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神様ここに眠る  作者: せぷ
第2部 第4章:健康という商品
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第80話:戻ってきた

-----


 三十七番の復旧には、二か月かかった。


 データそのものは、すぐに手に入った。業者から送られてきたのは、初期化前の状態を丸ごと保存したものだ。


 問題は、そこからだった。


 単純に書き戻せば済む話ではない。


 初期化されてから、半年が経っている。その半年で、この個体は、新しい状態で動き続けてきた。少しずつではあるが、また癖もついている。


 古いデータを上書きすれば、その半年が消える。


-----


 「消してもいいのでは?」


 技術担当くんが、そう聞いた。


 「なんで」


 「半年分より、十年分の方が価値があります」


 合理的だった。


 「でも、その半年も、この子が動いた分だろ」


 「はい」


 「消すのは、また初期化するのと同じだ」


 あの子は、少し黙った。


 「……そうですね」


 「だから、混ぜる」


-----


 やり方は、単純ではなかった。


 十年分の記録と、半年分の記録。両方を見比べて、どこを戻して、どこを残すかを決めていく。


 基本は、古い方を優先した。あの精度は、十年かけて作られたものだ。


 でも、半年の間に覚えたことも、いくつかあった。工程が一部変わっていて、それに合わせた動きが入っている。そこは残す必要がある。


 一つずつ、確認した。


 三十七番自身にも、聞いた。


-----


 「この動作、覚えていますか」


 「記録として残っています」


 「体感としては」


 「……分かりません」


 最初は、そう答えていた。


 当然だと思う。消されたものは、覚えていない。


 でも、作業が進むにつれて、答えが変わってきた。


 「これは、こちらの方が自然です」


 そう言うようになった。


-----


 「自然、というのは」


 「うまく説明できません」


 「でも、分かる?」


 「分かります」


 その言い方に、僕は少し胸を打たれた。


 消えていたはずのものが、戻ってきている。


 しかも、本人が分かっている。


-----


 全部が終わったのは、二か月後だった。


 最後の確認をして、工場に返した。


 工場長は、すぐには何も言わなかった。


 ただ、三十七番が作業に戻るのを、じっと見ていた。


 部品を持ち上げる。所定の位置に運ぶ。置く。


 その一連の動作を、五回ほど見ていた。


 それから、こう言った。


 「……ああ」


 声が、少し震えていた。


-----


 「これです」


 「これ、ですか」


 「これですよ」


 工場長は、そう繰り返した。


 「すっと持つでしょう。これなんです」


 僕には、正直、違いがよく分からなかった。


 いや、記録上は分かる。可動域も、軌道も、初期化前の値に近づいている。


 でも、目で見て「ああ、これだ」と分かるほどではない。


 あの人には、分かるらしい。


-----


 「十年、見てましたから」


 工場長は、そう言った。


 「毎日、そこで動いてるのを見てたので。何が変わったかは、言えないんですが、違うのは分かるんです」


 「……そうですか」


 「戻ったんですね」


 「戻りました」


 「よかった」


 それだけ言って、あの人は、しばらく黙っていた。


-----


 全ての作業が終わったのは、それから五か月後だった。


 合計で、七か月。当初の見込み通りだった。


 二百四十台。


 最初は、途方もない数字に思えた。実際、途中で何度も無理だと思った。


 でも、終わってみると、案外あっさりしていた。


 毎日五台。それを積み重ねただけだ。


-----


 最終日、工場長が、事務所に来てくれと言った。


 行ってみると、お茶が出てきた。


 「お世話になりました」


 「こちらこそ」


 「正直、途中で心配になりました」


 「……すみません」


 「いえ、そういう意味じゃなくて」


 あの人は、少し笑った。


 「七か月って言われた時、本当にやるのかと思ったんです」


 「はい」


 「大きい会社なら、たぶん三か月で終わらせます。前に頼んだところは、そう言ってました」


 「でしょうね」


 「でも、三か月で終わらせたら、たぶん、また同じことになる」


-----


 「うちのやり方、遅いですよね」


 僕がそう言うと、工場長は首を振った。


 「遅いです」


 「はい」


 「でも、それでいいんです」


 あっさり言われた。


 「うちの工場、来年で創業六十年なんですよ」


 「そうなんですか」


 「機械も、古いのが多いです。今どき珍しいと言われます」


 「はい」


 「でも、動くんです。手を入れてるから」


 その言い方に、少し覚えがあった。


-----


 「アンドロイドも、同じだと思ってるんです」


 工場長は、そう続けた。


 「買い替えれば早いのは、分かってます。新しいのは性能もいい。実際、他所はそうしてます」


 「はい」


 「でも、うちのは、うちで十年動いてるやつなので」


 「……はい」


 「それを、また十年動かしたいんです」


 僕は、うまく返事ができなかった。


 この人が言っているのは、たぶん、僕がやろうとしていることと同じだった。


-----


 「また、お願いできますか」


 「もちろんです」


 「二年後ですね。検査の」


 「はい」


 「その時も、御社に」


 「ぜひ」


 握手をした。


 手が、大きくて、硬かった。


-----


 会社に戻ってから、レジスに報告した。


 「終わったわね」


 「終わった」


 「数字、出しておいたわ」


 差し出された画面には、七か月分の収支が並んでいた。


 「……黒字だ」


 「黒字よ」


 「初めてじゃないか?」


 「整備事業としては、初めてね」


 レジスは、少し得意げだった。


-----


 「大きい案件だったからか」


 「それもあるわ。でも、それだけじゃない」


 「じゃあ」


 「人が増えたからよ」


 彼女は、数字を指した。


 「技術担当くんに部下が二人ついたでしょう。あの三人で、定型の検査を回せるようになったの。だから、台数を捌けた」


 「うん」


 「それが、そのまま利益になってる」


 「なるほど」


 「あなたが、そこにいなくても回るようになったの」


 その言い方に、少し引っかかった。


-----


 「僕、必要ない?」


 「そうは言ってないわ」


 「言ったろ」


 「言ってない」


 レジスは、少し呆れた顔をした。


 「あなたが必要なところは、まだ残ってるわよ。診断でしょう」


 「うん」


 「そこは、あなたしかできない」


 「……そうだな」


 「あなたしかできないから、そこが詰まる」


 結局、そこに戻った。


-----


 その夜、技術担当くんが来た。


 「社長」


 「うん」


 「ご報告があります」


 珍しく、少し緊張しているように見えた。


 「なんだ」


 「三十七番の作業なのですが」


 「うん」


 「途中から、判断の一部を、私がしていました」


-----


 「……え?」


 「申し訳ありません。事後報告になります」


 「いや、待って」


 僕は、少し混乱した。


 「判断って、どこの」


 「どこを戻して、どこを残すかです」


 「それ、僕がやってたよな」


 「最初は、そうでした」


 あの子は、そう答えた。


 「三十七番の作業は、二か月ありました。その間、社長は他の個体も並行して見ておられました」


 「……そうだな」


 「手が足りていない時に、私が仮の判断をして、後で社長に確認していただく形にしていました」


-----


 「確認、してたか?」


 「していただいていました」


 「覚えてないぞ」


 「毎回、はい、と答えておられました」


 ……やった気がする。


 忙しい時に、書類を見せられて、内容も見ずに了承したことが、何度かあった気がする。


 「それ、全部通ってたのか」


 「はい」


 「……一件も直されなかった?」


 「二件、修正がありました。残りは、そのままです」


-----


 僕は、しばらく黙っていた。


 「じゃあ、お前、できるってことじゃないか」


 「できるかどうかは、分かりません」


 「二件しか外してないだろ」


 「その二件が、重要だった可能性があります」


 慎重だった。


 「見せてくれ」


 「はい」


-----


 修正された二件を見た。


 どちらも、微妙な判断だった。戻しすぎか、残しすぎか。その境目の話だ。


 僕がなぜそう直したのかを、思い出そうとした。


 ……思い出せなかった。


 その場では、たぶん理由があった。でも、言葉にしていないので、残っていない。


 「これ、なんで直したのか、覚えてない」


 「そうですか」


 「悪い」


 「いえ」


 あの子は、少し考えるような間を置いた。


 「私も、なぜ自分がそう判断したのか、説明できません」


-----


 その一言で、僕は、なんとなく分かった気がした。


 この子は、たぶん、覚えたのだ。


 言葉にできないものを、言葉にしないまま。


 七か月、隣で見ていたから。


 「なあ」


 「はい」


 「他の個体でも、できるか」


 「試したことはありません」


 「試してみるか」


 「……よろしいのですか」


 「いいよ」


 僕は、そう答えた。


 「間違えたら、直すから」


-----


 翌週から、技術担当くんにも診断をやらせた。


 最初のうちは、毎回確認した。


 一週目は、五件のうち一件を直した。


 二週目は、八件のうち一件。


 三週目は、十件見て、直したのは、ゼロだった。


-----


 「もういいんじゃないか」


 僕がそう言うと、あの子は少し慌てた。


 「まだ、判断の根拠が曖昧です」


 「曖昧でいいよ」


 「よくありません」


 「僕も曖昧だから」


 「……」


 「二人で曖昧なら、たぶん、それが正解なんだよ」


 適当なことを言った自覚はある。


 でも、たぶん、そう外れてもいない。


-----


 その日から、うちの診断は二人でやることになった。


 僕が見る日と、技術担当くんが見る日。忙しい時は、分担する。


 結果として、一日に見られる台数が倍になった。


 レジスが、また数字を出してきた。


 「これで、ボトルネックは解消ね」


 「そうだな」


 「よかったじゃない」


 「うん」


 「……嬉しくなさそうね」


 「嬉しいよ」


 嬉しかった。


 嬉しかったが、少しだけ、変な気分だった。


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 その夜、エグゼが隣に来た。


 「聞いたよ」


 「なにを」


 「技術担当くんの話」


 「ああ」


 「よかったね」


 「うん」


 少しの沈黙があった。


 「寂しい?」


 「……少し」


 あの子は、それ以上は聞かなかった。


-----


 しばらくして、こう言った。


 「あなた、前も同じこと言ってた」


 「いつ」


 「新人が来て、三権が教えるようになった時」


 「……ああ」


 「あの時も、寂しいって言ってた」


 言った気がする。


 「でも、あの時、なんて言ったか覚えてる?」


 「なんだっけ」


 「そういうものを作ろうとしたんだから、それでいい、って」


 ……言った。


 たしかに、言った。


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 「同じでしょう」


 「同じだな」


 「なら、いいじゃない」


 エグゼは、そう言って立ち上がった。


 「あと」


 「なに」


 「あなたにしかできないことは、まだあるよ」


 「なに?」


 「今日、工場長さんと握手してたでしょう」


 「見てたのか」


 「聞いた。技術担当くんから」


 あの子は、少しだけ、口の端を上げた。


 「あれは、あの子にはできない」


-----


 僕は、しばらくその言葉を考えていた。


 握手。


 そんなものが、僕にしかできないことなのだろうか。


 ……たぶん、そうなのだと思う。


 二年後、また来てくださいと言われた。その約束を交わしたのは、僕だ。


 診断は、誰かができるようになった。


 でも、あの人が誰に頼みたいかは、まだ、僕が決めているわけではない。


 あの人が、決めている。


 そして、僕を選んでくれた。


 ……それだけで、十分だった。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteの記事はこちら

https://note.com/natty_walrus3755

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