【外典スピンオフ】風守の子供たち
第1章 春の市と、風のいたずら
朝の風が、草原を転がりながら街を起こしていく。白い花がゆれ、屋根の上の旗がパタパタと音を立てた。塔の下から、弾むような声が響く。
「ノヴァおじいちゃーん!はやくー!」
「春の市、もう始まっちゃうよー!」
塔の上で、ノヴァは笑って手すりから身を起こした。
「もうそんな時間か。まったく、子どもたちのほうが元気だな」
――『お前も昔はあんなだったぞ』
「慧吾、それは聞き捨てならんな。
俺は昔から落ち着いていた」
――『どの口が言う。お前、初陣の朝に靴を左右逆に履いたろう』
「なっ……お前、どこまで覚えてるんだ!」
風がくすくすと笑う。塔の窓が小さく鳴った。
広場はもう賑やかで、人と風の音が交じっていた。焼き菓子の甘い香り。果実酒の樽を転がす音。
「いらっしゃい!今年の春蜜は特上だよ!」
「風車はいかが?回るたびに幸せが来るよ!」
子どもたちが、ノヴァの外套を引っ張った。
「ねぇおじいちゃん!これ買って!」
「風車か?それは自分で回すもんじゃないぞ」
――ひゅるるっ。
いきなり風が吹き、屋台の風車がいっせいに回った。子どもたちが歓声をあげる。
「見て!全部回った! おじいちゃんの魔法だ!」
ノヴァは吹き出した。
「ちがう、これは――」
――『俺だ』
「やっぱりな!慧吾!」
――『少しくらい派手でもいいだろ。春だし』
露店の主人が空を見上げて笑う。
「おーい、風のいたずらっ子め! 今度は麦粉を散らすなよ!」
――『聞いたか? 俺のこと“いたずらっ子”だと』
「褒め言葉だろ。お前が笑わせてるんだから」
昼下がり、子どもたちが屋台の隅で寝転び始める。ノヴァはベンチに腰を下ろし、瓶入りの蜂蜜茶を飲んだ。風が髪を撫で、遠くから花の香りを運んでくる。
「慧吾、覚えてるか。あの戦いのあと、いつかこういう街を作ろうって言ってたな」
――『ああ。お前が“守りたい”と言った場所だ』
「俺だけの力じゃないさ。お前の風が、ちゃんと見張ってる」
――『……風は見張りじゃない』
「?」
――『お前たちが笑ってるとき、俺もそこに混ざってるだけだ』
ノヴァは小さく笑った。
「……じゃあ今日も、俺の隣にいるんだな」
――『あたりまえだ。風は、置いていけないだろう』
塔のほうから子どもたちの呼ぶ声が聞こえた。「おじいちゃーん! お菓子、持って帰ろうよ!」
ノヴァが立ち上がる。
「わかった、わかった。慧吾、帰るぞ」
――『ああ。……風向きは、まだ春のままだ』
ノヴァは笑いながら歩き出した。
子どもたちの笑い声と、風の声が混ざり合い、街の空がやさしく揺れていた。
◼◼◼◼◼
第2章 黄昏の風守
塔の影が長く伸び、空がゆっくりと琥珀色に染まっていく。
今日は、少し風が強い。塔の頂に立つノヴァの外套が、ばさりと音を立てて揺れた。
「春の風のくせに、ずいぶん気が急いてるな」ノヴァがつぶやくと、風がくすくす笑うように、塔の外壁を撫でていった。
――『街の子らが、凧を飛ばしてる。風も、負けられんらしい』
「慧吾か。……そりゃあ、仕方ない」
ノヴァは目を細める。遠く、夕日を背にして、丘の上で遊ぶ子どもたちが見えた。
凧が揺れ、光を反射して、まるで小さな星みたいに瞬いている。
「風の子たち、か……。あの頃と、変わらないな」
――『お前が教えたんだろう。風は、形を変えても残ると』
ノヴァは笑いながら、手すりにもたれた。
「慧吾。……風が吹くたび、お前の声が聞こえる気がする」
――『聞こえるさ。俺は風だ。お前が生きてる限り、俺もここにいる』
塔の上を、橙の光が包む。ノヴァの髪を撫でた風は、どこか懐かしい香りを運んでいた。
焦がれ、涙し、祈りの果てに手にした“赦し”の匂いだ。
「なぁ慧吾。俺は、お前の街を守れてるかな」
――『ああ。風が笑ってる。それが答えだ』
ノヴァは、空を見上げた。沈みゆく太陽の縁で、ひとすじの光が揺れる。それはまるで、塔の上から世界を見守る“風守”の証のようだった。
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第3章 風の種
塔の下では、子どもたちが風車を作っていた。木の枝と紙きれを使った、小さな風車。
ノヴァが教えたやり方を真似て、「これで風を捕まえるんだよ!」と笑っている。
ノヴァはその様子を塔の上から見下ろしていた。頬に風を受けながら、ふっと目を細める。
「なぁ、慧吾。見えるか? お前が吹かせてる風で、子どもたちが笑ってる」
――『ああ、見えるよ。 あの回る音が、まるで笑い声みたいだ』
ノヴァはうなずいて、空を仰いだ。
「昔の俺たちは、風に吹かれるたびに “戦の匂い”を思い出してたな」
――『……あの頃の風は冷たかった。 でも今は違う。お前の街は、風を“育てる”場所になった』
「風を育てる、か」
ノヴァはその言葉を口の中で転がすように呟く。
「たしかに、子どもたちは“風の子”だ。 あの子らが走るたびに、風は強くなる。
あの塔に、お前の声が届くたびに、 世界がちょっとあったかくなる」
――『……お前の声も、届いてる。 風の中に、ちゃんと混ざってる』
「そんな気がするよ」
ノヴァは微笑んだ。そして腰を上げ、塔を降りていく。
外では、子どもたちが風車を手に走り回っていた。
ノヴァはひとりの少女から風車を受け取り、そっと息を吹きかける。風車はくるくると回り、陽の光をきらめかせた。
「ほら見ろ、慧吾。お前の風だ」
――『……よく回るな。 まるで、お前の心臓みたいだ』
ノヴァは笑った。
「じゃあ、止めてなるものか」
塔の上で、風鈴が小さく鳴った。その音が、街全体に響いていった。
――風が、今日も笑っている。
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第4章 遠野の風、ひそやかな記憶
塔のてっぺんに立つと、今日は風がいつもより高さを変えながら流れていた。
ノヴァは手すりに両肘をかけて、じっと耳を澄ませている。風が階段をひと段ずつ走り抜けるたび、塔全体が小さく歌うように震えた。
「今日は……なんだか遠くの声がするな」
彼が呟くと、西の空からふっとやわらかな風が返ってくる。
――『遠野の森で、春告鳥が鳴いた』
ノヴァは目を細めた。その言葉に「懐かしさ」が混じっているのを感じたからだ。
「春告鳥……慧吾、聞いたことあるのか?」
――『ああ。昔、まだ街が閉ざされていた頃…… 夜の警備の帰りに、その声を一度だけ聞いた。 誰も知らない秘密みたいに、静かな声だった』
ノヴァはふふっと笑う。
「へぇ、慧吾にも“秘密”があったんだな」
風がくるくると、塔のてっぺんで輪を描いた。その返事はどこか照れくさそうだ。
――『誰だってあるだろう。 ……お前だって、子どもたちには言ってない秘密がある』
ノヴァはちょっと肩をすくめる。
「ばれてるか。 ほんとはね、“風の声”が聞こえ始めたの、もっと前だ」
――『知っている。 リリカの光を抱いて眠っていた頃から、だろう?』
ノヴァは驚いて、塔の手すりを握りしめた。
「……どうしてわかる?」
風は少しだけ強く吹き、ノヴァの白い髪を、まるで幼子を撫でるように揺らした。
――『お前の心臓には、俺の光が半分眠っている。
お前が何を感じて、何を思ったか…… 全部じゃないが、風を通して伝わってくる』
ノヴァは胸に手を当てた。あの頃に受けた傷は、もう綺麗に消えている。けれど、確かにあの温かい脈の名残がある。
「……そうか。じゃあ、俺の今日の“秘密”も、ばれてるのか?」
――『ああ。 お前が塔に来る途中で拾った、 あのちいさな白い羽のことだろう』
ノヴァは吹き出して笑った。
「慧吾、なんでもお見通しだなぁ!」
――『当たり前だ。…風は、ぜんぶ視ている』
塔の下で、子どもたちが走り回る声がした。小さな足音と笑い声が混じり合って、まるで風の歌みたいに広がっていく。
ノヴァは羽を指先ではじきながら、空を見あげた。
「なぁ慧吾。 あの子たちの未来は……もっと、明るくなるかな」
風が、ゆっくり深呼吸するみたいに吹き抜けた。
――『ああ。 もう“夜”は来ない。 お前たちが守る街だから、必ず明るくなる』
ノヴァは静かに笑った。
「うん……じゃあ俺も、風の声をちゃんと覚えておかなくちゃな」
――『全部じゃなくていい。 忘れていい。 ……でも、“やさしかった声”だけは、覚えておけ』
風がそっと頬を撫でた。
ノヴァはそれに目を細めながら、胸の奥にひとつだけ大切に残る囁きを受け取った。
――『今日の風は、お前が笑ってて嬉しいと言ってる』
塔の外れ、草原がざわめく。遠野の森からまた春告鳥の声が、風に乗って届いた。
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風の声を聴く者 —慧吾の視点—
風は、音を持たない。ただ世界を撫で、形なきものを運ぶだけ。
……の、はずだった。
だがその日、塔の上から聞こえてきた声は、風の流れをわずかに揺らした。
――ノヴァが、歌っている。
風としての“俺”は形を持たない。けれど、歌が吹き抜けた瞬間、胸の奥――かつて心臓があった場所に淡い光がともる。
「……ノヴァ」
歌は老いてかすれ、ひっかかり、息が追いつかないこともある。けれど。
音のひとつひとつの奥に、まだ少年だった頃の“光”が生きている。
そんな声だった。
風は塔の手すりを撫で、ノヴァの白い髪を揺らす。ノヴァは目を閉じ、歌に集中している。
その瞬間――
声が若返る。
現実の声ではない。風の中で重なって響く、もう一つの声。
あの時、瓦礫の中で震えていた少年の声。光を受け取ったばかりの、泣き虫で、弱くて、でも誰より優しい心臓の音。
風の中でだけ、ノヴァはその“あのころの年齢”に戻る。
俺はそれを受け止めるために、風になったのかもしれないとふと思う。
歌が高く揺れたとき、ノヴァが小さく笑った。
――『聞こえるか、慧吾』
「聞こえる。 お前の声は、いつも綺麗だ」
ノヴァの肩が震えた。涙ではなく、嬉しさで震えたと風の流れが教えてくれる。
そしてそのままノヴァは、小さな少年のような声で、そっと呟いた。
「……また、歌ってもいい?」
風は答えを言葉にできない。けれど塔の上の風がふわりと強まり、ノヴァの背中を温かく押した。
それだけで充分だった。
ノヴァは笑いながら、さっきより少し高い声で歌い始めた。
その声は、老いた声と少年の声の二重奏になって、塔の周りに光のように広がっていく。
世界は静かに聞き入っていた。
そして風の中で、俺はそっと呟く。
「……ありがとう。生きてくれて」
ノヴァの歌が、さらにまっすぐに伸びていった。




