第12章 小さな日々と、胸の奥の風
ノヴァが帰ってきてから三日。ソムニウムには、久しぶりに穏やかな時間が流れていた。
朝日が昇るたび、ノヴァはリリカに手を引かれ、街の道をとことこ歩いていく。
蜂蜜パンの屋台をのぞき、哲平の材木置き場へ行き、辰彦の小言を浴びせられ、諒介の作業場で木の鳥を飛ばそうとして叱られ……
その全部が、街に“明るさ”という色を塗り直していった。
「ほら、ノヴァ。これ、あったかいから食べな」
哲平が差し出す焼き芋を両手で受け取り、ノヴァはぱぁっと笑う。
「あつい……でも、おいしい!」
「気をつけろよ、お前、すぐ火傷するタイプだな」
哲平は呆れながら頭を撫でる。そこへ辰彦がやって来た。
「ノヴァや、ひなたぼっこするとええ。体は光を吸い込むと強くなる」
「うん!! ひなたすき!!」
老人たちは自然に笑った。
街は、もうこの子を“家族”として迎えている。
一方、少し離れた場所で。ジャックは腕を組みながら慧吾の様子を観察していた。
慧吾はノヴァの笑う姿を見て、目を細めていた。けれど──その肩は、以前より細く見える。
「……おい」
ジャックは低く囁いた。
「最近、痩せたな」
慧吾は目を逸らす。
「気のせいだ」
「気のせいなわけあるか。 飯、半分も食ってねぇのバレてんだよ」
慧吾は返事をしなかった。
風が吹くたび、外套の内側で光がふっと揺れる。微かな痛み。
それをジャックは知っていた。あの戦場の夜のあと、慧吾の光は半分になった。
ノヴァの生存がそれを示している。
「……ノヴァが戻ってから、ちょっとマシになった気もするが……」
ジャックは煙草を噛みながら呟いた。
「痛みが減ってんのか……それとも、感じねぇようになっただけなのか……」
リリカもまた、慧吾を遠くから見つめていた。
ノヴァが蜂蜜パンを頬張る姿を、優しい目で見ている慧吾。
でも──その瞳の奥にある影を、リリカは見逃さなかった。
(……痛んでいるのに、慣れてしまった……?)
リリカの胸が締めつけられた。
(慧吾……あなた…… ノヴァが戻ったこと、心から喜んでるのに…… あなたの身体は……まだ、戻ってないんだ……)
ノヴァに近づくとき、慧吾の光は弱く震える。
ノヴァの小さな手が慧吾の袖を掴むと、慧吾はかすかに息を呑んでいた。
それは痛みと、──“風穴の疼き”。
リリカはそっと目を伏せた。
ノヴァは諒介の作業台の上で木の鳥を振り回し、諒介が本気で眉をひそめる。
「……飛ばんと言った」
「とぶよ! だって、色が飛ぶいろ!!」
「理屈になってない」
「でもかわいい!」
「……お前がな……」
ジャックが遠くから笑い、辰彦がひなたぼっこを勧め、哲平が焼き芋を追加で渡し、リリカが蜂蜜パンをもう一つくれる。
笑い声が絶えない、平和な午後だった。
慧吾は、その真ん中にいながら──ふと空を見上げた。
(……風は……まだ……不安定だ)
胸の奥で、風が抜ける。ノヴァが戻ったことで埋まったはずの欠片。でも完全ではない。
それでも、慧吾は目を細めた。
(……この子が笑っているなら……それでいい)
ジャックが横に来て、足で軽く地面を蹴った。
「……倒れんなよ」
「倒れていない」
「いや、倒れる前に言っとくんだよ」
慧吾は小さく息を吐いた。
ジャックの表情はぶっきらぼうでも、その声には深い“不安”が隠れていた。
日暮れが近づいたころ。ノヴァはリリカに抱かれて眠っていた。
慧吾は家の入口で外気を吸い込み、胸を押さえた。
風が、抜ける。
でも──
その隙間の奥で、小さな光が確かに瞬いた。
(……まだ……風は……生きてる)
ジャックが家の前に座り込み、空を見上げる。
「……今日も、倒れなかったな」
慧吾は目を伏せる。
「倒れない。守るべきものがある」
「……ノヴァか?」
「……ああ。 ノヴァが、俺の光の……半分を持っている」
ジャックは長く煙を吐いた。
「だったら……なおさら倒れるなよ。 あいつのためにも」
慧吾は静かに頷いた。
その夜。街に風が吹いた。
穏やかで、優しい、あの風。
慧吾も、リリカも、ジャックも――誰も声に出さなかったが、皆知っていた。
ノヴァが戻ったことで、街はまた“生き始めた”。
だが同時に。
慧吾の身体は、どこか取り戻せない影を抱えたままだった。




