表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明の心臓【外典】  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ【外典】終焉の環

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/18

【外典スピンオフ】風守の子供たち

第1章 春の市と、風のいたずら



朝の風が、草原を転がりながら街を起こしていく。白い花がゆれ、屋根の上の旗がパタパタと音を立てた。塔の下から、弾むような声が響く。


「ノヴァおじいちゃーん!はやくー!」

「春の市、もう始まっちゃうよー!」


塔の上で、ノヴァは笑って手すりから身を起こした。

「もうそんな時間か。まったく、子どもたちのほうが元気だな」


――『お前も昔はあんなだったぞ』


「慧吾、それは聞き捨てならんな。

俺は昔から落ち着いていた」


――『どの口が言う。お前、初陣の朝に靴を左右逆に履いたろう』


「なっ……お前、どこまで覚えてるんだ!」


風がくすくすと笑う。塔の窓が小さく鳴った。


広場はもう賑やかで、人と風の音が交じっていた。焼き菓子の甘い香り。果実酒の樽を転がす音。

「いらっしゃい!今年の春蜜は特上だよ!」

「風車はいかが?回るたびに幸せが来るよ!」


子どもたちが、ノヴァの外套を引っ張った。

「ねぇおじいちゃん!これ買って!」

「風車か?それは自分で回すもんじゃないぞ」


――ひゅるるっ。


いきなり風が吹き、屋台の風車がいっせいに回った。子どもたちが歓声をあげる。


「見て!全部回った! おじいちゃんの魔法だ!」

ノヴァは吹き出した。

「ちがう、これは――」


――『俺だ』


「やっぱりな!慧吾!」


――『少しくらい派手でもいいだろ。春だし』


露店の主人が空を見上げて笑う。

「おーい、風のいたずらっ子め! 今度は麦粉を散らすなよ!」


――『聞いたか? 俺のこと“いたずらっ子”だと』

「褒め言葉だろ。お前が笑わせてるんだから」


昼下がり、子どもたちが屋台の隅で寝転び始める。ノヴァはベンチに腰を下ろし、瓶入りの蜂蜜茶を飲んだ。風が髪を撫で、遠くから花の香りを運んでくる。


「慧吾、覚えてるか。あの戦いのあと、いつかこういう街を作ろうって言ってたな」


――『ああ。お前が“守りたい”と言った場所だ』


「俺だけの力じゃないさ。お前の風が、ちゃんと見張ってる」


――『……風は見張りじゃない』


「?」


――『お前たちが笑ってるとき、俺もそこに混ざってるだけだ』


ノヴァは小さく笑った。

「……じゃあ今日も、俺の隣にいるんだな」


――『あたりまえだ。風は、置いていけないだろう』


塔のほうから子どもたちの呼ぶ声が聞こえた。「おじいちゃーん! お菓子、持って帰ろうよ!」


ノヴァが立ち上がる。

「わかった、わかった。慧吾、帰るぞ」


――『ああ。……風向きは、まだ春のままだ』


ノヴァは笑いながら歩き出した。

子どもたちの笑い声と、風の声が混ざり合い、街の空がやさしく揺れていた。



◼◼◼◼◼


第2章 黄昏の風守



塔の影が長く伸び、空がゆっくりと琥珀色に染まっていく。

今日は、少し風が強い。塔の頂に立つノヴァの外套が、ばさりと音を立てて揺れた。


「春の風のくせに、ずいぶん気が急いてるな」ノヴァがつぶやくと、風がくすくす笑うように、塔の外壁を撫でていった。


――『街の子らが、凧を飛ばしてる。風も、負けられんらしい』


「慧吾か。……そりゃあ、仕方ない」

ノヴァは目を細める。遠く、夕日を背にして、丘の上で遊ぶ子どもたちが見えた。

凧が揺れ、光を反射して、まるで小さな星みたいに瞬いている。


「風の子たち、か……。あの頃と、変わらないな」


――『お前が教えたんだろう。風は、形を変えても残ると』


ノヴァは笑いながら、手すりにもたれた。


「慧吾。……風が吹くたび、お前の声が聞こえる気がする」


――『聞こえるさ。俺は風だ。お前が生きてる限り、俺もここにいる』


塔の上を、橙の光が包む。ノヴァの髪を撫でた風は、どこか懐かしい香りを運んでいた。

焦がれ、涙し、祈りの果てに手にした“赦し”の匂いだ。


「なぁ慧吾。俺は、お前の街を守れてるかな」


――『ああ。風が笑ってる。それが答えだ』


ノヴァは、空を見上げた。沈みゆく太陽の縁で、ひとすじの光が揺れる。それはまるで、塔の上から世界を見守る“風守”の証のようだった。


◼◼◼◼◼

第3章 風の種



塔の下では、子どもたちが風車を作っていた。木の枝と紙きれを使った、小さな風車。

ノヴァが教えたやり方を真似て、「これで風を捕まえるんだよ!」と笑っている。


ノヴァはその様子を塔の上から見下ろしていた。頬に風を受けながら、ふっと目を細める。


「なぁ、慧吾。見えるか? お前が吹かせてる風で、子どもたちが笑ってる」


――『ああ、見えるよ。 あの回る音が、まるで笑い声みたいだ』


ノヴァはうなずいて、空を仰いだ。

「昔の俺たちは、風に吹かれるたびに “戦の匂い”を思い出してたな」


――『……あの頃の風は冷たかった。 でも今は違う。お前の街は、風を“育てる”場所になった』


「風を育てる、か」

ノヴァはその言葉を口の中で転がすように呟く。

「たしかに、子どもたちは“風の子”だ。 あの子らが走るたびに、風は強くなる。

 あの塔に、お前の声が届くたびに、 世界がちょっとあったかくなる」


――『……お前の声も、届いてる。 風の中に、ちゃんと混ざってる』


「そんな気がするよ」

ノヴァは微笑んだ。そして腰を上げ、塔を降りていく。


外では、子どもたちが風車を手に走り回っていた。

ノヴァはひとりの少女から風車を受け取り、そっと息を吹きかける。風車はくるくると回り、陽の光をきらめかせた。


「ほら見ろ、慧吾。お前の風だ」


――『……よく回るな。 まるで、お前の心臓みたいだ』


ノヴァは笑った。

「じゃあ、止めてなるものか」


塔の上で、風鈴が小さく鳴った。その音が、街全体に響いていった。


――風が、今日も笑っている。


◼◼◼◼◼

第4章 遠野の風、ひそやかな記憶



塔のてっぺんに立つと、今日は風がいつもより高さを変えながら流れていた。


ノヴァは手すりに両肘をかけて、じっと耳を澄ませている。風が階段をひと段ずつ走り抜けるたび、塔全体が小さく歌うように震えた。


「今日は……なんだか遠くの声がするな」


彼が呟くと、西の空からふっとやわらかな風が返ってくる。


――『遠野の森で、春告鳥が鳴いた』


ノヴァは目を細めた。その言葉に「懐かしさ」が混じっているのを感じたからだ。


「春告鳥……慧吾、聞いたことあるのか?」


――『ああ。昔、まだ街が閉ざされていた頃…… 夜の警備の帰りに、その声を一度だけ聞いた。 誰も知らない秘密みたいに、静かな声だった』


ノヴァはふふっと笑う。


「へぇ、慧吾にも“秘密”があったんだな」


風がくるくると、塔のてっぺんで輪を描いた。その返事はどこか照れくさそうだ。


――『誰だってあるだろう。 ……お前だって、子どもたちには言ってない秘密がある』


ノヴァはちょっと肩をすくめる。


「ばれてるか。 ほんとはね、“風の声”が聞こえ始めたの、もっと前だ」


――『知っている。 リリカの光を抱いて眠っていた頃から、だろう?』


ノヴァは驚いて、塔の手すりを握りしめた。


「……どうしてわかる?」


風は少しだけ強く吹き、ノヴァの白い髪を、まるで幼子を撫でるように揺らした。


――『お前の心臓には、俺の光が半分眠っている。 

お前が何を感じて、何を思ったか…… 全部じゃないが、風を通して伝わってくる』


ノヴァは胸に手を当てた。あの頃に受けた傷は、もう綺麗に消えている。けれど、確かにあの温かい脈の名残がある。


「……そうか。じゃあ、俺の今日の“秘密”も、ばれてるのか?」


――『ああ。 お前が塔に来る途中で拾った、 あのちいさな白い羽のことだろう』


ノヴァは吹き出して笑った。


「慧吾、なんでもお見通しだなぁ!」


――『当たり前だ。…風は、ぜんぶ視ている』


塔の下で、子どもたちが走り回る声がした。小さな足音と笑い声が混じり合って、まるで風の歌みたいに広がっていく。


ノヴァは羽を指先ではじきながら、空を見あげた。


「なぁ慧吾。 あの子たちの未来は……もっと、明るくなるかな」


風が、ゆっくり深呼吸するみたいに吹き抜けた。


――『ああ。 もう“夜”は来ない。 お前たちが守る街だから、必ず明るくなる』


ノヴァは静かに笑った。


「うん……じゃあ俺も、風の声をちゃんと覚えておかなくちゃな」


――『全部じゃなくていい。 忘れていい。 ……でも、“やさしかった声”だけは、覚えておけ』


風がそっと頬を撫でた。


ノヴァはそれに目を細めながら、胸の奥にひとつだけ大切に残る囁きを受け取った。


――『今日の風は、お前が笑ってて嬉しいと言ってる』


塔の外れ、草原がざわめく。遠野の森からまた春告鳥の声が、風に乗って届いた。



◼◼◼◼◼

風の声を聴く者 —慧吾の視点—



風は、音を持たない。ただ世界を撫で、形なきものを運ぶだけ。


……の、はずだった。


だがその日、塔の上から聞こえてきた声は、風の流れをわずかに揺らした。


――ノヴァが、歌っている。


風としての“俺”は形を持たない。けれど、歌が吹き抜けた瞬間、胸の奥――かつて心臓があった場所に淡い光がともる。


「……ノヴァ」


歌は老いてかすれ、ひっかかり、息が追いつかないこともある。けれど。


音のひとつひとつの奥に、まだ少年だった頃の“光”が生きている。


そんな声だった。


風は塔の手すりを撫で、ノヴァの白い髪を揺らす。ノヴァは目を閉じ、歌に集中している。


その瞬間――


声が若返る。


現実の声ではない。風の中で重なって響く、もう一つの声。


あの時、瓦礫の中で震えていた少年の声。光を受け取ったばかりの、泣き虫で、弱くて、でも誰より優しい心臓の音。


風の中でだけ、ノヴァはその“あのころの年齢”に戻る。


俺はそれを受け止めるために、風になったのかもしれないとふと思う。


歌が高く揺れたとき、ノヴァが小さく笑った。


――『聞こえるか、慧吾』


「聞こえる。 お前の声は、いつも綺麗だ」


ノヴァの肩が震えた。涙ではなく、嬉しさで震えたと風の流れが教えてくれる。


そしてそのままノヴァは、小さな少年のような声で、そっと呟いた。


「……また、歌ってもいい?」


風は答えを言葉にできない。けれど塔の上の風がふわりと強まり、ノヴァの背中を温かく押した。


それだけで充分だった。


ノヴァは笑いながら、さっきより少し高い声で歌い始めた。


その声は、老いた声と少年の声の二重奏になって、塔の周りに光のように広がっていく。


世界は静かに聞き入っていた。


そして風の中で、俺はそっと呟く。


「……ありがとう。生きてくれて」


ノヴァの歌が、さらにまっすぐに伸びていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ