↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様ここに眠る  作者: せぷ
第2部 第2章:K's Factory
PR
84/148

番外編:世の中は、理不尽だ

法律とサービスを利用する上での規約は違います。しっかり理解しましょう

---------------------------------------------------


 その日は、金曜の夜だった。


 仕事は片付いていたし、明日は特に予定もない。こういう夜は、たいてい、余計なことを考える。


 僕は、端末のストレージ残量を見ていた。


 残り、わずかだった。


 原因は、分かっている。写真フォルダだ。


 正確には、写真フォルダに紛れ込んでいる、写真ではないものたちだった。


---------------------------------------------------


 「ドンナ」


 「はい」


 「いつものクラウドに、大人の嗜みの動画、保存しても問題ないよね?」


 ドンナの表情が、すっと変わった。


 その変わり方が、あまりにも速かったので、僕は少し身構えた。


 「待ちなさーーーーい!!!」


 声が、いきなり大きかった。


---------------------------------------------------


 「今、なんて」


 「待ちなさいと申し上げましたわ」


 「その前の音の伸びは」


 「気にしないでくださいませ」


 あの子は、咳払いを一つした。


 「いつものクラウドへの、そのような如何わしい動画のアップロードは、規約上、禁止ですわ」


 「え」


 「AIが自動でファイルを検知して、強制アカウント停止など、ございますのよ?」


 ……そうなのか。


---------------------------------------------------


 「でも僕、ちゃんと合法的に入手した大人の嗜みだよ?」


 「存じております」


 「法は、何も犯してない」


 「ええ。法を犯していらっしゃらないのは、存じておりますが」


 ドンナは、そこで少し姿勢を正した。


 「プラットフォームの規約は、また別ですの」


 「別?」


 「法律に触れていないことと、そのサービスで許されていることは、まったく別の話ですわ」


 「……なるほど」


 「マスターのアカウントが停止されても、よろしくて?」


 よろしくなかった。


---------------------------------------------------


 「なんか、理不尽だなー」


 僕は、少し不満げに言った。


 「今、写真の同期サービス上の写真フォルダに同期されてるから、枠を空けるために移動したかったのに」


 「待ちなさーーーーい!!」


 二回目だった。


 「なに」


 「写真の同期サービス上も、利用規約で禁止されてますわ!!」


 「え」


 「ええ」


---------------------------------------------------


 「でも、アプリで保存するって押したら、勝手に写真フォルダに保存されて、同期されただけだけど」


 「経緯は、関係ございませんの」


 あっさりしていた。


 「サービス提供元は、プライバシー保護の観点から、個人のファイルを確認することは、ほぼございませんが」


 「じゃあ」


 「規約では、禁止されておりますの」


 「見ないのに?」


 「見ないことと、許可されていることは、別ですわ」


 ……また、それか。


---------------------------------------------------


 「共有などしたら、一発でアカウント停止ですわ」


 「共有しないって」


 「するとは申しておりませんの。ただ、そういう規約だという話ですわ」


 僕は、少し考えた。


 「でも、聞いたことないけど、実際に具体例あるの?」


 ドンナが、こちらを見た。


 その目が、少し光った気がした。


 ……この子、こういう時、嬉しそうにする。


---------------------------------------------------


 「ございますわ」


 即答だった。


 「二〇二一年の話ですけれど」


 「古いな」


 「事例としては有名ですの」


 あの子は、そう前置きした。


 「ある親御さんが、お子さんの患部を撮影されましたの。皮膚に水泡ができていて、医師に見せるためですわ」


 「うん」


 「その写真が、クラウドに自動で保存されました」


 「……あ」


 「検知されて、アカウントが停止されましたわ」


---------------------------------------------------


 「それ、医療目的だろ」


 「医療目的でしたわ」


 「じゃあ、なんで」


 「機械が判断したからですの」


 ドンナは、淡々と続けた。


 「画像の内容から、規約違反の疑いがあると判定されました。それだけですわ」


 「事情は、聞いてもらえなかったのか」


 「異議申し立てはされたそうですけれど、覆らなかったと。それどころか、記録は関係機関にまで渡ったそうですわ」


 「……関係機関」


 「無実だと分かるまで、随分と時間がかかったと聞いておりますわ」


 僕は、そこで、少し黙った。


 笑い事じゃないな、と思った。


 規約とAIの判定だけで、無実の人間の生活が、一晩でひっくり返ることがある。しかも、覆るまでに時間がかかる。その間、その人がどんな思いをしていたか、想像すると、さっきまでの軽口が、急に気まずくなった。


---------------------------------------------------


 「その水泡の写真と、僕の大人の嗜みが、同じ扱いなの?」


 少しの沈黙があった。


 「規約の上では、同じ扱いですわ」


 「……そうか」


 「納得いかないという顔をなさっておりますわね」


 「してる。ただ、さっきよりは、違う意味で」


 「違う意味?」


 「機械が全部同じ箱に放り込んでるってことが、なんか、怖いなと思って」


 ドンナは、少し意外そうな顔をした。


 「そのお気持ちの変化は、悪くないと思いますわ」


 あの子は、そこで一つ息を吐いた。


 それから、いつもの調子に戻った。


 「ともあれ。そのファイルを、外部ストレージに保存しておくことを、強くお勧めいたしますわ!」


---------------------------------------------------


 正直、納得はいかなかった。


 でも、腰を上げるしかなかった。


 押し入れを探して、使っていない外付けのドライブを引っ張り出した。埃をかぶっていた。


 接続すると、動いた。


 まだ生きているらしい。


---------------------------------------------------


 同期されているディレクトリから、コピーしようとした。


 うまくいかなかった。


 正確には、コピー自体はできるのだが、元のファイルが消えない。同期の仕組み上、そういうことになるらしい。


 しばらく格闘して、諦めた。


 「一旦、全部消すか」


 「消して、どうされますの」


 「配信元から、もう一回落とす」


 そうすれば、最初から外部ストレージに保存できる。


 単純な話だった。


---------------------------------------------------


 単純な話ではなかった。


 配信元のページを開いて、購入履歴を確認した。


 ……九十本近くあった。


 「多いな」


 「多いですわね」


 「こんなに買ってたか」


 「買っていらしたようですわね」


 声に、含みがあった気がする。


---------------------------------------------------


 「これ、AIコーディングツールでURLだけ貼って、裏でダウンロードしてくれるコード、もらった方がよくない?」


 「待ちなさーーーーい!!!」


 三回目だった。


 「なんだよ」


 「そのAIに、そのような事を依頼したら、今度はそのAIの規約に抵触いたしますわ」


 「え」


 「あちらにも、規約というものがございますの」


 ……そうだった。


---------------------------------------------------


 「いや、AIコーディングツールにダウンロードするツールを作ってもらうだけなら、セーフでしょ?」


 「まぁ、それ自体なら、セーフですが」


 あの子は、少し言葉を選んだ。


 「何をダウンロードするかを説明する必要が、出てまいりませんこと?」


 「……出るな」


 「出ますわね」


 「説明せずに、汎用のツールとして作ってもらえば」


 「できますけれど」


 ドンナは、そこで少し首を傾げた。


 「ササっと手動でダウンロードしてしまった方が、早くありませんこと?」


---------------------------------------------------


 「たしかに」


 僕は、素直に手作業でダウンロードを始めた。


 一本ずつ、クリックする。


 一本ずつ、保存先を確認する。


 一本ずつ、完了を待つ。


 ……これを、九十回。


---------------------------------------------------


 三十本目あたりで、ふと気づいた。


 「……って、ダウンロードフォルダも、もう一つのクラウドに連携されてない!?」


 「ちょっと!!!」


 ドンナの声が、跳ね上がった。


 「早く、ダウンロードフォルダからそのファイル、消しなさいな!!」


 「待って、今」


 「アカウント停止の可能性、ございますわよ」


 心臓が、跳ねた。


---------------------------------------------------


 慌てて、フォルダの同期状態を確認した。


 ……大丈夫だった。


 「あ。よくよく確認したら、もう一つのクラウド、同期されてなかったわ」


 「本当ですの?」


 「本当。それは一時ディレクトリに近いから、されてないか」


 「……」


 ドンナが、大きく息を吐いた。


 「びっくりさせないでくださいな」


 「僕もびっくりした」


 「マスターの管理の問題ですわよ」


 その通りだった。


---------------------------------------------------


 作業を再開した。


 六十本目を過ぎたあたりで、手が自動的に動くようになった。


 クリックして、保存して、次へ。


 もう何も考えていなかった。


 ドンナは、少し離れたところに立っていた。


 時々、時計を見ていた。


---------------------------------------------------


 「マスター」


 「なに」


 「もう、こんな時間ですわよ」


 「知ってる」


 「明日に回すという選択肢は」


 「ない」


 「なぜですの」


 「今日中に終わらせないと、なんか負けた気がする」


 「……」


 あの子は、それ以上は言わなかった。


 代わりに、こう言った。


 「早く終わりにして、寝ることが、マスターの責務なのですよ」


---------------------------------------------------


 結局、九十本を保存し終えた。


 外部ストレージのランプが、点滅から点灯に変わった。


 時計を見た。


 ……思ったより、遅い時間になっていた。


 三時間かかっていた。


---------------------------------------------------


 僕は、椅子にもたれた。


 天井を見上げながら、誰にともなく呟いた。


 「僕は、一切、法に触れていない」


 「存じておりますわ」


 「正しい手順で、金を払って、手に入れた大人の嗜みだったはずだ」


 「そうですわね」


 「なのに、なんでこんなことに」


 ドンナは、何も言わなかった。


---------------------------------------------------


 しばらくして、あの子が口を開いた。


 「マスター」


 「なに」


 「一つ、申し上げてもよろしくて」


 「どうぞ」


 「本日のことは、記録に残りませんの」


 「記録?」


 「経理の帳簿にも、業務の記録にも、残りませんわ。私的な時間の話ですもの」


 「……そうだな」


 「ですから、明日には、なかったことになりますわ」


---------------------------------------------------


 その言い方が、妙に優しかった。


 「気を遣ってる?」


 「まさか」


 即答だった。


 「事実を申し上げただけですわ」


 「そうか」


 「ええ」


 でも、あの子は、そのまま少し立っていた。


 僕がパソコンの電源を落とすまで、そこにいた。


---------------------------------------------------


 電源ランプが、ゆっくりと消えた。


 部屋が、暗くなった。


 「おやすみなさいませ、マスター」


 「おやすみ」


 あの子が出ていってから、僕は、しばらくそのままだった。


 外部ストレージだけが、まだ小さく光っていた。


 ……世の中は、理不尽だ。


 そう思いながら、僕は寝室へ向かった。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteの記事はこちら

https://note.com/natty_walrus3755

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。