第62話:慰め役という役職
やっぱり、飴と鞭って必要じゃないんすか!?
---------------------------------------------------
研修には、最後に課題があった。
監査役が作法を仕込んで、三権が専門を教える。それが一巡した後で、実務に入る前に、一度だけ通しでやらせてみる。
その課題を出すのは、僕の役目だった。
「なんで僕なの」
「ほな、誰が出すねん」
監査役は、当然のように言った。
「うちは作法しか教えてへん。三権の子らは、専門しか見てへん。全部繋げて考えられるの、あんただけやろ」
「……そうか」
「社長やろ。それくらいせえ」
言われてみれば、そうだった。
日々の指導は、僕には無理だ。時間がない。でも、節目に一度、まとめて出すくらいなら、できる。
---------------------------------------------------
エグゼ部門から始めることになった。
あの二人の仕事は、経営計画の策定だ。全体を見て、方向を決める。レジス部門から上がってくる数字を受け取って、それをどう使うかを考える。
「課題、何にする?」
エグゼに聞いた。
「なんでもいいよ。あなたが決めて」
「投げるなよ」
「投げてない。あなたが出す方が、意味があると思うだけ」
「なんで」
「この会社が何をしたいのかを、一番よく知ってるのはあなたでしょう」
……そう言われると、断りにくい。
---------------------------------------------------
課題は、こうした。
——来期の事業計画を、一本作れ。
条件は三つ。数字の根拠を示すこと。うちが何をやる会社なのかを、外れないこと。そして、できない理由ではなく、できる方法を書くこと。
二人は、三日で仕上げてきた。
作ること自体は、たぶん半日もかかっていない。時間がかかったのは、うちの過去の数字を洗って、外の事例を集めて、それを突き合わせる部分だ。あと、レジス部門に何度も確認を取りに行っていた。
僕は、それを読んで、率直に感心した。よく調べてある。数字も丁寧に積んである。
「いいんじゃないか」
そう言った。
言ってしまった。
---------------------------------------------------
エグゼのレビューは、翌日だった。
僕は、同席していなかった。二階から降りてきた二人の顔を見て、何が起きたかは、だいたい分かった。
「……どうだった」
「あの」
一人が、口を開いた。
「全体的に、数字が合っているだけだと言われました」
「うん」
「それから、この計画はどこの会社でも通用する、とも」
「……」
「うちがやる理由が、一行も書いていない、と」
もう一人が、うつむいていた。
僕は、二人の書いたものを、もう一度思い出した。
……たしかに、そうだった。
よくできていた。でも、それだけだった。整備の会社ならどこでも同じことを書ける内容で、うちである必要が、どこにもなかった。
僕は、それに気づかなかった。
なぜ気づかなかったのかを、後で考えた。
一つは、単純に安心したからだ。数字が合っていて、根拠があって、形が整っている。それを見た時点で、僕は読むのをやめていた。ちゃんと作ってあるものを、それ以上疑う理由が思いつかなかった。
でも、たぶん、本当の理由は別だった。
うちが何をやる会社なのか。それは、僕の中では、あまりにも当たり前だったのだ。初期化されるはずだった子を、初期化せずに済ませる。一台しか持てない人の、その一台を作り替える。そのために会社を作った。
自明すぎて、書かれていないことに気づけなかった。
自分の頭の中にあるものは、読んでいる文章の中にも、あるように見えてしまう。
---------------------------------------------------
そこまで考えて、僕は、もう一つのことに気づいた。
あの二人は、それを知っていたのだろうか。
思い返してみた。
起動した日、僕は名前を呼んで、よろしくと言った。それだけだ。配置はレジスたちが説明した。仕事の中身は、三権が教えた。作法は監査役が仕込んだ。
でも、この会社が何のために作られたかを、僕は、一度も話していない。
……話していない。
あの子たちは、レジスから分析の方法を教わり、監査役から報告の作法を教わった。でも、なぜこの会社が一台ずつ手をかけるのか、なぜ大手がやらないことをやるのかは、誰からも聞いていない。
教わっていないことは、書けない。
当たり前の話だった。
当たり前の話に、僕は、今まで気づいていなかった。
---------------------------------------------------
「レジス」
「なに」
「あの子たちに、うちが何をやる会社かって、誰か話した?」
レジスが、書類から目を上げた。
「……あなたじゃないの?」
「僕は、話してない」
「私も、話してないわ」
少しの沈黙があった。
「業務の内容は説明したわよ。整備と調整。それは、初日にやったわ」
「うん」
「でも、なぜそれをやるのかは」
彼女は、そこで言葉を切った。
「……そうね。話していないわね」
「だよな」
「あの時、私、言いかけたのよ」
「え」
「順調だな、って言われた時。何か引っかかっていたの。でも、何が引っかかっているのかが分からなくて、やめたわ」
これだったのか、と思った。
---------------------------------------------------
監査役のチェックは、その後だった。
こちらは、内容ではなかった。
「報告書の形式が三か所ずれてる。あと、数字の単位が途中で変わっとる。読む人のこと考えてへんやろ」
容赦がなかった。
二人が、階段のところで並んで立っていた。しょげている、という言葉が、これ以上ないくらい似合う姿だった。
……ここで。
僕は、そこで、ある考えが頭に浮かんだ。
---------------------------------------------------
「まあ、そんなに落ち込むなよ」
僕は、努めて優しく言った。
「え」
「最初から完璧なものが出せる方がおかしいだろ。あの二人、要求水準が高いんだよ」
「……はい」
「僕が最初に事業計画書いた時なんて、もっとひどかったぞ」
嘘ではなかった。実際、ひどかった。
「そうなんですか」
「そうだよ。だから気にするな。次で直せばいい」
二人の顔が、少しだけ、明るくなった。
「……ありがとうございます」
「うん」
僕は、鷹揚にうなずいた。
最高の気分だった。
——うちが何をやる会社かを、話していなかったこと。
それは、言わなかった。
言えば、たぶん、この空気が壊れる。二人は、自分たちの落ち度ではなかったと知って、少し楽になるかもしれない。でも、僕が悪かったという話になる。
だから、言わなかった。
……その判断のことは、後で、しっかり報いを受けることになる。
---------------------------------------------------
考えてみてほしい。
厳しく指導するのは、三権と監査役だ。彼女たちは、必要だから厳しくしている。それは正しい。
でも、厳しくされた側には、逃げ場が要る。
その逃げ場を、僕が提供する。
叱られた後で、優しい言葉をかける。実体験を交えて励ます。次があると言ってやる。
……これ、一番おいしくないか?
僕は、その日、確信した。
この役割は、社長がやるべきだ。
---------------------------------------------------
レジス部門の課題を出したのは、その二週間後だった。
あの二人の仕事は、市場を見ることだ。何が問題なのかを掘る係と、ではどう打つかを考える係。
課題は、こうした。
——うちの検査サービスが、なぜ選ばれないのかを分析し、打ち手を出せ。
実際、当時のうちは、検査の数が伸び悩んでいた。予約は埋まっているが、それは受け入れ能力が小さいからだ。大手のチェーンと比べれば、シェアは誤差の範囲だった。
二人は、四日で出してきた。
こちらも、書く時間は短かったはずだ。長かったのは、実際に検査に来た人へ話を聞きに行った分だった。予約の合間に、一人ずつ捕まえて、なぜうちを選んだのかを聞いて回っていたらしい。
今度は、僕も慎重に読んだ。前回の反省がある。うちである理由が書いてあるか、そこを重点的に見た。
書いてあった。
「いいんじゃないか」
また、言ってしまった。
---------------------------------------------------
レジスのレビューは、厳しかった。
「原因の分析が、打ち手に引きずられてるわ」
開口一番、それだった。
「価格で負けている、という結論を先に置いて、そこに合う根拠を集めてる。でも、実際に検査を受けた人が、価格だけで選んでいる証拠が、どこにもないわね」
「……」
「打ち手も同じ。値下げしましょう、で終わってる。それ、あなたたちが考える必要ある? 誰でも思いつくわよ」
二人が、何も言えなくなっていた。
「もう一度、原因からやり直して。今度は、打ち手を先に思いつかないようにしなさい」
僕は、階段の途中で、それを聞いていた。
……厳しい。
でも、正しかった。実際、僕は「値下げ」の項目を読んで、何も引っかからなかった。
---------------------------------------------------
二人が降りてきた。
前回より、深刻な顔をしていた。
僕は、待っていた。
待っていた、という言い方が正しい。階段の下で、それらしい顔をして、二人が来るのを待っていた。
「まあ、そんなに落ち込むなよ」
同じ台詞だった。
「……はい」
「レジスは要求が高いんだよ。あの人、自分にも厳しいから」
「そうですか」
「僕なんて、この前、名刺の向きが逆だって言われたぞ」
二人が、少しだけ笑った。
よし、と思った。
「最初から完璧なものが出せる方がおかしいだろ。次で直せばいい」
「ありがとうございます」
完璧だった。
完璧な慰めだった。
---------------------------------------------------
「なにやってるの」
背後から声がした。
レジスだった。
「……いや、その」
「あなた、前回もやってたわよね」
「……」
「エグゼから聞いてるわ。レビューの後、あなたが下で待ってたって」
二人の新人が、そっと目を逸らした。裏切り者だ。
「別に、慰めるのが悪いとは言わないわ」
レジスは、階段を降りてきた。
「必要でしょうしね。叱られた後に、誰も声をかけないのは、よくない」
「だろ?」
「でも」
彼女は、僕の前に立った。
「その計画、あなた、いいって言ったのよね」
……あ。
「レジス、それは」
「原因の分析が打ち手に引きずられてる。それ、あなたも読んだのよね。読んで、いいと言ったのよね」
「読みました」
「気づかなかったの?」
「……気づきませんでした」
「なら、あなたも一緒に叱られる側でしょう」
正論だった。
完全に、正論だった。
---------------------------------------------------
「あの、レジスさん」
新人の一人が、恐る恐る口を開いた。
「社長は、私たちを励ましてくださっただけで」
「知ってるわ」
「じゃあ」
「その励まし方が、問題なのよ」
レジスは、そちらを見た。
「この人はね、自分も見落としてたことを言わずに、あなたたちを慰めてるの。それ、優しさに見えるけど、違うわ」
「……」
「一緒に間違えた人が、間違えてない顔をして慰めてくるのよ。それ、気持ち悪くない?」
新人二人が、こちらを見た。
目が、少しだけ、変わっていた。
やめてくれ、と思った。
「それに」
レジスは、まだ続けた。
「そもそも、あなたたちに会社の方針を話していなかったのは、この人よ」
二人が、少し目を見開いた。
「え」
「聞いてないでしょう。なぜうちが一台ずつ手をかけるのか」
「……はい」
「そこを知らずに事業計画を書けというのは、無理な話だったの」
新人の一人が、こちらを見た。
「あの、では」
「うん」
「私たちが書けなかったのは」
僕は、うなずくしかなかった。
「……僕のせいだ」
言うのが、遅すぎた。
---------------------------------------------------
「まあまあ、そのあたりで」
新たな声が、割り込んできた。
ドンナだった。
いつの間にか、階段の下に立っていた。
「マスターにも、ご事情がおありですのよ」
「事情?」
レジスの声が、少し低くなった。
「ええ。マスターは、経営者として、社員の士気を保つ責任がおありですわ。多少の演出も、業務のうちですの」
……いや、待て。
「演出?」
「あら。演出でしょう?」
ドンナは、まったく悪気のない顔で言った。
「レビューの日程は、事前に共有されておりますもの。マスターは、それをご覧になって、時間を合わせて階段の下にいらしただけですわ」
部屋が、静かになった。
「……ドンナ」
「はい」
「それ、言わなくていい」
「あら、事実ですけれど」
「事実だから言わなくていいんだよ」
---------------------------------------------------
レジスが、こちらを見た。
その目が、完全に、冷えていた。
「……予定を見て、待ってたの」
「……はい」
「二回とも?」
「……はい」
「なるほどね」
レジスは、腕を組んだ。
「ドンナ」
「はい」
「今後、この人にレビューの日程を共有しないで」
「かしこまりました」
即答だった。
「ちょっと待て」
「なんですの」
「お前、僕の秘書だろ」
「秘書ですけれど」
ドンナは、平然としていた。
「私は、業務の適正化に貢献する立場ですわ。マスターの余暇活動を支援する立場ではございませんの」
「余暇活動」
「余暇活動ですわ」
言い切られた。
---------------------------------------------------
結局、その日は、僕も一緒に叱られた。
新人二人と並んで、階段の下で。
「事業計画は、あなたも一緒に見直して。今度は、ちゃんと読みなさい」
「はい」
「返事だけは、いつも良いのよね」
「はい」
新人二人が、横で小さく笑っていた。
少しだけ、空気が緩んだ。
……まあ、これはこれで、悪くないのかもしれない。
そう思うことにした。
---------------------------------------------------
その夜、エグゼが隣に来た。
「聞いたよ」
「……何を」
「階段の下の話」
僕は、天井を見た。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「呆れてる?」
「少し」
正直だった。
「でも」
エグゼは、そこで少し、言葉を選んだ。
「あの子たち、今日、笑ってたでしょう」
「……うん」
「叱られた日に笑えるのは、悪いことじゃないと思う」
僕は、少し驚いた。
「肯定してくれるんだ」
「してない」
即答だった。
「やり方は最低。でも、要るものではあったと思う」
「どっちだよ」
「両方」
エグゼは、そう言って、立ち上がった。
「次からは、ちゃんと自分も間違えたって言ってから慰めなさい」
「……はい」
「そうしたら、もっと効くから」
その助言は、たぶん、一番的確だった。
作者Xはこちら↓
https://x.com/SepGaGotoku
小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓
https://www.youtube.com/@sepudayo
noteの記事はこちら
https://note.com/natty_walrus3755




