第8章|第9章
第8章 呼び声(静寂の章・慧吾)
暗闇の中で目を開けた。まるで海の底に沈んでいるようだった。
音はない。風もない。ただ、自分の鼓動だけが遠くで響いていた。
(ここは……どこだ)
手を伸ばすと、柔らかいものが流れていく。光の粒――いや、記憶の残骸だ。
仲間たちの声。リリカの笑顔。ノヴァの涙。
すべてが淡く、指の隙間からこぼれ落ちていく。
「……やめろ」
掴もうとしても届かない。代わりに胸の奥が焼けるように熱くなった。βの残響だ。
『……来たか。No.06』
静かな声が、頭の中に直接響く。総裁の声──いや、それを模した残滓。
「……総裁」口をついて出た。過去に何度も、慧吾を苦しめた存在。なのに。
『お前は、何度でもこちらに戻る。痛みを抱え、過去を携えて』
慧吾は笑った。自嘲でも諦めでもない。どこか優しい笑いだった。
「痛みも、過去も……すべて俺の一部だ。 捨てるためじゃない。 ──守るために持ってきた」
βの光が蠢いた。まるで怒るように塔の奥が軋む。
『守るために、何を差し出すのだ?』
慧吾は胸に手を置く。そこには、痛みと共に残った光があった。
「差し出すものは……もうない。 全部使い果たして、なお生きてここに立っている。光を、取り戻すために」
静寂が戻る。だがそれは、さっきまでの冷たい静寂とは違った。
微かに──誰かの声が、風のように流れた。
リリカの声だ。
(俺は……行かなければ)
胸が、わずかに軋む。
だが。
慧吾は、目を閉じた。
(……もう、選んだ)
浮かびかけたものを、静かに沈める。
戻らない。
戻れない。
「……行く」
声に出してみる。
その一歩に、迷いはなかった。
慧吾は足を踏み出す。光の粒が彼の周囲を回り、細い道を照らす。
それは、かつて誰にも与えられなかった──“赦し” へと続く道だった。
◼◼◼◼◼
第9章 中枢へ
瓦礫を踏む音が、やけに遠く聞こえた。空気は重く、ひと呼吸するたび、砂が肺の奥でざらりと擦れた。
「……慧吾……」
返事はない。けれど胸の奥の光だけが、痛いほど脈を打っていた。
(わかる……あなたはまだ、この中にいる)
暗闇の奥で、なにかが崩れる硬い音が反響した。その残響のさらに奥──かすかに別の声が混ざる。
「……リ……リカ……」
遠い。方向も距離もわからない。でもたしかに、仲間の声。
「諒介!? 哲平!? どこ!?」
声が壁に吸い込まれていく。返事は届かない。
(みんな、生きてる……けど、離れ離れだ)
胸の光が再び脈を打つ。慧吾の光と呼応する部分が、熱を帯びるように疼いた。
「慧吾……呼ばれてるのね」
塔の中心から、“音ではない何か”が流れてきた。風のない空間に震えだけが残る。
──慧吾にしか届かない“呼び声”。
それが塔全体を軋ませていた。
別の場所では──
❉諒介
「くそ……どっちだ……!」
光の残滓を追って廊下を走る。声は届かない。だが、胸の奥にだけ方向感があった。
(リリカ……慧吾……どっちも、まだ消えてねぇ……!)
拳を握り直し、瓦礫を蹴散らすように進む。
❉哲平
「おい……誰か返事しろよ……ッ!」
拳に血が滲む。だが痛みより、置いていかれる恐怖の方が強かった。
(慧吾……頼む、そこにいろ……)
胸の奥の“光の揺れ”だけが、辛うじて前へ押してくれた。
❉辰彦
「ぐ……っ……!」
古傷がうずき、足がふらつく。壁に手をつきながら、それでも前へ進む。
「慧吾……ワシはまだ……生きとるぞ……!」
光が脈を打つたびに、方向が示されるようだった。そのわずかな頼りだけで、暗闇を切り進んでいく。
❉ジャック
「おい……慧吾!!そこにいんだろ……!」
拳で壁を殴り飛ばしながら進む。狭い通路は銃も満足に使えない。持ち替えたナイフには、ぬめりがこびりついていた。
苛立ちで喉が焼ける。暗闇が押し寄せてくる。胸の奥が、かすかに疼いた。
(……あいつの光が、遠い……! どんどん離れていきやがる……ッ!!)
パニックに近い焦りが指先を震わせる。
(まだ行くな……! 死ぬんじゃねぇぞ……!!)
胸の痛みは怒りではなく、恐怖だった。
❉そしてリリカは──
光を掌に宿し、崩れた梁の下をくぐる。
(慧吾…… あなたは、また“ひとり”で行こうとしてる。 でも私たちも…… “同じ場所” に向かってるのよ)
姿は見えず、声も届かない。
それでも――胸の中心にある光だけは、全員をひとつの方向へ導いていた。
塔の中枢へ。慧吾が“呼ばれた”その場所へ。
リリカは震える息をひとつのみ込み、そっと目を閉じた。
(どうか……間に合って)
光が道を描き、沈黙の奥でひっそりと──
心臓の音だけが、世界を導きつづけていた。




