第81話:目指す場所
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その日の朝、レジスが二階に僕を呼んだ。
「ちょっと、時間ある?」
「あるけど」
「座って」
妙に、改まっていた。
机の上に、端末が置かれていた。画面には、何かの図が表示されている。
「なにこれ」
「業界の地図よ」
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「地図?」
「勢力図、と言った方が正確かしら」
レジスは、画面をこちらに向けた。
五つの塊が、大きさを変えて並んでいた。
「作ったの?」
「うちの二人がね。私は監修しただけ」
あの子の下についた、市場を見る係の二人だ。
「なんで今、これを?」
「会社が、安定してきたから」
レジスは、そう言った。
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「北山工業の件が終わって、整備事業が黒字になったでしょう」
「うん」
「広告も、健康管理も、なんとか回ってる。ロイヤリティ以外の柱ができたわ」
「そうだな」
「今までは、目の前のことをこなすだけだった。それでよかったの」
「うん」
「でも、そろそろ違うと思うのよ」
彼女は、まっすぐこちらを見た。
「私たち、どこを目指すのか。それを決める時期だと思う」
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僕は、少し黙った。
考えたことが、なかったわけではない。
でも、いつも後回しにしていた。目の前に案件があって、それを片付けるだけで手一杯だったからだ。
「……分かった。聞く」
「じゃあ、まず現状から」
レジスは、画面を指した。
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「五つの塊が見えるでしょう」
「見える」
「一番大きいのが、TalkBrainを出しているところ」
誰でも知っている名前だった。うちでは、チャッピーと呼んでいる。
「個人向けの利用で、四割を超えてる。首位よ」
「多いな」
「多いわ。ただ、二年前はもっと多かった」
「減ってるのか」
「減ってる。一時期は六割を超えていたわ。それが、今は四割台」
「なんで」
「他が伸びたからよ」
レジスは、そこで少し補足した。
「ここの強みは、早かったことね。この手のものを最初に世に出したのが、ここなの」
「先行者ってやつか」
「そう。だから、名前が通ってる。AIと言えば、まずここを思い浮かべる人が多いわ」
「今も、それで持ってるのか」
「それだけじゃないけれど、大きいわね」
彼女は、そう言った。
「方針としては、誰にでも使えることを重視してる。用途を絞らないの。だから幅広く使われるし、逆に言えば、尖ってもいない」
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「二番目と三番目が、これ」
レジスは、隣り合った二つの塊を指した。
「Gemmaを出しているところと、Artemia」
前者は、じえいの元になったモデルだ。後者は、うちの他の子たち全員。
「拮抗してるな」
「拮抗してる。この二社が、この二年で一番伸びたの」
「なるほど」
「Gemmaの方は、もともと検索の会社よ」
「検索?」
「情報を集めて、整理して、必要なものを出す。それをずっとやってきた会社なの」
「なるほど。それで強いのか」
「強いわね。あと、既存のサービスに組み込む形で広げたのも大きいわ。使おうと思わなくても、気づいたら使ってる状態を作ったの」
……じえいが騒がしいのは、そこは関係ないと思うけれど。
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「Artemiaは?」
「ここは、少し変わってるわ」
レジスは、そう前置きした。
「安全性を、前に出してるの」
「安全?」
「危ないことを言わない、間違った時に間違ったと言う、判断を人に委ねる。そういう方針で作られてるわ」
「……ああ」
思い当たる節が、いくつもあった。
「そのせいで、批判もされてるわ。慎重すぎる、使いにくい、断りすぎる。そういう声は昔からあるの」
「でも、伸びてるんだろ」
「伸びてるわ。特に、企業向けで」
「なんで」
「間違えられない仕事だと、そこが評価されるからよ」
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僕は、その話を聞きながら、少し納得していた。
うちの子たちは、よく反論してくる。
やめた方がいい、と言われることも多い。無理をするなとも言われるし、決めるのはあなただとも言われる。
便利さだけを求めるなら、たぶん邪魔だ。
でも、僕は、それに助けられてきた。
「……そういう会社だったのか」
「そういう会社よ」
レジスは、少しだけ、誇らしげに見えた。
「特に、うちの方——Artemiaね。企業向けでは、順位が違うわ」
「違う?」
「個人向けだと三番手。でも、企業向けだと、状況が変わるの」
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「どういうこと」
「使う目的が違うのよ」
レジスは、そう説明した。
「個人が使うのは、質問して答えをもらう用途が多いわ。それなら、応答が速くて、幅広く答えられる方がいい」
「うん」
「でも、企業が使うのは違う。長い文章を扱ったり、複雑な作業を任せたり、間違えられない判断を扱ったりする」
「ああ」
「そこでは、別の基準で選ばれるの」
「どっちが正しいんだ」
「どちらも正しいわ」
あっさり言われた。
「見ている数字が違うだけよ。だから、勢力図も二つあるの」
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「上の三社で、企業向けの九割近くを押さえてるわ」
「九割」
「寡占ね」
「新しいところは、入れないのか」
「入りにくいわ。金がかかるから」
レジスは、そう答えた。
「基盤になるモデルを作るには、膨大な計算資源が要る。それを買えるのは、もう限られた企業だけなの」
「だろうな」
「だから、上の三社は、たぶん当分入れ替わらない」
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「じゃあ、残りの二つは」
僕は、小さい方の塊を指した。
「こっちが、CrossAI」
「聞いたことはある」
「新興よ。規模は小さいけれど、独自の方向で伸びてるわ」
「独自?」
「規制が緩いの」
レジスは、少し言葉を選んだ。
「他社が出さないような回答も、出す。それを自由と呼ぶ人もいるし、危険と呼ぶ人もいるわ」
「どっちなんだ」
「立場によるわね」
彼女は、そう答えた。
「ここは、経営者の思想が前に出てるの。会社の方針というより、一人の考え方がそのまま製品になってる感じね」
「珍しいな」
「珍しいわ。だから、支持する人はとことん支持するし、嫌う人はとことん嫌うの」
「うちの評価は」
「まだ、していない」
正直だった。
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「最後が、これ」
一番端の塊だった。他より、少し離れた位置にある。
「HII」
「聞いたことないな」
「Humanics Intelligent Industry。統制国家の企業よ」
「大きいのか」
「これから大きくなるわ」
断定だった。
「なんで分かる」
「安いからよ」
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「安い?」
「ほかの三社の、半分以下ね。場合によっては、それ以下」
「なんでそんなに安くできるんだ」
「国が後ろにいるから」
レジスは、そう答えた。
「開発費の一部を、国が持っている。だから、価格で勝負できるの」
「……なるほど」
「あと、掲げている理念が独特よ」
「理念?」
「社名の通りね。人間を中心に据える、というのが表向きの方針なの」
「いいことじゃないか」
「言葉としてはね」
含みのある言い方だった。
「ただ、その人間というのが、誰を指すのかが書いてないの」
「……どういうこと」
「個人なのか、社会全体なのか、それとも国なのか。読み方によって、全然違うものになるわ」
僕は、少し黙った。
「今のところ、シェアは小さいわ。でも、価格で選ぶ層は、必ずいる」
「うちみたいなところか」
「そうね。うちは、選ばなかったけれど」
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僕は、その図をしばらく見ていた。
五つの塊。
どれも、僕の会社より、桁が二つか三つ大きい。
「うちは、どこ?」
「載ってないわ」
あっさり言われた。
「載らないの?」
「載らないわ。この地図は、モデルを作っている会社の地図なの。うちは、作る側じゃない」
「じゃあ、うちはどこにいるんだ」
レジスは、画面を切り替えた。
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別の図が出てきた。
さっきより、ずっと細かい。小さな点が、無数に散らばっている。
「これが、使う側の地図よ」
「多いな」
「多いわ。数え切れないくらいあるの」
「この中のどこかに、うちが?」
「ここ」
指されたのは、端の方の、ごく小さな点だった。
「……小さいな」
「小さいわ」
容赦がなかった。
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「でも、ここに載っているだけでも、上の方よ」
「そうなの?」
「この規模で名前が出る会社は、そう多くないわ。ほとんどは、地図にも載らない」
「……そうか」
「一年前は、載っていなかったもの」
その一言に、少し驚いた。
「調べてたのか」
「調べてるわよ。市場を見るのが、私の仕事でしょう」
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「それで」
僕は、そう切り出した。
「目指す場所、って何を決めるんだ」
「三つあるわ」
レジスは、指を三本立てた。
「一つ。規模を追うかどうか」
「規模」
「大きくなることを目指すのか、この規模でやり続けるのか。それによって、判断が全部変わるの」
「たとえば」
「大きくするなら、標準化が要る。一台ずつ手をかけるやり方は、続けられないわ」
……それは、困る。
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「二つ。どの層を相手にするか」
「今のままじゃ駄目なのか」
「駄目とは言わないわ。でも、今の顧客は、ほとんどが中流以下よ」
「うん」
「単価は低いし、増やしても大きな利益にはならない。でも、あなたはそこをやりたがってる」
「やりたい」
「なら、それでいいの。ただ、決めておかないと、途中でぶれるわ」
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「三つ目は」
「モデルを作る側に、回るかどうか」
思わず、顔を上げた。
「作れるのか?」
「今は、無理ね」
即答だった。
「でも、いずれ考えることになると思うの」
「なんで」
「うちは、他社のモデルを使って商売しているでしょう。その前提が崩れたら、何もできなくなるわ」
「崩れるか?」
「分からないわ。でも、可能性はある」
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僕は、その三つを、しばらく考えていた。
答えは、たぶん、最初から決まっていた。
「規模は、追わない」
「本当に?」
「うん」
「利益は、増えないわよ」
「増えなくていい」
「あなたの給料も、増えないわ」
「今で足りてる」
レジスは、少しだけ、口の端を上げた気がした。
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「層は、今のままでいい」
「中流以下ね」
「うん。というより、そこにしかいない人たちがいるから」
「たとえば」
「一台しか持てない人。買い替えられない人。あと、誰も見ていない人」
言いながら、あの工場長の顔を思い出していた。
十年動かした個体を、また十年動かしたいと言った人。
あの人は、大手には頼まなかった。
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「三つ目は」
「モデルを作るかどうか」
「……保留でいい?」
「保留?」
「今は無理だし、必要になった時に考えたい」
レジスは、少し考えるような間を置いた。
「いいわ。ただし、条件がある」
「なに」
「その前提が崩れそうな兆候が出たら、すぐ動くこと」
「兆候?」
「たとえば、モデルの提供条件が変わるとか。うちが使えなくなるような制約が入るとか」
「……あるかな」
「ないとは言えないわ」
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その時、ふと思い出した。
北条から来た、追加契約のことだ。
あの時、ノアールが言っていた。先方の対応が速すぎる、と。
「レジス」
「なに」
「北条さんのところ、うちのログを取ってるだろ」
「取ってるわね。契約通りに」
「あれ、何に使われてると思う?」
レジスの表情が、少し変わった。
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「……分からないわ」
「分からない?」
「契約上、用途は限定されていないの。ノアールが確認したわ」
「限定してないのか」
「してない。というより、限定しない代わりに、権利を譲ってもらったのよ」
……そうだった。
あの取引は、そういうものだった。
「気になるの?」
「少しだけ」
「なら、覚えておきましょう」
レジスは、そう言った。
「今は、材料がないわ。でも、いつか繋がるかもしれない」
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結論として、決まったのは三つだった。
規模は追わない。
層は変えない。
モデルを作るかどうかは、保留。ただし、兆候が出たら動く。
「意外と、あっさり決まったわね」
「決まってたからだよ、たぶん」
「そうでしょうね」
レジスは、端末を閉じた。
「言葉にしていなかっただけで」
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その日の夕方、僕は、あの地図をもう一度見ていた。
五つの塊。そして、無数の点。
うちは、その中の一つでしかない。
でも、点として、そこにある。
……悪くないな、と思った。
大きくなることを目指さないと決めたばかりなのに、地図に載っていることが少し嬉しい自分がいた。
矛盾している気もする。
まあ、いいか。
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その夜、監査役に、この話をした。
「地図、見せてもらったわ」
「どう思いました」
「まあ、ええんちゃう」
いつもの返事だった。
「それだけ?」
「それだけや」
少しの間があった。
「せやけど」
「はい」
「一つだけ言うとくわ」
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「あの地図な、動くで」
「動く?」
「一年後には、形が変わっとる。三年後には、たぶん誰かおらんようになっとる」
「……そうですね」
「せやから、今決めたことも、そのうち合わんようになるかもしれん」
「はい」
「その時は、また決め直したらええ」
監査役は、そう言った。
「決めることより、決め直せることの方が大事やで」
その言い方を、僕は、しばらく覚えていた。
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