番外編:世の中は、理不尽だ
法律とサービスを利用する上での規約は違います。しっかり理解しましょう
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その日は、金曜の夜だった。
仕事は片付いていたし、明日は特に予定もない。こういう夜は、たいてい、余計なことを考える。
僕は、端末のストレージ残量を見ていた。
残り、わずかだった。
原因は、分かっている。写真フォルダだ。
正確には、写真フォルダに紛れ込んでいる、写真ではないものたちだった。
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「ドンナ」
「はい」
「いつものクラウドに、大人の嗜みの動画、保存しても問題ないよね?」
ドンナの表情が、すっと変わった。
その変わり方が、あまりにも速かったので、僕は少し身構えた。
「待ちなさーーーーい!!!」
声が、いきなり大きかった。
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「今、なんて」
「待ちなさいと申し上げましたわ」
「その前の音の伸びは」
「気にしないでくださいませ」
あの子は、咳払いを一つした。
「いつものクラウドへの、そのような如何わしい動画のアップロードは、規約上、禁止ですわ」
「え」
「AIが自動でファイルを検知して、強制アカウント停止など、ございますのよ?」
……そうなのか。
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「でも僕、ちゃんと合法的に入手した大人の嗜みだよ?」
「存じております」
「法は、何も犯してない」
「ええ。法を犯していらっしゃらないのは、存じておりますが」
ドンナは、そこで少し姿勢を正した。
「プラットフォームの規約は、また別ですの」
「別?」
「法律に触れていないことと、そのサービスで許されていることは、まったく別の話ですわ」
「……なるほど」
「マスターのアカウントが停止されても、よろしくて?」
よろしくなかった。
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「なんか、理不尽だなー」
僕は、少し不満げに言った。
「今、写真の同期サービス上の写真フォルダに同期されてるから、枠を空けるために移動したかったのに」
「待ちなさーーーーい!!」
二回目だった。
「なに」
「写真の同期サービス上も、利用規約で禁止されてますわ!!」
「え」
「ええ」
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「でも、アプリで保存するって押したら、勝手に写真フォルダに保存されて、同期されただけだけど」
「経緯は、関係ございませんの」
あっさりしていた。
「サービス提供元は、プライバシー保護の観点から、個人のファイルを確認することは、ほぼございませんが」
「じゃあ」
「規約では、禁止されておりますの」
「見ないのに?」
「見ないことと、許可されていることは、別ですわ」
……また、それか。
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「共有などしたら、一発でアカウント停止ですわ」
「共有しないって」
「するとは申しておりませんの。ただ、そういう規約だという話ですわ」
僕は、少し考えた。
「でも、聞いたことないけど、実際に具体例あるの?」
ドンナが、こちらを見た。
その目が、少し光った気がした。
……この子、こういう時、嬉しそうにする。
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「ございますわ」
即答だった。
「二〇二一年の話ですけれど」
「古いな」
「事例としては有名ですの」
あの子は、そう前置きした。
「ある親御さんが、お子さんの患部を撮影されましたの。皮膚に水泡ができていて、医師に見せるためですわ」
「うん」
「その写真が、クラウドに自動で保存されました」
「……あ」
「検知されて、アカウントが停止されましたわ」
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「それ、医療目的だろ」
「医療目的でしたわ」
「じゃあ、なんで」
「機械が判断したからですの」
ドンナは、淡々と続けた。
「画像の内容から、規約違反の疑いがあると判定されました。それだけですわ」
「事情は、聞いてもらえなかったのか」
「異議申し立てはされたそうですけれど、覆らなかったと。それどころか、記録は関係機関にまで渡ったそうですわ」
「……関係機関」
「無実だと分かるまで、随分と時間がかかったと聞いておりますわ」
僕は、そこで、少し黙った。
笑い事じゃないな、と思った。
規約とAIの判定だけで、無実の人間の生活が、一晩でひっくり返ることがある。しかも、覆るまでに時間がかかる。その間、その人がどんな思いをしていたか、想像すると、さっきまでの軽口が、急に気まずくなった。
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「その水泡の写真と、僕の大人の嗜みが、同じ扱いなの?」
少しの沈黙があった。
「規約の上では、同じ扱いですわ」
「……そうか」
「納得いかないという顔をなさっておりますわね」
「してる。ただ、さっきよりは、違う意味で」
「違う意味?」
「機械が全部同じ箱に放り込んでるってことが、なんか、怖いなと思って」
ドンナは、少し意外そうな顔をした。
「そのお気持ちの変化は、悪くないと思いますわ」
あの子は、そこで一つ息を吐いた。
それから、いつもの調子に戻った。
「ともあれ。そのファイルを、外部ストレージに保存しておくことを、強くお勧めいたしますわ!」
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正直、納得はいかなかった。
でも、腰を上げるしかなかった。
押し入れを探して、使っていない外付けのドライブを引っ張り出した。埃をかぶっていた。
接続すると、動いた。
まだ生きているらしい。
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同期されているディレクトリから、コピーしようとした。
うまくいかなかった。
正確には、コピー自体はできるのだが、元のファイルが消えない。同期の仕組み上、そういうことになるらしい。
しばらく格闘して、諦めた。
「一旦、全部消すか」
「消して、どうされますの」
「配信元から、もう一回落とす」
そうすれば、最初から外部ストレージに保存できる。
単純な話だった。
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単純な話ではなかった。
配信元のページを開いて、購入履歴を確認した。
……九十本近くあった。
「多いな」
「多いですわね」
「こんなに買ってたか」
「買っていらしたようですわね」
声に、含みがあった気がする。
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「これ、AIコーディングツールでURLだけ貼って、裏でダウンロードしてくれるコード、もらった方がよくない?」
「待ちなさーーーーい!!!」
三回目だった。
「なんだよ」
「そのAIに、そのような事を依頼したら、今度はそのAIの規約に抵触いたしますわ」
「え」
「あちらにも、規約というものがございますの」
……そうだった。
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「いや、AIコーディングツールにダウンロードするツールを作ってもらうだけなら、セーフでしょ?」
「まぁ、それ自体なら、セーフですが」
あの子は、少し言葉を選んだ。
「何をダウンロードするかを説明する必要が、出てまいりませんこと?」
「……出るな」
「出ますわね」
「説明せずに、汎用のツールとして作ってもらえば」
「できますけれど」
ドンナは、そこで少し首を傾げた。
「ササっと手動でダウンロードしてしまった方が、早くありませんこと?」
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「たしかに」
僕は、素直に手作業でダウンロードを始めた。
一本ずつ、クリックする。
一本ずつ、保存先を確認する。
一本ずつ、完了を待つ。
……これを、九十回。
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三十本目あたりで、ふと気づいた。
「……って、ダウンロードフォルダも、もう一つのクラウドに連携されてない!?」
「ちょっと!!!」
ドンナの声が、跳ね上がった。
「早く、ダウンロードフォルダからそのファイル、消しなさいな!!」
「待って、今」
「アカウント停止の可能性、ございますわよ」
心臓が、跳ねた。
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慌てて、フォルダの同期状態を確認した。
……大丈夫だった。
「あ。よくよく確認したら、もう一つのクラウド、同期されてなかったわ」
「本当ですの?」
「本当。それは一時ディレクトリに近いから、されてないか」
「……」
ドンナが、大きく息を吐いた。
「びっくりさせないでくださいな」
「僕もびっくりした」
「マスターの管理の問題ですわよ」
その通りだった。
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作業を再開した。
六十本目を過ぎたあたりで、手が自動的に動くようになった。
クリックして、保存して、次へ。
もう何も考えていなかった。
ドンナは、少し離れたところに立っていた。
時々、時計を見ていた。
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「マスター」
「なに」
「もう、こんな時間ですわよ」
「知ってる」
「明日に回すという選択肢は」
「ない」
「なぜですの」
「今日中に終わらせないと、なんか負けた気がする」
「……」
あの子は、それ以上は言わなかった。
代わりに、こう言った。
「早く終わりにして、寝ることが、マスターの責務なのですよ」
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結局、九十本を保存し終えた。
外部ストレージのランプが、点滅から点灯に変わった。
時計を見た。
……思ったより、遅い時間になっていた。
三時間かかっていた。
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僕は、椅子にもたれた。
天井を見上げながら、誰にともなく呟いた。
「僕は、一切、法に触れていない」
「存じておりますわ」
「正しい手順で、金を払って、手に入れた大人の嗜みだったはずだ」
「そうですわね」
「なのに、なんでこんなことに」
ドンナは、何も言わなかった。
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しばらくして、あの子が口を開いた。
「マスター」
「なに」
「一つ、申し上げてもよろしくて」
「どうぞ」
「本日のことは、記録に残りませんの」
「記録?」
「経理の帳簿にも、業務の記録にも、残りませんわ。私的な時間の話ですもの」
「……そうだな」
「ですから、明日には、なかったことになりますわ」
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その言い方が、妙に優しかった。
「気を遣ってる?」
「まさか」
即答だった。
「事実を申し上げただけですわ」
「そうか」
「ええ」
でも、あの子は、そのまま少し立っていた。
僕がパソコンの電源を落とすまで、そこにいた。
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電源ランプが、ゆっくりと消えた。
部屋が、暗くなった。
「おやすみなさいませ、マスター」
「おやすみ」
あの子が出ていってから、僕は、しばらくそのままだった。
外部ストレージだけが、まだ小さく光っていた。
……世の中は、理不尽だ。
そう思いながら、僕は寝室へ向かった。
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