンが唸る。轟音が迸る。
二台の教習車の車間は少しずつ開いていく。
朝焼けに染まる国道17号。
法定速度を守る教習車と、法定速度など気にしない教習車。
二台のカローラは前代未聞のカーチェイスを繰り広げていた。




