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透明の心臓【外典】  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ【外典】終焉の環

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第2章|第3章

第2章 明星



「SIGMAの本拠地を、見つけた」


ジャックの言葉に、部屋の空気が凍りついた。


「地形を利用して上手く隠してやがった。ただ、偶然……そこから大量のエコーズが溢れるのを見たんだ」


皆が息を呑む。


「中には、俺たちが戦ってきた連中もいる。白い仮面の連中もな」


「ソムニクスが……?」

あたしは混乱した。


「ソムニウム──つまりこの街そのものは、SIGMAの創造物だ」


諒介が、低く言い切る。


「俺たちは、その中で動かされていた」


部屋の空気が、わずかに重く沈んだ。


「リリカを“観測”するために」

慧吾が低く呟く。


慧吾は、かつてその真実に辿り着いていた。黒い仮面の下、何年も自分の光を封じて──。


あたしは、言葉を探すように息を吸った。


「あたしの……観測?」

言った自分の舌が、冷えたように感じた。


諒介が、少し言いにくそうに口を開く。


「……リリカ。お前の心臓は、特別だ」


その一言が、やけに重く落ちた。


「SIGMAはそれを欲しがった。……いや、“必要としていた”のかもしれない」


あたしは息を呑む。


辰彦が、静かに続けた。


「わしらはな……いつか、お前さんが“目覚める”と信じて、待っとった」


その声は、責めるでもなく、ただ長い時間を背負っていた。


「だが、あやつらは待てなんだ」


哲平が、苦く笑う。


「形にしちまえば、手に入ると思ったんだろうな」


ジャックが、膝に置いた自分の握りこぶしを睨みつけながら、呟く。


「……手に入らねぇと歯噛みしたSIGMAが、お前たちの心臓を、なぞるように作ったものがある」


あたしの胸が、ひどくざわついた。


「それが……β」


誰も、すぐには言葉を続けられなかった。


やがて慧吾が、静かに言う。


「だが……どれも、上手くいかなかった」


その言葉には、わずかな温度がある。“人の命を失わせずに済んだ”という安堵のようなものが、滲んでいた。


あたしは、そっと自分の胸に手を当てた。


鼓動は、変わらない。いつもと同じリズムで、そこにある。


「……あたしの心臓」


小さく呟く。


怖くないわけじゃない。全部、繋がっているのだと知ってしまったから。


奪われそうになった理由も、作られたものがあったことも。


全部。


それでも。


「……だからって」


顔を上げる。


「これは、あたしのものでしょ?」


誰に向けたわけでもない言葉。


でも、確かにそこに“意思”があった。


「どう使うかは……あたしが決める」


風が、わずかに揺れた。


「……そうだ」


慧吾が短く言う。


けれどその声は、どこか誇らしげだった。


ジャックが、低く吐き捨てる。


「ソムニウムはよ……あいつらにとっちゃ“失敗”だろうな」


強い瞳で前を見る。


「ざまぁねぇな」


窓から、冷たい風が吹き付けた。


あたしは慧吾の肩に毛布をかけ、窓を閉めた。その横顔に、胸が締めつけられる。


ジャックは慧吾を見て、少しだけ眉を下げた。


「手当たり次第、制御を失わせたエコーズを暴れさせてやがる。ここに手が伸びるのも時間の問題だと思って、急いで戻ってきた」


ジャックの言葉が、部屋の奥に沈んでいく。


誰も、すぐには口を開かなかった。


風の音だけが、わずかに残る。


さっき閉めたはずの窓が、まだどこかで揺れているような気がした。


あたしは、無意識に慧吾の肩にかけた毛布を、少しだけ引き上げる。


温もりが、逃げないように。


──この時間が、終わらないように。


けれど。


「行くしかないのう」


辰彦の声が、静かに落ちた。すぐには答えられなかった。


慧吾のことが、頭をよぎる。


──刹那。


「連れて行ってくれ」


吐き出された慧吾の言葉に、空気が、凍りついた。


「だめだ、慧吾」


諒介の声が、低く落ちる。


「お前、今度こそ……」


言い切れない。


その先を言葉にしたら、何かが壊れてしまう気がした。


「行かせんぞ」


辰彦が一歩、前に出る。


「わしらに任せい」


「ダメよ、慧吾!」


あたしの声が、思ったより強く響いた。


「そんな身体で……!」


その言葉は、途中で震えた。


止めたいのに、分かってしまっている。


この人は──止まらない。


慧吾は、目を伏せたまま、すべてを受け止めていた。


誰の言葉も、遮らずに。


ただ、静かに。


そして──


ふっと、微笑んだ。


「ありがとう。……だが、SIGMAにケリをつけるのは、俺の仕事だ」


その瞳に、迷いはなかった。きっと、ずっとそうした決意を、胸に秘めてきたのだろう。


あたしは泣き出しそうになる。お願い。行かないで。そんな言葉を飲み込む。


慧吾は夜明け前の空を見つめ、静かに呟いた。

「俺は、もう戦えない。……だが、最後にできることがある」


「慧吾……」

ジャックが震えるように呟いた。


重い沈黙が広がる。


哲平が無理に笑って言う。

「慧吾ひとつ持ってくくらい、なんてことないさ。なぁ、たっつぁん!」


「おうよ!この老いぼれ、まだまだ役に立たんとな!」


夜は白み始めていた。決意の光が、静かにその背を照らしていた。


----


第3章 約束



静かな出立の気配に、ノヴァは気付いていた。


唇を噛み締めて、言わないように、泣かないように。


ぎりぎりのところで、ずっと耐えていたのだろう。


少し離れた場所に立ち、みんなの動きを、ただじっと見つめていた。


──その目が、慧吾と合う。


その瞬間。


堰が切れた。


「……どうして、ぼくは行っちゃダメなの?」

ノヴァが涙をこらえて、慧吾を見上げた。

「ぼく……けいごといっしょにいたいよ……」


慧吾はしゃがみこみ、ノヴァの頭に、そっと手を置いた。


一瞬だけ、目を伏せる。


それから、優しく見つめた。


「お前はこの街を守る兵士だ」


わずかな間。


「兵士が街を出たら、どうなる?」


ノヴァは泣きながら、それでも健気に答える。

「まちのへいわが……おびやかされる」


「そうだ。……よくできたな」

慧吾が微笑む。そして、握り拳を作り、ノヴァの小さな手を重ねさせる。


「お前は俺だ。俺は強いぞ。お前は?」


ノヴァが涙の中で笑う。

「ぼくも、つよいよ。けいごにたくさん、おしえてもらった」


慧吾は頷き、外套のボタンをひとつ外してノヴァの手に握らせた。


「……俺は、そばにいる」


ボタンを握るノヴァの手を、慧吾は両手で包んだ。


「街を守れ。そして、お前の信じる道をいくんだ」


ノヴァは包まれた温かさを覚えるように、じっとみつめた。


「ねぇ、けいご……」

小さな声が風に揺れた。


「ぼく…に…できるかな……?」


慧吾は、答える前に一度だけ目を閉じた。まるで胸の奥の痛みを、必死に押しとどめているように。


そしてノヴァの肩を抱くようにまわした。その掌は、少しだけ震えていた。


「できる。 お前には──俺が託した“光”がある」


ノヴァの目が大きく開く。それは、子どもの瞳に宿った“未来”の揺らめきだった。


「……ほんとに?」


「俺が、嘘を言ったことがあるか?」


「ない」


「なら──これが“約束”だ」


それは「帰る」と言わない代わりに、すべてを託す者の声だった。


ノヴァは息を吸い込み、涙を拭った。子どもらしい、でももう後戻りのできない決意の仕草で。


「うん。 ……けいごの光、ぼく守るよ」


その言葉に、慧吾の表情がわずかに緩んだ。それは、別れを悟っていてもなお、揺るがない誇りと愛の表情だった。


あたしの頬を、強い風が撫でた。涙がこぼれても、その風が拭っていく。


街の鐘が鳴る。あたしたちは静かに歩き出した。


───どうか、この約束が果たされますように。そう、強く願いながら。

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