第10話:暗雲が漂う埼玉庁舎
「富や余裕は、民を堕落させる。
心に余裕ができると、人は余計なことを考える。
夢を見て、自由を口にして、権利を求めて、不満を抱く。
そんなものは、生きるということを欺かせる麻薬である。
民はそれを分かっておらぬのだ。
自らを縛り、生きることそれ自体を歪ませるその毒にな。
埼玉国民に必要なのは、豊かさではない。
民が集中すべきことはシンプルだ。
今日を生きること。
明日を迎えること。
その為に懸命に働き、帝都に納税すること。
食糧は市場に回してやる。
あえて飢えるか飢えないかのギリギリの量をな。
だからこそ、民は必死になる。
毎日が、真剣になる。
当たり前に感謝し、生を実感する。
故に吾輩は、民からそれを惑わすものを取り上げた。
ネットも、SNSも、スマートフォンも。
そんなものは民に必要ない。
他人の人生ではなく、自分の人生に本気になれ。
遠くの誰かと語る必要はないのだ。
互いに助け合わねば生きられぬ環境。
だからこそ隣人と語り、家族と語り、同じ市町村の者と語らせる。
それこそが、人を人たらしめる。
孤独を消し去り、身近で共同体であることを自覚させる。
さすれば民は手を取り合い働き、一致団結して納税に邁進するだろう。
結果的にそれが、埼玉国民すべてを繋げる絆に成長するのだ。
吾輩は正しい道を民に示している。
民は黙って従えばよい。
迷う必要もない。
無駄な情報も、余計な思想もいらぬ。
埼玉国という大河の中で、飛沫の一滴として生きればよい。
そうは思わぬか? 与野よ」
「思いません」
ここはさいたま中央区新都心にそびえる庁舎。
最上階に位置する王座の間で、玉座に腰を下ろすダ・サイタマと四天王のひとり与野が向かい合っていた。
帝都さいたま市には複数の庁舎が存在する。
本来、行政の正統庁舎は浦和区にあった。
しかしダ・サイタマは外観を理由に、この中央区新都心の庁舎ばかり用いる。
それを旧浦和派閥の官僚は快く思っていない。
与野が真っ直ぐにダ・サイタマを見つめて言った。
「ダ・サイタマ様。国家の為に民がいるのではありません。民がいてこそ国家が成り立つのです。各市町村の民は困窮してます」
ダ・サイタマは鼻で笑う。
「理想だけで国は治まらん」
「民は重税に苦しみ、過酷な労働を強いられ、人権が無いも同然じゃないですか。近代国家にあって許される政事ではありません。もう少し民のことを考えていただかないと。郷土愛があっても、民心は離れていくばかりです」
与野は一歩も退かない。
周囲の文官たちは青ざめているが、与野は顔色ひとつ変えずダ・サイタマに諫言している。
彼がさいたま四天王ではなければ、ダ・サイタマはその場で不敬罪と称し、粛清したかもしれない。
だが与野は王に従うだけの存在ではなかった。
さいたま四天王という立場そのものが、埼玉王を支える宿命を負っている。
それをダ・サイタマは理解しているからこそ、彼らの諫言だけは受け入れる。
そして実際、四天王は皆が有能だった。
「ただちに減税の決行を。民はすでに限界を迎えてます。それに一日の法定で定めた基本労働時間を8時間へ戻すべきです。どれだけ民が苦しんでいるのか。どうか一度、帝都さいたま市を離れて各市町村をご自身の目でお確かめ下さい」
「ふん、民は苦しんでおるか。結構なことではないか。苦しみは生の証、飢えは生への渇望である。労働は国家を支える尊い営みなのだ」
そう言って笑い飛ばすダ・サイタマ。
ひょうたんのような腹に、首が埋もれる二重あご。
この男は民が痩せ細る分、太っていく。
まるで民から脂肪を吸い取っているかのように。
王座の間の後方、重厚なカーテンが揺れる。
衛兵に先導され、伝令が足早に入ってきた。
玉座の前まで進むと、片膝をつき深く頭を下げた。
「申し上げます! 川口市の川口大名よりご報告。三郷ジャンクションにて物資を略奪していた賊徒を討伐。その際、賊徒の一人が“拳銃”を所持していたとのことです!」
「拳銃だって!?」
与野が驚愕して目を見開いた。
文官たちにもどよめきが走る。
各地で賊徒が蜂起し、略奪を繰り返しているという報告は以前からあがっていた。
しかし賊徒が拳銃などを所持していたとなれば、それは一線を越えた話である。
ダ・サイタマはあごに手を滑らせ、伝令を睨みつけた。
「ほう……その拳銃、どこから賊は手に入れた?」
伝令は背筋を伸ばす。
「そ、それが……。捕縛後に拳銃の出所を問い質したところ、隠し持っていた毒をあおり自害してしまい、事情を聞き出すことは叶わなかったとのこと。ただ、拳銃には見慣れぬ刻印が刻まれていたそうです!」
ダ・サイタマはゆっくりと玉座から立ち上がった。
伝令がビクッと身震いする。
「与野よ、お前はどう見る?」
「現時点では断定できませんね。ですが見慣れぬ刻印がある以上、埼玉国内で製造された拳銃ではないかもしれません。まずはその拳銃を帝都へ搬送してもらいましょう。実物を確認してから調査いたします」
「よかろう。与野、この件はお前に一任する」
与野は一礼して、王座の間から退出した。




