第75話:押さないと動きません
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会社に戻ったのは、夜だった。
全員が、待っていた。
「どうだった」
レジスが、真っ先に聞いた。
「肺炎だった。入院した」
「命は」
「大丈夫だって。あと一日遅かったら、分からなかったらしいけど」
部屋が、静かになった。
誰も、何も言わなかった。
医療特化型の子だけが、少ししてから、口を開いた。
「……私の判断は、正しかったのでしょうか」
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妙な聞き方だった。
「正しかっただろ」
「いえ」
あの子は、首を振った。
「私は、数値の異常を検知して、連絡を入れました。応答がないことも記録しました。そこまでが、私の役割です」
「うん」
「その先——訪問することは、規約に含まれていません」
「……ああ」
言いたいことが、分かった気がした。
「今日、私が行ったのは、ジュディさんが判断されたからです。規約に定められた役割ではありませんでした」
「うん」
「もし、誰も判断しなかったら、私は行きませんでした」
あの子は、そう言った。
「その場合、あの方は亡くなっていた可能性があります。それでも、私の判断は、規約上は正しいことになります」
「……そうだな」
「私は、それを、どう考えればいいのでしょうか」
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答えられなかった。
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがて、レジスが口を開いた。
「それは、あなたが考えることじゃないわ」
「……はい」
「規約を作ったのは、私たちよ。あなたは、その範囲で正しく動いた。それだけ」
「ですが」
「足りないと思ったなら、規約を変えるの。あなたが悩むところじゃないわ」
厳しい言い方だった。
でも、それは、あの子を守る言い方でもあった。
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その夜、僕は、ノアールを呼んだ。
「規約、変えられるか」
「どこをですか」
「連絡が取れない場合の対応。今、明記されてないだろ」
「ありません」
「入れたい」
ノアールは、少し考えるような間を置いた。
「入れるとなると、義務が発生します」
「うん」
「一定回数の連絡で応答がない場合、こちらから何らかの行動を取る。そう書けば、それをしなかった時に責任を問われます」
「分かってる」
「その行動とは、具体的には」
「……訪問、かな」
言ってから、自分でも引っかかった。
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「今日、四十分かかりました」
ノアールが、そう言った。
「うん」
「往復で一時間半です。加えて、現場での対応と、救急への同行」
「うん」
「契約は、二百件です」
その数字を、言われて初めて意識した。
「今日のような事案が、月に一件なら回ります。週に一件でも、なんとかなるかもしれません」
「うん」
「では、契約が千件になったら?」
答えられなかった。
「五千件になったら、どうされますか」
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「……訪問専門の子を、増やす?」
「体が必要になります。何体でしょうか」
「……」
「それから、地域の問題があります。契約者は、全国に散らばっています。今回はたまたま近かっただけです」
その通りだった。
二百件のうち、電車で行ける範囲にいる人が、どれだけいるだろう。
「無理だな」
「無理です」
あっさり言われた。
「訪問を規約に書くのは、勧めません。守れないからです」
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僕は、しばらく黙っていた。
守れないことは書けない。それはノアールの言う通りだ。
でも、書かなければ、また同じことが起きる。医療特化型の子が、また同じ問いを抱えることになる。
どうすればいいのか。
……そこで、一つ思い出した。
「自治体って、似たようなことやってないか」
「と、申しますと」
「緊急通報のやつ。ボタンを押すと消防に繋がるとか、そういうの」
ノアールが、端末を開いた。
少しして、顔を上げた。
「あります」
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「多くの自治体で、高齢者の単身世帯を対象に、緊急通報システムが提供されています。機器を貸与して、押せば消防や委託先に繋がる形です」
「費用は」
「無料から、月に数百円程度です。自治体が費用の大半を負担しています」
「……あるじゃん」
「あります」
「じゃあ、うちのサービス、要らなくない?」
ノアールは、首を振った。
「一点、違いがあります」
「なに」
「あちらは、押さないと動きません」
……あ。
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「今日の方は、押せましたか」
「押せなかったと思う」
「そうでしょうね」
あの人は、床に座り込んで、起き上がれなかった。ボタンがあっても、たぶん手が届かなかった。
仮に届いても、押さなかったかもしれない。大丈夫だと思っていたから。
「うちは、押さなくても分かる」
「はい」
「向こうは、押されたら動ける」
「はい」
噛み合っていた。
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問題は、相手が一つではないことだった。
契約者は、全国に散らばっている。同じ市の中に固まっているわけではない。ということは、それぞれの居住地の自治体と、個別に話をつける必要がある。
「何件になる?」
レジスに聞いた。
「契約者の所在地で数えると、四十七」
「都道府県?」
「市区町村よ」
……四十七。
「全部回るの?」
「回るしかないでしょうね」
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実際には、回らなかった。
最初の数件は、僕が直接出向いた。だが、三件目で気づいた。
やっていることが、毎回同じだった。
サービスの説明をして、何ができて何ができないかを伝えて、通報を受けてもらえるか聞く。それだけだ。相手が変わっても、話す内容は変わらない。
「これ、資料でいいんじゃない?」
「そうでしょうね」
レジスは、当然のようにうなずいた。
「最初から言おうと思ってたわ」
「言えよ」
「三件行くまで気づかないとは思わなかったの」
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そこからは、ドンナとノアールが引き取った。
説明の資料を作って、各自治体の担当窓口に問い合わせを出す。返事が来たところから、順に話を詰めていく。
「反応は、三つに分かれますわ」
ドンナが、途中経過を報告してきた。
「三つ?」
「すぐに受けてくださるところ。判断に時間がかかるところ。それから、前例がないので難しいとおっしゃるところ」
「最後のは、多い?」
「思ったより少のうございます」
……珍しく、素が出ていた。
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僕自身が出向いたのは、最初の三件と、それから話がこじれたところだけだった。
その中の一つで、担当の人が、こう言った。
「押さなくても分かる、というのは」
「脈拍と活動量です。いつもと違う状態が続いたら、こちらで検知します」
「それは……」
担当の人は、少し考え込んだ。
「正直、そこがずっと課題でして」
「はい」
「うちの緊急通報も、押していただければ動けるんです。でも、押せない方が、いらっしゃる」
「そうですよね」
「ボタンを配ることはできても、押してもらうことはできないので」
その言い方が、妙に耳に残った。
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話は、思ったより早く進んだ。
こちらから自治体に情報を渡す。それを受けて、向こうが安否確認をする。既存の枠組みの中で、通報者が一つ増えるだけの話だった。
「新しい制度を作る、という話じゃないんですね」
僕がそう言うと、担当の人は笑った。
「新しい制度を作るのは、三年かかります」
「三年」
「でも、今ある仕組みに乗せるだけなら、来月からできます」
……そういうものらしい。
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全部の自治体と話がつくまでに、二か月かかった。
三十二件が受け入れ、九件が検討中、残りは前例がないという理由で保留になった。
「全部は、無理だったな」
「無理ですわ」
ドンナは、あっさり言った。
「ただ、保留のところも、他所の実績が増えれば変わりますわ。役所とは、そういうものですの」
「詳しいな」
「調べましたので」
この子は、いつの間にか、そういうことまで調べている。
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規約は、そう書き直した。
——一定回数の連絡に応答がない場合、居住地の自治体へ情報を提供します。
ただし、と続けて、もう一行書いた。
——自治体によっては、受け入れ体制が整っていない場合があります。その場合は、ご登録いただいた緊急連絡先へご連絡します。
保留になった自治体の分は、家族や親族の連絡先を先に登録してもらうことにした。
「格好がつかないな」
「つきませんね」
ノアールは、あっさり認めた。
「ですが、できないことをできると書くよりは、ましです」
訪問する、とは書かなかった。
書けなかった、が正確だ。
「これで、いいのか」
ノアールに聞くと、あの子はうなずいた。
「守れる範囲で書きました。それが一番大事です」
「でも、行けないってことだよな」
「行けません」
はっきり言われた。
「行けないことを、行けると書く方が、罪が重いです」
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その話を、レジスにもした。
「妥当ね」
あっさり言われた。
「反対しないんだ」
「するわけないでしょう。むしろ、それが最初からの正解よ」
「……最初から?」
「自分たちで抱え込まないこと。うちの規模で全部やろうとしたら、潰れるわ」
その通りだった。
「でも」
レジスは、そこで少しだけ、言い方を変えた。
「今回、行ったのは正しかったと思う」
「え」
「行かなかったら、その人は死んでたのよ。それに、行ってみないと、行けないことも分からなかったでしょう」
「……うん」
「一度だけなら、無茶をしていいの。二度目からは、仕組みにしなさい」
その言い方が、この人らしかった。
「あと」
「なに」
「あの子に、二度と同じことを聞かせないで」
それだけ言って、書類に戻った。
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男性は、二週間ほどで退院した。
退院してすぐ、電話が来た。
「あんたかね」
「はい」
「あの機械な」
「はい」
「まだ、置いておいていいかね」
「もちろんです」
少し、間があった。
「息子にね、言ったんだ」
「はい」
「入院したこと」
「……そうですか」
「怒られたよ。なんで言わなかったんだ、ってね」
男性は、少し笑っていた。
「だから、今度から言うことにしたよ」
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電話を切ってから、僕は、しばらく座っていた。
あの人は、たぶん、これからも大丈夫と言うのだと思う。しんどい時に、しんどいと言えない人は、そう簡単には変わらない。
僕自身が、そうだから。
でも、あの部屋には、数値を見ている誰かがいる。
言えなくても、伝わる。
それだけのことだけど、それだけのことが、たぶん、あと一日を作る。
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その日の夜、医療特化型の子が来た。
「社長」
「うん」
「ジュディさんから、報告するようにと」
……律儀だった。
「規約の件、ありがとうございました」
「いや」
「これで、次からは迷いません」
「うん」
あの子は、少し考えるような間を置いた。
「一つ、お伝えしてもよろしいですか」
「なに」
「あの日、連絡がつかないと分かった時」
「うん」
「私は、社長に報告するかどうかを、少し迷いました」
……え。
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「報告する義務は、ありませんでした」
あの子は、淡々と続けた。
「規約上、私の役割は連絡までです。その先を社長にお伝えするのは、業務の範囲を超えています」
「……でも、報告したよな」
「しました」
「なんで」
少しの沈黙があった。
「社長なら、行くと思ったからです」
僕は、何も言えなかった。
「これは、判断ではありません。予測です」
あの子は、そう言った。
「三か月、社長の数値を取っていましたので」
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その言い方が、しばらく耳に残った。
三か月。毎朝、僕の心拍と体温を取っていた期間だ。
あの子は、その間、数値だけを見ていたわけではなかったらしい。
……見られていたのは、こっちの方だった。
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その後、僕は、監査役にも一連の話をした。
三権が決めて、ノアールが書いて、自治体に持っていって、それで形になった。その全部を、一通り。
「まあ、ええんちゃう」
いつもの返事だった。
「それだけ?」
「それだけや」
「今回、けっこう大きい判断したと思うんだけど」
「したな」
「なんかないの」
監査役は、少し笑った。
「あんた、うちに何を言うてほしいん」
「……いや」
考えてみたら、特になかった。
褒めてほしいわけでもないし、止めてほしいわけでもない。
ただ、話したかっただけだった。
「そういうもんやろ」
あの人は、そう言った。
「決めた後で、誰かに言いたなるんは、普通のことや」
その言い方に、僕は、少しだけ救われた気がした。
三権には、決める前に話す。決めた後で話す相手は、たぶん、この人だけだった。
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