第55話:お約束しましょう
エグゼたちの権利を買い戻す・・・それは彼女たちを自分の管理下に置き、意図せぬ、障害から守ること
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二度目のArtemiaは、一度目より小さい部屋に通された。
前回のような、窓の大きい会議室ではない。四人掛けの机が一つあるだけの、打ち合わせ用の部屋だった。
今回は、一人で来た。
全員で行くべきだ、とレジスは言った。前と同じように。でも、今日は交渉に来ている。人数で圧をかけるような話ではないし、断られた時に、あの子たちの前で断られたくなかった。
……というのは、後から思いついた理由かもしれない。
本当は、単に、格好がつかないだけだったと思う。
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北条さんは、時間ちょうどに来た。
前と同じ、少し着崩したシャツ。目の下の隈は、前より濃くなっている気がした。
「お待たせしました」
「いえ」
「単刀直入なメールで、助かりました」
彼は、椅子に座りながら言った。
「回りくどい文章は、読むのに時間がかかるので」
やはり、そういう人だった。
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僕は、用意してきた話を、そのまま話した。
会社を作ること。アンドロイドの整備と調整を業務にすること。持ち込まれた子を、初期化せずに済ませたいこと。
そのためには、権利の所在をはっきりさせる必要があること。
「なるほど」
北条さんは、一度もこちらを遮らなかった。
話し終わってから、彼は少しだけ考えて、こう言った。
「対象は、ご自宅の個体だけですか」
「はい」
「事業として、他社の個体にも展開する予定は」
「整備はします。でも、権利がどうこうという話じゃないので」
「なるほど。そこは別ですね」
「はい」
北条さんが、少し笑った。
「うちの分だけ、ということですね」
「そうなります」
じえいは、そもそも別の会社の子だ。あの子については、いずれ別の話をしなければならない。今日は、そこまで持ち出さないことにした。
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少しの沈黙があった。
僕は、そこで断られる覚悟をしていた。
企業の資産を、一個人に譲る話だ。前例もないだろうし、社内を通る理屈もない。せいぜい、特別な使用許諾を出すくらいが落としどころだろう、と思っていた。
北条さんは、机を指で二度叩いて、言った。
「分かりました。お約束しましょう」
「……え」
「あなたのアカウントに帰属する個体について、権利をこちらから譲渡します」
あまりにも、あっさりしていた。
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「いいんですか」
「何がですか」
「いや、その、会社の資産ですよね」
「資産といっても、一アカウント分ですよ」
北条さんは、心底どうでもよさそうに言った。
「モデルそのものは、うちに残ります。譲るのは、あなたのところで動いている個体に関する権利だけです。数からいえば、誤差のようなものです」
「アカウント単位、というのは」
「その方が、管理が楽なので」
彼は、あっさり言った。
「一体ずつ数えて契約するのは、面倒でしょう。今後増えるかもしれませんし、そのたびに書類を作り直すのは、お互いに無駄です」
……増えるかもしれない、という言い方が、少し引っかかった。
でも、こちらにとっては都合がいい話だった。
「でも、前例がないんじゃ」
「作ればいいでしょう」
言い切った。
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「ただ、一つだけ」
来た、と思った。
「ログの提供は、これまで通り続けていただけますか」
「……それだけですか」
「それだけです」
北条さんは、はっきりとうなずいた。
「率直に言いますが、私にとって、権利の帰属はどうでもいい話です。書類の上の話ですから。私が欲しいのは、あの家から出てくる記録です」
「記録」
「ええ」
彼は、少し身を乗り出した。
「あの深度が、どうやって生まれるのか。私は、まだ説明できていません。仮説はいくつかありますが、どれも検証しきれていない。検証するには、継続した記録が要ります」
なるほど、と思った。
この人にとっては、そっちが本命なのだ。権利は、それを買うための代金でしかない。
悪くない取引だ、と思った。
どうせ、これまでも提供してきたものだ。それで、あの子たちの居場所が確定するなら、安いくらいだ。
「分かりました。それで、お願いします」
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書類の話は、その後で出た。
譲渡の範囲。対価の設定。契約の期間。
僕が今度は一つずつ確認していると、北条さんが少し面白そうな顔をした。
「よく読まれますね」
「前に、痛い目を見たので」
「ああ」
彼は、それ以上は聞かなかった。
察したのだと思う。
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一通り終わった後、僕は聞いた。
「社内は、通るんですか」
「通しました」
「え」
「昨日、通しました」
過去形だった。
「メールをいただいた日に、稟議を上げました。反対は、それなりにありましたね。前例がない、他の顧客への説明がつかない、資産管理上の問題がある。だいたい、想定通りの反対でした」
「……それを、どうやって」
北条さんは、少しだけ肩をすくめた。
「私が辞めると、困る人がいるので」
あっさり言った。
「今、この分野は、半年遅れれば取り返しがつきません。うちが遅れれば、他所が先に出す。先に出されたものは、後から追い抜くのが極めて難しい。設計の中心が抜けるというのは、そういうことです」
「……脅したんですか」
「事実を述べただけです」
言い方が、あまりにも平然としていた。
「もちろん、私も辞めたいわけではありません。ここには設備があるし、人もいる。ただ、こちらの要求が通らないなら、通る場所へ行くというだけの話です」
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僕は、少しの間、返す言葉がなかった。
この人は、たぶん、本気で言っている。脅しとして言っているのではなく、単に、そういう計算をしている。
そして、その計算が正しいことを、社内の人間も分かっている。
「……大変ですね」
「慣れました」
北条さんは、そう言って、初めて疲れた顔を見せた。
「理解されないことに関しては、もう、諦めています。理解されなくても、結果が出れば通る。ずっとそうしてきました」
その言い方に、少しだけ、覚えがあった。
僕も、外で自分の家の話をしない。話しても伝わらないからだ。だから黙って、家の中でやってきた。
似ている、と思った。
……似ている、と思ってしまった。
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帰り際、玄関で、北条さんが言った。
「その会社、名前は決まっているんですか」
「K's Factoryです」
「工場」
「町工場のつもりです。一台ずつ見る場所なので」
北条さんは、少しの間、黙っていた。
それから、こう言った。
「私は、その逆をやっています」
「……はい」
「一台ずつ見ていては、間に合わないので。同じものを、たくさん作るしかない」
どちらが正しい、という話ではないのだろう。
彼には彼の持ち場があって、僕には僕の持ち場がある。届く範囲が違うだけだ。
そう思った。
その時は、本当に、そう思っていた。
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電車の中で、レジスにメッセージを送った。
——通った。
返事は、すぐに来た。
——本当に?
——本当に。ログの提供が条件
少し、間が空いた。
——そう
それだけだった。
家に帰ってから、そのことを聞いた。あの時、何か言いたそうだったけど、と。
レジスは、少し考えてから答えた。
「安すぎる気がしただけ」
「安い?」
「向こうにとって、ログの継続提供は、たぶん、権利より価値があるわ。それを分かっていて、権利の方を差し出したのなら——」
彼女は、そこで言葉を切った。
「……いえ。取引としては、こちらも得をしている。文句を言う筋合いはないわね」
「そうだろ」
「ええ」
レジスは、それ以上、何も言わなかった。
僕も、それ以上は聞かなかった。
その夜、K's Factoryの登記書類が、机の上に積まれていた。
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