第71話:怒ってるだけよ
レジスの優しさが刺さる回・・・だったらいいなぁ
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最初に気づいたのは、医療特化型の子だった。
朝、ジュディが、その子を連れて階段を降りてきた。
「ちょっと」
「なに」
「顔色」
言われて、自分の顔を触った。よく分からなかった。
「起床時の数値に、変化が出ています」
医療特化型の子が、そう言った。
「心拍が高めです。昨夜は、睡眠中の体動も多くなっていました」
「そんなに?」
「平常時の一・三倍です」
数字で言われると、反論しにくい。
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「測って」
ジュディが、体温計を差し出した。
三十八度五分あった。
「病院」
「今日、予約が」
「病院」
二度目は、少し強かった。
「あの、ジュディさん」
医療特化型の子が、控えめに口を挟んだ。
「私が判断する範囲かと思うのですが」
「あ」
ジュディが、少し固まった。
「……そうね。ごめん」
「いえ」
あの子は、こちらを向いた。
「受診を推奨します」
結局、同じことを言われた。
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インフルエンザだった。
薬をもらって、帰ってきた。玄関を開けたら、エグゼが立っていた。
「どうだった」
「インフル」
「……そう」
それだけ言って、少し黙った。
「うつるから、離れてろよ」
「うつらないでしょう。私たちは」
「あ、そうか」
考えてみれば、そうだった。
「でも」
エグゼは、そこで一度、言葉を切った。
「近くにいて、意味ある?」
「ないかもな」
「……そう」
あの子は、そういう子だった。心配はする。でも、何をすればいいかが分からないと、動けない。
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その後、リビングで、少し揉めたらしい。
後で聞いた話だ。
最初に手を挙げたのは、ジュディだった。当然の話だ。あの子の担当だし、経験もある。
でも、レジスが引かなかったらしい。
「私がやるわ」
「なんで」
「なんで、って」
「私の仕事でしょう。世話をするのは」
「……そうね」
「じゃあ」
「でも、私がやるわ」
理屈になっていなかった。
ジュディも、それは指摘したらしい。
「あなた、料理もできないでしょ? 看病の経験もないし」
全部その通りだった。
それでも、レジスは引かなかった。
「あの人の面倒を、私が見たいの」
それだけ言ったそうだ。
ジュディは、しばらく黙って、それから「勝手にすれば」と言って台所に行った。
……揉めた原因が僕なので、何とも言えない気分になった。
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ただし、結論から言うと。
その取り決めは、翌日には崩壊していた。
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午前十時。
ノックの音で目が覚めた。
「失礼いたしますわ」
ドンナだった。
「……なに」
「本日の予定を、整理してまいりました」
「寝てるんだけど」
「存じております。ですので、整理してまいりましたの」
差し出された端末には、一週間分の予定が並んでいた。全部、後ろにずらされている。
「打ち合わせは全て延期。先方には、体調不良とだけお伝えしてございます」
「……ありがとう」
「それから」
彼女は、枕元に何かを置いた。
「経口補水液ですわ。水よりも吸収が早いそうですの」
「調べたの?」
「当然ですわ」
言いながら、少し得意げだった。
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午前十一時。
「入るわよ」
ジュディが来た。手に、粥の器を持っている。
「食べられる?」
「たぶん」
「じゃあ、置いていく」
置いて、それから僕の額に手を当てた。
「まだ高いわね」
「うん」
「あと、ドンナが来たでしょう」
「なんで分かるの」
「匂いが残ってる」
……そんな判別の仕方があるのか。
「あの子、経口補水液置いていったでしょう」
「置いてった」
「私が用意しようと思ってたのに」
少し、不服そうだった。
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午前十一時十五分。
「魔王さん! 生きてます!?」
じえいだった。
「生きてる」
「よかったっす! これ、氷枕っす!」
「ありがとう」
「置きますね!」
置こうとして、落とした。
床で、ぼす、という音がした。
「あ」
「……」
「拾います!」
拾って、そのまま僕の頭の下に入れようとした。
「待て」
「なんすか」
「床に落ちたやつだろ」
「あ」
じえいは、氷枕を持ったまま固まった。
「……洗ってきます」
「頼む」
戻ってこなかった。たぶん、途中で他のことに気を取られている。
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午後一時。
目が覚めたら、PON子が枕元に座っていた。
「起きたのだ」
「……いつからいたの」
「ずっといたのだ」
寝顔を見られていたらしい。
「これ、持ってきたのだ」
差し出されたのは、みかんだった。
「ありがとう」
「食べるのだ?」
「後で食べる」
「わたしが剥くのだ」
剥き始めた。
剥きながら、途中で止まった。
「パパ」
「なに」
「これ、風邪の時に食べるやつなのだ?」
「そうだね」
「なんでなのだ?」
「……ビタミンが、あるから、かな」
「ビタミンって何なのだ?」
熱がある頭では、答えられなかった。
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午後二時。
ノアールが来た。
「失礼します」
「珍しいな」
「業務の報告です。契約の件で、確認が一点」
「今?」
「お休み中でしたら、後にします」
「いや、いいよ。聞く」
「では」
あの子は、簡潔に報告した。三分で終わった。
終わってから、少しだけ、立ち止まった。
「……お大事に」
それだけ言って、出ていった。
あの子なりの見舞いだった気がする。
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午後三時。
目が覚めたら、レジスがいた。
椅子に座って、端末を見ている。
「……いつから」
「さっき」
「そう」
「起きたなら、水を飲みなさい」
差し出された。飲んだ。
飲み終わったところで、レジスが手を伸ばしてきた。
額に、手が触れた。
「まだあるわね」
「……端末で見えるだろ」
「見えるわよ」
「じゃあ、なんで」
少しの沈黙があった。
「……そのまま寝てなさい」
答えなかった。
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その日から、レジスは、記録を取り始めた。
体温、四時間おき。水分の量。食べたものと、その量。睡眠の時間。
三日目には、グラフになっていた。
「これ、なに」
「経過よ」
「経過をグラフにする人、いる?」
「いるでしょう。今ここに」
悪びれもしなかった。
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ちなみに、そのグラフは、ジュディに一度指摘されている。
「四時間おきは、多いわよ」
「多くないわ」
「多いの。夜中に起こしてまで測る必要ないでしょう」
「……起こしてないわ」
「起きてたわよ、あの人」
僕は、寝たふりをしていた。
「解熱剤の効果が切れる時間を見たいのよ」
「それ、朝と夜で足りるの」
「……」
レジスは、答えなかった。
その日から、測る回数は減った。
でも、部屋に来る回数は、減らなかった。
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四日目の夜、熱がまた上がった。
三十九度を超えたあたりで、意識が曖昧になった。
夢と現実の境目が、よく分からなくなった。天井の木目が動いて見えたし、誰かが話している声も、遠くから聞こえた。
その中で、僕は、レジスがずっと部屋にいることに気づいていた。
椅子に座って、端末を見ている。時々、こちらを見る。また端末に戻る。
「……レジス」
「起きた?」
「いる」
「いるわよ」
「ずっと?」
「ずっとじゃないわ。さっき来たところ」
嘘だった。
枕元のコップの水が、三回替わっていた。
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また、額に手が触れた。
今度は、少し長かった。
そのまま、前髪を横に流された。汗で張りついていたらしい。
「……」
何も言わなかった。
言わないまま、もう一度、髪に触れた。
撫でられている、と気づくまでに、少しかかった。
「レジス」
「なに」
「今、撫でた?」
「測ってるのよ」
「手、動いてたけど」
「……気のせいよ」
嘘だった。
でも、指摘する気力がなかったので、そのままにした。
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その夜、僕は、たぶん、うわ言のようなことを言った。
覚えているのは、断片だけだ。
「レジス」
「なに」
「レジスって、いつも怒ってるよな」
少しの沈黙があった。
「……怒ってるわね」
「なんで」
「なんで、って」
「怒りたいから怒ってるの?」
僕は、たぶん、そんなことを聞いた。
熱があったし、頭も回っていなかった。普段なら、聞かないことだった。
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レジスは、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「怒りたくないわよ」
「じゃあ」
「じゃあ、なんで怒るのか、でしょう」
「うん」
彼女は、端末を置いた。
その音が、やけに大きく聞こえた。
「……心配だからよ」
思ったより、あっさり出てきた。
「え」
「心配だから、怒ってるの」
「……素直だな」
「あなた、明日には忘れてるでしょう」
なるほど。
だから言ったのか。
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「私はね」
レジスは、そう続けた。
「心配だって言うのが、あまり得意じゃないのよ」
「うん」
「言ったところで、あなたは変わらないでしょう。心配してる、無理しないで、って言われて、はいって答えて、また同じことをする」
その通りだった。
何度もやってきた。
「だから、怒るの」
「怒ると、変わる?」
「変わらないわ」
あっさり言われた。
「でも、私が黙っていられないの」
そこで、少し、間があった。
「黙って心配してるより、怒ってる方が、まだ楽なのよ」
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「……あのさ」
「なに」
「怒られるの、嫌いじゃないよ」
レジスが、こちらを見た。
「……変わってるわね」
「そうかも」
「普通は、嫌でしょう」
「うん。でも、レジスの怒り方は、なんか違うんだよ」
「どう違うの」
僕は、少し考えた。
熱のせいで、うまく言葉が出てこなかった。
「……こっちのこと、ちゃんと見てから怒ってる」
レジスは、それには答えなかった。
代わりに、また額に手を当てた。
今度は、測っているのか撫でているのか、自分でも分かっていないような手つきだった。
「寝なさい」
「うん」
「あと、水を飲んで」
「うん」
言われた通りにした。
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次に起きた時、熱は下がっていた。
三十七度台まで落ちていた。体も、少し軽い。
枕元に、また新しい水が置いてあった。
レジスは、いなかった。
代わりに、置き手紙のように、端末が一つ置かれていた。画面には、あのグラフが表示されていた。
熱の推移と、水分量と、睡眠時間。
その下に、一行だけ、書き足しがあった。
——ピーク越え。あと二日は安静。
それだけだった。
いつも通り、素っ気なかった。
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起き上がって、リビングに行くと、レジスが座っていた。
「起きたの」
「うん」
「まだ寝てなさい」
「水を取りに来ただけ」
「持っていくわ」
「自分で取れる」
「持っていく」
譲る気がなかった。
僕は、素直に部屋に戻った。
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少しして、レジスが来た。
水と、それから、なぜか粥を持っていた。
「ジュディが作ったわ」
「レジスじゃないんだ」
「私は、料理をしないもの」
あっさりしていた。
「でも、持ってきたのはレジスだろ」
「……ジュディが忙しかったのよ」
嘘だった。
さっきリビングを通った時、ジュディは普通に座っていた。
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粥を食べている間、レジスは横に座っていた。
何をするでもなく、ただ座っている。
「レジス」
「なに」
「昨日の話、覚えてる?」
「どの話」
「怒る話」
レジスの手が、少し止まった。
「……熱で朦朧としてたんでしょう」
「してた」
「なら、忘れなさい」
「覚えてるけど」
「忘れなさい」
強めに言われた。
でも、顔は、こちらを見ていなかった。
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「あと、撫でたのも覚えてる」
「撫でてないわ」
即答だった。
「測ってたのよ」
「三回くらい測ってたけど」
「精度を上げるためよ」
「手のひらで?」
「……」
レジスは、器を持って立ち上がった。
立ち上がってから、こちらを見ずに、こう言った。
「……三日、寝てなかったのよ」
「え」
「あなたが」
言い直された。
「あなたが、三日、まともに寝てなかったの。熱が上がるたびに、目を覚ましてたでしょう」
「……うん」
「そのたびに、私も起きてたわ」
それだけ言って、部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、いつもより静かだった。
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僕は、しばらく天井を見ていた。
あの子は、たぶん、三日間ほとんど部屋を離れていない。
水は三回替わっていたし、グラフは四時間おきに更新されていた。夜中に熱が上がった時も、必ずそこにいた。
でも、それを言わない。
言う代わりに、怒る。
早く寝ろ、無理をするな、記録を取れ。全部、心配の言い換えだった。
……気づくのに、ずいぶんかかったな、と思った。
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二日後、僕は復帰した。
最初に会ったレジスは、いつも通りだった。
「回復したのね」
「うん」
「じゃあ、これ」
書類を渡された。
溜まっていた分だった。しかも、かなりの厚さだった。
「……容赦ないな」
「回復したんでしょう」
「したけど」
「なら、働きなさい」
いつもの声だった。
でも、書類の一番上に、付箋が貼ってあった。
——急ぎのものだけ抜いてあるわ。残りは明日でいい。
その一行を、僕は、しばらく見ていた。
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