第18話:冷静と情熱の貴公子、上尾
上尾市内の日の出にある埼玉アイスアリーナ。
一年を通して一般利用から競技大会まで対応する、屋内スケート場施設である。
場内の広大な氷の上を、涼し気な表情をした一人の男が優雅に滑っている。
誰もが息を飲み、目を奪われていた。
胸元が大胆にはだけた漆黒の衣装。
流れるような水色の髪。
上尾市の大名、上尾である。
氷上を舞うその姿は指先まで美しく、それでいて力強さも感じさせる。
同じリンクを滑っていた者たちは魅了され、自然と場所を譲っていた。
観覧席からは絶え間なく声援が飛んでいる。
関係者しか入れない特別席にも、上尾を見守る大宮の姿。
上尾は場内の熱い視線を一身に受け、それに応えるように速度を上げて――
高らかに跳んだ。
四回転アクセル。
宙に舞い上がった身体は、危なげなく見事に着氷した。
一瞬の静寂の後、大喝采が巻き起こる。
感動のあまり涙を流す者さえいた。
演技を終えた上尾はリンク中央で一礼すると、前髪をかき上げた。
汗をまとった端正な横顔が照明に照らされる。
「上尾さまぁ~っ!」
観覧席から、とりわけ女性たちの大きな黄色い歓声。
上尾は微笑みを浮かべ、軽く指先を唇へ添えて投げキスを送る。
「きゃああああぁぁぁぁ~っ!」
歓声は悲鳴へと変わり、女性たちは次々とドミノ倒しのように倒れ込んだ。
場内を包む惜しみない拍手はいつまでも続いた。
上尾はリンクから退場し、バックヤードへ。
そこにやって来たのは、大宮だった。
「上尾殿、素晴らしい演技だった」
スケートシューズの紐を解いていた上尾は、顔を上げる。
「おや、これはこれは大宮様ではありませんか」
白い歯を覗かせて、どこか芝居がかった口調。
大宮は少しだけ戸惑った。
以前会った時とは、まるで別人に見えたからだ。
八枝神社の祇園祭。
泥の中へ神輿を転がす『どろいんきょ祭り』で、上尾は誰よりも泥を浴び、豪快に笑っていた。
しかし今、目の前にいる上尾は、あの時とは雰囲気がまるで違う。
先程スケートリンクで見せた姿は、豪快とは真逆で繊細だった。
“器用な男”なのだなと、大宮は思った。
上尾は大宮を見ずに、再びスケートシューズの紐解きに取り掛かった。
「ああ、分かってますって。あなたが総司令官となって、逆臣・鴻巣を討つ。だから僕の兵を貸せって、そういう話ですよね?」
その口調には、棘がある。
「自分たちは兵を出さない。さいたま市の兵は、ずいぶんと大切にされているんですね」
皮肉を隠せない物言い。
帝都は兵を温存し、地方の兵を前線へ送り出す。
その不満を上尾は抱いているようだ。
「僕の市から出せる兵は二万。正直、余裕なんてありませんよ。でも王命ですからね。体裁もありますし」
大宮は頭を下げた。
「二万も兵を捻出してもらえるとは、深く感謝する。道中で桶川殿、北本殿とも合流する予定だ。総司令官として、各市の兵を無駄に損耗させるような戦いだけは避けたい」
その言葉を聞いた上尾は、白々しく笑う。
「大宮様もダ・サイタマ王の下で、いろいろ苦労してるんですね」
それだけ言うと、更衣室へ消えていった。
その背中を見送りながら、大宮はため息をつく。
別に、上尾の言い方を不快に感じたわけではない。
上尾軍を加えた大宮は埼玉アイスアリーナを後にする。
再び高崎線で北上を開始した。
二万人もの兵が合流したことで、車内は混雑し満員状態。
吊り革に揺られながら、上尾は大宮に問いかける。
「どうして鴻巣は帝都に逆らったんでしょうね。免許センターなんて、さいたま市にあった方が便利でしょう? ちなみに僕はアンケートで帝都移設に賛成票を入れましたよ」
「……鴻巣殿は、“市の誇り”を守る為に反旗を翻したんだと思う」
「市の誇り、ですか」
上尾が冷ややかな笑みを浮かべる。
「それで免許センターが譲れないって……。もしかしてダ・サイタマ王への忠誠が、それほど高くないんじゃないですか?」
その一言に、大宮は深刻そうに表情を硬くし口を閉ざした。
何か思い当たる節があるのか。
或いはその可能性を否定し切れないのか。
ただ一際、列車の走行音だけがよく耳に響いた。
「まあ、いいですよ。鴻巣市のことは、鴻巣市にしか分かりませんから」
上尾は車窓の外、流れる景色へ視線を移す。
「ねえ、大宮様」
「どうした? 上尾殿」
「僕の市からは、“何も取らないで”下さいね? あなたからそれとなくダ・サイタマ王にうまく言っておいて下さい」
冗談めいた口調だった。
でもその横顔は笑っていなかった。




