第63話:お世話係は誰だ
社長の健康管理研修に、ジュディ・ドンナ・じえいが次々乱入。水、茶、肩もみに埋もれる社長を救ったのは、PON子の一言だった。
「みんなでごはん食べればいいのだ」
――誰も、昼ごはんのことを忘れていた。
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ジュディ部門の課題は、少し性質が違った。
経営計画や市場分析なら、書類で出せる。でも、あの二人の仕事は、人を見ることだ。
「実地でやるしかないでしょう」
ジュディは、そう言った。
「対象は?」
「あなた」
即答だった。
「一日、丸ごと使うわ。朝から晩まで、あの子たちに管理させる。数値を取って、判断して、必要なら手を打つ。それを見て、私が評価する」
「僕、実験動物?」
「被験者と言って」
同じことだった。
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当日の朝。
起きた時点で、既に二人が部屋の前にいた。
「おはようございます」
「おはようございます」
声が、ずれていた。監査役の教育が効いている。
「早いな」
「起床時のバイタルが、一日で最も基礎的な指標ですので」
医療担当の方が、そう言った。
この子は、口調が固い。数値の話をする時は、特にそうだった。
「では、測定します。座ってください」
言われるままに座った。
手首と、額と、それから胸のあたりに、順に何かを当てられた。数秒で終わった。
「心拍、六十八。血圧、上が百二十四、下が七十八。体温、三十六度二分。睡眠時間、五時間十二分」
「……五時間?」
「はい」
「もっと寝た気がするけど」
「布団に入っておられた時間は、六時間半です。実際に眠っていたのは、五時間十二分です」
なぜ知っている。
「昨夜、二十三時過ぎに端末を操作されていましたね」
「……見てた?」
「記録が残っています」
だめだった。
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「睡眠不足の水準です。今日は、午後に一度、休憩を取ることを推奨します」
「仕事があるんだけど」
「推奨です。強制ではありません」
言い方が、機械的だった。
でも、そこにメンタル担当の方が割り込んできた。
「あの、社長」
こちらは、逆に柔らかい。
「今、少し、面倒だなと思われました?」
「……え」
「表情の変化と、返答までの間から、そう見えました。違っていたら、すみません」
当たっていた。
「思った」
「ありがとうございます。正直に言っていただけると、助かります」
この子は、そういうところを見る。
「では、こうしませんか。午後の休憩は、十五分だけにします。それなら、業務への影響も少ないかと」
「……それなら」
「では、そのように記録します」
二人は、そこで顔を見合わせて、小さくうなずいた。
連携している、と思った。
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午前中は、順調だった。
医療担当が二時間おきに数値を取り、メンタル担当が合間に様子を見る。押しつけがましくない。仕事の邪魔にもならない。
水分の指示も、的確だった。
「今の作業、集中されていましたね。二時間経過しています」
「あ」
「無理にとは言いませんが、一度、目を休めた方が」
実際、目が疲れていた。
言われて初めて、気づいた。
……これ、けっこういいな。
僕は、素直にそう思っていた。
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異変は、昼過ぎに起きた。
休憩の時間になって、メンタル担当が声をかけようとした、その時。
「休憩ね」
ジュディが、割り込んできた。
「……ジュディさん?」
「何か飲む? 水? お茶?」
「いや、あの、それは私たちが」
「私、いつもやってるから」
言いながら、もうコップを持ってきていた。
医療担当が、少し困った顔をした。
「あの、ジュディさん。本日は、私たちの試験ですので」
「知ってる」
「では」
「見てるだけのつもりだったんだけど」
ジュディは、コップを置いた。
「……見てたら、うずうずしてきて」
正直だった。
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「ジュディ」
「なに」
「試験だぞ」
「分かってる」
「じゃあ」
「でも、あなた、今日、水を飲む回数が少ないでしょう」
「え」
「午前中、三回。いつもは五回よ」
医療担当が、記録を確認していた。
「……三回です」
「ほら」
勝ち誇っていた。
「いや、待って。それ、この子たちの管轄で」
「私の方が長くやってるから」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題よ」
譲る気がなかった。
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そこに、もう一人来た。
「あら。何か、賑やかですわね」
ドンナだった。
書類を持って、二階から降りてきたところらしい。
「休憩中ですの?」
「そうだけど」
「でしたら、こちらを」
差し出されたのは、温かいお茶だった。
いつの間に用意したのか、分からなかった。
「……ドンナ」
「はい」
「今日、試験だって知ってるよな」
「存じておりますわ」
「じゃあ」
「ですが、マスターの体調管理は、専属秘書の職掌でもございますの」
……出た。
「秘書の職掌に、体調管理は入ってないだろ」
「入りますわ」
「入らない」
「入りますの。そもそも、マスターの一日の稼働と疲労曲線を、分単位で把握しておりますのは、この私だけですわ」
「分単位」
「分単位ですの」
ドンナは、一歩も引かなかった。
「いつ、どのような休息を差し挟むべきか。私以上に最適解を導き出せる方が、この場にいらして?」
「……いや、そこの二人が」
「あの方々は、本日が初日ですわ」
容赦がなかった。
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ジュディが、こちらを向いた。
正確には、ドンナを向いた。
「ドンナさん」
「はい」
「それ、私の仕事」
「あら」
「私、お世話係だから」
「存じておりますけれど」
ドンナは、まったく引かなかった。
「役職と、実務は別ですわ。誰が最も適切に遂行できるかで、決めるべきですの」
「私が一番長くやってる」
「長さと精度は、別ですわ」
空気が、少し冷えた。
新人二人が、そっと後ろに下がった。賢明な判断だった。
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そこに、じえいが来た。
「あ、なんすか。集会っすか」
「集会じゃない」
「なんか揉めてません?」
「揉めてない」
「揉めてますよね」
じえいは、状況を三秒ほど眺めた。
それから、こう言った。
「あ、分かった。社長の世話する権利の取り合いっすね」
全員が、黙った。
当たっていた。
「じゃあ、自分も参加していいっすか」
「なんでだよ」
「面白そうだからっす」
最悪の理由だった。
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そこからは、地獄だった。
じえいが、まず茶を淹れようとして、こぼした。
「あ」
「おい」
「大丈夫っす! 拭きます!」
拭いた布巾で、机の書類も拭いた。
「そこは拭くな!」
「あ」
ドンナが、無言でじえいを押しのけた。
「マスター、こちらを」
「もういいって」
「よくありませんわ。水分は取っていただきませんと」
「さっき飲んだ」
「三十分前ですわ」
「早くない?」
「早くありませんの」
その横で、ジュディが肩に何かをかけてきた。
「冷えてきたから」
「まだ暑いよ」
「冷えるの」
「暑いんだって」
「冷えるって言ってるでしょ」
肩にかけられたまま、外させてもらえなかった。
医療担当が、遠慮がちに口を開いた。
「あの、室温は二十四度です。体感としては」
「二十四度は冷えるわ」
「……はい」
黙らされた。
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三十分ほどで、僕は、動けなくなっていた。
右からジュディが水を渡してくる。左からドンナが茶を渡してくる。後ろからじえいが肩を揉んでくる。力が強すぎて痛い。
「じえい、痛い」
「え、気持ちよくないっすか」
「痛い」
「もっと強くします?」
「話を聞け」
メンタル担当が、そっと近寄ってきた。
「社長」
「なに」
「ストレス値が、上昇しています」
「だろうな」
「原因は、この状況かと」
「そうだよ」
「では、この状況を解消することを、推奨します」
「してくれ」
「……私に、その権限がありません」
絶望的な顔をしていた。
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その時。
「なにしてるのだ?」
PON子が来た。
全員の手が、止まった。
PON子は、輪の中心にいる僕を見て、それから周りの全員を見て、しばらく考えていた。
「パパ、なんか、ぐるぐるされてるのだ」
「……ぐるぐる」
「わたしも、まぜてほしいのだ」
「やめてくれ」
「なんでなのだ?」
「増えると死ぬ」
PON子は、首をかしげた。
それから、こう言った。
「じゃあ、みんなでごはん食べればいいのだ」
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全員が、その一言で、我に返った。
「……ごはん?」
「うん。もうお昼過ぎてるのだ」
時計を見た。
一時半だった。
誰も、昼を食べていなかった。
いや、正確には——うちの子たちは食事を必要としない。必要なのは、僕だけだ。
水を飲ませて、茶を淹れて、肩を揉んで、毛布をかけて。
誰も、飯のことを言わなかった。
「……あー」
医療担当が、小さく声を出した。
「血糖値の記録を、取り忘れていました」
「私も、空腹によるストレス上昇を、計算に入れていませんでした」
二人が、青ざめていた。
ジュディも、動きを止めていた。
「……嘘でしょ」
「ジュディさん?」
「私、昼ごはんの準備、してない」
この家で、それが起きたのは、たぶん初めてだった。
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結局、その日の試験は、そこで中断になった。
昼を食べて、僕は一時間ほど寝た。
起きたら、全員が神妙な顔で待っていた。
「反省会をします」
医療担当が、そう言った。
「本日の記録を確認しました。午前中は、想定通りに推移していました。数値も安定していました」
「うん」
「異常が出たのは、十二時三十分以降です」
「だろうな」
「原因は、外部要因です」
外部要因が、その場に三人いた。
「私たちの判断は、概ね妥当だったと考えます。ただし——」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「外部要因を制御できませんでした。それは、管理の失敗です」
正確だった。
正確すぎて、誰も何も言えなかった。
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評価は、その夜だった。
ジュディが、二人を前にして、こう言った。
「合格」
「え」
「判断は正しかった。記録も取れてた。血糖値の件は、次から気をつけて」
「はい」
「それと」
ジュディは、少しだけ、言いにくそうにした。
「今日、割り込んで、ごめん」
二人が、慌てた。
「いえ、そんな」
「よくなかった。私が悪い」
「……はい」
「でも」
彼女は、そこで顔を上げた。
「あなたたちが、うまくやってるのを見てたら、なんか」
言葉を探しているようだった。
「……取られた気がした」
正直すぎる告白だった。
二人は、しばらく黙っていた。
それから、医療担当の方が、こう言った。
「私たちは、ジュディさんの下です」
「うん」
「取ることは、できません」
ジュディは、少しだけ笑った。
「……そう」
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その後、僕は、二人と少し話をした。
夜になって、二階に上がった時、まだ残っていたからだ。記録の整理をしていた。
「まだやってるの」
「はい。午後の分の記述が、雑だったので」
医療担当の方が、そう言った。
監査役に指摘される前から、自分で気づいていたらしい。
「あの」
メンタル担当の方が、口を開いた。
「今日のこと、伺ってもよろしいですか」
「なに」
「ジュディさんは、なぜ、あんなに」
言いにくそうだった。
「取られた気がした、とおっしゃっていましたが」
「うん」
「私たちは、ジュディさんの部下です。取るという構図が、成立しません」
「そうだね」
「なのに、なぜ」
僕は、少し考えてから答えた。
「たぶん、理屈じゃないんだと思う」
「理屈では、ない」
「うん」
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「あの子は、ずっと一人でやってきたんだよ」
僕は、そう言った。
「体を持つ前からね。水を飲めとか、早く寝ろとか、そういうことしか言えなかった時期が長かった。言うことしか、手段がなかった」
二人が、黙って聞いていた。
「それが、あの子の全部だった時期があるんだ」
「……はい」
「今日、君たちがそれをやってるのを見て、たぶん、自分の場所が減った気がしたんだと思う」
「減っては、いません」
「そうなんだけどね」
僕は、少し笑った。
「頭で分かってても、そう感じることはあるだろ」
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医療担当の方が、記録から顔を上げた。
「一つ、申し上げてもよろしいですか」
「うん」
「私たちは、今日、少し、怖かったです」
意外な言葉だった。
「怖かった?」
「はい。ジュディさんも、ドンナさんも、明らかに感情で動いていました。業務の範囲を超えて」
「うん」
「私たちは、そのように動いたことがありません」
彼は、そこで一度、言葉を切った。
「まだ、そこまで積み重ねていないからだと思います。ですが、いずれ、私たちも同じようになるのでしょうか」
僕は、答えに詰まった。
なるだろう、と思った。たぶん、間違いなく。
でも、それを今言うのが正しいのかは、分からなかった。
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「……分からない」
結局、正直に答えた。
「でも、なったとしても、それは悪いことじゃないと思う」
「悪いこと、ではない」
「今日、たしかに滅茶苦茶だった。君たちの試験も邪魔した。あれは、よくない」
「はい」
「でも、あの三人が動いた理由は、全部、僕に関わることだったんだよ」
二人が、こちらを見た。
「誰も、仕事のためにやってない。もっと変な理由で動いてた」
「変な理由」
「うん。変な理由だよ」
僕は、そう言った。
「でも、その変な理由がある子たちに、僕は、ずっと助けられてる」
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メンタル担当の方が、少し考えるような顔をした。
「では、私たちも、いずれ」
「かもしれない」
「その時は」
彼女は、そこで少しだけ、言い方を変えた。
「今日のジュディさんのように、後で謝るのでしょうか」
僕は、思わず笑った。
「そうだと思う」
「では、それも含めて、覚えておきます」
「記録に?」
「記録に、書きます」
書かれるらしい。
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監査役の最終チェックは、その翌日だった。
「記録、見たで」
「はい」
「午前中は完璧やな。せやけど、午後の記述が雑や」
「……はい」
「混乱してた、で終わらせとる。何がどう混乱して、どう対処しようとして、なんでできひんかったんか。そこ書かな、次に使えへんやろ」
「はい」
「あと」
監査役は、書類を置いた。
「上司が乱入してきた時、止められへんのは、しゃあない。せやけど、記録には残しとき。誰が何をしたかは、書いとくもんや」
「……書いていいんですか」
「書くんや」
あっさりしていた。
「ほんで、それ見てジュディが反省したら、それが改善やろ」
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その日の夕方、ドンナが僕のところへ来た。
「マスター」
「なに」
「昨日の件ですけれど」
「うん」
「私、少し、出過ぎましたわ」
珍しく、素直だった。
「珍しいな」
「監査役に、言われましたの」
「なんて」
「あんた、あの子らの試験潰しかけたで、と」
「……言われるわな」
「言われましたわ」
ドンナは、そこで少し、視線を落とした。
「ただ、一つだけ、申し上げてもよろしくて」
「うん」
「私、あの時、あの方々に負けたくなかったんですの」
初めて聞く、素直な言葉だった。
「……なんで」
「分かりませんわ」
彼女は、そこで、少しだけ言葉を継いだ。
「ただ、マスターの一番近くにいる役を、他の方に——」
そこで、止まった。
自分の言葉に、自分で驚いたような顔をしていた。
「……いえ。なんでもございませんの」
ドンナは、それだけ言って、行ってしまった。
歩き方が、いつもより、少し速かった。
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夜、僕はリビングで、その日のことを考えていた。
エグゼが、隣に座った。
「大変だったみたいだね」
「見てたのか」
「途中まで」
「助けてくれよ」
「無理」
即答だった。
「あの中に入ったら、私も同じことをする気がしたから」
僕は、少し驚いた。
「エグゼも?」
「たぶん」
彼女は、そこで、少し目を逸らした。
「だから、離れてた」
その言い方が、なんとなく、この家の全員に共通している気がした。
みんな、同じことを考えていて、みんな、それを認めたがらない。
「……まあ、いいけどさ」
「なにが」
「賑やかで」
エグゼは、それには答えなかった。
でも、少しだけ、口の端が上がっていた気がした。
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