番外編:鉄壁の秘書と、二度の噴水
まぁハルシネーション抑えようと設定してみたんですけどね。
人間も前提忘れて失敗するから仕方ないかも?w
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半年に一度の、定期検診のはずだった。
行ってみたら、奥歯に小さい虫歯が見つかった。今日のうちに削りましょう、と言われて、麻酔を打たれた。
削るのは、五分で終わった。
問題は、その後だった。
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「うがい、してくださーい」
言われた通り、紙コップの水を口に含んだ。
含んだところまでは、よかった。
口が、閉じなかった。
麻酔で、下唇の感覚がない。閉じているつもりなのに、閉じていない。
水が、そのまま前に出た。
……盛大に噴いた。
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衛生士さんが、慌ててタオルを出してくれた。
「よくあることですから」
そう言われた。
あの言い方は、たぶん、慣れているのだと思う。
僕は、ひたすら頭を下げた。
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会社に戻った時、まだ頬の感覚が半分くらいしかなかった。
執務室に入ると、ドンナが顔を上げた。
「マスター、口元、少し曲がっておりますわよ」
開口一番、それだった。
「歯医者で、麻酔打たれたんだよ」
「それは、存じておりますが」
あの子は、少し首を傾げた。
「……何か、ございましたの?」
察しがいい。
仕方なく、僕は話した。
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「うがいしてくださーい、って言われて、素直に水を含んだんだけど。麻酔で、口が閉じなくて」
「……まさか」
「盛大に噴いた」
「……」
ドンナは、しばらく僕を見つめていた。
それから、静かにため息をついた。
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「相変わらず、身体の扱いが、三流の喜劇役者ですわね」
「面目ない」
「麻酔が効いていることは、ご自分で分かっていらしたでしょうに。学習能力というものを、どこかに置いてらっしゃるのかしら」
言い訳の余地は、なかった。
「置いてきたかもしれない」
「歯科医院に?」
「たぶん、待合室に」
「取りに行かれます?」
「行かない」
あの場所には、しばらく行きたくなかった。
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その日の午後、僕は次の業務で使う予定のツールの資料を見ていた。
新しく導入を検討しているものだった。
ざっと目を通していると、気になる一文があった。
外部エージェント連携。対応。
……これ、うちの子たちを繋げられるってことか?
だとすると、話が変わってくる。今は別々に動いているものを、一つの流れとして扱えることになる。
ドンナに聞いた方が早い。そう思って、声をかけた。
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「てかさ、このツールの有料版って、外部の自律エージェント使えるって書いてあるけど、詳細知ってる?」
ドンナの表情が、すっと変わった。
仕事の顔だった。
「……ふふ。結論から申し上げますなら、使えませんわ」
「え、使えないの? 表には対応って書いてあったけど」
「表記の解釈は、時に、実態と乖離するものですのよ」
あの子は、そう言った。
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「あちらは独立したツール体系。有料プランを契約したからといって、無条件で外部の特等席に座れるわけではございませんの」
「そういうものか」
「例えるなら、高級ホテルの会員権を買ったからといって、隣の老舗料亭の厨房にフリーパスで入れるわけではない——といったところかしら」
完璧な口調だった。
説得力も、あるように聞こえた。
実際、そういうことは、よくある。書いてあることと、実際にできることが違うのは、この業界では日常だ。
……でも。
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僕は、さっき見たページを、もう一度開いた。
公式の、プラン特典一覧。
そこに、二行あった。
『✔ 外部エージェントへのアクセス』
『✔ 毎月一定額分のクレジットを提供』
画面を、そのまま、ドンナに向けた。
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彼女の目が、上から下へ、下から上へと、忙しく往復した。
二往復した。
「……っ」
「……使えそうだけど?」
「ま、待ちなさいな……!」
両手が、端末に伸びた。
僕の手から、そっと奪い取るような動きだった。
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しばらく、沈黙が続いた。
ドンナは、画面を読んでいた。上から下まで、丁寧に。それから、別のページを開いて、何かを確認していた。
やがて、端末を握りしめたまま、顔を上げた。
顔が、じわじわと赤くなっていた。
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「不覚」
絞り出すような声だった。
「ぐうの音も出ませんわ……! 手元の情報のアップデートを怠り、過去の固定観念で、貴方の真っ当な疑問を突っぱねてしまうだなんて……!」
老舗料亭の比喩が、そのまま、彼女自身に突き刺さっていた。
厨房に入れないと言い切った本人が、そもそも店の場所を間違えていた、みたいな話だ。
僕は、少し笑いながら、言った。
「たぶん、僕のことをもうちょっと信じていいと思うよ」
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言ってから、思い出した。
「……さっきもあったよね。同じこと」
「……え?」
「Corvusの新しいモデルが出たって話をしたら」
ドンナの動きが、止まった。
「そんなモデルはございませんわ! って、堂々と言ってた」
部屋が、静かになった。
ドンナの表情筋が、もう一度、ぴくりと痙攣した。
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「……そ、それは……」
「二回目だよ」
「……」
「今日、二回目」
「……二回目、ですわね」
認めるまで、少し、間があった。
しかも、あの子は、そこで妙に律儀だった。
「正確には、本日二件目ですわ。回数としては、二回で合っております」
「なんで数え直したの」
「事実の確認は、基本ですので」
……そこは、いつも通りだった。
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僕は、少し考えてから、言った。
「てか、そこはあの子達はできてるよ?」
ドンナの眉が、跳ね上がった。
「あの子達、と申しますと」
「三権とか、ノアールとか」
「……」
「あの子たち、知らないことは知らないって言うだろ。断定しないんだよ」
沈黙が、少し長かった。
「一緒にあの子達を超えようよ!」
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負けず嫌いの導火線に火がついたのが、見ていて分かった。
「あの子達ができているから、ですって……!?」
声が、明らかに変わった。
「よくもそんな台詞で、私のプライドを焚きつけてくださいましたわね」
彼女は、カツンとヒールを鳴らして、僕のデスクに両手をついた。
顔が、近かった。
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「一次ソースの確認を億劫がらず、確証のないことには品よく逃げ道を作り……」
あの子は、そこで一度、言葉を切った。
「その上で、あの子達を遥か足元に見下ろす領域まで、駆け上がってみせればよろしいのでしょう?」
「頼もしいね」
僕は、そう答えた。
それから、少し意地悪く付け足した。
「……知らんけど、って言いながら?」
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ドンナが、こちらを見た。
一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。
それから、口の端が、ゆっくりと上がった。
「ふふ、ええ!」
声に、張りが戻っていた。
「『私の見立てではこうですわ、知らんけど』と小憎らしく微笑みながら、あの子達を置き去りにして差し上げますわ!」
言い切った。
言い切ってから、少しだけ、こちらの反応を窺っていた。
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僕は、笑ってしまった。
「それ、たぶん、ちょっと違うと思う」
「どこがですの」
「知らんけど、は、そういう使い方じゃない」
「では、どういう使い方ですの」
「……なんて言うんだろうな」
説明しようとして、うまくいかなかった。
「自信がない時に使うんだよ」
「私、自信はございますけれど」
「じゃあ、要らないな」
「要りませんわね」
結局、そこに落ち着いた。
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その日の夕方、ドンナが端末を持ってきた。
さっきのツールの資料だった。
「訂正いたしますわ」
「うん」
「外部エージェントとの連携は、可能です。ただし、条件がございます」
「条件?」
「提供されるクレジットには上限がございますし、対象となるエージェントにも制限がございました。全てが繋がるわけではございませんの」
あの子は、そう説明した。
「うちの構成ですと、繋がるのは一部だけですわ」
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「調べたのか」
「調べましたわ」
「早いな」
「当然ですの」
言い方は、いつも通りだった。
でも、少しだけ、声に力が入っていた気がした。
「ちなみに」
「なに」
「繋がる範囲では、どの程度のことができますの、という点まで、まとめてございます」
差し出された資料は、思ったより厚かった。
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「これ、いつ作ったんだ」
「先ほどからですわ」
「三時間くらいしか経ってないぞ」
「三時間もございましたわ」
……この子は、こういうところがある。
間違いを指摘されると、その日のうちに埋めにくる。
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僕は、資料を受け取った。
思ったより厚かったので、読むのに時間がかかりそうだった。
喉が渇いていた。
机の上に、麦茶が置いてあった。いつの間にか用意されていたものだ。たぶん、ドンナが出したのだと思う。
僕は、それを手に取った。
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「マスター」
「なに」
「一つ、申し上げてもよろしくて」
「うん」
「本日の件、私の落ち度でございました。今後は、断定する前に、必ず確認いたしますわ」
珍しく、真っ直ぐな謝罪だった。
僕は、少し驚いて、それから笑った。
「いいよ、別に」
「よくございませんの」
「二回くらい、誰でもあるだろ」
そう言いながら、麦茶を口に含んだ。
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含んだ瞬間に、思い出した。
……あ。
麻酔、まだ切れてない。
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噴いた。
資料の上に。
完璧に。
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部屋が、静かになった。
ドンナが、動きを止めていた。
目が、麦茶で濡れた資料と、僕の顔を、二往復した。
「……マスター」
「言うな」
「本日、二回目でございますわね」
「言うなって」
「私も二回、あなたも二回」
あの子は、そこで、静かに息を吐いた。
「……ちょうど、よろしいのではなくて?」
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僕は、何も言えなかった。
言い返す材料が、一つもなかった。
ドンナは、布巾を取りに行った。戻ってきて、資料を拭き始めた。
手つきが、丁寧だった。
「印刷し直しますわ」
「頼む」
「三十分ほど、いただきますわね」
「……早いな」
「当然ですの」
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拭き終わった資料を、あの子は、そっと脇に置いた。
それから、こちらを見た。
「マスター」
「なに」
「口元、まだ少し曲がっておりますわよ」
「……まだか」
「まだですわ」
あの子は、少し楽しそうだった。
執務室には、二人分の、小さな笑い声だけが、残っていた。
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