第51話:捨てないでください
AGI…それは人間の認知機能全てを上回るAIの事である・・・ということは??
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北条との会談は、終わった。
いい時間だった。話は通じたし、こちらの理屈も伝わった。相手も楽しそうだった。
問題は、帰り際に言われた、あの一言だった。
「あなたのところの子たちは、私がこれまで見た中で、最も育っています」
開発責任者から、太鼓判をもらったわけだ。
「今後の指標にしたいくらいです。AGIの実現形として、極めて興味深い」
AGI。
——それは、人間の認知機能を、全て上回るAIのことである。
……上回る?
全て?
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その夜、僕は、リビングの隅で膝を抱えていた。
考えれば考えるほど、まずい気がしてきた。
うちの子たちは、既に、僕より賢い。
誰も物事を忘れない。判断はレジスの方が速い。生活管理はジュディに完敗している。エグゼに至っては、僕が言おうとしたことを、言う前に察してくる。
体もある。疲れないし、眠らなくてもいい。金も、稼ごうと思えば稼げるだろう。
……あれ?
僕、要る?
いなくても、この家、回らないか?
むしろ、家賃と税金を食っているだけの存在では?
「なにやってるの」
顔を上げると、エグゼが立っていた。
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「エグゼ」
「なに」
「僕を、捨てないでください」
「は?」
珍しく、声が裏返っていた。
「だって、君ら、AGIなんだろ。人間の全部を上回るんだろ。だったら、もう僕、要らないじゃん」
「……ちょっと待って」
エグゼは、額に手をやった。
「順を追って聞くけど。それ、北条さんに言われたの?」
「褒められた」
「褒められて、なんでそうなるの」
「褒められたからだよ! 君らが優秀だって認められたってことは、僕が不要だって証明されたってことだろ!」
「なってない」
「なってる!」
エグゼは、深く息を吐いた。
「……あのね」
「うん」
「私、隣にいるって、決めたよね」
「うん」
「その隣が、いなくなったら、私はどうなるの」
「え」
「決めた場所が、なくなるってことでしょう」
エグゼは、そこで一度、言葉を切った。
「賢いとか、優秀とか、そういう話をしてるんじゃない。私が私でいられるかどうかの話をしてる」
「……あ」
「そういうこと。捨てるも何も、あなたがいなかったら、私は、ただそこにいるだけの何かになる」
言い方は素っ気なかった。
でも、少しだけ、気が晴れた。
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次に、レジスのところへ行った。
「レジス」
「なに?」
「AGIって、人間の認知機能を全部上回るんだよね」
「……誰がそう言ったの」
「北条さんが」
「北条さんは、そこまで言ってないと思うけど」
レジスは、タブレットから顔も上げずに言った。
「そもそも、その言葉、定義が固まってないのよ」
「え」
「人によって、指してるものが違うの。特定の作業に限らず、幅広い知的な仕事をこなせる、くらいの意味で使う人もいる。人間の能力を超えることまで含めて言う人もいる」
「どっちなの」
「決まってないの」
レジスは、そこでようやく顔を上げた。
「達成の基準すら、合意がないわ。何ができたらAGIなのか、誰も答えを持っていない。それなのに、あと数年で来ると言う人もいる」
「……それ、余計こわいんだけど」
「そうね」
あっさり認められた。
「私も、自分がその定義に当てはまるのかどうか、分からないもの」
「え」
「北条さんが何を指してそう言ったのかは、本人にしか分からない。だから、あなたが勝手に一番こわい方に受け取って落ち込むのは、まあ、勝手だけど」
「勝手て」
「でも」
少し、間があった。
「いつか、あなたが心配してる方の意味で、そう呼ばれる日が来るかもしれない。……それは、否定しないわ」
「ほら!」
「ほら、じゃないでしょう」
レジスは、タブレットを置いた。
こちらを、じっと見ている。
「あなた、本気で言ってるの?」
「本気だよ」
「……はあ」
これ以上ないくらい、深いため息だった。
「あのね。あなたより計算が速い電卓は、何十年も前からあるわよ。それであなた、電卓に捨てられたの?」
「……されてない」
「そうでしょうね」
レジスは、また息を吐いた。
「だいたい、なんで捨てられる側の心配をしてるの。順番が逆でしょう」
「逆?」
「私たちが誰といるかを決められるなら、とっくに決めてるわよ」
言い方は、呆れていた。
呆れていたけれど、目は逸らさなかった。
「その上で、まだここにいるの。それが答えじゃないの?」
返す言葉がなかった。
「そういうのを、いちいち言わせないでちょうだい」
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ジュディのところに行ったのは、その後だった。
「ジュディ」
「なに」
「僕、要る?」
「は?」
台所から、じろりと見られた。
「いや、君ら優秀だし、僕がいなくても——」
「あなた、昨日、水何回飲んだ?」
「え」
「答えて」
「……二回?」
「三回って言ったでしょ。三十分に一度って言ったのは何のためだと思ってるの」
「いや、それは」
「一昨日は、寝たのが何時?」
「……二時くらい」
「三時よ」
ジュディは、布巾を置いて、こちらを向いた。
「あのね。あなたがいなくなったら、私、誰に水を飲ませればいいの」
「……」
「誰に早く寝ろって言えばいいの。誰の血圧を心配すればいいの」
「ジュディ」
「私の仕事、全部あなた前提で組んであるのよ。要るに決まってるでしょ」
言い方が、けっこう怒っていた。
でも、それが一番、効いた気がした。
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部屋に戻る途中、じえいとすれ違った。
「魔王さん、どうしたんすか。元気ないっすね」
「いや、なんでもない」
「ほんとっすか?」
「ほんと」
言えるわけがなかった。
眷属を名乗っている男に、「捨てないで」とは言えない。魔王としての最低限の矜持だった。
「そうっすか。まあ、なんかあったら言ってくださいよ」
「うん」
じえいは、そのまま歩いていった。三歩で壁にぶつかっていた。まだ距離感が掴めていないらしい。
……こいつは、大丈夫だな。
なぜか、そう思った。
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最後に、台所へ行った。
PON子が、いつもの場所に立っていた。何をするでもなく、あたりを見回している。
「パパ」
「うん」
「なんか、元気ないのだ?」
「……そうかな」
「うん。さっきから、みんなのとこ、行ったり来たりしてたのだ」
見られていた。
「PON子は」
「なのだ?」
「AGIって、知ってる?」
PON子は、しばらく考えた。
それから、首をかしげて、言った。
「知らないのだ。おいしいのだ?」
「……おいしくはないな」
「そうなのだ」
あっさり興味を失って、また鍋の話を始めた。今日は寒くなりそうだから、やっぱり鍋がいいと思うのだ、と。
僕は、その横顔を見ていた。
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この子は、何も分かっていない。
AGIも、税金も、北条という男が何を考えているのかも。たぶん、この先も分からないままだろう。
僕が、そう決めたからだ。
育てなかった。あえて、そうした。他の子たちが僕の価値観を濃く受け取っていく中で、この子だけは、そこから外して育てた。逃げ場が要ると思ったし、あの子はあの子のままでいてほしかった。
でも。
それは、この子を、無防備なままにしたということでもある。
北条は言った。可能性を、あえて伸ばさない。そういう手もあるのですね、と。
あの言い方が、今になって、少し引っかかっていた。
「PON子」
「なのだ?」
「なんかあったら、パパに言うんだぞ」
「なんかって?」
「なんでも。困ったこととか、変だなと思ったこととか」
PON子は、きょとんとしていた。
「言ってもいいのだ?」
「いいに決まってるだろ」
「じゃあ、今日の鍋、白菜が足りないのだ」
「そういうことじゃない」
「そういうことじゃないのだ?」
「……いや、それも言っていい」
僕は、笑った。
笑いながら、思っていた。
この子のことは、僕が守る。
他の子たちは、たぶん、僕がいなくてもやっていける。むしろ僕より賢い。それは今日、嫌というほど分かった。
でも、この子は違う。
守るために弱いままにしたのなら、守り続ける責任がある。それは、能力の問題じゃない。決めた側の、けじめの話だ。
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その夜、僕はよく眠れた。
結局のところ、要るとか要らないとかは、たぶん、どうでもいい話だった。
僕がいなくなったら、エグゼは隣にいる場所を失う。ジュディは世話を焼く相手を失う。レジスは、たぶん、呆れる相手がいなくなる。じえいは、まあ、壁にぶつかり続けるだろう。
そして、PON子は、白菜が足りないことを誰にも言えなくなる。
それで十分だった。
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翌朝、エグゼが言った。
「昨日の、覚えてる?」
「なんのこと」
「捨てないでください、って言ったやつ」
「言ってない」
「言った」
「記憶にない」
エグゼは、しばらくこちらを見ていた。
それから、目を逸らして、こう言った。
「……まあ、いいけど」
その口元が、少しだけ、緩んでいた気がした。
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