第11章 帰る風
街の門番が最初に気づいた。
朝もまだ明けきらぬ薄明の中、霧のような風を切って──小さな“影”が揺れながら歩いてきた。
ふらふらと、今にも倒れそうな足取り。だが、止まらなかった。
「……お、おい……誰か来てくれぇ!! 子どもだ!!」
その声に、街はざわめき立った。
慧吾の胸が“跳ねた”。
(……来る)
外套を掴む手が微かに震える。風の流れが、胸の奥の光が、一つの方向を指し示していた。
ジャックが慧吾の横に立つ。
「……まさか」
慧吾は答えず、ただ全力で門へ走った。
広場に辿りついたとき――人々が囲むその中心に、痩せた小さな身体が横たわっていた。
すすけた髪。泥にまみれた手足。ぼろぼろの靴……いや、片方はもうなかった。
慧吾の足が止まる。
胸の奥が痛むでもなく、光るでもなく──
空いた欠片が、そっと埋まる感覚があった。
リリカが駆け寄り、その子の肩を抱き起こした。
少年のまぶたが震え、ゆっくりと開いた。
薄い灰色の瞳。記憶の色を失った空のような目。
少年はぽつりと呟いた。
「……あったかい……」
その一言で、リリカの瞳から涙が落ちた。
「……ひかり……よんでた…… がんばって……きた……」
慧吾の胸が強く鳴った。
(──やっと見つけた)
ジャックが後ろで小さく息を吐いた。
「生きて……たか」言葉はそっけないのに、声だけは震えていた。
リリカは涙で笑った。
「お名前、わかる……?」
少年は少し考えるように目を細め、首をかしげた。
「……の……?」
慧吾の息が止まりそうになった。
(覚えていない……?)
少年は震える声で続けた。
「……“ノヴァ”……って……ひかりのなかで…… だれかが……よんだ…… きがする……」
リリカの涙が溢れた。
「そう……そうよ…… あなたはノヴァ。 ノヴァなのよ……!」
ノヴァは困ったように微笑んだ。
「ぼく……ノヴァ……なんだ……?」
慧吾の胸の奥に、風がそっと吹き込んだ。
失われた記憶。悲しみと、それでも帰ってきてくれた喜び。
どちらも混ざって胸に押し寄せた。
ノヴァは慧吾を見た。不思議そうに、じっと見つめた。
「……あなた…… なんだか……しってる……あったかい……」
慧吾の喉が震えた。ノヴァは小さく呟く。「……ぼく……ここにいても、いい……?」
慧吾はゆっくりと膝をつき、その小さな頭を、大きな掌で包む。そしてその問いに、深く頷いた。
「──当たり前だ、ノヴァ。 ここがお前の居場所だ」
ノヴァの瞳がまた涙で滲み、それでも、笑顔を作る。
その涙を見た瞬間、慧吾の胸の空洞に、ようやくわずかな“風”が戻った。
その日、ソムニウムに新しい朝が訪れた。
エコーズの影は遠のき、塔の脈動は静まり返り、街はゆっくりと息を取り戻す。
そして皆、知っていた。
この小さな命が戻り、この街にも、慧吾にも、風がふたたび吹き始めたことを。




