空集合
彼───75319番目の『i』が目を覚ましたのは見知らぬ病室、見知らぬベッドの上だった。
「ここは…?」
起き上がって状況を確認する。
今まで縁のなかった清潔な白いシーツ。着心地の良い寝間着。
柔らかな日差しが差し込む病室には、彼以外には誰もいなかった。
「──ようやく起きたか」
病室のドアが開かれ、20代後半ほどの男性が顔をのぞかせた。シワ一つない軍服。その腕章は彼の階級──大将を示していた。
「よく寝たな。三日間も眠り続けたんだぞ。ファぁ……」
羨ましいよ。大佐の男はそんなふうに続けて、もう一度大きな欠伸をした。
彼は大佐を観察する。
伸びっぱなしの銀髪。青い目。顔立ちは整っているが、目元の濃い隈と欠伸のせいで、「眠そうな人」にしか見えない。
「自己紹介が遅れたな。俺の名は雨竜・月之丞・黎明。軍で機動隊総隊長をやってる。大将だ。──座っていいか?」
ベッドの脇の椅子を指して言う。
「別に構わねえが……」
「失礼するぞ」
そう言って黎明は腰を下ろす。
「市民やメディアには『八大英雄』だとか『絶神』だとか言われてるが…黎明でいい。さて、75319番目の『i』よ──」
そう言って黎明は彼の顔を覗き込んだ。
「お前、帝国の現状をどれだけ知ってる?」
「残念ながら殆ど知らねェな」
挑発的に肩を竦めてみせる。
すると肩を竦め返された。
「じゃあ知ってることだけ言ってみろ。お前が知らない部分を補足してやる」
「それで俺になんの得が?」
「──生き延びたいんだよな?」
返ってきた言葉が思いの外真剣なもので戸惑う。
「こっから先のお前の処遇はお前が何をどれだけ知っているかで変わる。とりあえずお前が知っていることを言ってみろ。
───俺がお願いしているうちに」
ゾクッ…
鳥肌が立つ。黎明の最後の言葉に。
直感する。黎明の実力に。
『お願い』へのYES or NO。
──どちらの生存率が高いのかを。
「……本当に大したことは知らねぇよ。初歩の初歩、フィナリエント帝国は千年もサエリオン共和国連邦と戦争をしている。長引きすぎてこの戦争は『永久戦争』なんて呼ばれた。
サエリオン共和国連邦の方はあるとき、革新的技術で機械生命体を生み出した。奴らは機械獣なんて名前をつけて兵器として戦争に投入した。
最初の頃は優勢だった帝国軍も機械獣の投入でどんどん劣勢に追い込まれた。連邦軍の優勢は今でも変わっちゃいない。なにせ連邦は戦争を機械獣だけで推し進めてるんだからな。
──まあともかく、敗戦の瀬戸際まで追い込まれた帝国軍はこれまた革新的技術で『能力』開発を行った。これは兵士に遺伝子レベルの改造を施すことで個々にオリジナルの『能力』を発現させるものだ。
これにより、一時は滅亡の瀬戸際まで追い込まれた帝国軍も体勢を立て直し、1000年もの間戦争を継続させることができた。
しかし、帝国軍上層部はあるとき深刻な問題にぶつかった。兵士不足だ。敵方は機械獣のみで戦争をしてるから戦力を量産できる。しかし帝国はあくまで人間を強化しているだけなので慢性的に兵士が足りなくなった。
まあ民間人から無理矢理徴兵すれば少しはマシになったかもな。だがそれは根本的な解決にはならないし、民間人に経済を回してもらわないとそれはそれで帝国が立ち行かなくなる。
そこでお偉方が足りない脳を捻って考えたのがクローンの量産による兵士の補充だ。これがいわゆる『プロジェクトi』で造られたのが『俺達』だ。108000体も量産したらしい。ほぼ全滅したっぽいが。
俺たちの能力は一律で同じ、体から鎖を出して操る能力。
破壊力にかけるからか足止めようにしか使われなかった。だから冠された名が『足止め』。ふざけてるよな」
一気に言い切って黎明に視線を投げる。
「これくらいしか俺は知らないが?そもそもアンタ…よく見たら戦場で俺を助けてくれた奴じゃねえか……!」
「…………」
黎明は腕を組んで瞑目している。
「あのときはありがとなァ……っておい、大丈夫か?」
「………フニャ……」
「寝てんじゃねェッ!!かわいい寝言だなオイ!」
彼の大声に、黎明は億劫そうに目を開ける。
「言っておくが俺は寝てないぞ。目を閉じて情報をまとめてただけで…」
「思いっきり寝てたよな。寝言漏らしてたよな…」
「まあお前がどこまで知ってるかは理解った。それだけなら問題ないだろう。俺から補足する情報は───そうだな3点だけだ」
そう言って指を三本立てる黎明。
「1つ目。107999人のiは──つまり、お前以外のiたちは全滅した」
「────!」
とはいえあの戦場で、黎明に助けられた自分以外が生き残ったとは思えない。驚いたのも束の間ですぐに納得した。
自分さえ生き残ればいい。彼の少しドライな感情はそんな姿勢の表れなのかもしれなかった。
「そして、お前たちiの司令官、及び『プロジェクトi』の研究機関が全滅した。そしてクローンの製造技術はバックアップごと破壊されていた。──つまりだ」
黎明の瞳が再び真剣味を帯びた。
「この世に『i』はお前一人しかいない。そしてこの先しばらくはそれが続く」
「だから?」
即座に聞き返す。『i』が何人いようと『自分』は一人だ。ならば自分が生き残るという目的は変わらない。
「だから──お前の希少価値が高まった。
───故に軍はお前を一人の軍人として受け入れる」
拒否権はないからな。と付け加えられる。
軍部としては『iの生き残り』を自分たちの手元に置いておきたいし、もし存在そのものが機密の彼を野放しにして情報が漏れるといった事態を避けたかった。
「つまりお前の帝国民としての名前が必要になったので上層部が無い知恵絞って考えてくださった」
「『i』とか『75319』とかでいいんだけどな」
生まれてこの方そんなふうにしか呼ばれてこなかったので名前を得るということに実感がわかない。
「『空集合』だ」
「はァ?」
「『空集合』。空集合と書いて『空集合』。空集が名字で合が名前だ」
空集合。
存在するけれど同時に存在しないもの。
字を思い浮かべてうんざりする。当て字と言うのも少し違う。これは…
「虚数の次は空集合かよ…。適当に名前っぽくしただけじゃねえか。どんなネーミングセンスしてやがるんだよ…」
そうして彼、75319番目のi───改め空集合は嘆息したのだった。
名前決まりましたー。空集合。当て字と言うか当て読みですね。というわけで75319番目の『i』こと空集合を見守ってやって下さい!




