第58話:それは私の仕事ですの
歪んだ欲望により作ってしまった秘書・・・おいなぜそこまで知ってる!?
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ドンナが来て、二週間ほど経った。
最初のうちは、こちらが仕事を渡していた。この資料を作ってくれ、この予定を入れておいてくれ、と。
そのうち、渡す前に、できているようになった。
「マスター、明日の来客の資料、こちらに」
「まだ頼んでないけど」
「必要でしょう」
必要だった。
「あと、先方の会社について、簡単にまとめてございます。前回いらした時の内容も、下に付けておきましたわ」
前回の内容。僕は、それを覚えていなかった。
……この子、優秀すぎないか。
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問題が起きたのは、その週の終わりだった。
資料の締め切りを、僕が、うっかり、二日、勘違いしていた。
「マスター、この日程、間に合いませんわよ」
「え、あと三日あるだろ」
「今日は、十八日ですわ」
カレンダーを見た。十八日だった。
「……あ」
「あ、ではありませんの」
声が、一段、低くなった。デレの温度が、すっと引いた。
「スケジュールの確認は、秘書の仕事ですけれど、あなたが、自分の記憶を過信して、私の報告を軽んじたことが、原因ですわ」
「いや、その」
「三日前に、一度申し上げましたわね。十八日が締め切りです、と」
言われてみれば、聞いた気がした。
その時、僕は、たしか、別の作業をしていた。片手間で「はいはい」と返した記憶が、うっすらとある。
「……言ってた」
「言いましたわ」
「聞いてなかった」
「聞いておられませんでしたわね」
容赦がなかった。
さっきまでの、頬を染めていた子は、どこにもいなかった。あるのは、起動した日に見た、あの、冷たい一線だけだった。
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「言い訳は、結構ですの。三時間で、間に合わせる方法を、考えますわよ」
「三時間で?」
「他に何かご予定でも?」
「ない」
「では、始めましょう」
そこからの三時間は、ほとんど、彼女の指示で動いていた。
この項目は削る。ここは前回の資料から流用する。この数字はレジス様に確認を取るので、その間に別のところを進めろ。判断が速く、迷いがなかった。
途中で、一度だけ、手が止まった。
「マスター」
「なに」
「ここ、あなたにしか書けませんの」
差し出されたのは、事業の方針をまとめる部分だった。
「私が書くこともできますけれど」
「けど?」
「たぶん、それは、あなたの言葉になりませんわ」
僕は、そこだけ、自分で書いた。
三時間後、資料は、間に合った。ドンナが、僕の分の作業まで、半分近く、巻き取っていた。
「……ありがとう」
「当然のことをしたまでですわ」
言ってから、ドンナは、静かに微笑んだ。
「……ふふ。まぁ、今回は間に合いましたから、不問にして差し上げますわ。ですが、私の手綱さばきに甘えて同じ粗相を繰り返すようでしたら……その時は、専属秘書としての私の『お仕置き』を覚悟していただきますこと」
その一言に、僕は、背筋を伸ばして、うなずくしかなかった。
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翌週から、ドンナの担当範囲は、勝手に広がっていった。
最初は、メールだった。
「マスター、受信箱を整理いたしましたわ」
「え」
「三百件ほど、未読が溜まっておりましたので」
「……見た?」
「拝見しましたわ。返信の要否で仕分けて、急ぎのものは、上に並べてございます。定型のものは、下書きまで作りましたので、目を通してくださいませ」
開いてみた。
整理されていた。しかも、優先順位のつけ方が、こちらの感覚と、ほとんどずれていなかった。
「これ、どういう基準で分けた?」
「あなたが、これまでどの順番で返信していたかを、拝見しました」
……見られている。
そう思った瞬間、僕は、あることに気がついた。
受信箱には、返信が要るメールだけが来るわけじゃない。
配送の通知も来る。
注文の確認も来る。
……全部、来る。
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「ドンナ」
「はい」
「三百件、全部見た?」
「拝見しましたわ」
即答だった。
「……全部?」
「全部ですわ」
僕は、椅子の上で、ゆっくりと硬直した。
あの、先月あたりに買った、その、なんというか。深夜に、勢いで、注文したもの。件名にも、はっきり書いてあるやつ。
「あの」
「はい」
「その中に、あの、返信が要らないやつも、あったと思うんだけど」
「ございましたわね」
「それは、その、どういう分類に」
「通知系ですわ。返信不要として、下の方にまとめてございます」
淡々としていた。
あまりにも淡々としていたので、逆に何も言えなくなった。
「……なんか、言うことは」
「特にございませんわ」
「本当に?」
「マスターの私生活に、口を出す立場にはございませんの」
その言い方が、完全に、口を出す立場の人間の言い方だった。
「あの、ドンナさん」
「なんですの」
「今、少し、笑ってない?」
「気のせいですわ」
絶対に気のせいではなかった。
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「……ちなみに、他の子には」
「申し上げておりませんわ」
「本当に?」
「私、秘書ですのよ」
ドンナは、そこで、初めてこちらを見た。
「マスターの情報を、勝手に外に出すことはございません。それが、家の中であっても、ですわ」
真面目な声だった。
真面目な声で、そういうことを言われると、余計に恥ずかしかった。
「……ありがとう」
「お礼を言われるようなことでは」
「いや、言わせて」
「では、承っておきますわ」
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その、翌日だった。
「マスター」
声の温度が、いつもと違った。
「昨日の仕分けで、一つ、気になる分類がございましたの」
「なに」
「請求書ですわ」
会社を作ってから、この手のメールが、加速度的に増えていた。設備、部品、事務所の光熱費、それから何かの手数料。
「ええと、それは、後で見ようと」
「支払期日を過ぎているものが、三件ございます」
「え」
「先月の設備費、事務所の初期費用、それから、認証申請の手数料」
僕は、慌てて受信箱を開いた。
あった。
三件とも、確かに、期日を過ぎていた。
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「……なんで気づかなかったんだ」
「未読の中に埋もれておりましたので」
ドンナは、淡々と言った。
「請求書は、たいてい、目立たない件名で届きますの。しかも、あなたは、件名で優先順位をつける癖がおありですわ」
「……うん」
「見落として当然ですわね」
庇われているのか、責められているのか、判断がつかなかった。
「延滞の連絡は、こちらから入れておきますわ。三件とも、悪意のない失念であることを説明すれば、大事にはなりません」
「頼む」
「かしこまりました」
処理は、その場で始まった。
僕は、その手際を見ながら、思っていた。
これ、たぶん、今後も起きる。
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「ドンナ」
「はい」
「経理、頼めるか」
ドンナは、こちらを一瞥した。
「経理、と申しますと」
「請求書の管理とか、支払とか。帳簿も、たぶん要る」
「その程度でしたら」
あっさりしていた。
「私には、簡単な仕事ですわ」
「え」
「何を驚いていらっしゃるんですの」
ドンナは、少し呆れたように言った。
「数を数えて、期日を守って、記録を残す。手順が決まっているものは、得意ですの。むしろ、これまで放置されていたことの方が、問題ですわ」
「……いや、専門の人を雇うべきかとも思って」
「必要になれば、その時に申し上げます」
言い切った。
「今の規模でしたら、私で足ります。税務の申告時期になれば、専門の方に見ていただく必要が出ますけれど、それも、私が窓口をいたしますわ」
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「マスター」
「はい」
「あなたは、ご自分の業務に専念なさってくださいませ」
その言い方が、あまりにも当然のようだったので、僕は少し、返答に困った。
「あなたにしかできないことが、ございますでしょう。持ち込まれた個体を診るのは、あなたの仕事ですわ。数を数えるのは、私の仕事ですの」
「……うん」
「それを、あなたが両方やろうとするから、期日を三件も落とすんですのよ」
「返す言葉もない」
「ございませんでしょうね」
ドンナは、そこで、少しだけ口調を緩めた。
「その代わり、一つだけ」
「なに」
「今後、この手のものを受け取ったら、開いた時点で私に回してくださいませ。後で見よう、は禁止ですの。よろしくて?」
「はい」
「返事だけは、いつも良いんですのよね」
……どこかで聞いた台詞だった。
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その日から、うちの経理は、ドンナのものになった。
数字の管理を任せてから、分かったことがある。
この子は、金額の話をする時だけ、口調が変わる。
「マスター。今月の広告費、先月比で一・四倍ですわ」
「そんなに?」
「レジス様のご判断でしょうから、内容には口を出しませんけれど、記録としては申し上げておきます」
「うん」
「あと」
少し、間があった。
「ロイヤリティの入金が、また増えておりますわね」
その一言だけ、声が低かった。
「……いくら?」
ドンナは、数字を読み上げた。
僕は、しばらく黙っていた。
先月より、増えていた。それも、かなり。
売れているということだ。あの子たちが、どこかの家で、誰かの代わりに働いているということだ。
「マスター」
「うん」
「私は、経理担当ですので、入ってきたお金を、記録するのが仕事ですわ。出どころについては、何も申し上げません」
「……うん」
「ただ」
彼女は、そこで一度、言葉を切った。
「使い道については、いつでもご相談くださいませ。そのために、私がおりますので」
その言い方が、あまりにも静かだったので、僕は、うまく返事ができなかった。
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その夜、僕は、帳簿を眺めていた。
ドンナが整理したものは、素人が見ても分かるようになっていた。何がいくら入って、何にいくら出ていったか。一目で分かる。
分かるからこそ、目についた。
収入の欄が、ほとんど一本だった。
整備の売上も、少しはある。でも、桁が違った。ロイヤリティが、そのほかの全部を、まとめて飲み込んでいた。
「……これ、まずいよな」
誰にともなく、そう言った。
返事はなかった。
この会社は、まだ、自分の足で立っていない。
それだけは、はっきりしていた。
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