スピンオフ【外典】Ⅴ
最期の刻に
戦いしか知らなかった俺に、“人としての温度” を教えたのは──リリカ、お前だ。
囚われたその日。お前が俺に放った最初の言葉は、「あなたは痛くない?」だったな。
あの瞬間、俺は震えた。痛みは当然で、苦しみは生の証だと信じて疑わなかった俺が……初めて、痛みを「気遣われた」。
もしお前が絶望の中にいるのなら、せめてその背が折れないよう見守ろうと誓った。理不尽に壊されぬよう、いつか自由を見られるようにと。
俺の中に“魔”があると知っても逃げず、花に触れ、風の話をし、緑の匂いを教えてくれたのは──お前だ。
ジャック。お前は出会った頃、誰よりも仲間を失うことを恐れていた。そして俺が“消えても構わない”と思っていたことを、本能で見抜いた。
軽口と皮肉で本心を隠す癖が、少しずつ薄れていった。子どもたちへ菓子を配り、俺にエナジーカプセルを押しつけた時は……確かに聞こえた。「生きろ」 と。
諒介。同じ痛みを背負った者にしかわからない恐怖と希望を、お前は知っていたな。俺の“魔”が暴れ出すかもしれないのに、お前は最後まで俺を仲間と呼んだ。その信頼が、俺の闇を封じてくれていた。
辰彦、哲平。ソムニクスに染まらず、生身で戦い続けたお前たち。死を踏み越えながら笑うその姿は、暗闇に沈んでいた俺の目に、確かに光として映った。
そして……ノヴァ。お前に、俺の心臓の半分が宿っている。お前は、俺たちの力も使わず、たった一人でβに打ち勝った。もう、ひょっとしたら俺よりも強いかもしれないな。
お前に渡した命を、俺は1度なりと後悔したことは無い。むしろ、そうできた自分に誇りさえ抱いている。
たとえ命がそこで消え去っていたとしても、俺は同じことをしただろう。
そして、今なお、この残りの命でどうしたら、この仲間たちがいつまでも花や風を感じられる場所に、い続けさせてやれるかを考えている。
たった一つの命ならば、最後まで燃えさせてやろうと思う。
……たくさんの愛を、ありがとう。
俺はお前たちといる中で、自分が“何者として生まれ、何者として死ねるのか”を悟った。
赦され、愛され――いま胸に満ちている、
……これが、幸せというものなのか。
◼◼◼◼◼
追憶の黒
乾いた砂埃が、足元でひとつ渦を作った。
ジャックは古びた布切れを棒に巻きつけた。細い布ではあるが、これで16枚目だ。
それぞれはただの布切れだった。色も柄もバラバラだし、旅の途中で拾ったものもあれば、どこかの服を裂いて作ったものもある。
ただ一つの共通点は──
「慧吾を探しに訪れた街の数」だけ、そこに結ばれているということ。
どの布にも、特別な意味はない。ただ、探して、見つからず、それでも諦められなかった足跡の記録だった。
(本当はどこかでひとり倒れてやがんじゃねぇか)
弱い自分を叱りつけながら、それでも諦めきれない旅だった。
世界は、あの日から変わった。争いはすっかり消え、人々は穏やかに生きられるようになった。
慧吾が、残りわずかな命の代償として築き上げた世界だ。
『もう二度と、誰かが壊されないように』
あの最期の声だけは、今も耳の奥でこだまする。
「頭では、分かってる」
ジャックは風に向かって呟いた。
風が返事のように煙を散らす。
その先に、大きなバザールが見えた。色彩豊かなテントが並び、人々の笑い声が降り注ぐ。
ジャックは何気なく歩いて──視界が止まった。
黒い布。
(……これは)
胸が跳ねる。
震える手で引き上げた。
店主の老女が、静かに微笑む。
「お目が高いねえ。兄さん」
「これを……売ってくれ。金は──」
老女は首を振った。
「値段なんか付けられないよ。長く商売やってるとね、モノにも“気配”があるのがわかんだ」
風がジャックの足元で、小さく渦を巻く。
老女は外套をそっと広げる。
胸元の、あるべき場所には──誓いのボタンが無かった。
「これは誰かの“大事な約束”だろ?……そして、あんたはその約束を知ってる」
ジャックは口元を押さえた。声が出ない。
「……あ……ああ……っ」
老女は優しく頷いた。
「いいから持っていきな。もし、この世界を作ってくれた人を知ってるなら──どうか、ありがとうと伝えてくれ」
ジャックは外套を胸に抱いた。
棒に、もう布切れは結ばれなかった。
「探す旅」は、今日をもって終わりを告げたのだから──。
◆
外はすっかり日が沈み、バザールの喧騒も遠ざかっていく。
宿の前に立ったジャックは、腕の中の外套をもう一度確かめるように抱きしめた。
黒い布地は砂漠の風を浴びてすっかり色褪せていた。けれど──胸元に残された、わずかな縫い跡。そこに“あったはず”のボタンの気配は、触れただけで分かった。
(……間違いねぇ)
部屋に入ると、夜風の音だけが響く。
ジャックは荷物を下ろさず、そのまま外套をベッドの上にそっと広げた。
灯りの下で見ると、なおさら胸が痛んだ。
小さな傷、糸のほつれ。操り人形として扱われた頃の名残がまだ残っている。けれど、戦士として仲間と走った時間の“温もり”もあった。
指先で、襟元をなぞる。
(……お前、本当に……)
声が震えた。
泣くつもりはなかった。ずっと泣けなかった。
感情なんてとうに枯れたと思っていたのに──その外套の布地をつまんだ瞬間、胸の奥が、熱いものに焼かれた。
「……クソが……!」
拳で目元を押さえた。
悔しくて。情けなくて。でも──やっとだ。
やっと、見つけた。
ジャックは外套を胸に抱きしめると、ゆっくりとベッドの端に腰を下ろした。
「……慧吾」
あの日以来、初めて声に出した名は、遠い風の音に揺らいでいく。
「……世界を、こんなにも綺麗にしやがって」
涙が落ちた。
その涙は、慧吾の最期の時に泣けなかったぶんの、遅すぎる弔いだった。
風が、部屋の隙間を通り抜けた。
窓も閉めているはずなのに、ふわりと外套の裾が揺れた。
ジャックは息を詰めた。
「……来てんのか?」
返事はない。声は聞こえない。
けれど──風だけが、不自然なほど優しく触れた。
まるで
「よく、見つけてくれた」
そう言ってくれているみたいに。
ジャックは涙を指で拭うと、外套を抱きしめながら、そのまま横になった。
硬いベッドのきしむ音の向こうで、風が、ひとつ笑った気がした。
◆
「……おやすみだ、慧吾」
風が、ふっと灯りを揺らした。
◼◼◼◼◼
夢の中の風
夜が深くなるほど、風の音はやさしくなっていく。ノヴァは眠りの淵で、誰かの声を聞いていた。
──ノヴァ。
その名を呼ぶ声が、胸の奥を震わせた。
光がひとつ、脈を打つ。
懐かしいのに、思い出せない。けれど確かに「大切な誰か」だと心が告げていた。
ノヴァは光の野原に立っていた。
風が草を揺らし、遠くに白い影が立っている。歩き出した足が自然にその方向へ向かう。
「……あ」
その人影がゆっくり振り返る。黒い髪が風を受け、目が合った瞬間、ノヴァの胸が強く鳴った。
「――久しぶりだな、ノヴァ」
低く、やわらかな声。忘れたはずの響きが、まっすぐに心へ染みていく。
ノヴァの唇が震える。
「……ぼく……知ってる。 でも、どうして……涙が止まらないの?」
慧吾はゆっくり歩み寄り、ノヴァの頭に手を置いた。
「心が覚えてる。お前の光の中に、ちゃんと俺がいるからだ」
「ぼくの中に……あなたが?」
慧吾は頷く。
「そうだ。 お前の胸の奥で燃えているその光は、俺の命の半分だ。 でも、それはもう“俺のもの”じゃない。 お前自身の光になった」
ノヴァは目を見開いた。
「じゃあ、あなたは……もう、いないの?」
慧吾は微かに笑った。
「俺は、風になった。 消えたんじゃない。お前の世界を見ている。 風の音として、お前が歩くたびにそこにいる」
ノヴァはうつむく。
「会いたかった…… でも、探しても探しても、どこにもいなくて……」
「探してくれたんだな」
慧吾の声はやさしく響いた。
「ありがとう。けどな、ノヴァ。 “探す”より、“感じる”ほうが早いんだ。 風はいつでも、お前のそばにいる」
ノヴァが顔を上げる。
「じゃあ、ぼくが笑ってる時も、泣いてる時も?」
「そうだ。 その全部を見てる。 ……お前が生きてることが、俺がここにいる理由だ」
ノヴァの頬を風が撫で、慧吾の髪が揺れる。夜空には、星がひとつ、流れた。
「ねぇ……慧吾」
ノヴァが初めてその名を呼ぶ。慧吾の目が、やわらかく細められた。
「覚えていたか」
「思い出したよ。 光が“痛くてあたたかい”って感じた時、 あなたの声がしたの。 “まだ行ける”って」
慧吾の喉がわずかに震えた。
「……そうか。じゃあ、俺の仕事はもう終わりだな」
「終わり? やだよ」
ノヴァが小さく首を振る。
「あなたがいない世界なんて、さみしくて、悲しい」
慧吾は笑う。
「なら、風の音を聞け。 その中に、いつだって俺がいる」
「……ほんとに?」
「ああ。 お前が立ち止まった時、風が吹くだろう。 それが“進め”の合図だ。 お前の光が迷わぬよう、風は吹き続ける」
ノヴァの目が潤む。
「慧吾、ぼく……がんばるよ。 あなたが守ってくれたこの世界を、ちゃんと生きる」
慧吾は穏やかに微笑んだ。
「それでいい。 それが、俺の願いだ」
光が、二人の間に満ちていく。慧吾の輪郭が、風の粒子のように淡くほどけていく。
ノヴァが慌てて手を伸ばした。
「まって、行かないで!」
慧吾は首を振り、指先をノヴァの胸にそっと触れる。
「お前の中にいる。 ここに、ずっと」
その言葉とともに、風がやわらかく吹いた。
ノヴァの髪が揺れ、光の粒が彼の胸に吸い込まれていく。その温もりは、涙よりも静かに、確かに残った。
「慧吾……ありがとう」
最後の一言が夜空へ昇り、風がやさしく返した。
──ありがとう、ノヴァ。
◆
ノヴァは目を覚ました。朝の光が窓から差し込み、カーテンが揺れる。胸の奥が、あたたかく脈打っていた。
「……風、だ」
小さく呟いて、窓を開ける。朝の風が頬を撫でた。ノヴァは笑った。泣き笑いのような顔で、静かに空を見上げた。
「おはよう、慧吾」
風が、やわらかく頬を撫でた。まるで返事をするように。
風はまだ、ここにいる。その音が、世界をやさしく撫でていく。
透明の心臓【外典】スピンオフ
Fin.




