第79話:手が雑になった
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二か月は、あっという間に過ぎた。
最初の一か月は、人を増やすことに使った。
技術担当くんの下に、二人。定型の検査を任せられるようにするための増員だった。
「教えられるか」
「教えます」
あっさりしていた。
「難しくないか」
「機械の側は、手順が決まっていますので」
その時は、そう言っていた。
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二週間後、あの子が僕のところに来た。
「一点、ご相談が」
「どうした」
「教えるのが、思ったより難しいです」
珍しく、困った顔をしていた。
「手順は、すぐ覚えます。三日で一通り入りました」
「早いな」
「早いです。ただ」
あの子は、そこで一度、言葉を切った。
「手順の外側が、伝わりません」
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「外側?」
「たとえば、ネジの締め方です」
「規定のトルクがあるだろ」
「あります。数値も教えました。工具も設定してあります」
「じゃあ」
「それでも、締めすぎる時があります」
「規定値なのに?」
「規定値です。ですが、その個体の状態によっては、規定値でも負荷がかかることがあります」
「……分かるのか、それ」
「分かります」
即答だった。
「ですが、説明できません」
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僕は、少し笑ってしまった。
「なんで笑うんですか」
「いや、悪い」
「何かおかしいでしょうか」
「同じことを、僕もやってる」
あの子が、こちらを見た。
「中身を診る時も、そうなんだよ。ここは戻していい、ここは残す、っていう判断が、感覚でしかない」
「……はい」
「説明しようとすると、うまくいかない」
「そうです」
「だから、教えるのが難しい」
「そうです」
二人で、しばらく黙っていた。
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監査役に相談すると、こう言われた。
「そら、当たり前や」
「当たり前ですか」
「手順は言葉になっとるから、教えられる。感覚は言葉になってへんから、教えられへん」
「じゃあ、どうすれば」
「言葉にせえ」
あっさりしていた。
「無理でしょう」
「無理やない。時間がかかるだけや」
監査役は、そう言った。
「その子が締めすぎた時に、なんでそう思ったかを聞くんや。ほんで、あんたがなんでそう思わへんかったかを言うんや。それを何十回もやったら、そのうち言葉になる」
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実際、そうした。
技術担当くんが、作業のたびに二人と話し合うようになった。
どこで判断が分かれたか。なぜそう思ったか。それを毎回、確認する。
効率としては、最悪だった。作業時間が、倍近くかかった。
でも、三週目に入る頃、一人が言った。
「今の、たぶん締めすぎでした」
自分で気づいていた。
技術担当くんが、少し驚いた顔をしていた。
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もう一つ、変わったことがある。
主人公——というのも変だが、僕自身の作業も、見せることにした。
中身を診るところだ。
今まで、一人でやっていた。誰かに見せるものだと思っていなかったし、見せても意味がないと思っていた。
でも、監査役に言われた。
「あんたのやってること、誰も見たことないやろ」
「そうですね」
「見せるだけでも、ちゃうで」
だから、見せた。
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三人が、僕の後ろに立って、作業を見ていた。
「今、何を見てるんですか」
技術担当くんが、そう聞いた。
「動作の記録」
「何を探しているのですか」
「変なところ」
「変、というのは」
「……説明しにくいな」
言ってから、自分でも情けなくなった。
監査役の言った通りだった。言葉になっていない。
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「じゃあ、こうしよう」
僕は、画面を指した。
「ここ、腕の角度が、この範囲に集中してる」
「はい」
「本来、もっと広く使えるはずなんだ。でも、この個体は狭い範囲しか使ってない」
「効率が悪い、ということですか」
「悪くはない。むしろ、この作業には最適化されてる」
「では、問題は」
「他の動きができなくなってる」
三人が、画面を見た。
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「これ、癖なんだ」
僕は、そう説明した。
「長く同じ作業をしてると、そこに最適化される。それ自体は悪くない。むしろ上手くなってる」
「はい」
「でも、別の作業を頼まれた時に、動けない」
「なるほど」
「だから、少しだけ戻す。全部じゃない。今の上手さは残したまま、可動域だけ広げる」
「その加減が、判断ということですね」
「そう」
技術担当くんは、しばらく画面を見ていた。
「……難しいですね」
「難しい」
「戻しすぎると、上手さも消えますか」
「消える」
「では、どこまで戻すかは」
「感覚」
結局、そこに戻った。
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三か月目から、工場に入った。
北山工業の第一工場。まず、そこから始めることになった。
初日、案内された作業場で、僕は少し驚いた。
広かった。
当たり前だが、うちの作業場とは規模が違う。天井が高くて、機械が並んでいて、その間をアンドロイドが動いている。
「八十台ほどおります」
工場長が、そう言った。
「ここだけで?」
「ここだけで」
三つの工場を合わせて二百四十台という数字が、初めて実感として入ってきた。
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作業は、順番にやることになった。
工場を止めるわけにはいかない。だから、稼働を止められる台から、少しずつ見ていく。
一日に見られるのは、多くて五台だった。
技術担当くんと部下二人が、検査と機械側の整備を担当する。僕は、中身を診る。
最初の一週間は、順調だった。
摩耗した部品を替えて、癖を少し戻して、返す。それの繰り返しだった。
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問題は、二週目に起きた。
その個体が運ばれてきた時、僕は、すぐに違和感を持った。
外見は、他と変わらない。動作も、問題ない。歩くし、腕も上がるし、指示にも従う。
でも、何かが違った。
「これ、何番ですか」
「三十七番です」
工場長が、そう答えた。
それから、少し声を落とした。
「……前に、出したやつです」
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僕は、記録を開いた。
整備の履歴が残っていた。半年ほど前に、外部の業者に出されている。
処置の欄には、一行だけ書いてあった。
——初期化により、症状消失。
……やっぱりか。
「その前は、どういう症状だったんですか」
「動きが、少し引っかかるようになりまして」
「引っかかる」
「腕を上げる時に、時々。危ないので、見てもらったんです」
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「戻ってきて、どうでした」
「引っかかりは、なくなりました」
「他は」
工場長は、少し言いにくそうにした。
「……変わりました」
「どう」
「うまく言えないんですが」
あの人は、しばらく考えていた。
「手が、雑になったんです」
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実際に、動かしてみた。
言われている意味が、すぐに分かった。
部品を持つ動作がある。工程の中で、何百回と繰り返しているはずの動きだ。
その持ち方が、粗い。
落とすわけではない。傷つけるわけでもない。規定の範囲には収まっている。
でも、無駄がある。
最短距離で動いていない。角度も、毎回わずかに違う。
「これ、前は違ったんですね」
「違いました」
工場長が、そう言った。
「もっと、こう……すっと持ってました」
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記録を遡った。
初期化前のデータは、当然、残っていない。初期化とは、そういうものだ。
残っているのは、初期化後の記録だけ。半年分ある。
その半年で、少しずつ改善はしている。同じ作業を繰り返しているのだから、当然だ。
でも、遅い。
十年かけて積み上げたものを、半年で取り戻せるわけがない。
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「直せますか」
工場長が、そう聞いた。
僕は、正直に答えた。
「今のままだと、時間がかかります」
「どれくらい」
「何年か」
工場長が、少し黙った。
「……そうですか」
「すみません」
「いえ。仕方ないです」
その言い方に、諦めが混じっていた。
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その日の帰り道、僕は、ずっとそのことを考えていた。
初期化されたものは、戻らない。
それは、事実だ。消したものは、消えている。
……でも。
僕は、あることを思い出していた。
うちで、レジスを戻した時のことだ。
あの時、僕は、記録を頼りに戻した。日々のやり取りと、書き残していたもの。それを読ませて、少しずつ育て直した。
完全には戻らなかった。細かいところは、たぶん違う。
それでも、核は戻った。
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あの時、僕には記録があった。
だから、戻せた。
じゃあ、この個体はどうか。
初期化された時点で、それ以前のデータは消えている。工場にも残っていない。
……本当に?
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次の日、僕は工場長に聞いた。
「業者に出した時、どういう手順だったか、分かりますか」
「手順、ですか」
「はい。預けて、何日で戻ってきましたか」
「三日だったと思います」
「三日」
「早いですよね。助かったんですが」
早すぎる、と思った。
初期化するだけなら、三日もかからない。でも、預かって、確認して、処置して、動作を見て、返すとなると、それくらいはかかる。
問題は、その間に何をしたかだ。
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「その業者、連絡先は分かりますか」
「分かりますけど」
「聞きたいことがあるんです」
「なんでしょう」
僕は、少し迷ってから言った。
「バックアップを、取ってないか」
工場長が、きょとんとした。
「バックアップ?」
「初期化する前に、元の状態を保存してることがあります」
「そんなことするんですか」
「する業者もあります」
実際、うちはそうしている。
初期化する前には、必ず取る。戻したいと言われた時に、戻せなくなるからだ。
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「でも、何も言われませんでしたよ」
「言わない業者もいます」
「なんでですか」
「たぶん、必要がないと思ってるからです」
僕は、そう答えた。
「症状が消えれば、仕事は終わりなので。それ以上のことを、聞かれてもいないのに説明する理由がない」
「……そういうものですか」
「そういうものです」
悪意があるわけではない。
ただ、見ているものが違う。
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問い合わせは、その日のうちに出した。
返事が来たのは、三日後だった。
短いメールだった。
——該当個体の初期化前データ、保管期間内につき保存しております。ご要望があれば提供いたします。
……あった。
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僕は、しばらくその画面を見ていた。
あった。
消えていなかった。
誰も探さなかっただけで、ずっとそこにあった。
半年間。
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工場長に、電話をかけた。
「あの、三十七番の件ですが」
「はい」
「データが、残っていました」
少しの沈黙があった。
「……残ってた?」
「業者に、保管されていました」
「それは」
工場長の声が、少し上ずった。
「戻せるってことですか」
「たぶん」
僕は、そう答えた。
「ただ、時間はかかります。単純に上書きすれば済む話じゃないので」
「かかっても、いいです」
即答だった。
「かかっても、いいです」
二回、言われた。
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