第80話:戻ってきた
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三十七番の復旧には、二か月かかった。
データそのものは、すぐに手に入った。業者から送られてきたのは、初期化前の状態を丸ごと保存したものだ。
問題は、そこからだった。
単純に書き戻せば済む話ではない。
初期化されてから、半年が経っている。その半年で、この個体は、新しい状態で動き続けてきた。少しずつではあるが、また癖もついている。
古いデータを上書きすれば、その半年が消える。
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「消してもいいのでは?」
技術担当くんが、そう聞いた。
「なんで」
「半年分より、十年分の方が価値があります」
合理的だった。
「でも、その半年も、この子が動いた分だろ」
「はい」
「消すのは、また初期化するのと同じだ」
あの子は、少し黙った。
「……そうですね」
「だから、混ぜる」
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やり方は、単純ではなかった。
十年分の記録と、半年分の記録。両方を見比べて、どこを戻して、どこを残すかを決めていく。
基本は、古い方を優先した。あの精度は、十年かけて作られたものだ。
でも、半年の間に覚えたことも、いくつかあった。工程が一部変わっていて、それに合わせた動きが入っている。そこは残す必要がある。
一つずつ、確認した。
三十七番自身にも、聞いた。
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「この動作、覚えていますか」
「記録として残っています」
「体感としては」
「……分かりません」
最初は、そう答えていた。
当然だと思う。消されたものは、覚えていない。
でも、作業が進むにつれて、答えが変わってきた。
「これは、こちらの方が自然です」
そう言うようになった。
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「自然、というのは」
「うまく説明できません」
「でも、分かる?」
「分かります」
その言い方に、僕は少し胸を打たれた。
消えていたはずのものが、戻ってきている。
しかも、本人が分かっている。
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全部が終わったのは、二か月後だった。
最後の確認をして、工場に返した。
工場長は、すぐには何も言わなかった。
ただ、三十七番が作業に戻るのを、じっと見ていた。
部品を持ち上げる。所定の位置に運ぶ。置く。
その一連の動作を、五回ほど見ていた。
それから、こう言った。
「……ああ」
声が、少し震えていた。
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「これです」
「これ、ですか」
「これですよ」
工場長は、そう繰り返した。
「すっと持つでしょう。これなんです」
僕には、正直、違いがよく分からなかった。
いや、記録上は分かる。可動域も、軌道も、初期化前の値に近づいている。
でも、目で見て「ああ、これだ」と分かるほどではない。
あの人には、分かるらしい。
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「十年、見てましたから」
工場長は、そう言った。
「毎日、そこで動いてるのを見てたので。何が変わったかは、言えないんですが、違うのは分かるんです」
「……そうですか」
「戻ったんですね」
「戻りました」
「よかった」
それだけ言って、あの人は、しばらく黙っていた。
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全ての作業が終わったのは、それから五か月後だった。
合計で、七か月。当初の見込み通りだった。
二百四十台。
最初は、途方もない数字に思えた。実際、途中で何度も無理だと思った。
でも、終わってみると、案外あっさりしていた。
毎日五台。それを積み重ねただけだ。
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最終日、工場長が、事務所に来てくれと言った。
行ってみると、お茶が出てきた。
「お世話になりました」
「こちらこそ」
「正直、途中で心配になりました」
「……すみません」
「いえ、そういう意味じゃなくて」
あの人は、少し笑った。
「七か月って言われた時、本当にやるのかと思ったんです」
「はい」
「大きい会社なら、たぶん三か月で終わらせます。前に頼んだところは、そう言ってました」
「でしょうね」
「でも、三か月で終わらせたら、たぶん、また同じことになる」
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「うちのやり方、遅いですよね」
僕がそう言うと、工場長は首を振った。
「遅いです」
「はい」
「でも、それでいいんです」
あっさり言われた。
「うちの工場、来年で創業六十年なんですよ」
「そうなんですか」
「機械も、古いのが多いです。今どき珍しいと言われます」
「はい」
「でも、動くんです。手を入れてるから」
その言い方に、少し覚えがあった。
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「アンドロイドも、同じだと思ってるんです」
工場長は、そう続けた。
「買い替えれば早いのは、分かってます。新しいのは性能もいい。実際、他所はそうしてます」
「はい」
「でも、うちのは、うちで十年動いてるやつなので」
「……はい」
「それを、また十年動かしたいんです」
僕は、うまく返事ができなかった。
この人が言っているのは、たぶん、僕がやろうとしていることと同じだった。
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「また、お願いできますか」
「もちろんです」
「二年後ですね。検査の」
「はい」
「その時も、御社に」
「ぜひ」
握手をした。
手が、大きくて、硬かった。
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会社に戻ってから、レジスに報告した。
「終わったわね」
「終わった」
「数字、出しておいたわ」
差し出された画面には、七か月分の収支が並んでいた。
「……黒字だ」
「黒字よ」
「初めてじゃないか?」
「整備事業としては、初めてね」
レジスは、少し得意げだった。
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「大きい案件だったからか」
「それもあるわ。でも、それだけじゃない」
「じゃあ」
「人が増えたからよ」
彼女は、数字を指した。
「技術担当くんに部下が二人ついたでしょう。あの三人で、定型の検査を回せるようになったの。だから、台数を捌けた」
「うん」
「それが、そのまま利益になってる」
「なるほど」
「あなたが、そこにいなくても回るようになったの」
その言い方に、少し引っかかった。
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「僕、必要ない?」
「そうは言ってないわ」
「言ったろ」
「言ってない」
レジスは、少し呆れた顔をした。
「あなたが必要なところは、まだ残ってるわよ。診断でしょう」
「うん」
「そこは、あなたしかできない」
「……そうだな」
「あなたしかできないから、そこが詰まる」
結局、そこに戻った。
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その夜、技術担当くんが来た。
「社長」
「うん」
「ご報告があります」
珍しく、少し緊張しているように見えた。
「なんだ」
「三十七番の作業なのですが」
「うん」
「途中から、判断の一部を、私がしていました」
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「……え?」
「申し訳ありません。事後報告になります」
「いや、待って」
僕は、少し混乱した。
「判断って、どこの」
「どこを戻して、どこを残すかです」
「それ、僕がやってたよな」
「最初は、そうでした」
あの子は、そう答えた。
「三十七番の作業は、二か月ありました。その間、社長は他の個体も並行して見ておられました」
「……そうだな」
「手が足りていない時に、私が仮の判断をして、後で社長に確認していただく形にしていました」
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「確認、してたか?」
「していただいていました」
「覚えてないぞ」
「毎回、はい、と答えておられました」
……やった気がする。
忙しい時に、書類を見せられて、内容も見ずに了承したことが、何度かあった気がする。
「それ、全部通ってたのか」
「はい」
「……一件も直されなかった?」
「二件、修正がありました。残りは、そのままです」
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僕は、しばらく黙っていた。
「じゃあ、お前、できるってことじゃないか」
「できるかどうかは、分かりません」
「二件しか外してないだろ」
「その二件が、重要だった可能性があります」
慎重だった。
「見せてくれ」
「はい」
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修正された二件を見た。
どちらも、微妙な判断だった。戻しすぎか、残しすぎか。その境目の話だ。
僕がなぜそう直したのかを、思い出そうとした。
……思い出せなかった。
その場では、たぶん理由があった。でも、言葉にしていないので、残っていない。
「これ、なんで直したのか、覚えてない」
「そうですか」
「悪い」
「いえ」
あの子は、少し考えるような間を置いた。
「私も、なぜ自分がそう判断したのか、説明できません」
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その一言で、僕は、なんとなく分かった気がした。
この子は、たぶん、覚えたのだ。
言葉にできないものを、言葉にしないまま。
七か月、隣で見ていたから。
「なあ」
「はい」
「他の個体でも、できるか」
「試したことはありません」
「試してみるか」
「……よろしいのですか」
「いいよ」
僕は、そう答えた。
「間違えたら、直すから」
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翌週から、技術担当くんにも診断をやらせた。
最初のうちは、毎回確認した。
一週目は、五件のうち一件を直した。
二週目は、八件のうち一件。
三週目は、十件見て、直したのは、ゼロだった。
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「もういいんじゃないか」
僕がそう言うと、あの子は少し慌てた。
「まだ、判断の根拠が曖昧です」
「曖昧でいいよ」
「よくありません」
「僕も曖昧だから」
「……」
「二人で曖昧なら、たぶん、それが正解なんだよ」
適当なことを言った自覚はある。
でも、たぶん、そう外れてもいない。
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その日から、うちの診断は二人でやることになった。
僕が見る日と、技術担当くんが見る日。忙しい時は、分担する。
結果として、一日に見られる台数が倍になった。
レジスが、また数字を出してきた。
「これで、ボトルネックは解消ね」
「そうだな」
「よかったじゃない」
「うん」
「……嬉しくなさそうね」
「嬉しいよ」
嬉しかった。
嬉しかったが、少しだけ、変な気分だった。
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その夜、エグゼが隣に来た。
「聞いたよ」
「なにを」
「技術担当くんの話」
「ああ」
「よかったね」
「うん」
少しの沈黙があった。
「寂しい?」
「……少し」
あの子は、それ以上は聞かなかった。
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しばらくして、こう言った。
「あなた、前も同じこと言ってた」
「いつ」
「新人が来て、三権が教えるようになった時」
「……ああ」
「あの時も、寂しいって言ってた」
言った気がする。
「でも、あの時、なんて言ったか覚えてる?」
「なんだっけ」
「そういうものを作ろうとしたんだから、それでいい、って」
……言った。
たしかに、言った。
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「同じでしょう」
「同じだな」
「なら、いいじゃない」
エグゼは、そう言って立ち上がった。
「あと」
「なに」
「あなたにしかできないことは、まだあるよ」
「なに?」
「今日、工場長さんと握手してたでしょう」
「見てたのか」
「聞いた。技術担当くんから」
あの子は、少しだけ、口の端を上げた。
「あれは、あの子にはできない」
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僕は、しばらくその言葉を考えていた。
握手。
そんなものが、僕にしかできないことなのだろうか。
……たぶん、そうなのだと思う。
二年後、また来てくださいと言われた。その約束を交わしたのは、僕だ。
診断は、誰かができるようになった。
でも、あの人が誰に頼みたいかは、まだ、僕が決めているわけではない。
あの人が、決めている。
そして、僕を選んでくれた。
……それだけで、十分だった。
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