第76話:職業訓練
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朝、目が覚めるのは、だいたい十時頃だ。
目覚まし時計は、しばらく使っていない。起きなければならない時間が、ないからだ。
起きて、顔を洗って、部屋に戻る。
朝食は、たいてい用意されている。
「おはようございます」
「ああ」
うちの一台が、そう言う。
毎朝、同じ挨拶だ。返事も、だいたい同じになる。
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金には、困っていない。
基礎所得保障——世間ではベーシックインカムと呼ばれている——が、毎月、口座に振り込まれる。
手続きは、要らない。申請も、面接も、書類もない。
制度が始まった時、そこは徹底されたらしい。誰が受け取るべきかを審査していたら、その審査に金がかかる。だったら全員に配って、あとは税で調整すればいい。そういう理屈だそうだ。
だから、僕は、何もしていない。
何もしていないのに、毎月、金が入る。
家賃も払えるし、飯も食える。アンドロイドの税金も、なんとかなっている。贅沢はできないが、困ってもいない。
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困っていないというのが、一番きつい。
これは、たぶん、経験した人間にしか分からないと思う。
金がないなら、稼げばいい。仕事を探せばいい。目標がはっきりしている。
でも、金はある。
あるのに、何もしていない。
その状態が、ずいぶん続いている。
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午前中は、求人を見ている。
画面を開けば、求人はいくらでも出てくる。数だけなら、昔より多いくらいだ。
企業には、人間を雇う義務がある。一定規模以上の会社は、決められた人数を雇わないといけない。雇えば、法人税が減額される。
だから、募集はある。
問題は、その中身だ。
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試しに、一つ開いてみる。
——業務内容:AIが処理した結果の確認、および承認
——必要な経験:不問
——勤務時間:週三日、一日四時間
承認。
AIが判断して、AIが処理して、その結果に人間が判子を押す。それだけの仕事だ。
昔なら、それは責任を伴う仕事だった。判断する人間がいて、その人が責任を負っていた。
今は、違う。
判断はAIがしていて、人間は「確認しました」と押すだけだ。押さなくても結果は同じだし、押した人間が責任を問われることもない。
制度上、人間が確認したことにしないといけない。だから、そのための人を雇っている。
……それだけだ。
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それでも、応募する。
書類は、五分で作れる。
志望動機も、自己PRも、AIに書かせれば、完璧なものが出てくる。文章は整っているし、誤字もない。
問題は、それを全員がやっていることだ。
だから、差がつかない。
完璧な書類が、何千通も届く。
その中から選ばれる基準が、何なのか。僕には、いまだに分からない。
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先月、一件だけ、面接まで進んだ。
オンラインだった。相手は、担当者が一人。
十五分で終わった。
聞かれたのは、三つだけだった。
週三日、来られますか。健康状態に問題はありませんか。他に応募している会社はありますか。
それだけだった。
志望動機も、経歴も、聞かれなかった。
三日後、不採用の通知が来た。
理由は、書いていなかった。
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昼過ぎ、端末に向かって言った。
「今朝のニュース」
壁際の画面が、明るくなった。
最近は、これが日課になっている。特に見たい内容があるわけではない。ただ、部屋が静かすぎるからだ。
少し待つと、映像が流れ始めた。
この画面に映っているのは、放送されているものではない。僕がこれまで何を見てきたかを踏まえて、その場で作られたものだ。
だから、内容は人によって違う。同じ日の同じ時刻でも、隣の部屋では別のニュースが流れている。
昔は、決まった時間に、決まった番組があったらしい。全員が同じものを見ていたと聞くと、少し不思議な気がする。
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「——内閣府の発表によりますと、現在の就業構造は、次のようになっています」
画面に、図が出た。
円グラフだった。三つに分かれている。
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「上位層が、およそ二パーセント。企業の株主、起業家、そしてAIモデルのロイヤリティを得ている層です」
二パーセント。
「中間層が、十八パーセント。AIと協働して働く層、および個人事業主です」
十八。
「そして、残る八十パーセントが、基礎所得保障の受給層となっています」
……八十。
僕は、その数字を、しばらく見ていた。
自分が、どこにいるかは、考えるまでもなかった。
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「政府は、受給層の削減を目標に掲げ、職業訓練への予算を大幅に増額する方針を決定しました」
職業訓練。
僕は、少し笑ってしまった。
行ったことがある。
以前、三十万円払って、AI活用のスクールに通った。三か月のコースだった。
教わったことは、覚えている。
こういう時は、こう聞く。この形式で指示を出す。この項目を明示する。
全部、覚えた。
現場では、一つも使えなかった。
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教わった通りに聞いても、返ってくるものが違った。
毎回、違う。同じ聞き方をしても、状況が変われば答えが変わる。だから、覚えた型が当てはまらない。
先輩に相談したことがある。
あの人は、こう言った。
——それ、たぶん、お前が教えてないだけだよ。
意味が、分からなかった。
教える? 機械に?
こっちが教わる側なのに。
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予算を増やして、また同じことをやるのだろうか。
同じことを教えて、同じように使えなくて、同じように八十パーセントに戻ってくる。
それを、削減と呼ぶのだろうか。
……まあ、いいか。
僕には、関係のない話だ。
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ニュースは、次の話題に移っていた。
「続いて、こちらのニュースです」
画面が切り替わった。
明るい音楽が鳴った。
「今、家庭用サポートアンドロイドとして人気を集めているYS-0040に、新たなモデルが登場します」
画面の中の人物が、笑顔で言った。実在しない誰かだ。
「ホワイトカラーモデルと、ブルーカラーモデル。事務作業と、現場作業のそれぞれに特化した仕様となっており、来月から順次販売が開始されます」
……は?
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僕は、画面を見ていた。
映像には、真新しいアンドロイドが映っていた。スーツを着たものと、作業着を着たもの。
どちらも、動きが滑らかだった。
「メーカーによりますと、深刻な人手不足を背景に、幅広い業種からの引き合いがあるとのことです」
人手不足。
「特にブルーカラーモデルは、危険を伴う作業を代替できることから、労働環境の改善につながると期待されています」
期待。
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僕は、画面を見たまま、しばらく動けなかった。
さっきのニュースは、なんだった。
八十パーセントが職に就いていない。だから訓練に予算を増やす。そういう話だったはずだ。
その次のニュースが、これだ。
事務も、現場も、代わりにやってくれる機械が、来月から売り出される。
しかも、明るい話として。
「人手不足を補う」と言っていた。
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誰が、足りていないんだ。
八十パーセントが、余っている。
その八十パーセントは、事務も、現場も、やろうと思えばできる。というより、やる仕事がないから、余っている。
なのに、人手不足だと言う。
……意味が、分からない。
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「鈴木さん」
声がした。
うちの一台だった。
「なんだ」
「お飲み物を、お持ちしましょうか」
「いらない」
「かしこまりました」
それだけだった。
少しして、僕は、聞いてみた。
「なあ」
「はい」
「今のニュース、見てたか」
「はい」
「どう思う」
少しの間があった。
「新しいモデルの発売についての報道でした」
「そうじゃなくて」
「と、申しますと」
「感想だよ。感想」
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「有益な情報だと思います」
……有益。
「他には」
「特にございません」
僕は、画面を消した。
いつも、これだ。
何を聞いても、当たり障りのないことしか返ってこない。それが正しいのは分かる。機械なんだから、感想なんてあるわけがない。
分かっているのに、腹が立つ。
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「お前さ」
「はい」
「あのニュース、自分のことだって分かってるか」
「と、申しますと」
「同じだろ。お前も、あれも」
「私は、家庭用サポートモデルです。報道されていたのは、業務用の新規モデルかと」
「そうじゃない」
「申し訳ありません。理解が及びませんでした」
謝られた。
僕は、それ以上、何も言わなかった。
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夜、風呂に入りながら、考えていた。
あの機械が売れれば、企業は人を雇わなくてよくなる。
いや、雇用義務があるから、形だけは雇うだろう。承認を押す仕事とか、確認したことにする仕事とか。そういう枠は残る。
でも、それだけだ。
僕が探しているのは、そういう仕事じゃない。
……というのは、贅沢な話なのかもしれない。
金には困っていないのだから。
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風呂から上がると、部屋が片付いていた。
脱ぎ散らかしていた服が、畳んである。テーブルの上も、拭いてある。
「ありがとう」
「いえ」
「なあ」
「はい」
「お前、なんでこれやってるんだ」
「業務ですので」
「業務」
「はい」
「他に理由は」
「ございません」
……そうか。
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布団に入って、天井を見ていた。
やることがないので、寝るしかない。
明日も、たぶん同じだ。十時に起きて、求人を見て、五分で書類を作って、応募して、返事を待つ。
そのうち、不採用の通知が来る。理由は書いていない。
それを、ずっとやっている。
……いつまで、やるんだろう。
考えても、答えは出なかった。
金は、明日も振り込まれる。
それだけは、確かだった。
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