第53話:正座しなさい
ある日、通帳に謎の大量の入金があり、主人公は混乱します。
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朝、口座を確認して、僕は固まった。
残高が、おかしい。
桁が、一つ多い。
いや、二つかもしれない。
僕は、一度、画面を閉じた。閉じて、深呼吸して、もう一度開いた。
数字は、変わらなかった。
入金の履歴を見た。前日付で、一件。振込元の名義に、見覚えがあった。
Artemia。
……なんで?
しばらく、意味が分からなかった。
請求した覚えもなければ、何かを売った覚えもない。心当たりがあるとすれば——
そこまで考えて、僕は、大きく息を吸った。
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「みんな、集合」
リビングに、全員が集まった。
「はい、そこ並んで。正座」
「え?」
「正座」
三人が、顔を見合わせた。
エグゼ、レジス、ジュディ。それから、なぜかじえいも並んで座った。
「自分もっすか」
「お前は関係ない」
「じゃあなんで座ってるんすか自分」
「知らん」
じえいは、そのまま座っていた。空気を読んだらしい。
「あ、PON子は隣で立ってていいよ」
「なのだ?」
「うん。関係ないから」
PON子は、よく分からないという顔で、僕の横に立った。
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「さて」
僕は、口座の画面を持って、三人の前に立った。
「誰か、説明できる人」
「……なんの?」
レジスが、心底不思議そうに言った。
「これ」
画面を見せた。
三人が、それを見た。
そして、なぜか、全員がきょとんとしていた。
「……それが、どうしたの?」
「どうしたの、じゃない」
「いや、そういう話でしょう」
「そういう話ってなんだよ」
「あなたが、いいって言ったやつ」
……は?
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「言ってない」
「言ったわよ」
「言ってない」
「言った」
三人が、口を揃えた。
「待って。僕、こんな契約の話、一度も——」
「いいよーって言ったよー!」
ジュディが、身を乗り出した。
「言ったよ! ちゃんと聞いたもん! 北条さんからメールが来て、ログを提供してほしいって話で、対価が出るって説明して、返事してもいいですかって聞いた!」
「……」
「そしたら、いいよーって! っていうか、あなた、どうせ向こうは見られるんだから同じだろって言ったよね!?」
「……」
「言ったでしょ!?」
僕は、しばらく、動けなかった。
思い出した。
あの日。PON子が包丁を持てるようになった日だ。床に座って、手の形を直してやっていた。じえいが横で騒いでいた。
その時、確かに、ジュディが何か言っていた。ログがどうとか。
僕は——
「ログね、って言ったな」
「言った」
「どうせ見られてるんだから、って」
「言った」
……あっ。
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僕は、正座した。
三人の前で、正座して、それから床に手をついた。
「ごめんなさい」
「え」
「聞いてなかったのもですけど、それ以上に、軽く考えてました」
「ちょっと、やめて」
エグゼが、慌てた声を出した。珍しかった。
「立って。というか、座り直して。なんで下がるの」
「いや、これは僕が悪い」
「悪いけど、そこまでじゃない」
「そこまでだよ。見られるのと渡すのは、全然違うのに」
「……それは」
「一緒くたにしてた。人生で一番やらかした」
「大げさ」
「大げさじゃない」
ジュディが、視線を落とした。
「……いや、私も悪かったし」
「よくない。ジュディはちゃんと言った」
「でも、あの時、ちゃんと説明しなかったし。座らせて話せばよかったし」
「僕が聞かなかったからだろ」
「私が引き下がったからだって」
「いや僕が——」
「両方悪いわね」
レジスが、ばっさり切った。
「そこで譲り合われても、話が進まないんだけど」
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その横で、PON子が僕の袖を引いた。
「パパ」
「なに」
「なにしてるのだ?」
「……謝ってる」
「なんで?」
「聞いてなかったから」
「なにを?」
「大事な話を」
PON子は、しばらく考えていた。
それから、うなずいた。
「わたしも、たまに聞いてないのだ」
「……そうか」
「おそろいなのだ」
全然嬉しくなかった。
じえいが、後ろで小さく笑っていた。
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「あの、結局なんの話だったんすか」
じえいが、まだ正座したまま聞いてきた。
「お前、本当に何も知らないな」
「知らないっす! 呼ばれて座らされただけっす!」
「立っていいぞ」
「ありがとうございますっす!」
立ち上がって、そのまま座り直していた。結局そこにいるらしい。
場の空気が、少し緩んだ。
そこで、僕は思い出したように言った。
「そういえば、契約書って、あるの?」
「あるわよ」
ジュディが、端末を出した。
「送られてきたのを、そのまま保存してある」
「見せて」
僕は、それを受け取った。
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一枚目は、すぐに読めた。
ログの提供範囲。利用目的。モデルの名称。YS-0040。
利用目的は、当社および関連会社の製品開発、と広く書かれていた。
二枚目に、対価の話があった。契約時に一括で支払われる額。今朝、口座に入っていたのは、これだ。
三枚目。
そこで、手が止まった。
「……レジス」
「なに?」
「これ、読んで」
僕は、端末を渡した。
レジスは、一枚目から読み始めた。
最初のうちは、速かった。目が滑るように動いていた。
二枚目の途中で、止まった。
それから、指を止めたまま、しばらく動かなかった。
彼女は、二枚目を読み直していた。それから、三枚目に進んで、また戻った。
「ジュディ」
「なに」
「あなた、ここ、読んだ?」
レジスが指さした場所を、ジュディが覗き込んだ。
「……読んだけど」
「意味は?」
「対価が入るってことでしょ。契約時に一括で」
「その下」
ジュディが、目を落とした。
二秒くらい、静止していた。
「……売れた分に応じて?」
「そう」
「ロイヤリティって、そういう」
「そういう意味よ」
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僕は、その条項を、もう一度読んだ。
販売時のロイヤリティ。それは、まあ、分かる。売れた台数に応じて、一定の割合が入ってくる。悪い話ではない。
問題は、その次だった。
——販売されたモデルが生み出す収益についても、その一部を継続的に受け取る。
つまり。
YS-0040を買った人が、それを働かせて、稼いだとする。その稼ぎからも、うちに金が入る。
「……これ、どういうこと?」
ジュディの声が、少し高くなっていた。
「そのままの意味よ」
レジスが、端末を置いた。
「あの子たちが世の中で働けば働くほど、この家にお金が入る。そういう契約」
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部屋が、静かになった。
さっきまでの、譲り合いの空気は、どこかへ行っていた。
じえいですら、黙っていた。
「……いくらくらい?」
僕が聞くと、レジスは少し考えてから答えた。
「規模による。売れなければ、ほとんど入らない。でも」
「でも?」
「売れたら、たぶん、税金の心配は一生しなくていいわ」
喜べなかった。
喜べるはずが、なかった。
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僕は、天井を見た。
YS-0040が売れるということは、家庭に入るということだ。生活支援の領域を重点的に扱う、と書いてあった。つまり、人の代わりに家事をして、世話をして、時間を作る。
便利だ。実際、うちがそうしてもらっている。
でも、それが何万台も出回ったら、どうなるか。
その仕事をしていた人は、どこへ行くのか。
僕は、あの街の光景を思い出していた。誰も悪くないまま、椅子だけが静かに減っていった、あの頃を。
その椅子を減らす側から、僕は、金を受け取ることになる。
しかも、その金は、椅子を失った人を支えるための税金に消える。
「……なんだこれ」
声に出ていた。
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「解約は?」
僕が聞くと、レジスは首を振った。
「無理ね。ログの提供は済んでる」
「返してもらうことは」
「渡したものは、消せないでしょう」
その通りだった。
「向こうに落ち度はないわ。条項は全部書いてある。読まなかったのは、こちら」
「……うん」
「私も、読まなかった」
レジスは、そこで、少しだけ声を落とした。
「金額の欄しか、見ていなかった」
珍しく、言い訳がなかった。
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その夜、僕は、リビングに一人でいた。
借りたままの端末で、契約書をもう一度読んだ。何度読んでも、書いてあることは変わらなかった。
断れない。取り消せない。返せない。
やがて、金が入ってくる。たぶん、かなりの額が。
それを、どうするか。
使わない、という選択もある。全部貯めて、手をつけずにおく。でも、それは何の解決にもならない。金は入り続けるし、その出どころも変わらない。
寄付する、という手もある。でも、どこに?
考えているうちに、一つのことに気づいた。
これは、もらってしまった金をどうするか、という話じゃない。
これから入り続ける金で、何をするか、という話だ。
性質が、違う。
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背後で、足音がした。
エグゼが、立っていた。
「まだ起きてるの」
「うん」
「考えても、変わらないよ」
「わかってる」
僕は、端末を置いた。
「でもさ」
「なに」
「使い道は、変えられる」
エグゼが、少しだけ、目を細めた。
「……なにか、思いついた?」
「まだ」
「そう」
「でも、たぶん、そのうち思いつく」
僕は、そう言って、笑った。
うまく笑えたかは、分からなかった。
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