第77話:公園
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その日、僕は、家を出た。
理由はない。求人を三件送って、返事を待つだけの時間ができたからだ。
部屋にいると、うちの一台が何かと話しかけてくる。飲み物はいるか、部屋の温度はどうか、そういうことを。
悪気はないのだろう。でも、聞かれるたびに、自分が何もしていないことを確認させられる気がする。
だから、出た。
行き先は、決めていなかった。
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歩いていると、公園に出た。
昔からある公園だ。子供の頃、何度か来た記憶がある。
あの頃は、もっと静かだった気がする。
今日は、人がいた。
しかも、けっこう多い。
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子供が、走り回っていた。
数えると、十人以上いる。年齢はばらばらだ。小学生くらいの子もいれば、まだ歩き始めたばかりの子もいる。
その周りに、大人がいた。
ベンチに座っている人。子供を追いかけている人。何人かで話し込んでいる人。
平日の、午後二時だった。
……全員、働いていない。
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そう思った時、少し、居心地が悪くなった。
自分も同じだからだ。
僕は、少し離れたベンチに座った。
特に何をするでもなく、ただ、その光景を見ていた。
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母親らしい人が、子供に何か言っていた。
「そっち行ったら危ないよ」
「はーい」
返事だけして、そのまま走っていった。
母親は、少し笑って、追いかけていった。
その隣で、父親らしい人が、下の子を抱いていた。
……夫婦とも、いるのか。
考えてみれば、当たり前だった。二人とも、働いていないのだから。
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別のベンチで、二人の女性が話していた。
声が、少しこちらまで届く。
「三人目、来月なんだって」
「早いね」
「うん。だから、今のうちに部屋広くしようかって」
「引っ越すの?」
「同じ団地の、上の階。あそこ、四人以上いると優先で入れるから」
「いいなあ」
……そういう制度が、あるらしい。
知らなかった。
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考えてみれば、当然かもしれない。
基礎所得保障は、一人あたりで支給される。子供にも出る。
つまり、人数が多いほど、世帯の収入は増える。
しかも、学費は無料だ。教育に関する費用は、ほとんどかからない。医療も同じだ。
子供を持つことに、金銭的な障害がない。
僕が子供の頃は、たしか逆だった。子供を持つと金がかかるから、産まない。そういう話をよく聞いた気がする。
今は、そうじゃない。
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「パパー!」
子供が、父親に向かって走っていった。
抱き上げられて、笑っていた。
その父親も、笑っていた。
僕は、それを見ていた。
……幸せそうだな、と思った。
思ってから、自分の中で、何かが少し引っかかった。
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あの人たちは、働いていない。
僕も、働いていない。
同じはずだ。
同じ金をもらって、同じように時間があって、同じように何の義務もない。
なのに、あちらは笑っている。
僕は、ベンチに座って、それを見ている。
何が違うんだろう。
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働いていないことを、恥じている様子はなかった。
当たり前だ。恥じる理由がない。八割がそうなのだから、それが標準だ。
むしろ、恥じているのは僕の方かもしれない。
……いや。
僕は、少し考え直した。
あの人たちには、やることがある。
子供がいる。世話をする相手がいる。今日やらなければならないことが、たぶん十個くらいある。
僕には、ない。
求人を三件送った。それで、今日の予定は終わりだった。
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じゃあ、僕も同じようにすればいいのか。
結婚して、子供を持って、その世話をして暮らす。
……できるだろうか。
相手がいない、という以前の問題だった。
僕が欲しいのは、たぶん、そういうものじゃない。
でも、じゃあ何が欲しいのかと聞かれると、答えられない。
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働きたい、と思っている。
それは、間違いない。
でも、なぜ働きたいのかを、うまく説明できない。
金が欲しいわけではない。困っていない。
誰かの役に立ちたい、というほど立派でもない。
……たぶん、認められたいのだと思う。
誰かに、必要とされたい。
それが、仕事という形でしか手に入らないと、思い込んでいるだけかもしれない。
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あの父親は、子供に必要とされている。
あの母親も、そうだ。
だから、働いていなくても、平気なのだと思う。
……ずるい、と思ってしまった。
思ってから、自己嫌悪した。
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小一時間ほど、そこにいた。
帰ろうと立ち上がった時、子供が一人、僕の前に転がってきた。
ボールを追いかけていたらしい。
「大丈夫か」
「うん」
膝を擦りむいていた。血が出ている。
「痛くないのか」
「痛い」
言いながら、泣いてはいなかった。
僕は、少し迷ってから、鞄を探した。絆創膏があった気がした。
あった。いつ入れたのかは、覚えていない。
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「貼るか」
「うん」
膝に貼った。子供は、それを見ていた。
「おじさん、ありがとう」
「おじさんじゃない」
「おにいさん」
「……まあ、いいや」
子供は、笑って、走っていった。
その背中を見ながら、思った。
今、少しだけ、役に立った気がする。
絆創膏を一枚貼っただけだ。
それだけのことで、少し気分が良くなった自分に、また少し、嫌になった。
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帰り道、スマートフォンを見ていた。
特に理由はない。歩きながら、なんとなく画面を見る癖がついている。
地域の情報が流れてきた。
商店街の記事だった。
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——駅北商店街、来訪者が増加
写真が載っていた。人が歩いている通りの写真だ。
記事によると、この半年ほどで、日曜の来訪者が目に見えて増えたらしい。
理由として、ある広告が挙げられていた。
各店舗の主人が語った言葉を、そのまま載せたページ。それが評判になって、少しずつ人が来るようになった、と。
……ふうん。
僕は、そのページを開いてみた。
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小豆が甘いのは、ハレの日のものだったからです。
この厚みは、三代前から変えていません。
うちの魚は、朝しか出しません。夕方には、いい顔をしていないので。
……上手いな、と思った。
商品の写真は小さい。文章も、売り込んでいない。
でも、読んでしまう。
こういうのを、たぶん、才能と言うのだと思う。
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記事の最後に、制作した会社の名前があった。
K's Factory。
……聞いたことがある。
どこだったか、と思って、少し考えた。
思い出した。
先輩の会社だ。
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立ち止まった。
道の真ん中だった。
僕は、その名前を、しばらく見ていた。
あの人は、会社を作ったと言っていた。整備の会社だと。うちには枠がないと言われた。
……広告も、やってたのか。
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検索してみた。
会社の情報が、すぐ出てきた。
事業内容が、三つ書かれていた。
アンドロイドの整備と調整。
広告代理業。
それから——健康管理サービス。
「なんだこれ」
声に出ていた。
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健康管理サービスの説明を読んだ。
高齢者向けらしい。機器を貸し出して、脈拍や活動量を測る。異常があれば連絡する。それだけのサービスだ。
月額千円と書いてあった。
……安いな。
安すぎる気がした。
この手のサービスは、たいてい、もっと高い。警備会社のものは月に何千円もするし、駆けつけには別料金がかかる。
なのに、千円。
しかも、契約は既に数百件あるらしい。
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僕は、しばらくその画面を見ていた。
整備、広告、健康管理。
業種が、ばらばらだ。
普通の会社なら、こんなに手を広げない。一つの事業を深くやる方が効率がいいし、リスクも小さい。
なのに、三つもやっている。
なぜだろう。
……いや。
考えているうちに、一つ、思い当たった。
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広告代理業を持っている会社が、健康管理サービスを始める。
しかも、安く。
安ければ、人が集まる。集まった人の情報が、手に入る。
年齢、住所、健康状態、生活のリズム。
……全部、広告に使える情報だ。
しかも、高齢者だ。
この層の情報は、たぶん、高く売れる。
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僕は、画面を閉じた。
心臓が、少し速くなっていた。
そういうことか。
あの人は、広告の仕事をやっていた。だから知っているはずだ。顧客の情報がどれだけ価値を持つか。それをどう集めれば効率がいいか。
安いサービスで人を集めて、情報を握る。
広告の世界では、よくある手法だ。僕でも知っている。
……なるほど。
だから、うちには枠がないと言ったのか。
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歩きながら、僕は、その考えを何度も確かめた。
確かめるほど、辻褄が合った。
整備で客と接点を作る。広告で情報の使い道を作る。健康管理で情報を集める。
全部、繋がっている。
偶然じゃない。
最初から、そのつもりで設計されている。
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あの日のことを、思い出した。
アカウントを一か月貸してもらった。ログを見せろと言われた。
あの時は、親切だと思った。
でも、今から考えると、あれも情報だ。
僕が何をどう使うかを、あの人は見ていた。
……使えない、と判断されたのか。
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家に着く頃には、日が暮れていた。
「おかえりなさい」
うちの一台が、そう言った。
「ああ」
「お飲み物を——」
「いらない」
少し、強い言い方になった。
「かしこまりました」
いつも通りの返事だった。
いつも通りすぎて、余計に腹が立った。
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部屋に入って、僕は、しばらく座っていた。
あの人は、いい人だと思っていた。
飯を奢ってもらったこともある。何度も相談に乗ってもらった。断られた時も、丁寧だった。
でも、それが全部、上手いやり方だったとしたら。
……考えすぎだろうか。
考えすぎかもしれない。
でも、辻褄は合っている。
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その夜、寝つけなかった。
天井を見ながら、昼間の公園を思い出していた。
子供が笑っていた。父親が、それを抱き上げていた。
あの人たちは、たぶん、何も知らない。
情報がどう集められて、どう使われているかも。
知らないまま、幸せそうにしていた。
……それでいいのかもしれない。
でも、僕は、知ってしまった。
知ってしまったら、もう、戻れない気がした。
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