英雄たちは笑わない
「ハァ……ハァッ……」
彼──75319番目の『i』は肩で息をしながら天を仰ぎ見た。
「どこだよ、ここ」
周りに広がるのはビルばかり。小綺麗で、透き通るような色をした建物ばかり。
「もしかして…帝都か……?」
帝都。フィナリエント帝国首都。戦場での『捨て駒』として量産された『i』は帝都に来たことがない。ただ遠い地の話として聞きかじっていただけだ。
「クッソォ…。いきなり拉致られて帝都かよォ」
帝国軍本部から脱走したのは身の危険を感じたからだ。物心がついたときから戦場に身を投じてきた──否、軍部に投じさせられてきた彼は機械獣よりも軍部の方が危険であると解っていた。だから逃げることを選択したのである。
「それにしても、どこなら安全だ?」
周りを見渡しても映るのはビル、ヒト、ビルヒト。
誰も彼を怪しまないのがせめてもの救いだが、それは誰も手を差し伸べてくれないのと同義。
彼は帝都の雑踏の中で、ただただ途方に暮れた。
そんななか────
「───おい」
後ろから彼に声をかける者があった。
彼は途方に暮れて気が付かない。
「おい、って───」
後ろから肩に掴まれ、後ろを向かされる。
彼に声をかけたのは、同年代くらいの少女だった。
金髪碧眼の美少女。
腰からその長い脚にかけて柔らかな曲線美を描いており、軍服で隠されているが大きな双丘は姿勢の良さも相まって堂々としたものになっている。
彼女の名はレアリス・シャードバース。
軍の若手では一二を争う出世頭と呼ばれる少女だ。
「「な──」」
二人は、お互いを見て言葉を失った。
彼が受けた衝撃は彼女の軍服。
そこに縫われていたのは少佐を意味する腕章。
それはそれまで彼を量産し、捨て駒扱いした軍の高級将校であることを意味する。
彼女が受けた衝撃も彼の軍服。
それは血まみれの軍服。
それは彼女に理解させた。
この軍人は人を殺したのだ──と。
それは誤解なのだが、『プロジェクトi』を知らされていない彼女は、そんなふうに直感してしまった。
「クッ!」
手を振り払って逃げることを選択した彼。
その選択が、行動が、レアリスの誤解を決定的なものにした。
「待て────ッ!」
帝国軍本部。
永久戦争における『八大英雄』と称された者たちの殆どが一堂に、この会議室に揃っている。
彼らの真ん中で黎明は頭を抱えていた。
理由は先程の部下の報告。
『生き残ったiが逃げた』
『プロジェクトi』は『能力開発』と並んで軍部の最高機密だ。しかも後者とは違い、技術だけではなく存在そのものが秘匿事項となっている。
つまり部下の報告は、その漏洩の可能性を示唆している。
「しかもアイツと出会うとはな」
「『炎神』レアリス・シャードバース……
若手の中で一二を争う出世頭。そして少佐以下の中では随一とも言える殺傷能力を有する少女と接触するとは…」
『八大英雄』の一人が言う。それはほんの数分前に黎明に届いた連絡。
──『不審者発見。処す』
許可すら取らない独断専行。確かに少佐クラスになるとその権限は与えられるし、その権限を以てかなりの成果を上げてきた。しかし、今回の場合のそれは軍の『最高機密』との接触。情報が漏れ出ても困るが、『生き残ったi』である彼を殺してもらっても困る。
「連絡すらとれねぇとはな。アイツの教育の問題じゃねえの?」
別の『八大英雄』の一人が言う。そう。現在レアリスは彼の追跡に集中しているらしく、連絡を求めても無視され続けている。
「仕方ないか……」
黎明は立ち上がった。
「どこへ?」
軍の『最高機密』を、そして貴重な人材を、両方守るにはこれしかないだろう。
「俺が止めてくる」
「チィッ!」
レアリスの鋭い上段蹴りをギリギリで躱す。
「速えなァ……オイッ」
お返しとばかりにフックを見舞う。速度、間合い、タイミング、全てが完璧。外すはずのない一撃───────のはずだった。
スカッ……
彼の拳は、あえなく空を切った。
ズドッ!!
腹のあたりに重い衝撃が走る。
さっきからこの繰り返しだ。彼がどんなに正確な攻撃を加えようとも。その攻撃は当たらない。
それらは全て、レアリスにかすりもせずに空を切る。
「どうなってやがる…」
「諦めて投降しろ。私には──勝てない……!」
冷たい目で地面に転がった彼を見下ろしながらそんな台詞を吐く。
ゴホッ
喉元に熱いものが込み上げ、吐き出すと、それは真紅の血だった。じわじわと黒ずんでいく血液。
血って赤いんだな──見慣れたはずのそれに、そんな場違いな感想が浮かぶ。
「軍の犬がよォ………偉そうに命令してんじゃねぇよ……」
手をついたまま、精一杯の虚勢を張る。
「貴様が軍を語るな。裏切り者が……っ!」
視界に高速で動く脚が映り込む。その鋭い蹴りは脇腹を捉えていた。咄嗟に腕を立ててガードの体勢に入る。
通常ならば、防げた。蹴りのはずだった。
しかし──
ユラァッ
「か────ハッ………!」
衝撃が走ったのは──頭部だった。
視界が反転する。暗転する。
蹴られた衝撃を利用しての回転で距離をとる。
蹴られた箇所が切れたようだ。視界が赤黒い液体で覆われる。
「終わりだ───ッ!」
拳を振りかぶるレアリス。
霞んだ視界でそれを捉えようと努める。
強く握られた拳は彼を撃ち抜こうと高速で迫ってくる。
ドガァッッッ!!
そうして吹き飛んだのは───
「貴様───ッ!!」
─────レアリスの方だった。
玉砕覚悟のカウンター。ダメ元のアッパーカット。しかし、通常なら当たるはずのない一撃。
「陽炎………そうか。てめえ、炎を操る『能力』だなァ?」




