第78話:できます
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じえいが帰ってきたのは、夕方だった。
階段を、三段飛ばしで上がってきた。
「社長!」
「なんだ」
「取れました!」
両手を上げていた。
「なにが」
「契約っす!」
……嫌な予感がした。
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じえいが営業に出るようになって、しばらく経つ。
最初のうちは、小さな案件ばかりだった。個人宅の整備、店舗の一台、それくらいだ。
それでも、あいつは毎回、嬉しそうに報告してきた。
「今日、話聞いてもらえました!」
「契約は?」
「まだっす! でも、話は聞いてもらえました!」
その段階で喜んでいた。
だから、実際に契約が取れたと言われても、最初は同じ調子だと思っていた。
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「どこの案件だ」
「北山工業さんっす!」
……聞いたことがある。
というより、知らない方がおかしい。この地域では、大きい方の会社だ。工場を三つ持っていて、従業員は——いや、今は従業員という言い方をするのかどうか。
とにかく、規模が違う。
「その会社の、なんの契約だ」
「アンドロイドの整備っす!」
「何台」
「えっと」
じえいは、少し考えた。
「全部っす!」
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僕は、椅子から立ち上がった。
「全部?」
「はい! 工場三つ分、一括でお願いしたいって!」
「……何台あるんだ」
「聞いてないっす!」
「聞け!」
「聞いてなかったっす!」
あいつは、なぜか誇らしげだった。
「でも、たぶん多いっす! 大きい会社なんで!」
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その場に、ドンナがいた。
端末を開いて、既に何かを調べていた。
「マスター」
「なんだ」
「北山工業、公開情報によりますと、稼働中のアンドロイドは、およそ二百四十台ですわ」
二百四十。
「うちの現在の顧客が、合計で何台か、覚えていらして?」
「……八十くらい?」
「七十六台ですわ」
三倍以上だった。
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「じえい」
「はい!」
「なんて言った」
「え?」
「向こうに、なんて答えた」
じえいは、少し胸を張った。
「できます! って言いました!」
「……即答か」
「即答っす!」
「なんで」
「だって、うち、整備の会社じゃないっすか」
……間違ってはいない。
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「先方の反応は」
ドンナが、そう聞いた。
「めっちゃ喜んでました! 助かるって!」
「日程の話は?」
「来月から順次でお願いしますって」
「来月」
ドンナの声が、一段低くなった。
「今日は、何日でしたかしら」
「二十三日っす!」
「来月まで、あと八日ですわね」
「はい!」
「二百四十台を」
「はい!」
じえいは、まだ気づいていなかった。
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その日の夜、全員を集めた。
二階に、椅子を並べた。
「まず、じえいは悪くない」
最初に、そう言った。
「え、自分、怒られると思ってたっす」
「怒りたい気持ちはある」
「あるんすか」
「ある。でも、後回しだ」
じえいが、少し肩を落とした。
「今は、どうするかを決める」
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レジスが、最初に口を開いた。
「数字を出すわ」
「頼む」
「二百四十台。仮に、一台あたりの作業を平均三時間としましょう」
「三時間?」
「検査だけならもっと短いわ。でも、うちは調整も込みでしょう。過去の実績から均すと、そのくらいになるの」
「うん」
「合計、七百二十時間よ」
……七百二十。
「作業できるのは、一日何時間?」
「技術担当くんが、実質十時間くらい」
「では、七十二日」
「二か月半か」
「はい。ただし、他の仕事を全部止めた場合よ」
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「止められないな」
「止められないわね」
レジスは、あっさり言った。
「今の顧客が七十六台。定期の検査も入るし、持ち込みの相談も来るわ。それを断ったら、うちは信用を失うの」
「うん」
「つまり、実際にはもっとかかる。四か月から、半年でしょうね」
「先方の希望は、来月から順次だぞ」
「順次、という言葉が、どこまでを指すかによるわ」
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そこで、技術担当くんが手を挙げた。
「一点、よろしいですか」
「どうぞ」
「レジスさんの試算は、私が一人で作業する前提かと思います」
「そうね」
「人を増やせば、短縮できます」
「どれくらい?」
「単純計算では、人数分です。ただし」
あの子は、そこで一度、言葉を切った。
「教える時間が必要です」
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「どれくらいかかる」
「作業の種類によります」
技術担当くんは、そう答えた。
「定型の検査であれば、二週間ほどで一通り覚えられると思います。手順が決まっていますので」
「早いな」
「機械の側は、そう複雑ではありません。図面通りに動きますので」
「じゃあ、増やせば回るのか」
「いえ」
即答だった。
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「問題は、そこではありません」
「じゃあ、どこだ」
「診断です」
あの子は、こちらを見た。
「機械の不具合であれば、私が見られます。部品の摩耗も、駆動系の異常も、判断できます」
「うん」
「ですが、中身の問題は、社長にしか判断できません」
……ああ。
「二百四十台のうち、何台がそちらに該当するかは分かりません。ですが、ゼロではないはずです」
「工場のアンドロイドでも?」
「あります。むしろ、多いかもしれません」
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「なんで多いんだ」
「長く同じ作業をしているからです」
技術担当くんは、そう説明した。
「同じ動作を繰り返すと、癖がつきます。その癖が、効率を落とすことがあります。機械としては正常でも、動きが最適ではなくなる」
「それ、直せるのか」
「直せます。ただ、どこまで戻すかの判断が必要です」
「僕がやるやつだな」
「はい」
あの子は、はっきりうなずいた。
「私が増員されても、そこは変わりません。社長が一人である限り、そこで詰まります」
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部屋が、静かになった。
その通りだった。
人を増やせば手は増える。でも、判断する人間は一人しかいない。
しかも、それは僕が望んだ形でもある。
自分の手で見たい。よそに出して初期化されるのが嫌だ。そう言って、この会社を作った。
その結果が、これだ。
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「断るしかないんじゃない?」
ジュディが、そう言った。
「無理なものは無理でしょう。できないことを引き受けたら、迷惑をかけるわ」
「そうだけど」
「先方だって、来月から動かないと困るから頼んでるのよ。半年待ってくれとは言えないでしょう」
正しかった。
でも、僕は、少し引っかかっていた。
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「なんで、うちに来たんだと思う?」
僕は、そう聞いた。
「え?」
「大手なら、他にも選択肢があるだろ。整備チェーンでも、メーカー系列でも。なんで、うちみたいな小さいところに」
全員が、少し黙った。
「じえい」
「はい」
「向こう、なんて言ってた」
じえいは、少し考えてから答えた。
「えっと……前に出したところが、あんまり良くなかったって」
「良くない?」
「戻ってきたら、動きが変わってたって言ってました」
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……初期化だ。
「それ、詳しく聞いたか」
「聞いてないっす」
「聞け」
「はい!」
「いや、待て。明日、僕も行く」
言ってから、少し考えた。
「レジス、うちの試算、もう一回頼めるか」
「なにを」
「体制を作る時間を含めた場合の、現実的な工程」
「……受ける前提?」
「受けたい」
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レジスが、こちらを見た。
「無理だと思うけど」
「うん」
「言ったわよね。四か月から半年って」
「言った」
「それでも?」
「うん」
少しの沈黙があった。
「……理由は」
「向こうが、初期化されて困ってるからだよ」
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それを聞いて、エグゼが少しだけ顔を上げた。
「じゃあ、断れないね」
「え」
「あなた、それが嫌でこの会社を作ったんでしょう」
「……うん」
「なら、断れないでしょう」
あっさり言われた。
レジスが、深くため息をついた。
「……分かったわ。試算し直す」
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結論から言うと、こうなった。
全部を来月からは、無理。それは変わらない。
でも、段階的にならできる。
まず、二か月かけて体制を作る。技術担当くんに部下を二人つけて、定型の検査を任せられるようにする。その間、うちは通常業務を回す。
三か月目から、順次着手する。工場を一つずつ、順番に。
全部終わるのは、七か月後。
「長いな」
「長いわね」
「向こう、待ってくれるかな」
「それは、話してみないと分からないわ」
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翌日、僕は、じえいと一緒に北山工業へ行った。
行く直前に、監査役が現れた。
「うちも行くわ」
「え」
「あかんの?」
「いや、別に」
「ほな、行くで」
あっさり決まった。
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道中、監査役は、じえいに何も言わなかった。
説教されると思っていたのか、じえいは最初、緊張していた。
「あの、自分、怒られないんすか」
「なんでや」
「いや、やらかしたんで」
「やらかしたか?」
「やらかしたっす」
監査役は、少し笑った。
「あんた、営業やろ」
「はい」
「営業が、できます言うて何が悪いねん」
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「……いいんすか」
「ええわけないけどな」
あっさり否定された。
「せやけど、あんた一人で行かせたのは、こっちの問題や」
「え」
「営業に行かせるんやったら、どこまで約束してええかを先に決めとくんが筋やろ。それ、誰も決めてへんかったんちゃうん」
……決めていなかった。
完全に、決めていなかった。
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「社長」
「はい」
「あんた、この子に何を持たせた?」
「……名刺」
「それだけか」
「それだけです」
「そら、できます言うわ」
監査役は、そう言った。
「判断の基準を渡してへんのに、判断させたらあかんやろ」
その通りだった。
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「せやから、うちがついて行く」
「教育ですか」
「ちゃうわ」
即答だった。
「基準を作りに行くんや」
「基準?」
「この子が何を約束してええか、どこから持ち帰るか。それを決めるには、現場を見なあかんやろ」
なるほど、と思った。
この人は、じえいを直そうとしていない。
仕組みの方を直そうとしている。
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北山工業は、思ったより古い建物だった。
案内されたのは、工場長だという人だった。六十くらいに見えた。
挨拶を済ませてから、僕は正直に切り出した。
「来月から全部というのは、無理です」
工場長は、少し驚いた顔をした。
「そうですか」
「はい。うちの規模では、対応できません」
「……そうですよね」
拍子抜けするくらい、あっさり受け入れられた。
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「実は、ほかにも断られてまして」
「え」
「二社ほど、話をしたんです。どちらも、うちの規模だと難しいと」
「そうなんですか」
「大手さんは、受けてくれるんですよ。ただ」
工場長は、そこで少し言葉を切った。
「前に一度、出したんです。そうしたら」
「……動きが、変わりましたか」
工場長が、こちらを見た。
「知ってるんですか」
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「よくある話です」
僕は、そう答えた。
「初期化されたんだと思います」
「初期化」
「設定を、工場出荷時の状態に戻すことです。不具合が出た時、原因を探すより早いので」
「……そんなことを」
「効率としては、正しいんです」
「でも、うちのは」
工場長は、少し声を落とした。
「十年、うちで動かしてるやつなんです」
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「戻ってきたら、別のものになってました」
その言い方に、僕は、少し胸が詰まった。
「動くんです。ちゃんと動く。検査も通ってる」
「はい」
「でも、前と違うんですよ。手が、雑になった」
「……分かります」
「分かりますか」
「分かります」
工場長は、それを聞いて、少し黙った。
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「だから、御社に頼みたかったんです」
「うちに?」
「小さいところの方が、丁寧に見てくれると思って」
その言い方が、そのまま僕の会社の理由だった。
「……七か月、いただけますか」
「七か月」
「それが、うちの正直な数字です。急げば、たぶん雑になります」
工場長は、しばらく考えていた。
それから、こう言った。
「待ちます」
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「いいんですか」
「早く済ませて、また同じことになるより、いいです」
あっさりしていた。
「それに、うちも工場を止めるわけにいかないので。順番にやってもらえるなら、その方が助かります」
……そういうものらしい。
僕は、少し力が抜けた。
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帰り道、じえいが黙っていた。
珍しいことだった。
「どうした」
「……いや」
「言えよ」
「自分、なんも聞いてなかったっす」
あいつは、そう言った。
「工場長さん、あんな話してたのに。自分、台数も聞かなかったし、なんでうちに頼むのかも聞かなかったっす」
「そうだな」
「怒らないんすか」
「怒らない」
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「今のは、僕が悪い」
「え」
「何を聞いてくるか、教えてなかった」
「でも」
「監査役に言われた。基準を渡してないのに判断させるな、って」
じえいは、少し黙った。
「……次から、聞きます」
「なにを」
「台数と、納期と、なんでうちなのか」
「それでいい」
「あと」
あいつは、少し考えてから言った。
「できますって言う前に、一回持ち帰ります」
その一言が、たぶん、いちばん大きかった。
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監査役が、後ろで小さく笑った。
「言うようになったやん」
「うるさいっす」
「褒めとんねん」
「褒められてる気しないっす」
その後、しばらく二人でやり合っていた。
僕は、少し離れて歩きながら、それを聞いていた。
……悪くないな、と思った。
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