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透明の心臓【外典】  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ【外典】終焉の環

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第4章|第5章

第4章 狂気の人型


砂の海は、音を飲み込んでいた。風が吹いても、砂が鳴いても、誰も答えない。


「……ここまで来ると、人の気配が完全に途絶えるな」

ジャックがつぶやいた。声が砂に吸われ、すぐに消えた。


慧吾は、長剣を杖代わりに歩いていた。

足跡が浅く、体が揺れる。その肩を、ジャックがさりげなく支える。


「おい……軽すぎねぇか」

掠れた声に、慧吾は小さく笑った。

「命を分け合った分、軽くなったのかもしれないな」


「冗談を言えるうちはまだ大丈夫、ってことにしとくぜ」

ジャックは苦笑して、歩幅を合わせた。だが、次第に慧吾の足取りが重くなる。


「慧吾」

呼びかけても、返事がない。その瞬間、慧吾の膝が崩れた。


「チッ……無理すんなって言ったろ」

ジャックは素早くしゃがみ込み、慧吾を背に負った。長剣を自分の背の後ろに差し込むように固定して、そのまま立ち上がる。


「これでいい。文句はあとで聞く」

慧吾は微かに笑って、かすれた声で言った。

「……頼む」


ジャックの背中で、慧吾の光が淡く脈打つ。

──それは生命の証というより、もはや痛みの色をしていた。


と、その時。足元の砂がふっと沈んだ。


「下だ!構えろ!」

諒介の声が響く。


砂の中から、黒い腕が伸びた。人間のものに似ているが、骨の角度が違う。次の瞬間、無数の“それ”が這い出してきた。


手足のない者。頭だけの者。そして、胴から機械が突き出た者――。


あたしは息をのんだ。

「……これ、まさか」


慧吾がジャックの背から低く呟いた。

「……人だったものだ」


エコーズ。かつての実験体たち。SIGMAが創り、使い潰し、捨てた命。


「くそったれが!」

ジャックが引き金を引く。乾いた銃声が響き、砂の海に光が弾けた。


諒介はナイフを振り、辰彦は拳で、哲平は蹴りで、あたしたちはただ無我夢中で戦った。


それでも、敵は止まらない。

切っても、焼いても、砂の底から何度でも再生する。


「何度も、再生されてる……?」

哲平が息を荒げて呟く。


慧吾は目を閉じた。

「SIGMAは、死をも道具にしたんだ……」


風が唸り、砂嵐が巻き上がる。視界が赤く染まる。


ジャックの背で、慧吾の指先が震える。

「……おい、無理すんな。まだ塔は遠いぞ」


慧吾は微かに笑って答えた。

「俺の役目は、あの塔の中にある。行こう、ジャック」


その声に、あたしたちは息を呑む。風が吹き抜け、遠くに黒い塔が、砂嵐の向こうにそびえていた。


慧吾が呟く。

「ここから先が、“赦し”の中心だ」


風が鳴った。砂の海が、まるで世界そのもののように震えた。




第5章 野営の夜


夜の砂漠は、冷たく、広かった。昼の灼熱が嘘のように引き、空には無数の星が散っていた。風が乾いた焚き火の煙をさらっていく。


「少しでいいから、口に入れろ、慧吾」


ジャックが荷袋から取り出した金属ケースを開ける。乾燥果実と、いくつかのカプセル。彼は何も言わず、水筒を放った。


慧吾が受け取り、わずかに眉を寄せる。


「これは」


「いいから飲め。お前のために調達してきたんだよ」


慧吾は静かに喉を鳴らして飲み込んだ。その小さな動きが、夜気にやけに響く。


「……助かる」


「そんなセリフ言われる覚えはねぇよ。勝手に世話焼いてんだ」


火種が、ぱち、と弾けた。


煙を目で追いながら、慧吾がぽつりと漏らす。


「ジャック。お前は……“怖い”と思ったことはあるか」


ジャックは煙を吸い込み、吐いた。


「怖ぇさ。ときどき、あり得ねぇほどにな」


「それでも、止まらなかったんだな」


「止まったら後ろが死ぬ。それだけだ。 

……考える暇なんてねぇんだよ」


慧吾はその言葉に、静かに笑った。


「変わらないな。お前は」


「お前もな。 ただ……前よりずっと、人間臭ぇ顔をしやがる」


慧吾は焚き火に手をかざす。淡い光が、その瞳に揺れた。


「お前たちと旅をしていると、人間に戻っていく気がする。 この光の中では、俺の“痛み”も眠る」


ジャックは炎を見つめた。


「じゃあ燃やし続けりゃいい。 俺たちがいりゃ、風が吹いても消えねぇ」


慧吾は短く頷く。


「……そうだな。お前が火を守ってくれるなら、 俺はきっと、最後まで光でいられる」


わずかな沈黙が落ちる。星々がひっそりと瞬き、火の音だけが響く。


「慧吾」


「なんだ」


ジャックはタバコの火を地面で消し、そのまま拳を強く閉じた。


「……死ぬなよ」


その声は、あまりに低く、あまりに切実で。

押し殺した感情が、わずかに震えて零れた。


慧吾は、しばらく返事をしなかった。火に照らされる横顔は静かで、どこか遠くを見ているようだった。


そしてようやく口を開く。


「……お前なら」


消えるような慧吾の言葉に、ジャックの手が止まった。


「お前なら──きっと同じように“行く”だろう?」


ジャックは拳を握りしめた。否定したかった。それでも、否定できなかった。込み上げる感情を押し殺すように、またひとつ、タバコに火をつける。


たき火がカッと明るく燃え、影を揺らす。


慧吾はその揺れに目を細めながら、静かに続けた。


「似た者同士ってのは……面倒だな」

慧吾に当たらぬよう、長く紫煙を吐き、ジャックは呟く。


「Ha, お前に言われる筋合いはねぇよ」


慧吾が、薄く笑った気配がした。


「……お前と出会えて……良かった」


その言葉は、焚き火の光よりも温かかった。

何か言いかけたジャックの喉が、かすかに鳴る。

だが、熱いもので塞がれた。


慧吾は、遠くの闇に向けて囁いた。


「ノヴァを……頼んだ」


その声は、誰より深くジャックだけに届いた。


溢れ出した感情を押し殺し、ジャックはタバコの火を指で潰した。そのわずかな痛みに気持ちを繋ぎ止めながら、短く答えた。


「……任せとけ」


──夜が、静かに深まっていった。

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