第6章|第7章
夜明けの風が、灰を攫っていった。
焚き火の跡が、まだわずかに赤くくすぶっている。その温もりを背に、あたしたちは塔へ向かった。
風の向きが変わった。血と砂の匂い。むせ返るような熱気が、砂嵐に紛れて吹きつけてくる。
「ああ、ここだな」
慧吾が長剣を地に刺し、砂を踏みしめた。
その目は、遠くに立つ巨大な塔を見据えている。
まるで山のような質量を持つその塔は、空の光を吸い込みながら、ゆっくりと呼吸をしていた。
「見えてきたな」
ジャックが低く呟く。
「ここから見りゃ、ただの山だ。だが近づくと、風が変わる」
慧吾は静かに頷く。
「……SIGMAの心臓部だ」
あたしは風の流れを感じながら思った。
塔の内部は、まるで“生きている”ようだった。
風が吸い込まれ、脈を打ち、吐き出す。それは、世界の巨大な心臓の鼓動のように。
慧吾が、長剣を支えに一歩前に出た。
「覚えている。俺も、ここで育てられた」
その声には、懐かしさと痛みが入り混じっていた。
諒介が目を見開く。元ソムニクスの彼もまた、何かに導かれるように前へ進む。
「おい!」
ジャックが止めようとするが、諒介は首を振る。「ここで終わらせなければならないんだ」
とたんに、周囲の砂が爆ぜた。影が蠢き、地面を這い上がってくる。それは──人の形をした“残骸”。無数のエコーズが、塔の周囲を守るように群がっていた。
「来るぞ!」
哲平が叫ぶ。
あたしたちは即座に陣を組み、慧吾の前に立った。慧吾に戦わせるわけにはいかない。
辰彦が拳を構える。
「お嬢さん!灯を!」
「わかった!」
あたしの胸の光が閃く。闇の中でその光を見たエコーズたちが、怯むように身を引いた。
「今だ!進め!」
ジャックが銃を撃ちながら叫ぶ。
火花が飛び、エコーズの頭部が砕け散る。
だが、倒しても倒しても再生する。その姿は、もはや“人”の形を留めていなかった。
慧吾が息を詰め、呟く。
「……再生を強制された者たちだ」
あたしは戦いながら理解した。これがジャックの言っていた“狂気の機構”。
壊されても、また立ち上がる。命を模倣する、終わりなき実験の成れの果て。
「行くぞ、リリカ!」
諒介の声に頷くと、あたしは慧吾の腕を支え、塔の入り口へ走った。
中に入った瞬間、空気が変わる。熱が消え、代わりに冷たい闇が肌を撫でた。
──そこは、胎内のような空間だった。黒い壁が呼吸をしている。足元の金属はぬめり、壁の奥からは心音のような音が聞こえる。
慧吾が目を細め、静かに呟く。
「懐かしい匂いだ……ここで、俺は生まれた」
その言葉に、あたしの背筋が凍る。諒介が続ける。「リリカ、気をつけろ。ここは“記憶”でできてる。
侵入者の心を読み取って、幻を見せる」
次の瞬間、白い光が弾けた。あたしの目の前に、無数の“白い仮面”が現れた。
「ソムニクス……!」
囚われていたときの恐怖が、瞬時に蘇る。息が詰まり、手が震える。
「リリカ!」
慧吾があたしの手を掴む。
「お前の記憶は“作られた”ものだ。 だが、痛みは本物だ。恐れるな」
その手を握り返した瞬間、空間が軋んだ。仮面たちが一斉に悲鳴を上げる。白い牢の壁が波打ち、崩れ、あたしたちは足元を失った。
「逃げろ!!」
慧吾の声。直後、塔の奥で爆発音が轟いた。
衝撃波が吹き荒れ、あたしたちはくぼみへと身を投げた。
──視界が、暗転した。
◼◼◼◼
第7章 分断(静寂の章)
7-a リリカ
そこは、阿鼻叫喚の世界だった。
高い塔の内部に閉じ込められていた白い仮面たちは、落下の衝撃で動かなくなったものもいたけれど、意識のある者は迷わずあたしに牙を向けてきた。
「慧吾! 諒介!」
必死に仲間の名を呼ぶ。けれど声はすべて生きた壁に吸い込まれ、返事はない。
──わかる。あたしたちは、完全に分断された。
手を伸ばせば触れられた距離にいたはずなのに、塔がひとつ悲鳴をあげた瞬間、世界そのものがねじ切れたようにそれぞれが孤立した。
胸の奥の光が、痛みに似た鼓動で震えていた。
7-b 諒介
「リリカ! 哲平! 慧吾!!」
俺は襲い来るソムニクスの群れをねじ切り、引き戻しながら叫び続けた。ナイフを持つ指の感覚が薄れていく。
(塔そのものが、俺たちが侵入するのを見張っていやがった……)
悔しいほどに遅かった。慧吾は?リリカは?
胸の奥で不吉なものが跳ねる。
目の前のソムニクスを倒しても倒しても、塔の奥から湧き出すように現れてくる。
「くそ……リリカが光れない状態で……俺は……無力じゃねえか……!」
喉の奥で、悔しさと恐怖が同じ熱になって燃え上がった。
7-c 辰彦
「卑怯者めがァッ!!」
怒りに任せ、拳を振り上げる。戦いの古傷が悲鳴をあげても止まらなかった。
この期に及んで、なぜ老いぼれをこんな地獄へ引きずり込む。
(こんな所で……終われるか……)
7-d 哲平
「たっつぁん!! 生きてっか!!」
俺は拳が砕けようがどうでもよかった。壁を殴り、ソムニクスを殴り、血が飛び散っても構わない。
(また必ず会う……会うんだよ……!!)
心の中で叫びながら、現実ではソムニクスの数が増えていく一方だった。
慧吾……。諒介……。たっつぁん……。
誰ひとり、姿が見えない。
「頼む……!誰でもいい……返事してくれよ……!!」
叫びは虚空に消え、ただ塔の脈動だけが不気味にこだまを返していた。
7-e ジャック
「……だったらよ……」
ジャックの世界は、音を失いかけていた。
銃声だけが乾き、ソムニクスが倒れるたびに煙が散った。
「俺様を舐めるのも……いい加減にしろやァッ!!」
叫び、射ち、殴り、視界の端で崩れる塔の壁が落下していく。
だが、この狭い空間はジャックの動きを封じた。得意の間合いが取れない。足元は崩れていく。
「くっそ……慧吾……リリカ……哲平……」
胸がざわつく。
(頼む……俺が辿り着くまで……どうか……生きていてくれ……)
ジャックは血のついた拳を握りしめ、崩れていく塔の奥──慧吾がいるはずの方角を睨みつけた。




