逃走
軍服を着た『闖入者』──雨龍・月之丞・黎明は死屍累々の戦場から、一人の少年兵を抱えて帰還していた。
「ん……と、少しだけ面倒だったな」
厄介なことに、少年は逃げようとした。少年が気絶しているのはそのためだ。
量産型のクローン兵に関わらず、彼は逃げようとした。
彼らにとっての司令が出した命令に反して。
『死んでこい』なんていう、無惨な命令に反して。
もしかすると、彼らの司令が戦死した影響がこんなところにも出ているのかもしれない。
「あの人が死ぬのがもう少し遅かったら、もしかすると全滅していたのかもな……」
あの機械獣の大群に彼が特攻しなかったのは司令が死んだ影響だ。もし司令がもう少し生きていて、あの特効命令が生きていたら、彼は間違いなく特攻していただろう。
皮肉なものだ。
クローン兵の量産という奇跡をもたらした司令の死が、クローン兵の全滅回避という、軍部にとっての奇跡を再び起こしたのだから。
黎明が埃一つ、汚れ一つついていないのと対象的に、腕に抱えられている気絶した少年はその軍服をこれでもかというほど血で汚していた。
「『プロジェクトi』……か」
それはフィナリエント帝国軍が秘密裏に進めていた計画の名。
兵士を量産する──軍の悲願であり、戦略の理想でもあるこの技術は、千年続いたこの戦争を終わらせることができたかもしれなかった。
しかし今となってはそれも夢のあと。理想は所詮理想でしかなく、夢想は夢想のままで終わった───それだけのことだ。
「まさか全滅とは」
思わなかった。
もし、『i』達が全滅しなければ自分たちは彼らを量産しただろうか?
あるいは──開発者たちが全滅しなければ。
ふと栓のない仮定が浮かんで、そっと苦笑する。
そんなIFに意味はない。そんな空想に意味はない。
今となってはこの、腕に抱える少年が世界で唯一の『i』となった。──その事実があるだけだ。
「名前が要るな……固有名詞が」
そんなことを考えながら帝都に向かう。本来なら数十キロ離れているが彼の力を以ってすれば近所の散歩と変わらない。
「遅かったですね」
出迎えたのは一人の女性だった。
秘書的佇まいとは彼女のために作られた言葉だろう。そう思わせるほど秘書のような雰囲気をまとった彼女はしかし、軍の最高幹部の一角を担う、れっきとした軍人だ。
細身、というか華奢な身体だが羽織る軍服は意外なほどよく似合っている。
「こいつを抱えていたからな。すぐに医療班を手配してくれ。今にも死にそうだ」
「死にそう?貴方が?まさか」
「バカいえ、コイツのことだ」
フフッと小さく笑う彼女。
「他の方々はもうお帰りですよ」
「あいつらは仕事が雑なんだよ。俺の仕事の半分はあいつらの後始末だぞ」
仲間の顔を思い浮かべながら苦笑する。
一緒に死線をくぐり抜けてきた彼ら。今はほぼ全員が軍の幹部級になってしまったが、彼らのために黎明がすることはいつも変わらない。
「英雄の肩書は重いですか?」
「ああ。が、それはお前もだろ」
英雄と呼ばれて久しいけれど、彼女とのこんな雑談だけは欠かさない。なぜならここは戦場なのだから。
「疲れたでしょう。今日ぐらいは早くお休みになってください」
「お前もな。───早く休め」
そう、声をかける。
なぜならここは戦場なのだから。誰がいつどこで死ぬかわからない場所なのだから。
だから黎明はさりげない会話を交わす。
さりげない会話が───できるうちに。
やってきた医療班に少年を預けて個室に向かう。軍の最高幹部である黎明には個室が与えられている。
それから数時間後、ようやく眠りについた彼だったが、30分もしないうちに叩き起こされることになる。
彼を起こしたのは、部下の切羽詰まった声だった。
「閣下、閣下!一大事です!!」
軍人たるもの覚醒は一瞬でなければいけない。
何か悪いことが起きたのか。はね起きた黎明に部下は告げた。
「あの少年が……『プロジェクトi』の生き残りが──」
「──!彼がどうした?」
『プロジェクトi』は帝国軍の機密事項の一つだ。その取り扱いには細心の注意が必要である。
「脱走しました…」
「どこなんだよ──ここは」
血まみれの軍服を羽織りながら、彼───75319番目の『i』は天を仰いだ。




