第74話:あと一日
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サービスの形は、思ったより早く決まった。
やることは、単純だった。
小さな機器を貸し出す。イヤリング型の、骨伝導のイヤホンだ。
耳たぶに挟むだけで、脈拍と体温が取れる。耳の穴を塞がないから、つけたまま生活できる。もともと補聴の機能もついているので、聞こえが悪い人には、そちらの用途でも使える。
その数値を、こちらで受け取る。
医療特化型の子が見て、いつもと違う時だけ、声をかける。
同じ機器から、そのまま話せる。応答があるかどうかも、その場で分かる。
それだけだ。
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「診断は、しません」
あの子は、契約書の説明の場で、必ずそう言った。
ノアールが作った書面にも、太字で書いてある。
——本サービスは、医療行為を行いません。
——お伝えするのは、数値の変化と、医療機関への受診の推奨のみです。
「これ、書きすぎじゃない?」
僕がそう聞くと、ノアールは即答した。
「書きすぎということはありません」
「でも」
「期待させないことが、誠実さです」
その通りだった。
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料金は、月に千円程度にした。
機器の減価償却と、通信費と、それを均した額だ。利益は乗せていない。
「本当に、これでよろしいんですの?」
ドンナが、何度も確認してきた。
「いいよ」
「原価ぎりぎりですわ」
「そのつもりだから」
「……承知いたしました」
言いながら、あの子は少し嬉しそうだった。
たぶん、気のせいではなかった。
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広告は、レジスの部隊が回した。
「対象を絞るわ」
「どう絞るの」
「六十五歳以上、単身世帯、それから収入の区分」
「そんな細かく出せるの?」
「出せるわよ。今の広告は、そういうものだから」
少し、複雑な気持ちになった。
便利なのは分かる。でも、それだけ細かく分けられるということは、選ばれない人も細かく分けられているということだ。
「顔が見えないわね」
レジスも、同じことを思ったらしい。
「数字の上では、対象は何万人といるの。でも、その一人一人が、どんな部屋にいて、どんな朝を迎えてるかは、ここには出てこないわ」
「うん」
「だから、広告は入口でしかないのよ」
その言い方を、後で思い出すことになる。
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最初の三か月で、契約は二百件を超えた。
思ったより、伸びた。
伸びた理由は、たぶん一つだった。
安いからだ。
月に千円なら、ベーシックインカムだけの生活でも、なんとかなる。それ以上の額なら、たぶん誰も申し込まなかった。
「値段で選ばれてるわね」
レジスは、そう言った。
「悪いことなの?」
「悪くはないわ。ただ、値段で選ばれたものは、値段で捨てられるのよ」
厳しい言い方だった。
でも、その通りだと思った。
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最初の連絡が入ったのは、開始から四か月目だった。
朝、ジュディが、医療特化型の子を連れてきた。
「一件、上げるわ」
「珍しいな。二人で来るなんて」
「この子が、朝のミーティングで出したの。私が聞いて、あなたに上げるべきだと判断した」
ジュディは、そう言った。
「説明して」
「はい」
医療特化型の子が、前に出た。
「三日連続で、日中の活動量が、ほとんどありません」
「……寝てるってことじゃなくて?」
「その可能性もあります。ただ、この方の場合、これまでの三か月は、午前と午後に必ず動きの多い時間帯がありました。買い物か、散歩だと思われます」
「それが、ゼロ?」
「二日目までは、天候の影響を疑いました。三日目で、機器の動作確認をしました。正常に装着されています」
あの子は、そこで一度、言葉を切った。
「加えて、脈拍が平常時より高い状態が続いています。体温も、わずかに高いままです」
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「連絡は?」
「昨日から、四回入れました。応答がありません」
「機器から?」
「はい。装着はされています。脈拍が取れていますので」
つけているのに、返事がない。
「規約上、私にできるのは、ここまでです」
あの子は、そう言った。
「連絡が取れない場合の対応は、明記されていません。ノアールさんに確認しましたが、こちらから何かをする義務はない、とのことです」
「義務は、ないんだな」
「ありません」
「じゃあ、義務じゃないことをするのは、自由か」
少しの沈黙があった。
「……そうなります」
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「行けるか?」
僕がそう聞くと、あの子は少し驚いた顔をした。
「私が、ですか」
「数値を見てたのは君だろ。現場で確認できるのも、たぶん君だ」
「……はい」
そこで、ジュディが口を挟んだ。
「待って」
「なに」
「行かせるなら、私が判断するわ。この子は、私の下だから」
その通りだった。
「……ごめん」
「いいけど」
ジュディは、少し考えるような間を置いた。
それから、隣を見た。
「行ける?」
「行けます」
「怖くない?」
妙な聞き方だった。
「……怖い、というのは」
「行った先で、何かあるかもしれないでしょう」
少しの沈黙があった。
「あります」
あの子は、そう答えた。
「ですが、行かない方が、たぶん、後で困ります」
ジュディは、それを聞いて、うなずいた。
「じゃあ、行って」
「はい」
「私は、ここで待ってる。何かあったら、すぐ連絡して」
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「僕も行く」
「必要でしょうか」
「たぶん、いらない」
実際、そうだった。あの子一人で足りる。判断も、通報も、できる。
「でも、最初の一件だから」
あの子は、それ以上は聞かなかった。
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住所は、契約の情報に入っていた。
電車で四十分ほどの場所だった。
行く途中、レジスから連絡が来た。
——どこ行ったの
——契約者のところ
——なんで
——連絡がつかないから
しばらく、返事がなかった。
——一人?
——医療特化型の子と一緒
——なら、いいわ
少し間があって、もう一通来た。
——気をつけて
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古い集合住宅だった。
三階建てで、エレベーターがない。階段の手すりが錆びていた。
二階の一番奥だった。
呼び鈴を押した。反応がない。もう一度押した。同じだった。
中で、何か音がした気がした。
「すみません」
声をかけた。
「K's Factoryの者です。健康管理サービスの」
少し待った。
やがて、かすかに、返事があった。
「……はい」
声が、遠かった。
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鍵は、開いていた。
中に入ると、男性が床に座り込んでいた。八十くらいに見えた。
起き上がろうとして、うまくいっていないようだった。
医療特化型の子が、先に近づいた。
「失礼します。健康管理サービスの者です」
「……ああ」
「触れてもよろしいですか」
男性は、小さくうなずいた。
あの子は、手首と額に触れて、数秒だけ止まった。
「脈拍百二、体温三十八度四分。呼吸数が増えています」
こちらを見ずに、そう言った。
「社長。救急への連絡を」
「分かった」
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男性は、最初、嫌がった。
「大げさだよ」
「大げさじゃないです」
「金がかかる」
「かかりません」
「……そうかね」
それで、諦めたようだった。
救急隊が来るまでの間、医療特化型の子は、ずっと横についていた。
姿勢を少し変えさせたり、呼吸の様子を見たり、水を飲ませるかどうかを判断したり。淡々と、手が動いていた。
僕は、その様子を見ていた。
……いらなかったな、と思った。
自分が来た意味は、たぶん、ほとんどなかった。
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男性が、こちらを見た。
「あんた、なんで来たんだね」
「数値が、おかしかったので」
「数値」
「散歩の時間に、動かなくなってたんです。三日続けて」
男性は、少し驚いた顔をした。
「そんなことが、分かるのかね」
「分かります」
「……へえ」
しばらく、天井を見ていた。
「三日前から、どうもだるくてね」
「はい」
「でも、誰にも言ってない」
「そうですか」
「言う相手が、いないんだ」
その一言が、やけに静かだった。
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「息子はね、遠くにいるんだ」
男性は、そう続けた。
「元気にしてる。孫もいる。年に一回、正月に顔を見せに来るよ」
「はい」
「でもね、しんどいなんて言ったら、心配するでしょう」
「……はい」
「心配させたくないんだよ」
その気持ちは、分かる気がした。
「だから、言わなかった。寝てれば治ると思ってね」
「治りませんでしたね」
「治らなかったね」
男性は、少し笑った。
笑ってから、咳き込んだ。
その様子を見ていて、思った。
この人は、大丈夫じゃない時に、大丈夫と言う人だ。
……僕と、同じだった。
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救急車が来て、男性は運ばれていった。
肺炎だった。
高齢者の場合、熱が出ないこともあると、後で聞いた。だるさと食欲不振だけで進行して、気づいた時には重くなっている。
あと一日遅かったら分からなかった、と医師に言われた。
あと一日。
その言葉を、僕はしばらく反芻していた。
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