第2章|第3章
第2章 明星
「SIGMAの本拠地を、見つけた」
ジャックの言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「地形を利用して上手く隠してやがった。ただ、偶然……そこから大量のエコーズが溢れるのを見たんだ」
皆が息を呑む。
「中には、俺たちが戦ってきた連中もいる。白い仮面の連中もな」
「ソムニクスが……?」
あたしは混乱した。
「ソムニウム──つまりこの街そのものは、SIGMAの創造物だ」
諒介が、低く言い切る。
「俺たちは、その中で動かされていた」
部屋の空気が、わずかに重く沈んだ。
「リリカを“観測”するために」
慧吾が低く呟く。
慧吾は、かつてその真実に辿り着いていた。黒い仮面の下、何年も自分の光を封じて──。
あたしは、言葉を探すように息を吸った。
「あたしの……観測?」
言った自分の舌が、冷えたように感じた。
諒介が、少し言いにくそうに口を開く。
「……リリカ。お前の心臓は、特別だ」
その一言が、やけに重く落ちた。
「SIGMAはそれを欲しがった。……いや、“必要としていた”のかもしれない」
あたしは息を呑む。
辰彦が、静かに続けた。
「わしらはな……いつか、お前さんが“目覚める”と信じて、待っとった」
その声は、責めるでもなく、ただ長い時間を背負っていた。
「だが、あやつらは待てなんだ」
哲平が、苦く笑う。
「形にしちまえば、手に入ると思ったんだろうな」
ジャックが、膝に置いた自分の握りこぶしを睨みつけながら、呟く。
「……手に入らねぇと歯噛みしたSIGMAが、お前たちの心臓を、なぞるように作ったものがある」
あたしの胸が、ひどくざわついた。
「それが……β」
誰も、すぐには言葉を続けられなかった。
やがて慧吾が、静かに言う。
「だが……どれも、上手くいかなかった」
その言葉には、わずかな温度がある。“人の命を失わせずに済んだ”という安堵のようなものが、滲んでいた。
あたしは、そっと自分の胸に手を当てた。
鼓動は、変わらない。いつもと同じリズムで、そこにある。
「……あたしの心臓」
小さく呟く。
怖くないわけじゃない。全部、繋がっているのだと知ってしまったから。
奪われそうになった理由も、作られたものがあったことも。
全部。
それでも。
「……だからって」
顔を上げる。
「これは、あたしのものでしょ?」
誰に向けたわけでもない言葉。
でも、確かにそこに“意思”があった。
「どう使うかは……あたしが決める」
風が、わずかに揺れた。
「……そうだ」
慧吾が短く言う。
けれどその声は、どこか誇らしげだった。
ジャックが、低く吐き捨てる。
「ソムニウムはよ……あいつらにとっちゃ“失敗”だろうな」
強い瞳で前を見る。
「ざまぁねぇな」
窓から、冷たい風が吹き付けた。
あたしは慧吾の肩に毛布をかけ、窓を閉めた。その横顔に、胸が締めつけられる。
ジャックは慧吾を見て、少しだけ眉を下げた。
「手当たり次第、制御を失わせたエコーズを暴れさせてやがる。ここに手が伸びるのも時間の問題だと思って、急いで戻ってきた」
ジャックの言葉が、部屋の奥に沈んでいく。
誰も、すぐには口を開かなかった。
風の音だけが、わずかに残る。
さっき閉めたはずの窓が、まだどこかで揺れているような気がした。
あたしは、無意識に慧吾の肩にかけた毛布を、少しだけ引き上げる。
温もりが、逃げないように。
──この時間が、終わらないように。
けれど。
「行くしかないのう」
辰彦の声が、静かに落ちた。すぐには答えられなかった。
慧吾のことが、頭をよぎる。
──刹那。
「連れて行ってくれ」
吐き出された慧吾の言葉に、空気が、凍りついた。
「だめだ、慧吾」
諒介の声が、低く落ちる。
「お前、今度こそ……」
言い切れない。
その先を言葉にしたら、何かが壊れてしまう気がした。
「行かせんぞ」
辰彦が一歩、前に出る。
「わしらに任せい」
「ダメよ、慧吾!」
あたしの声が、思ったより強く響いた。
「そんな身体で……!」
その言葉は、途中で震えた。
止めたいのに、分かってしまっている。
この人は──止まらない。
慧吾は、目を伏せたまま、すべてを受け止めていた。
誰の言葉も、遮らずに。
ただ、静かに。
そして──
ふっと、微笑んだ。
「ありがとう。……だが、SIGMAにケリをつけるのは、俺の仕事だ」
その瞳に、迷いはなかった。きっと、ずっとそうした決意を、胸に秘めてきたのだろう。
あたしは泣き出しそうになる。お願い。行かないで。そんな言葉を飲み込む。
慧吾は夜明け前の空を見つめ、静かに呟いた。
「俺は、もう戦えない。……だが、最後にできることがある」
「慧吾……」
ジャックが震えるように呟いた。
重い沈黙が広がる。
哲平が無理に笑って言う。
「慧吾ひとつ持ってくくらい、なんてことないさ。なぁ、たっつぁん!」
「おうよ!この老いぼれ、まだまだ役に立たんとな!」
夜は白み始めていた。決意の光が、静かにその背を照らしていた。
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第3章 約束
静かな出立の気配に、ノヴァは気付いていた。
唇を噛み締めて、言わないように、泣かないように。
ぎりぎりのところで、ずっと耐えていたのだろう。
少し離れた場所に立ち、みんなの動きを、ただじっと見つめていた。
──その目が、慧吾と合う。
その瞬間。
堰が切れた。
「……どうして、ぼくは行っちゃダメなの?」
ノヴァが涙をこらえて、慧吾を見上げた。
「ぼく……けいごといっしょにいたいよ……」
慧吾はしゃがみこみ、ノヴァの頭に、そっと手を置いた。
一瞬だけ、目を伏せる。
それから、優しく見つめた。
「お前はこの街を守る兵士だ」
わずかな間。
「兵士が街を出たら、どうなる?」
ノヴァは泣きながら、それでも健気に答える。
「まちのへいわが……おびやかされる」
「そうだ。……よくできたな」
慧吾が微笑む。そして、握り拳を作り、ノヴァの小さな手を重ねさせる。
「お前は俺だ。俺は強いぞ。お前は?」
ノヴァが涙の中で笑う。
「ぼくも、つよいよ。けいごにたくさん、おしえてもらった」
慧吾は頷き、外套のボタンをひとつ外してノヴァの手に握らせた。
「……俺は、そばにいる」
ボタンを握るノヴァの手を、慧吾は両手で包んだ。
「街を守れ。そして、お前の信じる道をいくんだ」
ノヴァは包まれた温かさを覚えるように、じっとみつめた。
「ねぇ、けいご……」
小さな声が風に揺れた。
「ぼく…に…できるかな……?」
慧吾は、答える前に一度だけ目を閉じた。まるで胸の奥の痛みを、必死に押しとどめているように。
そしてノヴァの肩を抱くようにまわした。その掌は、少しだけ震えていた。
「できる。 お前には──俺が託した“光”がある」
ノヴァの目が大きく開く。それは、子どもの瞳に宿った“未来”の揺らめきだった。
「……ほんとに?」
「俺が、嘘を言ったことがあるか?」
「ない」
「なら──これが“約束”だ」
それは「帰る」と言わない代わりに、すべてを託す者の声だった。
ノヴァは息を吸い込み、涙を拭った。子どもらしい、でももう後戻りのできない決意の仕草で。
「うん。 ……けいごの光、ぼく守るよ」
その言葉に、慧吾の表情がわずかに緩んだ。それは、別れを悟っていてもなお、揺るがない誇りと愛の表情だった。
あたしの頬を、強い風が撫でた。涙がこぼれても、その風が拭っていく。
街の鐘が鳴る。あたしたちは静かに歩き出した。
───どうか、この約束が果たされますように。そう、強く願いながら。




