第15話:豪将・熊谷と智将・深谷
日差しが容赦なく照りつける熊谷駅。
大気中にこもる熱気は、遠くの景色を蜃気楼のように揺らめかせている。
フェーン現象とヒートアイランド現象が重なるこの地は、埼玉国でも屈指の暑さを誇る。
駅前にはそんな酷暑をものともしない、凛とした二人の男の姿。
北埼玉の雄都を治める豪将・熊谷。
そしてその盟友、智将・深谷である。
荒れた埼玉国にあっても、この熊谷市と深谷市には他市町村よりも余裕があった。
熊谷市は北埼玉の要衝として帝都からも一目置かれ、比較的厚遇されている。
一方の深谷市は、一万円札の肖像になっている資本経済の父・渋沢栄一を輩出した地。
その加護によるものなのかよく分からないが、深谷市の民が重税に苦しんでいても何とかなるのである。
追い詰められた深谷市民が財布の中を最後の望みで探ると、いつの間にか一万円札が紛れ込んでいることがあるのだ。
その時は錯覚かもしれないが、一万円札に写る渋沢栄一が穏やかに微笑んでいるという。
熊谷と深谷は熊谷駅前にある一体のブロンズ像を見上げていた。
深谷が感心したように口を開く。
「立派な武士の像だね。どちら様?」
熊谷は得意気に語りだした。
「熊谷直実。この地を語る上で欠かせないオレたち熊谷の民の“誇り”だ」
「へぇそうなんだ。威風堂々、迫力あるご尊顔だね。とても強い人だったのかな?」
「ああ、強かったさ。かつて平氏と源氏で繰り広げられた数々の戦いで武功を立てた名将だからな」
少しだけ、熊谷の口調が柔らかくなる。
「でも強かっただけじゃない。ある合戦で平氏の平敦盛を討ち取ったのだが、相手が自分の息子と同じくらいの年頃の若者だと知ってな。その出来事がきっかけで戦いの虚しさを知り、最後は武士を捨てて僧となった」
深谷は神妙そうに頷いた。
「武人としての高名よりも、僧としての“誇り”を選んだんだね」
「ああ。だから今でも熊谷市民にとっては英雄的存在なんだ」
「……強いだけじゃ、人は英雄にはなれないってことかな?」
深谷のその言葉が、余韻を残しながら熱気に溶けていく。
駅から少し離れた百貨店に掲げられた大型温度計が、『41.1℃』と表示されている。
深谷がしんみりした雰囲気を一変させるように、苦笑いした。
「英雄もさ、この暑さだけはどうにかしてくれないのかな?」
「慣れればどうってことはない」
熊谷はおどけるように肩をすくめた。
冷房の効いた八木橋百貨店。
7階の飲食フロアにあるカフェへ移動し、二人は休憩がてらコーヒーを口にする。
熊谷は角砂糖を二つ。
深谷は何も入れず、ブラックのまま。
「鴻巣が大変なことになってるね。帝都が運転免許センターの移設を言い出してから、埼玉国中がその話題で持ち切りだよ。アンケートが実施されたけど、免許センターを帝都へ移すことに賛成か反対か。熊谷はどっちに投票した?」
「反対に入れた」
熊谷は即答した。
「確かに帝都寄りの市町村からすれば、鴻巣市よりさいたま市の方が近い。乗り換えも少なく、正直助かると思っている者も多いだろう」
「うん、そうだね」
「なぜ免許を取るだけでわざわざ鴻巣市まで行かなければならないのか、そう思う気持ちも理解できる」
今回のアンケートで多くの市町村を悩ませたもの。
大名は鴻巣を支持。
しかし住民は帝都への移設を支持。
あるいは、その逆。
民意と大名の考えが一致しない市町村が少なくなかった。
だからこそ、多くの大名は回答に苦しんだ経緯があった。
帝都が公開したアンケート結果。
『運転免許センターを帝都さいたま市へ移設すべきか』
賛成:42
反対:21
“便利さ”と“地方の伝統”の衝突。
二つの正義が真正面からぶつかった結果だったのかもしれない。
「正しいのは鴻巣だと思う。しかし時に正義よりも民は生活を選ぶこともある」
「そうだね。理想や正当性だけでお腹は膨れないものね」
「だがな、何でもかんでも帝都へ集めるというのは、どうなんだ?」
「うんざりしている市町村も多そうだね」
「鴻巣にとっては正念場だな」
「アンケートという大義名分を得た以上、ダ・サイタマ王は運転免許の玉璽を取りに来るね。免許センターを失えば、鴻巣市は経済的な影響だって小さくはない」
熊谷は目を伏せて腕を組んだ。
「……オレは、鴻巣は運転免許の玉璽を渡さないと思う」
深谷が驚いたように身を乗り出す。
「それ、どういう意味?」
「今回、奪われるのは免許センターじゃない。市町村が代々守ってきた『誇り』だ。鴻巣が黙って帝都に従えば事態が終息するわけじゃない」
深谷は静かに頷く。
「なるほど。一度成功した前例は繰り返されるってことか。つまり今回だけの話じゃない」
「そういうことだ」
深谷は少し考える素振りをした後、ふっと笑った。
「じゃあさ熊谷、例えばダ・サイタマ王が『妻沼聖天山(現熊谷市にある日本国宝)を帝都へ移せ』と命じてきたら?」
「断る」
熊谷はまたしても即答した。
「たとえアンケートで帝都支持が多数になっても、武力で脅されてもな」
「ふーん、民が危険に晒されても?」
熊谷は店内を見渡した。
自分たちと同じように客席で寛ぐ、愛しき熊谷市民たち。
彼らもまた、熊谷の民としての誇りを胸に宿している。
「人は譲ってはいけないものがある。それは“誇り”だとオレは思う。誇りを捨てて生き延びたとしても、その時の熊谷市はもう熊谷市じゃない」
「ふふ……」
深谷は小さく笑みを浮かべ、カップを口に運ぶ。
「熊谷。君は、熊谷直実に通ずるものを持ってるね」




