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透明の心臓【外典】  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ【外典】終焉の環

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第10章|第11章|エピローグ

第10章 赦しの循環(静寂の章・慧吾)


光の道を進むたび、身体がほどけていく。


痛みも重さも境界も薄れていくのに、胸の奥の“脈”だけは強く、確かに息づいていた。


『……No.06、お前だけを、待っていた。……慧吾』


慧吾はその影をまっすぐ見つめる。


「俺のコード……覚えていたのだな」

総裁の声は慧吾の言葉に、揺れるように反応した。


『何度呼んでも……お前は来なかった。痛みを抱え、赦しを選び、 それでも人の側に立ち続けた。何故だ』


「立ち続けられたのは、俺を支えたものたちの力だ。……お前は、俺を“総裁”にしたかったのだな」

光が揺らめき、影が寂しげに瞬いた。


『私はもう、人だった頃を思い出せない。 憎しみと責務だけが残った。 

だが……お前は違う。 お前には、人の温かさが残っている。 だからこそ──ここに立つ資格がある』


慧吾は静かに首を振った。


「資格なんていらない。 俺は……“人を生かす道”だけを選びたい」


『……人間は脆い。 すぐに消える。 お前も、そのはずだ。 それでも……来た。私のもとへ』


慧吾は胸に手を当てる。そこには痛みと、光と、仲間たちと生きてきた温度がある。


「……お前が“人”だった頃の痛みも、 この世界の傷も……全部、ここにある」


慧吾は、ふっと目を伏せ、続ける。


「お前が忘れてしまった“温度”は……俺が抱いていく」


『……そうか……』


影が、かすかに揺れた。


『ならば……もう、よい』


その声は、どこか遠く、役目を終えた残響のようだった。


『お前を呼び戻すために……いくつもの手を打った』


慧吾は、黙って聞いている。


『心を縛るものも……

 形だけでも、繋ぎ止めるものも……』


光が、微かに歪む。


『だが……どれも、お前には届かなかったな』


短い沈黙。


『……私は、取り戻したかった。ただ、お前を』


その一言だけが、静かに落ちた。


責めるようでも、縋るようでもない。ただ、残ってしまった“想い”だった。


「……分かっていた」


慧吾は小さく呟いた。


それ以上、言葉にすれば、壊れてしまう何かがあった。


「それでも……俺は、お前を継ぐことはしない」


静かに、前を向く。


影は、もう何も言わなかった。


ただ、わずかに揺れて──消えていった。


塔が震え、光が視界を包む。慧吾は、その光の中へゆっくりと歩き出した。


その時だった。


──リリカの声が聞こえた。


「慧吾……!」


続いて諒介、哲平、辰彦、ジャックの叫びが次々と重なって響いてくる。


そして最後に──


『ぼくはここにいるよ…』


ノヴァの声が光を貫いた。


慧吾の表情が、ふっと緩んだ。


穏やかな、微笑みだった。


「……生きろ……!」


その一言を最後に、慧吾の姿は眩い光の中へゆっくりと溶けていった。


残されたのは、やわらかな、あたたかい温度だけ。


それは、ひとすじの風になり、塔の裂け目から外へ吹き抜けていく。


谷を渡り、街へ駆け、生きとし生けるものたちをそっと撫でる。


泣き声も、呼ぶ声も、その風は静かに受けとめながら通り抜けた。


悲しみではない。絶望でもない。


それは、帰還だった。


◼◼◼◼◼


第11章 風の記憶(静寂の章・リリカ)


塔が、軋む音を立てた。床が割れ、壁が崩れ落ちていく。砂煙の中で、リリカは叫んだ。


「慧吾!!」


返事はない。けれど、胸の奥の光が強く鳴った。痛みを伴いながらも、それは確かに“生”の音だった。


「お願い……ひとりで行かないで……」


音がない。風もない。ただ、奥へ続く一本の“道”だけが、かすかに光を帯びている。


その光が示す方向は、ひとつ。


──塔の心臓部へ。


リリカは胸を押さえながら歩いていた。慧吾の光とつながる鼓動が、静かに軋む。


(……慧吾。そこにいるんだよね)


その時、遠くから足音がした。


「リリカ!!」


振り返ると、崩れた階段の影から諒介が現れた。肩で息をしながらも、その目には強い光が宿っている。


「無事か……ッ」


「ええ。あなたも」


言葉を交わした瞬間、足元がぐにゃりと歪む。塔そのものの意思 が、あたしたちを中心へ導こうとしている──。


次の瞬間。


「おーい! こっちか!!」


哲平が壁を蹴破って転がり込んだ。辰彦が足を引きずりながら続く。


「ったく……この塔は人使いが荒い……!」


古傷が疼き、それでも辰彦は薄く笑った。


「……見えたぞい。光が、こっちへ寄っとる」


塔の通路が震えた。まるで彼らを“ひとつの道”へ収束させるように壁が動き、道が整理されていく。


バラバラにされた仲間たちが、塔の意思に導かれるように集まっていく。


最後に、銃声が響いた。


「おい! 生きてるやつは返事しろ!!」


ジャックだった。


煙をあげる銃を手に、ソムニクスの残骸を踏み越えて走ってくる。


リリカが思わず叫んだ。


「ジャック!!」


ジャックは息を切らしながら彼らを見る。


「……慧吾は……っ!」

目は怒りと焦りで真っ赤だった。


諒介が静かに答える。


「塔が……寄せてる。俺たちを、中心へ。

慧吾はきっと、そこにいる」


ジャックは肩で息をしながらも、その言葉の意味を理解して顔を上げる。


塔の奥から、腹の底を揺さぶるような低い鼓動が鳴った。


次の瞬間、塔の根幹が鈍い音を立てた。

諒介が振り返る。


「塔がもたない!」

「慧吾を探して!」


リリカは駆け出した。

その先に、まるで存在を示すように、崩れかけた大扉から、光が流れているのが見えた。

それは、風のような輝き。やわらかく、懐かしく、そして──痛かった。


扉に手をかけると、世界がふっと反転した。視界が白く染まり、時間が溶ける。


そこに、慧吾の姿はなかった。


そして、声だけが響いた。


「俺は、“透明の心臓”になる。もう二度と、誰かが壊されないように。

ここは崩れる。風が導く。行け……」


リリカは立ち尽くし、首を振った。体が震える。

「嫌……いやよ、そんなの……!」


崩れ落ちる柱の音が、あたりを覆い尽くす。

誰かの腕がリリカの肩を強く引いた。


諒介だ。

その目に、悲しみと覚悟が宿っていた。


「行くぞ!」


叫ぶ声。走る足音。強い風が、守るようにあたしたちを包み込み、出口へと誘った。

直後、塔が大きな音を立てて崩れ、光が空へ昇っていく。


「見ろ。あれ……」


哲平の声に振り返ると、無数の白い光が、人の形を作っていた。


凛と佇む戦士の姿。それは、紛れもなく慧吾だった。


『ありがとう……』


慧吾の低く優しい声が、風の音に纏われ、囁くように、たしかに聞こえた。


あたしは流れる涙を拭うこともせず、空を見上げた。


光の姿はふわり、ふわりと空へ昇り、そこに白い粒が重なって舞い上がり、夜空へ溶けていく。

それはβの残響が、“赦し”に変わった証だった。


風が吹く。少し冷たく、でも穏やかに。


「……慧吾……!!」


星の雨が降り始めた。世界は、静かに呼吸を取り戻す。


◼◼◼◼◼


エピローグ 風のヴィジョン


春の風が、街を撫でていた。

戦いの傷はもうない。

あの日から、全ての憂いが消え去っていた。


塔の跡地には花が咲き始めている。


再生された機構の中心に立つリリカとノヴァ。

そこから流れる光は、まるで包み込むような温かさだった。

やわらかな風のように街をめぐっていく。


塔の中央にある水鏡が、ふっと揺れる。

その中に、彼が映っていた。


総裁の席に座る慧吾。

以前よりも穏やかな表情で、手にした透明な端末のデータを静かに眺めている。


リリカが息を呑む。

「……慧吾?」


ノヴァが駆け寄る。

「ねぇ、これ、見えてるの?」

慧吾は微笑んで、まっすぐこちらを見る。


その声は風と重なって届いた。


《──見えているよ。街の鼓動が、ちゃんと聞こえている》


リリカの目に涙が浮かぶ。

「あなたは、もう……」


《──ここにいる。この世界の、心臓の奥で》


ノヴァが胸の前で何かを握りしめていた。

リリカが目を凝らす。


「……それ、もしかして」


ノヴァは、少しだけ間を置いてから、手を開いた。


小さな金属のボタンが、光を反射して輝いた。慧吾から託された、あの外套のボタン──。


「……ここ、ボタンがないね」


ノヴァは、ぎゅっとボタンを握る。


「……守ったよ」


小さな声。


「けいごの約束……」


水鏡の中の慧吾が、ほんの少し首を傾ける。

外套の胸元。そこにあるはずのボタンが、ひとつ──欠けていた。


慧吾は自分の胸元を見下ろし、そして、ゆっくりと顔を上げて微笑んだ。


《──……えらいな、ノヴァ。約束を、守ったな》


そのとき。


ノヴァは、水鏡の中の慧吾に向かって、ふいに手を伸ばした。


「……けいご」


その瞬間。


水鏡の中の慧吾もまた、静かに手を差し伸べる。


ほんの少し、驚いたように、ノヴァの瞳が揺れる。


──届く。そう思った。


けれど。指先は、触れなかった。


温度も、重さも、何も伝わらない。そこにあるのは、ただの光。


ノヴァの手が、空中で止まる。


そのまま、しばらく動かない。


やがて、ゆっくりと引いた。


何も言わない。ただ、小さな手が、ぎゅっとボタンを握る。


そのとき。後ろから、そっと腕が回される。


リリカだった。


何も言わず、ただ静かに、ノヴァを抱きしめる。その温もりに、ノヴァの力が一瞬だけ抜ける。


涙でぐしゃぐしゃのまま、それでも顔を上げる。


「……だいじょうぶ」


声が、少しだけ揺れる。


「ぼく……ちゃんと、まもるよ」


水鏡の中の慧吾は、静かに頷いた。


風はノヴァの涙を、やさしくさらっていく。

リリカは抱きしめたまま、空を見上げた。

ノヴァもまた、同じ空を見上げる。


触れられない光と、それでも繋がっているという確かな感覚のあいだで。


《──見ているよ。俺はここにいる。

風が、止まらない限り》


儚げな微笑みを残し、水鏡が静かに光を閉じた。

けれど、その直後に吹いた風が、二人の頬をやさしく撫でていった。


リリカが空を見上げる。

「……ねぇ、ノヴァ。 “嬉しくて泣くこと”もあるのよ」

ノヴァが涙を拭いて、懸命に笑う。

「うん。きっと、いまがそうだね」


風が街を巡り、透明の心臓が、またひとつ脈を打った。


──彼は、ここにいる。 赦しは、世界をもう一度動かしている。




透明の心臓Ⅴ【外典】終焉の環Fin.

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