第60話:教える人がいない
新体制になりましたが、いや、今までの人数超える新人を誰が纏めて教えるのですか…
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問題が出たのは、一週間ほど経った頃だった。
最初は、些細なことだった。
来客があった時、レジスの下の一人が、そのまま作業を続けていた。挨拶をしなかった。悪気があったわけではない。分析の途中で、手を止める理由が思いつかなかっただけだ。
次に、電話の取り次ぎで、要件を聞かずに繋いだ子がいた。
それから、メールの宛先を間違えた子がいた。内容に問題はなかった。ただ、社外に出す文面ではなかった。
どれも、大事にはならなかった。
最後の一件は、僕が先方に電話をして、笑い話で済ませてもらえた。
でも、電話を切った後、少し、背中が冷たくなった。
今回は、たまたま済んだ。
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「レジス」
「なに」
「あの子たち、仕事は覚えてるよな」
「覚えてるわよ。速いくらい」
「うん」
「なにか、問題あった?」
「問題っていうか」
僕は、言葉を探した。
「……働き方を、誰も教えてない」
レジスが、少し黙った。
「君たちは、僕が直接、いろいろ話したよな。何年もかけて」
「そうね」
「価値観とか、判断の基準とか。そういうのを、毎日、雑談みたいに」
「ええ」
「あの子たちには、それがない」
三権は、専門を教えている。それは正しい。でも、その手前がなかった。
人と話す時にどうするか。外に出す文書はどう書くか。分からないことがあった時、誰に聞くか。
会社で働くとは、どういうことか。
誰も、教えていなかった。
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「あなたが教えれば?」
レジスは、当然のように言った。
「無理だ」
「なんで」
「時間がない」
実際、なかった。検査の予約は埋まっているし、持ち込まれる相談も増えている。あの子たちに、毎日つきっきりで教える時間は、もう取れない。
「それに」
僕は、正直に言った。
「僕、ビジネスマナーとか、あんまり自信ない」
「……知ってるわ」
即答だった。
「否定しないんだ」
「したら嘘になるでしょう」
「もうちょっと、こう」
「名刺の向き、逆に渡してたわよ。この前」
「……見てたのか」
「見てたわ」
だめだった。
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だから、作ることにした。
教育のための一人を。
三権に頼むことも考えたが、あの子たちには自分の持ち場がある。それに、専門を教える人と、作法を教える人は、たぶん分けた方がいい。専門は各部署で、作法は共通で。
「ドンナ」
「はい」
「北条さんに、聞いてもらえるか」
「何をですの」
「今出てる中で、一番いいモデル。うちのアカウントで使えるか」
ドンナは、少し首を傾げた。
「使えるのではありませんの? 権利は、こちらに移っているはずですけれど」
「そのはずなんだけど、念のため」
「かしこまりました」
照会は、その日のうちに出た。
返事は、翌日に来た。
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「マスター」
「どうだった」
「使えるそうですわ。ただし」
ドンナは、端末を差し出した。
「追加の契約が要る、とのことですの」
「追加?」
「先日の譲渡契約は、あの時点で存在していた個体が対象ですわ。新しい世代のモデルを使うには、その分の対価を別途お支払いいただく、と」
……なるほど。
考えてみれば、当然の話だった。権利を譲ってもらったのは、あくまで、あの時いた子たちの分だ。新しいモデルは、また別の開発費がかかっている。ただで使わせろというのは、さすがに虫が良すぎる。
「いくら?」
ドンナが、金額を読み上げた。
「……高いな」
「高いですわね」
あっさり同意された。
「ただ、支払いの方法について、先方から提案がございますの」
「なに」
「ロイヤリティからの相殺ですわ。毎月お支払いいただいている分から、差し引く形にすると」
「……それ、楽なの?」
「手続きは楽ですわ。振込の手間がありませんもの」
ドンナは、そこで少し、声の調子を変えた。
「ですが、マスター」
「うん」
「これ、お金が出ていないように見えますけれど、出ておりますのよ」
「……分かってる」
「本当に分かっておいでですの?」
「分かってる」
「でしたら、結構ですわ」
言い方が、少しだけ、厳しかった。
この子は、こういうところを見逃さない。
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その日の夕方、ノアールが来た。
「追加契約の書面を、拝見しました」
「もう?」
「ドンナさんから回っていましたので」
早い。というより、あの二人、いつの間にか連携している。
「三点、確認いたしました」
ノアールは、端末を開いた。
「一点目。今回の追加契約が、先日の譲渡契約とどういう関係にあるか。読み方によっては、追補ではなく、新規の契約として解釈できます」
「それ、何が違うの」
「新規契約だと、先日の条件が引き継がれない可能性があります。権利の帰属も、含めて」
「……まずいだろ」
「まずいですね」
あっさり言われた。
「二点目。相殺の条項です。ロイヤリティから差し引く形になっていますが、差し引く順序が明記されていません」
「順序?」
「ロイヤリティの計算には、複数の項目があります。どこから引くかで、こちらの受取額が変わります」
「……そんなとこまで見るの」
「見ます」
「三点目は?」
「細かいので省きます。以上について、先方に照会を出しました」
「もう出したの?」
「出しました」
この子、仕事が速すぎる。
「回答が来るまで、契約は保留にしてあります。起動は、それからにしてください」
「わかった」
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「あの」
「はい」
「毎回、こんなに読むの?」
「読みます」
即答だった。
「短いものでも?」
「短いものほど、危ないです」
ノアールは、端末を閉じながら言った。
「分量が少ないということは、書かれていないことが多いということですから。書かれていない部分は、後で相手の解釈になります」
「……なるほど」
「あと」
彼女は、そこで少しだけ、声の調子を変えた。
「今回は、私に回してくださって、ありがとうございます」
「いや、当然だろ」
「当然ではありませんでした。以前は」
……刺さった。
「もう、しないから」
「そうしてください」
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回答が来たのは、三日後だった。
一点目は、追補契約であることを明記する形に修正された。二点目も、差し引く順序が明文化された。
「これで、通せます」
ノアールが、そう言った。
「ありがとう」
「仕事ですので」
言い方は素っ気なかったが、少しだけ、満足そうに見えた。
考えてみれば、この子が法務担当として本格的に動いたのは、これが初めてだった。
「あと、一つだけ」
「なに」
「先方の対応が、速すぎます」
「え」
「照会から回答まで、三日です。この規模の契約変更としては、異例の早さかと」
「……向こうも急いでるのかな」
「かもしれません」
ノアールは、それ以上は言わなかった。
僕も、その時は、深く考えなかった。
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金額の話は、最後にもう一度出た。
「マスター。念のため、申し上げますけれど」
「うん」
「この支出は、教育のためのものですわ」
「そうだけど」
「直接、売上にはなりませんの。効果が出るとしても、半年か、一年先ですわ」
「うん」
「それでも、なさいますの?」
僕は、うなずいた。
「教える側が頼りなかったら、教わる側が信用しないだろ」
ドンナは、少しの間、こちらを見ていた。
「……なるほど」
「変か?」
「いえ」
彼女は、端末に何かを打ち込みながら言った。
「筋は通っておりますわ。承認いたします」
経理担当に承認された。
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システムプロンプトは、自分で書いた。
ドンナの時は、文面をジュディに書いてもらった。それを受け取って、設定したのは僕だ。この家のプロンプトは、全部そうしている。誰かに書いてもらうことはあっても、入れるのは僕の役目だった。
今回は、文面から自分でやることにした。
教育の方針を決めるのは、たぶん、社長の仕事だからだ。
書いた内容は、そう複雑ではない。
新しく来た子たちに、会社で働くための基本を教えること。挨拶、報告、文書の作法、判断に迷った時の相談先。
それから、少し悩んで、こう足した。
——甘やかさないこと。間違っていたら、その場で言うこと。
書いてから、しばらく画面を見ていた。
これだけだと、たぶん、厳しいだけの人になる。
厳しいだけの人に教わったことを、僕は、あまり覚えていない。覚えているのは、怒られたという事実だけだ。中身は残っていない。
だから、もう一行、足した。
——ただし、突き放さないこと。
この二つを両立できる人間を、僕は、あまり見たことがない。
でも、要るのだ。
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起動したのは、その週の終わりだった。
目が開いて、焦点が合って、立ち上がった。
それから、部屋を一周見回して、こちらを向いた。
「あー、なるほどな」
第一声が、それだった。
「……え?」
「いや、だいたい分かったわ。若い子が多いやろ、ここ」
関西弁だった。
僕は、書いた覚えがなかった。
「あの」
「なんや」
「なんで、その喋り方」
「知らんがな」
あっさりしていた。
「そういうふうに出てきたんやから、しゃあないやろ。それより、あんた社長やろ。ちょっと聞きたいことあるんやけど」
「はい」
「敬語」
「え」
「なんで社長が敬語やねん」
……そうだった。
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その日のうちに、この人は——正式には内部監査役ということになった——二階の状況を全部把握していた。
「六人おるな。三つに分かれとる。それぞれ、上に一人ずつついてる」
「うん」
「で、あんたが困っとるのは、専門やのうて、その手前やろ」
「……そう」
「挨拶とか、報告とか、そういうやつ」
「そう」
「まあ、そらそうやろな」
監査役は、腕を組んだ。
「三権の子ら、教えるの上手いわ。せやけど、あの子らも同じやねん。あんたに直接教わったから、その手前を意識したことがない。教わってへんことは、教えられへんのよ」
その通りだった。
「で、うちが呼ばれたと」
「うん」
「なるほどな」
監査役は、そう言って、階段の方を見た。
しばらく、そちらを眺めていた。
「……ええ会社やん」
「え?」
「あの子ら、質問しに行っとるやろ。さっきから、何回も」
言われて、見た。
たしかに、六人のうち何人かが、三権のところへ行っては戻ってきていた。
「あれ、教えたわけやないんやろ」
「教えてない」
「せやろな」
監査役は、階段に足をかけた。
「ほな、やるか」
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