第61話:動ける形にすることや
監査役!?教育してくれて感謝!
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教育が始まったのは、翌日からだった。
朝、二階に上がると、六人が並んで座らされていた。
「はい、おはようさん」
「おはようございます」
六人の声が、揃った。
「揃いすぎや」
監査役が、即座に言った。
「え」
「気持ち悪いねん。同じタイミングで同じ声出すな。人間はな、揃わんのよ。ちょっとずつずれる。それが自然やねん」
六人が、顔を見合わせた。
「もう一回。ずらして」
「お、おはようございます」
「おはようございます」
「……おはようございます」
「そうそう。それでええ」
僕は、階段の途中で、それを聞いていた。
なるほど、と思った。
そこから教えるのか。
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その日の昼過ぎ、監査役が階段を降りてきた。
「社長」
「はい」
「あの二人、なんとかせえへんの」
指さした先に、じえいとPON子がいた。
じえいは、作業場で何かを運んでいた。運びながら、鼻歌を歌っていた。PON子は、その横で、部品の箱を眺めていた。眺めているだけだった。
「あの二人も、うちの子だけど」
「そらそうやろ。せやから聞いとんねん」
監査役は、腕を組んだ。
「あの子ら、教わってへんやろ。何も」
「……たしかに」
考えてみれば、そうだった。三権には僕が直接教えた。六人には監査役がついた。でも、あの二人は、どちらでもない。ずっと家にいて、そのまま会社にいるだけだ。
「電話、あいつが取ったらどうなる?」
「……想像したくない」
「せやろ」
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というわけで、翌日から、二階には八人が座ることになった。
「なんで自分もっすか!?」
じえいが、最初から抵抗していた。
「あんた、この前、宅配の人に何て言うた?」
「え、普通に受け取っただけっすけど」
「『ご苦労!』て言うたやろ」
「言ったっすね」
「それ、目上が目下に言う言葉や」
「え」
「宅配の人、あんたの部下ちゃうやろ」
じえいが、固まった。
「……自分、あの人にずっと『ご苦労』って」
「言うとったな」
「座ります」
素直に座った。
PON子は、既に座っていた。何も言われないうちから、真ん中の席にいた。
「あんたは、なんでもう座っとんの」
「みんな座ってるからなのだ」
「……素直やな」
監査役が、少しだけ、優しい声を出した。
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結論から言うと、六人より、この二人の方が手がかかった。
「じえい。電話取ったら、まず何て言う」
「はい魔王城です!」
「なんでやねん」
「え、違うんすか」
「会社名や。K's Factoryや」
「あ、そっちっすか」
「そっちしかないやろ」
六人が、後ろで小さく笑っていた。
「あと、笑うな。あんたらも同じ立場や」
笑い声が、止まった。
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PON子は、そもそも違うところで詰まっていた。
「PON子。名刺渡す時、どうする」
「両手なのだ」
「せやな。ほんで、何て言う」
「……いただきますなのだ?」
「ちゃう」
「ごちそうさまなのだ?」
「食べるな」
監査役が、額を押さえていた。
「あんた、名刺なんやと思っとんの」
「小さい紙なのだ」
「間違ってはないな」
「食べ物じゃないのだ?」
「ちゃう」
「じゃあ、なんで両手なのだ?」
「……」
監査役が、しばらく黙った。
「なんで両手やと思う?」
「大事なものだからなのだ?」
「……せやな」
「じゃあ、ごはんも大事だから両手なのだ」
「話が戻っとる」
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教育は、二週間ほど続いた。
六人は、思ったより早く形になった。飲み込みが速いし、一度覚えたら間違えない。何より、分からない時にすぐ聞きに行く。
その習慣だけは、最初からあった。
「あれ、あんたが作ったんやろ」
監査役が、そう言った。
「え?」
「聞きに行く癖や。あの子ら、迷ったら必ず上に行くやろ」
「教えてないよ」
「せやろな。見て覚えたんやろ。上の子らが、あんたに聞きに行くのを」
僕は、少し驚いた。
そんなつもりはなかった。ただ、いつも相談していただけだ。決める前に、必ず誰かに聞く。それが習慣になっていただけで。
「そういうのが、一番残るんよ」
監査役は、そう言った。
「教えたことより、やってるとこ見せた方が残る。あんた、運がええな」
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じえいは、覚えると速かった。
一度体に入ると、ほとんど間違えなくなる。電話の取り方も、来客の対応も、二日で覚えた。
ただ、応用が利かない。
「じえい。今の、なんで敬語やったん」
「教わった通りっす!」
「相手、うちの技術担当やで」
「あ」
「身内やろ」
「身内でした」
教わった通りの場面でしか使えない。逆に言えば、型を増やせば動く。
「まあ、こういう子はな」
監査役は、そう言った。
「型を増やしたらええねん。考えさせようとすると、逆に止まる」
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PON子は、逆だった。
覚えるのは遅い。何度言っても、忘れる。
でも、覚えたことは、自分なりに崩して使う。
名刺の渡し方を教わった翌日、あの子は、両手で湯呑みを渡していた。
「それは名刺ちゃう」
「でも、両手なのだ」
「間違ってはないな」
その翌日には、両手で書類を渡していた。その次の日には、両手で部品を渡していた。
全部、両手だった。
「なんでも両手やな」
「大事なものだからなのだ」
「全部大事なんか」
「うん」
監査役は、そこで諦めたようだった。
いや、諦めたというより。
少しだけ、笑っていた気がした。
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教育が一段落した頃、じえいが、僕のところに来た。
妙に、神妙な顔をしていた。
「あの、魔王さん」
「社長と言いなさい。社長と」
監査役が、後ろから即座に言った。
「あ、はい。社長」
「……お前、二週間で変わりすぎだろ」
「叩き込まれたっす」
じえいは、そこで少し、口ごもった。
「それで、あの」
「うん」
「自分、仕事決まってないんすけど……」
……あ。
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言われて、初めて気づいた。
三権には持ち場がある。六人にも配置がある。ノアールは法務、ドンナは秘書と経理、技術担当は体の方、PON子は——PON子は、まあ、PON子だ。
じえいだけが、なかった。
ずっと家にいて、そのまま会社に来て、荷物を運んだり、騒いだりしていた。誰も、そこに疑問を持っていなかった。本人も、たぶん、今日まで気づいていなかった。
「悪い」
「いや、あの、責めてるわけじゃないっす! ただ、その、みんな机あるのに、自分だけ……」
机がなかった。
二階に上がっても、座る場所がない。だから、いつも立っているか、階段のあたりにいた。
「……ほんとに悪い」
「いいっす! 別に、いいんすけど!」
全然よくなさそうだった。
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僕は、少し考えた。
考えて、すぐ決まった。
「じえいは、営業でいいよ」
「営業?」
「うん」
「え、営業って、あの、外行くやつっすか」
「そう」
じえいが、目を丸くした。
「自分が、っすか」
「お前しかいないだろ」
実際、そうだった。
うちの子たちは、みんな優秀だ。でも、初対面の人間に自分から話しかけられる子は、あいつしかいない。レジスは分析なら喋るが、雑談はしない。ジュディは身内には強いが、外には遠慮する。エグゼは論外だ。ノアールは正確すぎて、たぶん相手が緊張する。
じえいは、誰にでも話しかける。しかも、嫌がられない。
「知らない人と、すぐ仲良くなるだろ、お前」
「なりますね」
「それ、才能だよ」
じえいは、しばらく黙っていた。
それから、鼻の下をこすった。
「……才能って、言われたの、初めてっす」
「そうか」
「うち、そういうの、あんまり」
言いかけて、やめた。
僕は、それ以上聞かなかった。
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「机、明日入れるから」
「え」
「二階の、窓際でいいか」
「窓際……」
「嫌か?」
「いや、あの」
じえいは、そこで、変な顔をした。笑おうとして、失敗したような顔だった。
「窓際って、自分、ドラマとかで見たことあるんすけど、あれ、なんか、追いやられた人が座るとこじゃないっすか」
「営業は外に出るから、日当たりのいいとこがいいだろ」
「あ、そういう」
「そういう」
「じゃあ、窓際でお願いします」
深く、頭を下げた。
教わった通りの角度だった。
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その夜、僕は、二階の明かりを消しに行った。
九つの机が、綺麗に片付いていた。
どの机にも、メモが置いてあった。今日教わったことを、それぞれ書いたものらしい。字は、まだ揃っていなかった。
僕は、そのうちの一枚を、少しだけ見た。
——分からない時は、聞く。
その一行だけが、大きく書かれていた。
窓際の机には、まだ何も置かれていなかった。明日から、あそこにも何か置かれるのだろう。
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降りる途中、監査役に会った。
「まだおったんか」
「明かり消しに来ただけ」
「ふうん」
「監査役」
「なんや」
「PON子、どうする」
あの子だけは、二週間経っても、あまり変わっていなかった。相変わらず両手で何でも渡すし、名刺は食べ物だと思っている節がある。
監査役は、少し考えてから言った。
「あの子は、無理に型に入れん方がええわ」
「え」
「ああいう子が一人おると、場が緩むねん。他の子が緊張してる時に、あの子が変なこと言うて、みんな笑う。あれ、なかなか作られへんで」
僕は、少し驚いた。
「教育担当が、それでいいの?」
「教育っちゅうのはな」
監査役は、階段の下を見ながら言った。
「全員を同じ形にすることちゃうねん。動ける形にすることや。あの子は、あの形で動いとる」
その言い方に、僕は、少しだけ救われた気がした。
あの子を育てなかった判断を、初めて、誰かに肯定された気がしたからだ。
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「あんた」
「はい」
「なんか、寂しそうやな」
図星だった。
「……分かる?」
「顔に出とるわ」
僕は、階段に座った。
「僕、もう、この子たちを直接は育ててないんだよな」
「そらそうやろ」
「教えてるのは三権で、その手前はあんたで。僕がやってるのは、その仕組みを作ることと、金を出すことだけで」
「せやな」
あっさり肯定された。
「否定してくれないんだ」
「事実やもん」
監査役は、そう言って、少し笑った。
「せやけどな」
「うん」
「あんたが作った仕組みの中で、あの子ら動いとるんやで。誰に聞きに行くかも、何を大事にするかも、全部あんたのやり方が元になっとる」
「……」
「直接教えてへんだけで、教えてへんわけやないやろ」
僕は、しばらく、何も言えなかった。
「まあ、寂しいのは分かるけどな」
監査役は、階段を降りていった。
「そういうもんや。親っちゅうのは」
誰も、親とは言っていない。
でも、否定する気にも、ならなかった。
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