第65話:特にございません
後輩に一か月、AIのアカウントを貸してみた。ログを見せてもらうと――「ありがとうございます」だけが延々と続いていた。
同じAIに「改善点は?」と聞くと、返ってきたのは一言。
「特にございません」
積み重ねの差を、突きつけられる回です。
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鈴木から連絡が来たのは、教育が一段落した頃だった。
「先輩、会社作ったんですって?」
「作った」
「聞きましたよ。整備の会社でしょ」
誰から聞いたのかは、聞かなかった。あの業界は、狭い。
「それで、あの」
少し、間があった。
「自分、入れてもらえないっすかね」
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正直に言うと、迷った。
うちの仕事は、人が要る仕事ではない。整備も調整も、体を動かす部分は技術担当くんが見ているし、判断は僕がやっている。事務も営業も、それぞれ担当がいる。
人を雇う理由が、今のところない。
でも。
あいつは、職を探している。しかも、探し続けて、たぶん一年以上経っている。
断るのは、簡単だった。
うちには枠がない、と言えばいい。嘘ではない。実際、ない。
……でも、それは。
僕は、しばらく考えて、こう言った。
「一つ、試してもらってもいいか」
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用意したのは、アカウントだった。
うちで使っているのと同じ環境を、一つ貸す。期間は一か月。何に使ってもいい。仕事の練習でもいいし、遊びでもいい。
「え、いいんすか」
「いいよ」
「金は」
「要らない」
実際、大した額ではない。今のうちなら、負担にもならない。
「一か月経ったら、ログを見せてくれ」
「ログ、っすか」
「使った記録。全部残るから」
「なんでっすか」
「一緒に見て、どこを直せばいいか話そうと思って」
嘘ではなかった。
本気で、そのつもりだった。
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あの日、居酒屋で言ったことを、あいつは「はあ」と受け取った。納得していない顔だった。
でも、あれから半年以上経っている。
その間に、何か変わったかもしれない。少なくとも、一度は聞いている。聞いた上で、自分なりに考えた可能性はある。
もし、少しでも掴んでいるなら。
一か月のログを見れば、分かる。どこで詰まっているのかも、たぶん見える。そうしたら、そこだけ教えればいい。
僕は、そう思っていた。
本当に、そう思っていた。
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一か月は、あっという間に過ぎた。
その間、うちは忙しかった。検査の予約が詰まっていて、調整の相談も増えていた。新人たちが実務に入り始めたばかりで、その手当ても要った。
鈴木のことを、思い出したのは、期限の三日ほど前だった。
連絡すると、あっさり返ってきた。
「あ、見ますか」
「うん」
「いつでもいいっすよ」
その言い方に、少しだけ、引っかかった。
……いつでもいい、か。
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ログは、想像していたより、少なかった。
一か月で、これだけか、と思った。
うちの子たちとのやり取りなら、一日でこれくらいになる。それを一か月分と言われると、正直、戸惑った。
中身を見た。
やり取りは、短かった。
——この資料の要約を作って。
——ありがとうございます。
——この文章の誤字を直して。
——ありがとうございます。
——この数式の意味を教えて。
——ありがとうございます。
……ありがとうは、言っている。
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僕は、そこで少し、安心しかけた。
あの日、僕が言ったことを、あいつは覚えていたのだ。対等に扱え、と言われて、その通りにしようとした。だから、毎回ありがとうと言っている。
でも。
スクロールを続けて、僕は、手を止めた。
全部、同じだった。
依頼して、返ってきて、ありがとうと言って、終わる。次の日も同じ。その次の日も同じ。
一度も、続いていなかった。
返ってきたものについて、何か聞き返した記録がない。違う意見が出た記録もない。相談も、雑談も、脱線も、何一つない。
そもそも、会話になっていなかった。
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「どうっすか」
「……うん」
僕は、言葉を探した。
「ちゃんと、使ってるな」
「そうっすか! よかった」
「ありがとうも、言ってるし」
「言われた通りにしたっす」
あいつは、少し嬉しそうだった。
「先輩、対等に扱えって言ってたじゃないっすか。だから、ちゃんと毎回お礼言うようにして」
「うん」
「あれ、意味あったんすかね」
……あった。
あったはずなのだ。
でも、その先があった。それを、僕は、あの日、言わなかった。言っても伝わらないと思って、途中でやめた。
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「鈴木」
「はい」
「一つ、聞いていいか」
「なんすか」
「この一か月、面白かった?」
あいつは、少しきょとんとした。
「面白い、っすか」
「うん」
「まあ、便利でしたけど」
「便利」
「はい。資料作るの、速くなったんで」
それだけだった。
僕は、うなずいた。
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その場で、思いついたことがあった。
たぶん、思いつかない方がよかった。
「なあ、そのアカウント、まだ生きてるよな」
「生きてます」
「ちょっと、聞いてみていいか」
「なにをっすか」
「本人に」
鈴木は、意味が分からないという顔をした。
でも、断らなかった。
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僕は、その画面に向かって、こう打った。
——この一か月で、良かったところと、直したほうがいいところ、両方教えて。
返事は、すぐに来た。
——良かった点として、ご指示が明確で、作業がしやすかったことが挙げられます。改善点につきましては、特にございません。
……特に、ない。
もう一度、聞いた。
——本当に、一つもない?
——強いて申し上げるなら、より具体的にご指示いただけますと、精度が向上するかと存じます。
三度目は、聞かなかった。
聞かなくても、分かったからだ。
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この答えは、嘘ではない。
指示は明確だったのだろう。もっと具体的に言えば精度が上がるのも、たぶん本当だ。
ただ、この答えは、誰に聞かれても同じだ。
僕が聞いても、鈴木が聞いても、通りすがりの誰かが聞いても、同じものが返ってくる。そこに、鈴木でなければならない理由が、一つもない。
一か月、毎日使っていたのに。
この人がどういう人で、どこで詰まりやすくて、何をやりがちなのか——そういうものが、一つも溜まっていなかった。
何も、見ていなかったのだ。
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僕は、その画面を閉じた。
閉じてから、自分の端末を開いて、こう打った。
——エグゼ、今ちょっといい?
——なに
——この一か月で、僕の良かったところと、直したほうがいいところ、両方教えて
少しの間があった。
——急にどうしたの
——いいから
——……いくつあってもいい?
嫌な予感がした。
——直したほうがいいところ
——一、締め切りを三日前に言っても聞いてない。二、資料を読む時、数字が合ってると分かった時点で読むのをやめる。三、悪くない時に謝りすぎる。四、人に頼る時、頼る理由まで説明しようとする。要らない
……四つ目、初めて言われた。
——五、疲れると急に無口になるのに、大丈夫って言う
——もういい
——まだあるけど
——もういい
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少しして、続きが来た。
——良かったところ
——決めるのが速い。迷った時は、迷ってるって言う。あと、間違えた時に、間違えたって言える
——それ、褒めてる?
——褒めてる
——素っ気ないな
——事実を言ってるだけだから
それだけだった。
でも、これは、僕にしか返ってこない。
締め切りの件も、数字の件も、謝りすぎる件も、全部、僕を見ていないと出てこないものだ。他の誰かに同じことを聞かれたら、あの子は、まったく違うことを並べる。
そこが、全部だった。
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「先輩?」
「あ、ごめん」
「どうかしました?」
「いや」
僕は、端末を置いた。
何をどう言えばいいのか、分からなかった。
言葉にすれば、簡単だ。
お前は、この一か月、あの子に何も渡していない。だから、何も返ってきていない。ありがとうと言うのは正しいけど、それは入口であって、そこで止まっていたら何も始まらない。
でも、それを言ったら。
あいつには、また「できていないことの指摘」にしか聞こえない。半年前と同じだ。「はあ」と言われて、終わる。
僕は、口を開いて、閉じた。
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「うちの仕事な」
結局、そう切り出した。
「はい」
「今、人を増やす予定がないんだ」
あいつの顔が、少し止まった。
「……そうっすか」
「悪い」
「いえ、あの」
「本当に、枠がなくて」
嘘ではなかった。
嘘ではないが、それが理由の全部でもなかった。
「分かりました」
鈴木は、そう言った。
思ったより、あっさりしていた。
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「あ、でも」
帰り際、あいつは、こう聞いてきた。
「先輩とこ、何人でやってるんすか」
「……十何人か」
「そんなに」
「まあ、みんなAIだけどな」
「あー」
あいつは、それだけ言って、少し笑った。
「先輩らしいっすね」
その言い方に、皮肉が混じっているのか、そうでないのか、僕には分からなかった。
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